玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*久遠寺(2)

2022年08月04日 | 捨て猫の独り言

 1500人が入れるという本堂の大広間には誰一人いない。奥の柵の中には金色に輝く仏像、天井には墨で描かれた龍の画が見える。雨はますます激しさを増してきた。ずいぶんと開放的なお寺である。雨で参拝客は少なく、回廊でつながる堂を順に見学してゆく。一番奥の廊下には日蓮聖人の御一代記の絵が飾られていた。日蓮は「念仏をやめ題目を唱えよ」と語った。念仏は浄土への往生を約束し、題目は現実世界を救うものということだ。

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、2代執権の北条義時が後鳥羽上皇を隠岐へ、その子の順徳上皇を佐渡へ配流した「承久の乱」がそのうち取り上げられるだろう。日蓮はその乱の翌年1222年に安房国小湊で生まれた。そして「法華経を信じて一刻も早く正しい世の中に戻すべき」という立正安国論を5代執権北条時頼に上申したのは日蓮38歳のときである。そして佐渡への流罪を解かれて53歳のとき身延山を建立している。

 

 不思議と雨は上がり、三門を出て日蓮の墓である「御廟所」に向かった。晩年を過ごした草庵の跡もある。ここが久遠寺発祥の地であり日蓮宗の聖地である。日蓮聖人を崇拝するのは、この久遠寺を総本山とする「日蓮宗」、富士大石寺を総本山とする「日蓮正宗」、新宿信濃町を本部とする「創価学会」が主なものと理解している。これら三者の関係はどのような濃淡があるのだろうか興味深い。徒歩で山を下りることにした。行きにバスでくぐって見逃した「総門」を確認しよと思った。

  

 この判断が甘かった。総門を出るとすぐに、再び雨が降り出した。そのうち稲妻が走り、たたきつけるような激しい雨になった。坂の途中の民家の軒先で雨宿りをしたが、すぐには止みそうもない。膝から下はぐしょ濡れになりながら富士川にかかる身延橋を渡り、ほうほうの体で駅にたどり着いた。線状降水帯の中にいたにちがいない。東海道新幹線は新富士駅と静岡駅間の運転を一時見合わせていた。

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2 コメント

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Unknown (雨天決行に敬意)
2022-08-15 00:00:42
「287段もある急な石段」を登ったのはいつだったか60代前半としてもきつかった思い出があります。一人旅は気の向くまま足の向くままいいでね。日蓮を宗祖とする3分派はいま和解し合っているのでしょうか。社会科学や宗教では数式のような絶対真理はなく他を認める「そんな考えもあるよね」で争いが起こらないかと。
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ひと区切り (捨て猫)
2022-08-16 11:28:13
7月末日でJRの「大人の休日倶楽部」とも長年の縁を切りました。2泊3日の旅行といえば、主体性なきパック旅行でしたから、3割引きの特典を利用することなく過ごしていたので悔いはありません。そこで最後の記念にと考えたのが、伊能忠敬(佐原)と日蓮(身延山)でした。いろいろと身辺整理していこうと考えています。
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