玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

蕗みそ入りのおにぎり

2012年03月29日 | ねったぼのつぶやき

 月一定例のミーティングは、利用者さんを送り届けた後の時間に設定され、5時半から7~8時迄かかる。私の勤務時間は10時~16時で、徒歩15分の自宅に一旦戻り再度時間に合わせて参加していた。タマタマ雨降りの日、再度の往復も面倒で何か作ろうかと申し出た。近くのマーッケットから 毎度総数15~6人分相当数の夕食分として、お握りや・サンドイッチ・焼きそばや惣菜等購入していたからだ。以来私の勤務日がミーティングと重なる日は、私に期待される役割となり、料理事体は苦にならない私も請負っている。

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 我家では例年この時期「蕗味噌」を作り置く。それはご飯によく合い、作り置きがある内は夕餉に欠かせない。昨日がその日だった。「蕗味噌入りのおにぎり」を作ろうとタッパーに小分けして持参した。一升のご飯を炊き蕗味噌・たらこ・梅のおにぎりを作った。副菜は旨味用に干しエビ・チリメンジャコを炒め、そこに豚肉加え、次いで・厚揚げ・ハンペン・竹輪・シメジ・白菜・人参等太めの千切りを炒め煮にした。プラス新玉葱のおかかあえと漬物だ。小一時間で人数分を費用を考慮しつつとなると知恵もいる。3種類のおにぎりは案の定蕗味噌の奪い合いとなった。回らなかった職員は残った蕗味噌を分けあった。

 子供の頃そこらに芽吹いていても振り向きもしなかった蕗。年月を経るごとに大好きな食材となり、根っこを貰い受けて庭の隅っこに植えた。茗荷や蕗は地下茎で蔓延り、時として根切りしても結構な収穫を得る。植えっ放しのせいで、茎は市販されている程太くならないが、時期が来ると庭に趣を添えつつ、かつ野趣に満ちて貴重な食材ともなってる。花である「蕗の薹」は既に摘まれ、若い葉っぱが淋ししかった庭を少しづづ賑わし初めている。(写真はにら花)

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*春分の観察会

2012年03月26日 | 玉川上水の四季

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 今年は彼岸を過ぎても冷たい風が吹くことが多い。玉川上水オープンギャラリーの春分の展示はスタッフの一人である新津さんの「鈴木用水」である。小平市には、いまだに水をたたえて流れる用水が存在している。鈴木用水は新堀用水と違ってその存在があまり知られていない用水の一つである。民家の敷地内を流れている部分もある。新津さんはこれら幅1mにも満たない小川を何とか保存することはできないかと考えるいるうちの一人だ。春分のミニ観察会は陽射しに恵まれた。スタッフ4名に加えていつもの顔ぶれが集まり総勢十数名での散策だ。

 上水沿いの農家の敷地にある種々の梅がようやくいっせいに咲き誇っている。これは例年だと雨水の時の風景だと鈴木さんは言う。梅に関する限り今年は季節が1ヶ月遅れている。先日訪れた青梅市では3年前にプラムポックスウィルスによる被害が発生し、梅の木が大量に伐採処分され生産農家が打撃を受けていることを知った。梅には鑑賞用の梅と収穫用の梅がある。観光従事者と生産従事者では伐採に関して意見の相違が存在し、行政は頭を痛めているという。梅の鑑賞については昔からつぎの三つの楽しみ方が言い伝えられている。ちらほら咲いている花を探しながらの「探梅」、いっせいに咲き誇った花を鑑賞する「賞梅」、散りゆく花を名残り惜しみながらの「送梅」である。

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 葉を落としたサルスベリと思っていた木がヒメシャラの木と教わり、これはアセビ、キブシの花ですと教えられまじまじと眺める。二つ垂れさがっているのは雄花で、ここにポツンとあるのが雌花だとツノハシバミという木を示されてもこれはすぐに忘れるに違いないと思う。陽の光を浴びてアマナが花開いていた。黄色の大きな花はタンポポでなくてノゲシと教わる。散策の途中にすすめられて土手に群生している山菜の「かんぞう」を採取する。昨年は無知ゆえに大幅に遅れた時期に採り、何だこれはという苦い経験をした。なにごとにも旬というものがある。その夜に湯がいて食べた。アクは全くなく甘味とヌメリが特徴だ。「かんぞう」を味わうのに一年かかったことになる。

 蝶は春から秋にかけて「成虫」の姿で過ごし、冬の寒い時期は「卵」で過ごすものや「幼虫」で過ごすものや「サナギ」で過ごすものが大半である。その中にあって「成虫」の姿のままで厳しい寒さを乗り切っている「成虫越冬型」の蝶がいる。鈴木さんによると上水で最も多く出会うのはキチョウだろうという。昨年暮れの散策ではクヌギの樹液に訪れたルリタテハを目撃した。今回の散策では鈴木さんがいち早くアカタテハを見つけて皆に知らせてくれた。その時の蝶が人だまりの中でかなりの時間同じ姿勢で留まっていたのが不思議だった。鈴木さんの今年のテーマの一つは蝶の羽化であり、蝶の食樹が植えられ鈴木さんの庭では羽化が待たれている状況だという。鈴木さんのテーマは尽きることがない。

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介護度5の利用者様と

2012年03月22日 | ねったぼのつぶやき

 先だって地域の中核病院の「退院に向けての打ち合わせ会」に参加した事を記した。その方は入院中に切り替えがあり、介護度が4から5(最高度)となって退院され、デイケアを再開されている。5ということは殆ど寝たきりを意味しているに等しい。今その方にやっていることは、経管栄養は当然として、ナースとして可能な全ての技術(座位時間の延長・立位保持・移動動作(トランスファー)・歩行・口腔機能改善(咀嚼・嚥下・痰切り・保清)・経口摂取・排泄のコントロール)の総出しである。

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 これらは全て自宅で生活させたいと願われる奥様のご意向に沿ったケアーである。私と半々その任に当たるナースが心配げに秘かに「医師の許可は?」と私に問う。言下に私は言った。「入院中なら必要ね。在宅の場合コチラで試してみて可能そうだったら妻と相談するべき。医師に問えば無難な返事をするに決まっており、仮にダメといわれたら”経口摂取”させることは禁を犯すことになる。だから敢えて質問しなかった」と。デイ再開から一ケ月弱の昨日、奥様をお呼びして経口摂取と、私が両手を添えただけで少なくとも100mは可能となっている歩行の様子を見て頂いた。これ迄も記録や送迎時に様子は伝えていたのだが、奥様は感動の面持ちでご覧になっていた。ケアー全般に著明な改善がみられ、半日程度なら背もたれなしの椅子でも座っておれるようになっていたからだ。しかし進行性の難病ゆえ限られた改善しか望めないかもしれないし、改善したら改善したで低い介護度に戻されるから痛し痒しという所でもある。

 かねがね私の位置は、職員にとっては距離があるとされているように自覚させられていた。この手の施設では、ひたすら優しい事が最優位にあるようで、完全に同一歩調をとれない私は常にジレンマを抱えてもいた。今迄も何度か、幾種類かの利用者さんにとって私自身の思考と実践を経て、それなりの結果と評価を得ては来ていたが、年月を経る内にヘルパーも順次変わる。今回の事例を通して久しぶりにナースの面目を保ったということになろうか。しかし何よりも、奥様の「希望がもてました」とおっしゃた輝いた笑顔が嬉しかった。(写真は川合玉堂の作品)

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*高齢社会

2012年03月20日 | 捨て猫の独り言

 あるアンケートの結果をプリントしたものが机の上に置かれていて、それの最初の設問に興味が湧いて思わず目を通した。第一の設問は「100歳まで生きたいと思う?」である。回答者数は4000人ほどのようである。私ならば「NOで、理由は100歳に価値を見い出せない」である。集計の結果はYESが35%で、理由は「やりたいことがたくさんある」「孫子の成長を見届けたい」「生きるのが楽しい」などである。NOが65%で、理由は「病気になってまで生きたくない」「親族に迷惑をかけたくない」などだ。さらにNOの回答者のうちの48%が80歳代、31%が70歳代で死ぬのが理想とある。私の望みは70歳代だから、もはや私に残された時間はそれほど多くはない。

 第二の設問は「食うと寝るはどっちが好き?」である。私ならば「寝るで、理由は無の世界に入れる」と答える。集計の結果は食うが56%で、理由は「幸せな気分になる」「おいしい」「元気になる」などだ。寝るが44%で、理由は「気持ちいい」「健康にいい」「元気になる」などだ。これは設問のミスだと思うが「怠け者のイメージはどっち?」には93%が「寝る」と答えている。第三の設問は「趣味はありますか?」である。92%があると答え、さらにそのうちの62%は他人に胸を張れるほど熱中していると回答している。上位から順に読書、旅行、スポーツをする、音楽を聴く、パソコン、映画や劇の鑑賞、写真、スポーツの観戦と続いている。掲載されていた15位までに私の囲碁は出てこない。

 吉本隆明さんが3月16日に87歳で亡くなった。白内障と腸がんの手術をし、歩くことも読むこともままならなくなった晩年まで、言論活動について「僕はまだ諦めたくない」と意欲的だった。 次女のばななさんがツイッターでつぎのようにコメントしている。「みなさん、ありがとうございます。父は最後まですごくがんばりました。父が危篤なことを言えずつらい一ヶ月でした。最後に話したとき『三途の川の手前までいったけど、ばななさんがいいタイミングで上からきてくれて戻れました』と言ってくれました。『としよりは、同じ話ばかりで情けない』と言うので、そんなことはない、いるだけで嬉しい、と言うと『そう思えたらいいんですけどね』と笑いました。最高のお父さんでした」このコメントに私は深く打たれた。正直に言うとそんな父娘関係が妬ましかった。

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*除染

2012年03月17日 | 捨て猫の独り言

 くしゃみ、はなみず、鼻詰まりの季節になった。日本では杉の花粉が2月から4月の間に飛散する。花粉によってひき起こされるアレルギー性鼻炎だ。これはなかなか治らない病気である。私の場合には重症化にいたらず、耳鼻科専門医のお世話にならずにすんでいる。花粉症は季節性のものでしかも症状が目に見えるが、福島原発による被爆は不気味で深刻な問題だ。

 花粉症対策としては外出時は花粉が付着しにくい表面がすべすべした素材の上着を着るように心がける。帰宅したら花粉をよくはらい落すようにし、花粉を家の中に持ち込まないように努める。それでも入ってくることはさけられないので、いつもよりこまめに掃除して除去する。洗顔、手洗い、うがい、鼻かみも励行するといいらしい。十分な睡眠と適切な食事・運動によって人間の自然免疫力を高めるのが一番かもしれない。

 退職して久しい技術者が少人数の酒の席で問わず語りに今回の原発事故について話した。人体への影響度合いを表す単位がシーベルトであり、放射性物質の放射線量を出す能力を表す単位がベクレルである。電源が失われ冷却不能になれば原発が爆発するの必然で、これは現場の人間には常識的なことであった。放射能がまき散らされた一部地域では帰還は永遠に困難だろう。使用済み核燃料の安全な処理方法を日本は確立せずに原発稼働に踏み切ったと言える。たとえば地下深くの岩盤に数百年にわたって保管するなどの計画を聞かされたことはない。

 「核燃料サイクル計画」というのがある。青森県六ケ所村にある再処理工場で使用済み核燃料棒をせん断し、強い硝酸で溶かして処理する化学工場だ。非常に難しい技術でトラブル続きのようだ。ウラン、プルトニウムを取り出し新たな燃料にするのだという。それを使う予定の福井県敦賀市の「高速増殖炉もんじゅ」も事故で実用化のメドは立っていない。ところで吉本隆明氏は「原発放棄は人間が猿から別れて発達し今日まで行ってきた営みを否定することと同じ」と発言している。またある科学者は安全な原子炉ができるにはあと200年かかると話している。

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梅の花はちらりほらり

2012年03月16日 | ねったぼのつぶやき

 早朝起床時まず内・外気温計に目をやる。日中は温度は上がると報道されていたが、今朝も6時の外気温は1.4度の数値だった。そんな気象が続いてる最中、昨日は予定通り梅見会に出かけた。私の属しているグループの会長は”吉野梅郷の店主”のようで、移動中の車内で 「今年は冷冬で開花は一ケ月遅れている。変更は困難なのでせめて名物料理の川魚料理を楽しんで欲しい」と挨拶された。すると車中のどなたかが「TVに出てそう言っとったよね」という。民放の番組に何度かひっぱり出さているらしい。

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  まず「ロンヤス会談」で一躍世の中の衆目を集めた「日の出山荘」を訪ねた。なだらかな坂を上った中腹に、青雲堂・天心亭・書院と命名された日本式の3棟が、石畳や植え込みを縫って配置され、眼前~谷方向に向けて眼一杯の木々が緑なして風にそよいでいた。書院には米大統領に留まらず、ゴルバチョフ夫妻や全斗換大統領など訪れ、記念植樹や寄贈品と共に要人との交流写真が多数展示されていた。山荘は2006年丸ごと町に寄贈され、翌年から一般公開されているという。牛小屋付きだったという古民家を修復した藁葺きの青雲堂は、私たちが幼少の折目近にしたそのものだった。

  東京の奥座敷といわれているここらは、深い谷に清流が流れ、その川べりに設えられた古民家の格調高い作りになっているものが多い。せせらぎの音を聞きながら川魚料理を戴いた「山里懐石料理旅館・河鹿園」は、川合玉堂館の川向かいにあって画伯も好んで利用したようで、多数の寄贈作品を特別に開示してもらった。文化勲章を受けた川合画伯は香淳皇后の絵画の指導をしていたようで、玉堂館には昭和天皇・現天皇夫妻の来館写真も展示されていた。今迄何度か訪れた吉川英治館や玉堂館だが、今夏は河鹿園に宿泊しながらゆるりと再訪するとしようか。

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*決断力

2012年03月05日 | 捨て猫の独り言

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 東京地方に積雪がみられたのは2月29日だった。そのつぎのつぎの日は雨になり舗装されていない緑道はぬかるんだ。その日の緑道はまるで水を張った田んぼのようだった。通勤通学の人はとても気の毒で、ほとんどの人がこの道を迂回したものと思われる。そして月曜の今日も雨である。近くの梅林の多くの梅はまだつぼみのままである。食卓に蕗の薹が姿を現わし、噛みしめてあのにがみを味わっている。

 平年は365日だが閏年は366日である。調整のための閏年は約4年に一度ある。なぜここで厳密には「約」と言わねばならないかと言えば、この先の21O0年は4で割り切れる年であるにもかかわらず平年とすることになっているからだ。私たちが生きてる間はきっちり4年に一度は閏年と心得てよい。天体の運行は神秘に満ちている。

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 碁のアマチュア指導を天職にしている木谷好美(としみ)初段は、故木谷実九段の姪にあたる。好美さんがつぎのようなことを新聞のコラムに書かれていた。『故加藤正夫九段とは、兄妹のようなおつき合いでした。「人の優しさは決断力だよ」が口ぐせでした。味わい深い言葉でしょう』 この言葉について私はしばらく考えてみたのだが、どうもいまひとつ腑に落ちるところがない。勝負中の決断力のことだろうか。勝負と優しさは無縁のはずだ。どんな場面の決断力が想定されているのだろうか。謎は深まるばかりである。

 まさか決断しないで先送りばかりする政治のことでもあるまい。しばらくこの言葉を念頭において暮らしてみよう。何か気付くことがあるかもしれない。この7月に宮城県南三陸町に100人宿泊可能な学生ボランィア活動の拠点が設けられるという記事を読んだ。大正大、立教大、東京音楽大など首都圏を中心とした私立大が共同の発起人となり、各大学の学生の体験学習の場としても活用するという。関係者のこの決断を誰もが歓迎するだろう。

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Always3丁目の夕日

2012年03月02日 | ねったぼのつぶやき

  大雪の降り積もった翌日3D映画なるものを見に出かけた。シニアー料金で1400円。見かけは通常となんら変わらない眼鏡を渡されその代金込みだという。なんせ初体験のことでメガネを掛けたり外したりして見較べた。成程アレだ。私の初海外旅行は30年前だったが、アメリカの博物館で眼鏡をかけて映画をみた。川を漕いでいたカヌーが、イキナリ観客目掛けて画面を飛び出して来たり、周りの森林が急接近するようなシーンに驚いたが、これと同じ仕組みに違いない。

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 主人公の一人である売れない作家・吉岡秀隆は私の愛する俳優の一人である。息子を見つめる眼差しとでも言おうか。なんせ我が子が主人公と同年齢の頃から、TVドラマ「北の国から」を彼等と共に長年見続けて来たのだ。それは出演者の育ちゆく年齢に沿って展開されたドラマで、長寿番組の上視聴率も高かった。今でもさだまさしのテーマソングと共に其々のシーンを思い出す事が出来る程懐かしい。

 今回の映画も私が見たのは2作目であるが、今後も続けられそうな予感がする。愛情も持って育てた他人の子が、秘かに物語を描き育ての親の定位置を脅かした。事実を知ったの後も、「使い捨てにされるだけだから学業に励め」と忠告したが聞き入れず作家になると宣言された。自身も親に背いて選びとった道。止む無く追い出したのだが、「決しておまえには負けないからな。潰してやる」と睨みつけていた。が、自分がプレゼントした万年筆の忘れ物に気付き車を後追いし、同じくそれを取りに戻る子に出会い渡して後、口を利けず別れるシーンが終章だった。

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