1500人が入れるという本堂の大広間には誰一人いない。奥の柵の中には金色に輝く仏像、天井には墨で描かれた龍の画が見える。雨はますます激しさを増してきた。ずいぶんと開放的なお寺である。雨で参拝客は少なく、回廊でつながる堂を順に見学してゆく。一番奥の廊下には日蓮聖人の御一代記の絵が飾られていた。日蓮は「念仏をやめ題目を唱えよ」と語った。念仏は浄土への往生を約束し、題目は現実世界を救うものということだ。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、2代執権の北条義時が後鳥羽上皇を隠岐へ、その子の順徳上皇を佐渡へ配流した「承久の乱」がそのうち取り上げられるだろう。日蓮はその乱の翌年1222年に安房国小湊で生まれた。そして「法華経を信じて一刻も早く正しい世の中に戻すべき」という立正安国論を5代執権北条時頼に上申したのは日蓮38歳のときである。そして佐渡への流罪を解かれて53歳のとき身延山を建立している。
不思議と雨は上がり、三門を出て日蓮の墓である「御廟所」に向かった。晩年を過ごした草庵の跡もある。ここが久遠寺発祥の地であり日蓮宗の聖地である。日蓮聖人を崇拝するのは、この久遠寺を総本山とする「日蓮宗」、富士大石寺を総本山とする「日蓮正宗」、新宿信濃町を本部とする「創価学会」が主なものと理解している。これら三者の関係はどのような濃淡があるのだろうか興味深い。徒歩で山を下りることにした。行きにバスでくぐって見逃した「総門」を確認しよと思った。
この判断が甘かった。総門を出るとすぐに、再び雨が降り出した。そのうち稲妻が走り、たたきつけるような激しい雨になった。坂の途中の民家の軒先で雨宿りをしたが、すぐには止みそうもない。膝から下はぐしょ濡れになりながら富士川にかかる身延橋を渡り、ほうほうの体で駅にたどり着いた。線状降水帯の中にいたにちがいない。東海道新幹線は新富士駅と静岡駅間の運転を一時見合わせていた。