玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*文語体のうた

2020年04月30日 | 捨て猫の独り言

 ツワの繁殖力に驚いている。地下茎をどんどん伸ばし塀をくぐり抜け隣の家の敷地で葉を広げていたりする。球根と球根を結ぶ地下茎のネットワークで領域を広げてゆく。今年は特にその勢いが激しいようだ。コロナに加えて南海トラフ地震のような巨大地震が起こらねばいいがと不吉なことを考えたりする。

 昨年までは見えていた庭の敷石がツワの葉の下に隠れている。そこでいつもより広がった範囲のツワを根絶やしにすることにした。掘り返すとミミズがよく顔を見せる。ツワブキもあるがツワのようにやたらと殖えることはない。蕗の薹が終わり、今の時期はツワの茎は煮物で、葉は佃煮にして食べさせていただく。(キンラン29日、新堀用水、庭のツワ)

 

 文語体に親しみを感じて島崎藤村の「初恋」を暗唱している。「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めし始めなり・・・誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ」

 数年前にフランク永井が唄う「君恋し」を覚えようとした。「宵闇せまれば 悩みは涯なし みだるる心に うつるはたが影 君恋し 唇あせねど 涙はあふれて 今宵も更け行く」「君恋し」と「初恋」を読みくらべてみる。「流行り歌」と「詩」との違いは大衆の支持を第一に考えるか、そうでないかの違いではないだろうか。言いかえると精神の水平性と垂直性ということかなどと考えた。

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*華は愛惜に散り

2020年04月27日 | 捨て猫の独り言

 今年ほど庭の草取りに精を出したことはなかったのではないか。外出自主規制で草取りと、ストレッチを熱心にやるようになった。芝生の中、密集したツワの葉の下、畑の中などに名も知らぬ小さな雑草がはびこる。また燐家の壁とのせまい隙間に地衣類がびっしり生え、削り剥がすとドクダミに似た香りが鼻をつく。(キンラン24日、26日)

 

 草取りをしていると、道元の正法眼蔵にある「華は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きげん)に生ふるのみなり」を思い出す。「美しい花は、みんなから愛され、惜しまれる。だから花は散ってゆくのだ。逆に路傍に生えている雑草は、みんなから棄てられ、嫌われる。だから草は、ますますドンドン生えてくるのである」

 私が最初に教わった解釈は「華は人生における楽で、草は人生における苦」というものだった。苦からストレートに逃げようとするとかえって苦は倍加して、その人を追いかけてくる。楽をストレートに求めようとすると、かならず楽は、その人から逃げてゆくものだ。そんなへそ曲がり的なことがこの人生にはある」

 つまり「しあわせをも求めず、不幸をもきらわず」という世界に、ドッカとわが身をゆだねると、本当に、あらゆるものが楽しくなってきてしまうということだ。つぎのような解釈もある。「花は人に喜んでもらいたいために咲いたわけでもなく、雑草は人に嫌がらせをするために生えたのではない。人の都合で勝手に良いの悪いのと差別する」

 またつぎのような受け止め方をする人もいる。「桜の花が散り、雑草が生えるという現象は人間の感情を越えたところでのいのちの営みである。この世界のすべての存在とその有り様は、いのちが顕現した一瞬一瞬の姿であり、そこにいとおしさを感じずにはいられない」 

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*嘘と真実

2020年04月23日 | 捨て猫の独り言

 つい最近の新聞のおもしろ投書欄にこんなのがあった。高校時代古文の先生いわく「雑草のようにたくましく、どこでも根を張って生きなさい」全校草取りの時、掃除監督の先生いわく「雑草など何の役にも立ちません。一本残らず引き抜きなさい」。2人は同一人物です。(津市・真理は必ずしも一つでない・59歳)

 小針覗宏著「数学の七つの迷信」を読み返した。著者は大学紛争名残りの時代1971年に、40歳になる直前で死去した京都大学教養学部の名物教授である。同じ数学教授の森毅が巻頭言を寄せている。このエッセイ集の中に「矛盾の話」というのがある。その中に「真であると同時に偽である命題」として「真理は存在しない」というのを紹介している。(ハナミズキ、ヒメウツギ、イチリンソウ)

 これが真だとすると命題と矛盾するし、真でないとすると、この命題は本当のことを言っていることになる、つまり真なのだ。これは命題の中で、その命題の真偽を論じてはいけないのにそれをやっているから変なことになる。だから「真理は存在しない」というのは、何を言ったことにもならない。当時この個所に、なにか判然としないものを残しながらもそのままにしていた。最近私はその何年後かに書かれた森毅のつぎの言葉を発見してすこし納得した。(キンラン18日、19日、22日)

 

 「このごろどうも、百パーセントの真実でないと気がすまぬという兆候があるようだ。これはどうも、現実にあわない。情報というものには、かならずノイズがあって、ウソが混入するものだ。だから、嘘も真実もある情報の流れとつきあうほうが、現実的である。危険なのは、嘘があるからではなく、嘘がないと信ずることのほうにある。ぼくの17歳のとき、戦争が終わった。政府にだまされたと大声でわめくおとなたちを、ぼくは軽蔑した。女房にだまされたと町なかでわめく亭主みたいではないか。そして、人民をだまさない政府をつくれ、という声にあきれた。どこにウソですと言いながらウソをつくやつがいるものか。だまされないようにするのは、相手の問題ではなくて自分の問題である」

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*多摩霊園

2020年04月20日 | 捨て猫の独り言

 玄関から歩いて1分の玉川上水の柵の中に、毎年キンランが咲く。昨年は愛好家がキンランの横に「みんなのものです。連れ去らないでください」とメッセージを添えていた。周りの笹を刈りこんだのも同じ方だろう。今年も無事にその姿を見せた。立派に花開くまでキンランの成長を写真で随時報告したい。(4月11日と14日)

 

 買い物以外の外出を控えよということだが、むしろスーパーマーケットの混雑ぶりには怖気づく。陽光降りそそぐ15日に多磨霊園に出かけた。徒歩で行くには遠すぎるので自転車だ。多磨霊園はわが国最初の公園的風景を取り入れた墓地で1923年(大正12)4月に「多摩墓地」としてスタートした。この年の9月に関東大震災が発生している。

 

 西武線「多摩墓地前駅」は1929年できた。墓地は1935年に「多磨霊園」と名称が改められる。西武線はごく最近2001年に「多摩駅」と改称した。霊園の墓所面積の割合は敷地全体の50%以下におさえられ豊かな緑に包まれている。私は前に一度霊園中央を走るバス通りを自転車で通ったことがある。今回は適当に選択した著名人墓所をゆっくりと巡ってみた。

 

 事務所で案内図をもらう。東郷平八郎と山本五十六の墓所は正門近くに隣り合わせにあった。いかにも特別な雰囲気で巨大な墓石がそれぞれ柵で囲われている。新渡戸稲造は等身大の彫像がぽつんとあるだけだ。多磨霊園ではこのような彫像をよく見かけた。岡本一平、岡本かの子、岡本太郎の家族の墓所はきわめてユニークだった。与謝野鉄幹、与謝野晶子の墓石は最近新しくしたと思われるものが二つ並んでいた。この日はさらに菊池寛と数学者の高木貞治の墓所を見とどけてから帰った。

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*サクラの街路樹

2020年04月16日 | 捨て猫の独り言

 近くの武蔵野美術大学の裏手に新しい道路が完成している。その道路を立川駅に向かうバス路線が新設された。これまでは西武バスの国分寺駅行きのみだった。西武バスと立川バス2社の共同のバスターミナルができた。しかしどちらも私が利用することはない。武蔵美のキャンパスはこの道路で分断された形になっている。

 農地だったこの地域の風景は市の土地区画整理事業で一変した。私が長年通った歯科が4年前に隣の小川駅の近くからこの地域に移転してきた。これは医療型障害児入所施設の中にある歯科で、東京医科歯科大学から派遣された歯科医師が曜日替わりで担当している。歯科の待合所では多くの障害児に出会う機会がある。

 この医療施設が道路の突き当りに先にできてバスターミナルはその後にできた。先日久しぶりに歯科に出かけた時に、広い道路の歩道側に八重の桜が咲き始めていた。花が咲いて初めてずらりと並ぶ街路樹が桜であることに気づいた。そして中央分離帯の中には、これまた数多くのサルスベリの木が並んでいる。

 

 先日市役所に出かけた際に、このサトザクラの品種について尋ねてみた。ベテランの職員が即座に「天の川」ではないかと教えてくれた。すぐにパソコンでも確認してみた。枝は直立する性質があり全体としては竹箒を逆さにしたような樹形になる。花期は4月中旬から下旬で蕾のうちはピンク色が濃く、開花後は次第に白っぽくなるという。開花期は滝のように花が連なり欧米人の人気は高いとあった。

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*市役所訪問

2020年04月13日 | 捨て猫の独り言

 2月の新聞に「江戸期の用水路復活」の見出しで小平市に関する記事が出ていた。用水路ファンとしては関心を持って読んだが具体的なことがあまり伝わってこない。JR武蔵野線トンネルにわく地下水をくみ上げて新堀用水に流すとあるが、一番知りたいその場所が不明である。現在でも近くの新堀用水には多摩川の真水が毎日流れている。どこでどの様な工事になるのか気になるところだ。

 JR武蔵野線は、東村山市の新秋津駅と国分寺市の西国分寺駅の区間は約7㎞の長いトンネルで結ばれている。その中間に「掘割」の新小平駅がある。1991年に新小平駅では台風の影響で地下水が噴出し線路およびホームが水没して2カ月ほど不通になった。4月になって、新聞の切り抜きを持って「水と緑と公園課」を訪ねた。

 三人がかりで応対してくれたが、その中のベテランの方はこちらの知りたいことを素早く察知して現場の写真を持ち出してきた。東西に流れる玉川上水沿いの津田塾大学の東側の敷地すれすれに武蔵野線は南に走っている。新堀用水の横に武蔵野線の空気抜きの立坑がある。緑道散歩でこの横をいつも通っている。その小屋の壁に地下水をくみ上げるパイプが写っていた。

  

 新堀用水の下流で枝分かれする鈴木用水や田無用水まで水が行き渡らせることが今回の目標で、そのためにこのパイプも太くなるだろうという。くみ上げて放流するまでの工事はJRが担う。トンネルにわく地下水は他にも国分寺市の「姿見の池」まで送っているという。中央線の南の国分寺崖線(ハケ)に名水百選の「真姿の池湧水群」には何度も行った。市役所帰りに「姿見の池」に行ってみた。それは西国分寺駅の近く中央線の北側にあった。

 

 

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*晴れた日は外歩き

2020年04月09日 | 捨て猫の独り言

 二十四節気の清明は4月4日である。玉川上水散歩に出かける。ウグイスが短くホケキョと啼き、ヤマブキ、イチリンソウ、フデリンドウ、チゴユリが咲き、若葉のトンネルが日に日に姿を変えてゆく。庭でも柿の若葉が芽吹き、ハナミズキのつぼみがほころび始めた。ツワの葉が地表を覆う面積も広がりを見せている。

 コロナウイルスの世界的感染拡大中にもかかわらず、今のところ年金生活者である私の暮らしにあまり変化はない。あえてさがすとすれば、天気の良い日は日光浴をかねて片道1時間散歩に出ることが多くなったことぐらいだ。二人で家にいる時間が多くなったせいである。そのストレスから逃れるには、私が外出することが一番いい方法のようである。

 そんなわけで4日に続いて6日には小平霊園に出かけた。墓は生きている者のためにあると考えると、霊園参りはピクニックに出かける気分にもなる。霊園には春の陽が降り注ぎ、原っぱではムクドリが地表の虫などをついばんでいる。広い空の下の芝生の広場にはテーブルを囲む椅子などが整備されている。時折よちよち歩きの幼児を連れた母親や、一人ずつそれぞれのベンチに座る老人たちを見かける。(途中の野火止用水、中央は柳宗悦の墓所)

 

 この日は目標を「柳宗悦」に定めた。NHKテレビの「趣味の園芸」の講師をした三男の柳宗民は小平霊園の近くに住んでいたと記憶する。墓所にはウメ、ツバキ、モッコク、ナンテン、モクレンなどが植えられていた。墓誌には長男の工業デザイナーの柳宗理の名もあった。柳宗悦は宗教哲学者・美学者で沖縄台湾などの文化の保護も訴えた。師の大拙が教え子の宗悦の弔辞を読んだ。宗悦は東京駒場にある日本民芸館の初代館長でもある。

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*超人間

2020年04月06日 | 捨て猫の独り言

 健康づくりのラジオ体操はよく出来ていると思う。基本的には第2は第1のくり返しであるが、絶妙な工夫で少しづつ変化をつけている。最近は第1の動きに対応する第2の動き、あるいはその逆を考えながら体操する。また、ある瞬間にぼんやり体操以外のことを考えていると、流れの中でしたしたはずの運動の記憶を失っていることがある。人は二つのことがらを同時に考えることはできないようだ。(4月4日の玉川上水散歩)

 

 これまでも、しばしば経験したことだが何かを思い立って別な部屋に移動して、はて何のために自分はここにいるのだろうと分からなくなることがある。しばらく後に気づいてようやく目的を果たすということが起きたりする。カレンダーの欄外に22.5億円という書き込みがある。たしかに自分の筆跡なのだが、これはいまだにいつ何のために書いたのか不明だ。

 つい最近のことである。点眼している目薬が切れて、新しい目薬を捜したが、いつもの場所にそれが見当たらない。面倒だが眼科医院に出向くしかないと諦めた。これまで長きにわたり冷蔵庫のポケットが定位置だったが、「冷蔵保存の必要はない」という記載を見て、四週間前に保管場所を変更したのがまずかった。一夜明けてクローゼットの中にある目薬を発見した。

 年をとるとこれまでできていたことができなくなってくる。それに私の場合完全退職してから眼や耳の不調が顕著だ。老いの考察で吉本隆明の冗談めいた言がある。「その鈍くなったことを別な意味で言うと何かしようと思ったということと、実際にすることとの分離が大きくなってきているということの特性なんですよ。だから老人というのは〈超人間〉と言った方がいいのです」  

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*ブログ作者の死

2020年04月02日 | 捨て猫の独り言

 お気に入りに登録してあるブログがいくつかある。その中の一つにどんな経過で出会ったかまるで記憶はないのだが、私より年配と思われる男性によって連日アップされているブログがあった。言葉が短時間のうちに自然に身体からあふれ出てくるのだろう。連日のアップだけでも私には驚きだった。それを不定期に覗いていた。

 カテゴリーは多い順に「日記」「社会・政治・経済」「文学・思想」「映画」など多岐にわたっている。それが1月10日の「日記」を最後に投稿が途絶えていた。柔らかいものしか食べられなくなったという歯科医院に行った記事のままである。歯の治療で苦労しているのだろうぐらいに考えていたが、このブログ作者が亡くなっていたことを3月下旬に知った。

 記事を読むだけでコメントをしたことはない。一方通行の関係であったがその作者の死に、読者の私は少なからぬ打撃を受けた。記事は現在でも読むことができる。そしてブログの冒頭には「このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります」とある。

 ブログに区切りをつける暇もない突然の死であったのだろう。コロナウイルスの感染拡大が続き、世界中の人々の生活が不安定になってきている。亡くなった作者のブログにはまだコロナウイルスのことは記されていない。そのタイトルは「25時間目 日々を哲学する」である。

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