玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*春分の頃

2014年03月31日 | 捨て猫の独り言

 21日の春分の日にNHKテレビで「キッチンが走る」が放送された。誰が最初に考えた番組か知らないが、多くの人が楽しめる番組だ。杉浦太陽とプロの料理人が海へ山へキッチンワゴンで旅をして、地元の旬の食材を使った新メニューを創作する。この日は春のスペシャルとして「黒潮と太陽の恵みスローフードの島を探索!奄美大島」だった。「近畿大学水産研究所奄美実験場」が瀬戸内町にあることをこの番組で初めて知る。近畿大学は奄美の完全養殖のクロマグロを各地に出荷しているという。試験場は奄美本島の南に浮かぶ加計呂麻島との間にある大島海峡に存在する。ここは冬季の最低水温も20℃以上だ。マグロの成長は本州とくらべて1.5倍も早いという。

 今回登場する主な食材はカツオとクロマグロと葉ニンニクそれにオレンジとポンカンを掛けあわせた「たんかん」だった。ニンニクと言えば球根を思い浮かべるが、奄美では葉ニンニクを香味野菜としてよく使う。葉ニンニクのことを奄美では「フル」と呼ぶことを初めて知り、私には思い当たることがあった。ニンニクの球根の塩漬けは奄美の家庭料理だ。これで苛酷な戦後の飢えをしのいだという。この塩漬けのことを「フルンガブ」と聞きながら、なんとなく不思議な思いがしていた。ここで「フル」の株(球根)ということだと了解した。料理人の一人は「奄美の江戸前鮨」を、もう一人は「たんかんとマグロの酢豚仕立て」と腕をふるった。 

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 春分の日の翌日の新聞に東京青梅の梅林の記事が出ていた。吉野街道沿いにあることから「吉野梅郷」の名で知られれる梅の公園では、花が見ごろを迎え紅白の約1200本が咲き誇っているという。ここで記事は終わらない。梅が咲き誇る梅の公園の写真の横にある記事の見出しは「伐採を控え、名残りの満開」とある。青梅では数年前からウイルスに感染した梅の木の伐採が始まっていた。青梅市は開催中の梅祭りが終了後の四月中に、全ての梅の木を伐採することを決めたという。今年でしばらく見納めということだ。感染終息後に梅の植樹を始めて、観梅再開は早くても数年後という。人は一変した風景に耐えねばならない。

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 26日の夕方に玉川上水の上流へウオーキングに出かけた。いつもとはなにか違う気配を感じて新堀用水の川床を見た。少なめではあるが、まぎれもなく水が流れ始めている。新堀用水は昨年の八月から通水が途絶えていた。それが予告よりひと月も早い流れの復活だ。水漏れが発見された工事現場を確認に行く。新しいU字溝が設置されて風情を失っている。通水はついさきほど始まったばかりのようだ。ウオーキングのコースを変更して、下流に向って引き返した。中央公園のあたりにはまだ放流された水の先端は届いていない。しかしまもなく流れは押し寄せるはずである。この日は小学校の卒業式の翌日でもあった。これで小川の流れを毎日眺めることができる。(新堀用水の工事の前と後)

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*一汁二菜

2014年03月24日 | 捨て猫の独り言

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 早咲きのカワヅサクラが桃色に満開だ。梅の木の下は落花で敷きつめられた。沈丁花が甘酸っぱい香りを漂わせている。淡黄色の多くの花をつけて房状に垂れ下がるキブシと多く白くつぼ状の花をつけるアセビは両者ともこの時期によく目立つ。冬の寒さと夏の暑さの区切りの春の彼岸に咲く花はシュンランで、秋の彼岸に咲く花はヒガンバナだ。シュンランは玉川上水に昔から自生している野草である。ヒガンバナは昔は玉川上水にはなかったという。地味で清楚な姿をしているシュンランは、ヒガンバナと違い持ち去る人が多く、絶滅が心配されるほど少なくなっているという。

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 昨年の暮れに体調を崩して、日々の食事への関心が高まった。この一月に市の健康センターが主催する「男の健康教室」に参加した。この種の市の催しに参加するのは初めてだ。これは二週間に一度三回開催されて時間は各回とも2時間半だ。一回目は運動編で、二回目は栄養講話と調理実習、三回目は足指力の再測定や調理実習だった。調理実習は大いに役立った。二回目の調理実習の献立は主食がご飯、汁物は根菜たっぷりみそ汁、主菜は豚肉の生姜焼き、副菜はほうれん草の海苔和えだった。一汁二菜について学ぶ。

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 とくに「根菜たっぷりのみそ汁」に私は目覚めた。みそ汁の具はじゃが芋、大根、人参、ごぼう、ぶなしめじ、油あげだった。みそ汁の具は二種類程度という呪縛から解き放たれて、あれ以来私の朝食にはこの具だくさんみそ汁が欠かせない。三回目の献立は主食が豆ご飯、汁物はのりの吸い物(焼き海苔)、主菜は焼き大根とサバ缶(水煮)の煮物、副菜は山芋のきんぴらだった。1.5cmに輪切りした大根をさらに半分(半月切り)にして「だし大根」を作る。大根の水気をとりフライパンで両面を焼き色がつくまで焼くのが焼き大根だった。

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 その後この三月には同様な内容の「こだいら健康塾(二回)」という催しに参加した。なぜか69歳以下という条件がついていた。当日に出向いて参加者のほとんどが女性であることに驚く。そして前回は「男の」であったことにやっと気付いた。このときの献立は主食が雑穀ご飯、汁物はうどのすまし汁、主菜が鶏肉と春野菜のホイル焼き、副菜はひじきと温野菜のサラダだった。調理場で試食して片付けたあと解散となる。普段の自宅での昼食より豊かな献立で、しかも参加費は無料だから、多くの参加者が満足したようだ。ところで最近とても心を痛めていることがある。それは友人が電話で「なにを食べてもおいしくない。すぐ疲れてしまって横になってばかり」と話していたことである。(順にシュンラン、アズマイチゲ、アマナ、クサボケいずれも3月23日)

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*郷土の香り

2014年03月17日 | 捨て猫の独り言

 昨日は映画「オール・イズ・ロスト」の前宣伝を新聞で読んで、久しぶりに出かける気になった。「大海で生きのびるための男の闘い。登場人物はただ一人。セリフはほとんどない。どんな男かの説明も一切ない」という文句に興味が湧いたのである。ところが近くの地域には上映館がない。それでもスギ花粉が非常に多く飛ぶという予報の中を出かけた。そして見た映画は「大統領の執事の涙」だった。二つの映画の評判はパソコンによると後者の方が上だった。自分で判断するために両方を見なければならないと考えている。

 もう何年になるだろうか、居間の壁に鹿児島銀行の一枚カレンダーを貼ることが倣いとなった。そうすると一年を通して故郷の風景と共に過ごすことができる。しばらくは噴煙の上がる桜島を中心とした写真が多かった。最近では2012年は「世界自然遺産・屋久島・ウイルソン株内部から上空を見上げる」だった。13年は「南大隅町雄川の滝・生命を育む、清流」だった。落差46m、幅60mの滝で、柱状節理の岩肌から糸をひくように流れ出る無数の伏流水はみごとだ。そこは交通の不便な場所にあるが、いつの日か訪れたいと思う。

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 そして今年は「瀬戸内町の油井岳から大島海峡と加計呂麻島を望む・奄美の島々を世界自然遺産へ」だった。カレンダーの中央部には加計呂麻島がある。写真のその島は全体が亜熱帯の緑の森に覆われていて、海辺に白く細く続く道がわずかに見える。三年前に死去した私の父は加計呂麻島の対岸の瀬戸内町で育っている。私は戯れに、その写真の中にごく小さい父を甦らせて歩かせてみたりする。私はこれまでに一度だけ加計呂麻島を訪ねたことがある。調べてみるとその時からもう15年が経過している。奄美の島々ではいまでもゆったりとした島時間が流れていることだろう。

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 春分の日に選抜高校野球が始まる。この大会に奄美群島から初めて大島高校が甲子園に出る。21世紀枠で選ばれたのは都立小山台と和歌山県立海南と鹿児島県立大島の三校である。大島は練習試合の相手に恵まれない環境の中で、秋季県大会4強入りが評価された。毎日新聞は今日までに出場4校の特集記事を掲載した。宮城の東陵、都立小山台、徳島の池田、そして大島の4校である。大島の主将は「出場は夢にも思わなかった。甲子園で校歌を歌うことができればこんなにうれしいことはない」と語っている。初戦は5日目の第3試合で相手は38回出場の竜谷大平安だ。

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*啓蟄の頃

2014年03月10日 | 玉川上水の四季

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 この時期になると「鶯色とはどんな色」という問いかけが頭に浮かぶ。自分の長年の思い違いが最近になって判明したことによる。鶯は漂鳥で玉川上水には11月上旬に姿を見せる。冬の間は「チャチャチャ」と地鳴きして薄暗い笹の中などで過ごす。啓蟄になり日差しが暖かくなると鶯が「ケキョケキョ」とさえずり始める。そして徐々にそのさえずりを美声に完成させていく。雄の鶯が「ホーホケキョ」とさえずると近くに雌がいて、そのうちに子育てのため雄は雌を伴って山へと戻る。警戒心が強く、声が聞こえても姿が見えないことが多い。

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 日本語大辞典の付録に色名辞典があった。その中の「緑系」の色に絞って、それぞれの色の写真をながめてみた。若葉色(レタスグリーン)、若草色(スプリンググリーン)、若草が色濃くなった草色(グラスグリーン)、黄緑色を表す伝統的色名である萌黄色などがある。鶯色は黒茶がかった緑色とあるが、たしかに茶系に見まちがえそうな色だ。青きな粉をふりかけた、あの「うぐいす餅」は草色である。またメジロの羽根の色も草色である。取り合わせのよいことのたとえに「梅に鶯」がある。これも誤解を生じさせる原因の一つだ。蜜を好むメジロと違い、昆虫を主に食べる鶯が積極的に梅の木にとまることはない。目撃することが多いのは「梅にメジロ」である。「梅に鶯」と混線して、草色のことを鶯色と思い込んでしまったのだ。

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 直井一枝さんは玉川上水オープンギャラリーを開設した鈴木忠司さんの実姉である。今回の啓蟄のギャラリー東側展示は「育てた野菜・直井一枝の絵日記」だ。つぎのような作者のコメントがあった。「私はこの春に85歳になりました。春になりこれから菜園の仕事は土づくりから種まきと忙しい毎日ですが、農作業のあとに机に向かうのが毎日の日課です。少しの時間でも絵筆を持つと農作業の疲れも忘れて充実した時間を過ごせます。描くことが元気の活力ですね」いろいろなサイズの色紙に描く水彩画の展示である。ギャラリー開設の翌年から続いているからこれで5回目になる。

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 今回は大根、とーがらし、大国ねぎ、ハヤトウリ、なばな、アスパラ、トーモロコシやアンネのばら、ビワ、ダイダイ、カボス、キューウイフルーツ、イチジク、干し柿、レモンなどを描いている。そのほかに「鹿児島産のさつまいも、デコポン」や「鹿児島からきた、おおつぶにんにく、高井戸でとれました」という絵手紙のような三枚があった。気になって鈴木さんに尋ねてみると「直井一枝の孫の嫁さんは鹿児島の出身だ」と打ち明けてくれた。彼女の孫は小学校で美術を教えているという。「実は私の孫も美術の仕事をしている」と鈴木さんはつけ加えた。以前にも紹介したが鈴木さんは武蔵美の出身である。自身もギャラリーで春夏秋冬の年に4回の自作の鉛筆画の展示を欠かさない。(写真は3月9日)

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*ありがとう

2014年03月03日 | 捨て猫の独り言

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 昨日は肌寒い小雨の日曜日だった。そして記録的な大雪がもたらした庭の積雪はほぼ二週間ぶりに完全に姿を消した。庭の主のように長時間滞在するヒヨドリがいる。シジュウカラもときおり姿を見せる。これまで庭ではあまり私の目に触れることがなかったメジロやムクドリも姿をみせている。地域の環境が悪化して、小鳥たちの食べ物が少なくなっているせいかと心配になる。二十四節気の「雨水」は雪が雨へと変わり氷が解けだす頃のことだ。そしてこの木曜日には早くも「啓蟄」を迎える。

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 私が見舞われた突発性難聴は、片方の耳が補って日常の会話などにそれほど大きな支障をきたしているわけではない。一時期かなり改善したかに思われたが一進一退を繰り返している。処方されているのは、血管を拡げる薬と末梢神経の障害を改善する薬の二種類である。医者は劇的に効果が顕われるというわけではありませんと申し訳を言う。聞こえなくなった音域を脳が補完するそれが耳鳴りとなるという説が有力だそうだ。私にとって大切なことは、血のめぐりを良くすることのようだ。

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 若い緩和医療医が書いた記事を読んだ。その中で「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日が来るだろう」という言葉が紹介されていた。たしかに若いうちは自分が死と隣り合わせにあることを忘れずにいることは困難だ。しかしその日が近い高齢者ならばごく自然に持ち続けている気持ちではなかろうか。また「人は最期を迎えるとき、大なり小なり何らかの<やり残したこと>を抱いていて、その後悔こそが患者さんの心理的苦痛の一つの要因になっているようです」とある。

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 その後悔を少なくするにはどうするか。ドイツ人の哲学者の「自分が大切にしていることを十個、ノートに書きだしてみて、それにどれだけ時間をかけているか割り出すことが大切」という提案を紹介していた。ふだんから自分の内なる声に耳を傾けることが大切ということだ。そこで私にとって大切にしていることはなんだろうかと考えてみた。困ったことに私は二つのことぐらいしか思い浮かばない。私はある人から最期はどんな言葉を残しますかと聞かれて「グッドバイ」だと答えた。そして「ありがとう。でしょう!」とたしなめられたことがある。(写真は日展会場にて)

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