玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

18才違いの姉妹暮し

2010年01月28日 | ねったぼのつぶやき

 日本で100才以上の人口が3・5万人を超える時代。デイケアやデイサービスの施設でも90代の方は少なくない。通所を始められる多くの方々は初回は見学を兼ねて来所される。昨日も白髪の初老のご婦人が車いすに乗せた同じく上品な年長のご婦人を伴っていらした。親子さん?とお見受けしたが18才違いのご姉妹と伺った。

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 私の関わっているデイケアでもご利用者の25%近くが90才を超えていらっしゃる。雨天以外の日は励行している散歩でも、全く歩行不能の方(2~3名)以外は歩行距離を考慮しつつ必ず歩いて頂いている。さすがにその年代になると歩行のみならず、見え難い、聞こえ難い等あって書いて、耳元で、音読で等の対応が必要になり職員も多い。認知症の極みで ”な~んで私がこんなツ~マラン所にいなくちゃいけない!” と何かと悪口を終日連続参加で吐き続けている人がいる割には概ね好評である。

 見学後、今後も参加したいと申し込みの手続きをされた。ご本人様は皆さんとお手玉遊びに加わって頂き妹様から情報を頂いた。元気な91才のお姉様は座椅子のまま何時間でも団地の2階から外の風景を愛でるのが好きという。とりわけ月を好まれ、時には階下に降りて共に眺めるという。御姉妹で仲良く穏やかに過ごされているお姉様が、デイケアにも馴染んで頂けますように祈るばかりだ。

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*二年目の企画

2010年01月25日 | 玉川上水の四季

 冬の最後の節気である大寒が終わると2月4日からは春の最初の節気の立春である。鈴木忠司さんの玉川上水オープンギャラリーの展示が間もなく二年目を迎える。20日に大寒の展示をのぞいていている時、久しぶりに全く偶然に鈴木さんにお会いして話を聞く機会ができた。その労をねぎらい感謝の気持ちを述べた。いや一年はあっという間だったと言う。9坪の狭い土地だけど固定資産税がばかにならないと言う。ほかにプリント代もかかるであろう。あと一年ほどで古稀を迎える鈴木さんは血色もよくお元気そうである。

 パネル3枚(畳3枚に相当)のメインの東側展示には毎回4枚ずつ計12枚の写真が掲示される。そして写真の撮影年月は必ず表示されている。今回大寒の展示のテーマは「冬から早春の花」である。〈早咲きの木の花〉としてローバイやマンサクなど、〈冬から早春の花〉として何年か前の2月に撮ったサンシュユ、椿、スイセン、福寿草、〈早咲きの野の花〉のパネルにはつぎのようなコメントがある。「早春には散歩コースは上水の右岸を歩くことを勧めます。オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ニヒメオドリコソウなどを日当たりのよい場所に見つけることができるでしょう」

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 二年目の企画としてギャラリー友の会を開催すると鈴木さんは熱く冷静に話す。毎週日曜日の午前10時半から午後12時半に開く。ギャラリースタッフによる展示作品の解説や、二十四節気と玉川上水の自然の解説、その気になれば散策ポイントへの案内などを考えている。第1回は2月7日(日)である。当初は隔週ということで考えていたが、混乱しそうなので毎週ということにしたという。さらに3年目の展示の計画に取りかかっているという。これは2年目の聞き違いではない。過去一年の展示作品はすべてパソコンに保存されていることは言うまでもない。

 節気ごとの展示だから一年では24回になる。鈴木さんは2週ごとに展示を入れ替えるのだから、なるほど一年はあっという間と感じるだろう。春夏秋冬それぞれ6つの節気がある。今年も6回のうち1回は写真ではなく鈴木さんの鉛筆画の展示になるはずだ。武蔵美出身で元市職員の鈴木さんの鉛筆画は淡くやわらかい色調のものだ。物の輪郭を定かに描こうとはしない絵である。写真は撮りだめたものがあるだろうが絵の方はどうだろう。今では好きなお酒も、月に2度ほど展示終了後にスタッフと一緒に飲むぐらいだとお聞きしている。

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吾子の喜色が嬉しくて

2010年01月22日 | ねったぼのつぶやき

 夜中に目覚めると、深夜放送のスイッチを入れるのが習慣になって久しい。昨夜は、悩みながら子育てし「今日の風は何色?」を出版、以来インターネットで子育て広場を立ち上げ、相談活動をしている母親へのインタビューの再放送だった。その子供とは「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」で優勝した盲目のピアニスト辻井伸幸さんである。

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 フリーアナウンサーをしていたというその人の声は明るく明快であった。子供をもった頃や迷いが生じた時何冊も本を手にした。しかし我が子の成長はどの本よりも遅く逆効果に思え、子供の喜ぶ姿を第一にすることにした。そして音に対する反応がいいことに気付き楽器を与え、読み聞かせなども誇張気味にして本人の想像力を掻き立てたという。

 一方父親は多忙な仕事(産婦人科医)の傍ら、子供が満2才になる位までは母子が何かの調子で死を選択するかも知れず、自宅に帰っていたという。今や演奏活動で世界中を駆け回る我が子を遠くから見やりながら、「これでどうやら食っていける」と父親は安堵し、母親は自身の活動が忙しくなって「親離れ子離れが出来て嬉しい」と吐露していた。彼女が講演や相談活動に励むのは、手本を示して下さった先輩達から学んだことをお返したい一念からと語っていた。

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*ぐるり富士山

2010年01月18日 | 捨て猫の独り言

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 青春18切符を2回分残し、使用期限まであと4日となった。もったいないの思いが旅に出ることを後押しする。17日の日曜の早朝に出発し、勤務のない月曜を利用して1泊2日の旅という日程が決まる。ひねり出した一人旅の内容は、富士山を包囲するようにJR線に乗り、いろいろな角度から富士山の姿を見ること、それに沼津漁港の見学だった。そこで宿泊地は沼津駅前にすることにした。

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 東海道本線とは別路線で国府津と沼津を結ぶ御殿場線というのがある。東海道本線の富士と中央本線の甲府を結ぶのが身延線である。これら2つの路線によってかなり富士を包囲できる。これらの各駅と沼津漁港は私にとって初めての土地である。箱根の山と富士のすそ野の間を縫って走る御殿場線の車窓からの富士は美しい。手前に遮るどんな山もなく独立峰富士だけがそこにある。この周辺に富士とつくJRの駅名は複数あるが、その名のつく駅はそこから美しい富士が望めることが保障されているのだ。

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 ぐるり遠回りして11時前には沼津に到着した。沼津市では日曜祝日は駅から港まで30分おきに直行無料シャトルバスを運行している。ガイドマップには駅から港まで2200mで歩いて30分とある。駅から南へ一直線にのびる幅広の「さんさん通り」を歩くことにした。駿河湾の奥深く波静かと思われる沼津港に巨大な水門が造られている。百円の入場料で巨大な建造物の上までエレベーターで上がると360度の眺望を楽しめる。あいにく富士は雲に隠れていた。一級河川の狩野川沿いには人と自転車のための道路が整備されていた。沼津の街は駅前も港も比較的最近整備されたようである。地域住民の生活にゆとりと落ち着きのようなものを私は感じた。

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 翌日は沼津を出て17分で富士駅に着き、気持のいい新しい駅舎で軽い朝食をとり、7時43分の身延線に飛び乗った。始発の富士駅から富士宮駅までは邪魔する山の何もない、まるごと富士の姿をしばし堪能する。満員の通学の高校生たちは富士など見向きもしないで他のことに忙しい。学生が一斉に下車して富士が姿を消すと今度は左手に富士川が目を楽しませてくれる。そのうち甲府盆地に入ると富士は再びその姿を見せるが、白く南アルプス連峰が目立ち、富士は逆光の中にかすんで見える。そして手前の山並みにまぎれて頭だけ出して目立たない。甲府駅で中央本線に乗り換えてもそこから塩山駅あたりまでは頭だけの富士を眺めることができた

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*ルリカケス

2010年01月12日 | 無断転載

 《奄美大島と徳之島にしか棲息しないために特別天然記念物に指定されているルリカケスという鳥がいます。カラス位の大きさといえましょうか。羽根の色は背中と腹は赤栗色ですが、ほかのところは濃い瑠璃色の美しい姿をしています。この鳥は群れをなして畠のものを荒らしますので、島の人たちからはあまり好かれていないようです。ですから特別天然記念物と言っても、それほど大切にも思われていません。私の家の裏山にもたくさん棲んでいますが、庭の果実の木々にまじって、ひときわ高く枝を広げたヒトツバの木に、桜ん坊色の細長い甘い実が熟れ始めますと、それこそ木を覆うほどたくさん、耳ざわりのよいとはいえない甲高い鳴き声をたてながら群がってくるのでした。

 ショインの外縁に筵を敷き南京豆を干しておいたところ、ルリカケスがたくさん集まってきて、さかんに突いているので、びっくりして籠に収め、とりあえず納戸に持ってきておきました。ナハンヤ(家族の居間と寝室のための一棟)で父母といっしょにお茶を飲んでいますと、しきりにさわがしい音がするので渡り廊下を駆けて行ってみますと、外縁から内縁、表の間、中の間、小座といっぱいのルリカケスが飛び廻り跳ね廻り、納戸の籠から南京豆をくわえてきては突いているではありませんか。南京豆の殻を突き割る音と鳥たちの羽音が入り交じりその騒々しいこと、一瞬私は呆然としましたが、ふといたずら心をおこして部屋部屋の障子を閉めにかかりました。驚いた鳥たちは素早くいっせいに飛び立ちましたが、一羽だけ家の中に封じ込めることに成功したのです。私は汗をいっぱいかくほど追い廻し、とうとう手づかみで捕まえて赤銅の籠に入れると、ルリカケスはきょとんと私を見ていました。ルリカケスは教え込むと人の言葉を真似るそうだと父が言っていましたので、私はどうしても飼い馴らしたいものだと思いはじめていました。

 野鳥を飼うのは、餌のことがむずかしいので、富秀にきてもらって尋ねましたところ、ルリカケスは生きた小さな虫や蜥蜴の卵などが大好きで、木の実や、さつま芋、南京豆なども食べますが、性質が臆病だからちょとした物音にも驚きやすく、人の与える餌に馴れさせるのはなかなかむずかしいことのようで、初めての私には無理だとわかり、よく飼い馴らしてから持ってきてくれるようによく頼んで、彼に預けました。

 十日ほどして富秀が姿を見せましたので、ルリカケスの様子を聞きましたところ、「ああ、あの鳥は餌のさばくりが難儀だから、母と二人で煮て食べてしまいましたよ」とにこにこ笑って言うのでした。》

 以上は島尾敏雄氏夫人ミホの「海辺の生と死(創樹社)」から無断転載したものです。奄美の加計呂麻島での幼児の思い出を綴った本です。敏雄はこの本の序文でミホは父からも母からも叱られた記憶がただの一度もないと言っていると書いています。

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*5泊6日で九州へ

2010年01月11日 | 捨て猫の独り言

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 青春18切符を愛用するようになってほぼ一年になる。この切符で鹿児島に帰省するのは、一昨年暮れに始まって、昨年の夏、そしてこの正月と3回目である。今回は東海道本線で大阪へ、そこからフェリーで宮崎へというコースにした。その日は新潟など日本海側では雪の予報であったが、こちらは関ヶ原から米原の区間だけよこなぐりの粉雪が舞っていて不思議な感じであった。

 昨年の夏は大阪からフェリーで別府に向かった。それでとんでもない思い込みをしてしまった。宮崎行も別府行きと同じ埠頭から出るという、考えられない思い込みだった。なんと大阪南港からは8つものフェリー航路があり乗り場は5つもあり、それぞれはかなり離れている。大阪駅で知人と待ち合わせて会話を交わしたことで思い違いに気付いた。知人と会わなければ大混乱におちいるところだった。

 夜7時などの出発が多いフェリーだが乗り場にたどり着くまでは殺風景で物悲しい雰囲気が漂っている。宮崎行きの乗り場からそう遠くないところに、沖縄の那覇に向かう乗り場がある。そこで英国人女性死体遺棄事件の市橋達也容疑者が11月に逮捕されたのは記憶に新しい。その船会社は奄美・沖縄エリアを受け持つマルエーフェリーである。この会社では容疑者を通報した社員がいてその懸賞金の話題で大いに盛り上がった。しかし数日後に自社のフェリー「ありあけ」が熊野灘で座礁して社内はてんてこ舞いの対応に追われたそうだ。

 宮崎では4時間の待ち時間があった。宮崎駅から徒歩で30分の宮崎神宮、総合文化公園を見学する。日豊線での鹿児島入りはほとんど記憶にない。国分の町に列車が駆け下る頃に桜島が見え始める。鹿児島銀行が作成している一枚カレンダーはいつも中央に桜島という絵柄だ。今年初めて自らの手で家へ持ち帰ることになった。大学卒業以来の会うことのなかった友人と二人だけで会うことができた。帰りは鹿児島空港からJALに乗る。飛行時間80分である。65歳以上は航空運賃国内どこでも一万円という恩恵を今回初めて受けた。(写真は鹿児島空港にて撮影)

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静かだった年末~年始

2010年01月07日 | ねったぼのつぶやき

 昨年末は大掃除は程々にして済ませた。年賀状も数枚にした。おせち料理も初めて取り寄せることにして花豆甘煮、味付け数の子、松前漬け、栗きんとん、雑煮用の具程度の準備だけにした。騒々しい紅白はチャンネルを切り替えながら摘み見し、それでも最後まで見る気もせず早々に就寝した。

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 明けて元旦。お屠蘇の杯を干し昨晩届いた重箱を解いた。お気に入りだった料理店が、チェーン店に押されて仕出し屋に転じた店だったから美味だった。お年玉目当てにやって来る孫達も、元旦しか休まない塾の方針で今年は来なかった。そんな訳で2人所帯に4段重ねのおせちは重過ぎ未だ残っている。午前中に例年通りの賀状が届き、初詣は歩いてお寺・神社に行った。お寺はチラホラで、神社は例年のごとく長蛇の列だった。

 今年の年越しは静かだった。まだまだ体力的な衰えは感じないのだが、その内限界を感じるようになると意識的に色々な事を縮小へと向けることになるのだろう。子供の教育期や現役時代には、家庭や職場のアレコレをプランしあらためてまなじりを決していたように思う。其れに比し何と緩やかで穏やかな時の流れだろう。”日本は世界に例を見ない高齢化社会に突入した。最早モデルのない時代に入った。資源のない日本が経済大国になり得たように、今世界に先駆けた高齢社会のモデルになる時代到来だ”と誰かがあじっていた。

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*元日の散歩

2010年01月05日 | 捨て猫の独り言

 おだやかな元日だった。ようやく昼ごろになって、歩いて20分ほどの寺と神社まで散歩する。腹ごなしと気分転換が主な目的なので厳粛な気分とは程遠く、これを初詣というのは気がひける。寺と神社とでは私は寺の方が気に入っている。小川寺は臨済宗円覚寺派のお寺で山門には二体の巨大な仁王像が鎮座する。鐘楼がある境内は立派に整えられ裏の庭園も見逃せない。かなり広い墓地を抱えているのでこれだけの構えができるのだろう。墓地からは高圧鉄塔の電線のはるか向こうに雪をいただいた富士山を望むことができた。

 寺の本堂の賽銭箱の隣に、薄くて手のひらサイズの大きさの季刊のパンフレット「円覚」が置かれている。その中に寅年ということでつぎのような記事があった。『中国の諺に「虎の威を借る狐」というのがある。虎に捕らえられた狐が虎に向かって言った。実は天の神さまから、百獣の長になれと私は命じられている。私を食べると神さまに叛くことになろう。疑うならば、しばらく私の後に付いておいでと言った。虎が狐に付いていくと、森の動物たちは後ろの虎を見て、森の奥深く逃げてしまった。これが「虎の威を借る狐」である。』 この物語を読んでこれまでの諺の意味が変わってしまった。私は命がけの狐に深く同情し、連帯感を覚えるようになったのだ。

 青梅街道をはさんで寺のすぐ向かい側に小平神明宮がある。寺では参拝者をちらほら見かけるだけで僧侶の姿を見ることはない。寺の静寂とは好対照に毎年のように神社は黒山の人だかりである。社殿から50mほどの鳥居までぎっしり四列に並んで参拝待ちをしている。並んでいる人たちの忍耐強さには驚かされる。神主をはじめ関係者は総出で対応している様子だ。あさましいことに私は以前この神社で七五三の祝いをしてもらった時の納得いかない出費を思い出していた。

 例年通り長蛇の列をしり目に車道を通って駐車場の方から本殿前の広場に直行した。境内の片隅では甘酒が無料で振舞われている。私の狙いは甘酒である。すこし並んで待ち、温かい甘酒をいただき広場の焚火にあたりながら、賽銭を投じ鈴を鳴らして参拝する人たちの姿を眺めた。腰を90度に折り曲げる、右の掌を左に対して少し引いて打つ、二拝二拍手一拝が作法だったかなどと考えながら見物する。大部分の人は気分も落ち着かず作法通りなんかやっていられないようだ。神社まで出向いて参拝しない私の行為は神に対して失礼だろうが、これでいいのだという気持ちの方が強い。

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