玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*マレーシア③

2017年05月29日 | 捨て猫の独り言

 空は澄んで美しく、雲は高く位置していた。高原へ向かうバスの中から見える木々の背も高い。意外なことにマレーシアには地震と台風はないという。ただ豪雨による土砂災害があるらしい。滞在5日のうち雨の日は1日だけだった。それも局地的に降る雨だから、その日のバスは降ったり止んだりの中を進んだ。地震はないけれども原発は存在しないという。その技術がないこともあるが、やはり核のゴミの問題があるからだ。

  

 行けども行けども車窓から見えるのはアブラヤシ畑だ。ビーチで目にする背の高いヤシの木ではない。果実から採れる植物油(パーム油)はスナック菓子、インスタント食品、マーガリン、洗剤などの原料として輸出されマレーシア経済を支えている。アブラヤシ畑の拡大は熱帯雨林の消滅と結びついている。そのため絶滅が危惧される野生動物がいる。また日本に夏に飛来して繁殖し、秋に南方に帰る夏鳥の数も減少しているという話も聞く。

 

 トイレについていえばマレーシアは水洗い文化圏だ。ホースからの水で左手を用いてお尻を洗う。紙を使わなくとも自然乾燥を待てばよい。ホテルのトイレには金属製蛇腹ホースがあり、ペーパーも置かれていた。頭をひねりながら滞在中にホテルのホースを一度だけ使ってみた。慣れてしまえばウォシュレットよりも清潔だと感じた。マレーシアにこのホースは昔からあったというから、それの進化したものがウォシュレットということになる。

 

 マレーシアはさまざまな民族が混在し、宗教も言語も社会階層も分かれるイスラム国家である。イスラム文化はゼロの数字を持つアラビア数字などのほか、多くの科学技術を後世に伝えている。最終日はクアラルンプールから南へ25㎞、空港へ向かう途中にあるプトラジャヤ見学だった。首都機能を移転して開発中である。首相官邸を眺めながら壮大なプトラモスクの中に入った。そこで手渡された日本語版のパンフの中には「唯一の神を信ずるとは、不可視の創造主、アッラーを信じることです。始まりと終わりがある被造物とは異なり、アッラーはすべての始まりの前から存在し、すべての終わりの後も存在し続けます」と書かれていた。

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*立夏から小満の頃

2017年05月25日 | 玉川上水の四季

 立夏の観察会でアオゲラのドラミングを初めて聞きました。それは叩いている音であって、泣き声とは全く別物であることを知りました。アオゲラはコゲラと違って、生きている樹木に巣穴を作りますが好んで穴を掘るのはサクラの木だそうです。カラスの略奪のためアオゲラの子育てが観察できないでいると鈴木さんは言います。(エゴの木のあたり)

 

 立夏から小満にかけて玉川上水の緑道は白い花が目立ちます。エゴの木の下は一面が落花で白く敷き詰められます。秋にはコゲラの好物である実をつけるマユミが、今は白い花を咲かせています。立夏にはマルバウツギが玉川上水の両岸に垂れ下がり、遅れて小満の頃にウツギが咲き始めます。「卯の花の匂う垣根に」と歌われているウツギはマルバウツギよりも花は大きく、かすかな香りを漂わせていました。このウツギは農家の畑の境界に植えられることが多かったそうです。(左からマユミ、マルバウツギ、ウツギ)

 

 小満の観察会ではムクドリの子育てを目撃することができました。大きな桑の木の下に行き、熟した桑の実を口に含みました。その木にはムクドリも飛んで来ています。鈴木さんはほど近い場所にある戸袋のある空き家に私たちを案内します。そこがムクドリの子育ての現場でした。しばらく待っていると、親鳥がやって来て戸袋の隙間から何やら餌を運び込んでいます。芋虫か桑の実と思われます。戸袋のある家も少なくなりつつあるので、先々どうなるか気にかかります。

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*マレーシア②

2017年05月22日 | 捨て猫の独り言

 旅の前半を仏教徒、後半は回教徒だという二人の現地ガイドが案内した。いずれも男性で、二人とも日本への留学の経験があるという。紹介もなく交代もないインド系のバスの運転手は大型ペットボトルでこまめに水分補給をしながら黙々とハンドルを握っていた。初日にはマレー鉄道をクアラルンプールから北へ向かう区間を1時間半だけ体験乗車した。それ以外はすべてバスでの移動である。

  

 「東洋の真珠」と呼ばれるペナン島は、東西貿易の十字路であるマラッカ海峡に位置する地の利を生かして古くから交易船の寄港地として栄えた。2008年にマラッカ海峡の歴史的都市群としてマラッカとともにペナン島の市街地ジョージタウンが世界遺産に登録された。ペナン島はクアラルンプールから北西に350㎞離れている。長さ13.5㎞のペナンブリッジを渡り、一泊した翌朝に2014年に完成したばかりの24㎞の第2大橋を戻った。

 

 マレーシアはポルトガル、オランダ、イギリスという西洋列強に支配された歴史を持つ。錫の採掘のために多数の中国人労働者が、ゴムのプランテーションには最も従順な労働者と言われる南インドのタミル人が連れてこられたという。真珠湾攻撃は1941年12月8日である。そのほぼ同時刻に山下将軍の率いる日本軍がマレーシアの東海岸のコタバルに上陸した。いわゆるシンガポール作戦だ。三年にわたる日本軍の占領の後の1957年に独立を果たす。

 ASEAN(東南アジア諸国連合)の中では製造業の割合が高く、農業は低い。各地に工業団地があり、数多くの日本企業が進出している。宇部興産に勤務する私の甥はマレーシアに長期の出張中だと聞いていた。彼はジョホール州の工業団地で合成ゴムの合弁会社の立ち上げに従事しているのではないかとパソコンを見て推測するに至った。今度会ったら本人に確認してみよう。ゴムの木から採取した樹液をラテックスという。思いがけずマレーシア製天然ラテックスの枕を一つ購入した。

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*マレーシア見聞録

2017年05月18日 | 捨て猫の独り言

 ひょんなことからマレーシアへのパック旅行に出かけることになった。羽田を深夜に出て7時間のフライトで早朝にはクアラルンプールに到着した。日本との時差は1時間だ。眠れるはずもなく赤ワインを飲み、早めの機内食で非日常が始まる。入国審査でさんざん待たされる。後で分かったことだが時間通りにゆかなくて平気なお国柄だという。多民族国家でマレー系と中国系とインド系の人口比は6:3:1だ。

 旅行会社の事前のパンフレットのトイレの項には「紙を置いていないところが多いので水で流せるティシュを持ち歩くように」とあるだけだった。そこで初日の空港内の水浸しのトイレには驚くことになったが、日程をこなすうちにトイレ事情を理解することになる。通貨はRM(マレーシア・リンギット)で為替レートはRM1=¥30である。ありがとうの意味のTerima Kasih(テリマ・カシ)を覚えた。

 鉄道は少ないが高速道路はかなり整備されている。高速道路を疾駆する若者のバイクは無料だという。料金所の横に設けられた狭い通路をバイクが抜けてゆく。産油国なのでガソリンの値段は日本の四分の一と安い。産出石油の6割を日本に輸出している。空港から45㌔を45分かけて首都のクアラルンプール市内に着く。新王宮の見学からマレーシア観光が始まった。(写真は新王宮)

  

 国家元首たる国王は13州のうち9州にいるスルターンによる互選で選出され任期は5年だ。政治と無縁の国王は世襲でなく終身制でもない。すべてのリンギット紙幣には1965年に就任した初代首相のラーマンの肖像がある。4代目のマハティール首相はアジアの中で優れた政治家の一人として尊敬する国民は多いようだ。日本や韓国の経済発展モデルを見習う「ルックイースト(東方政策)」を推進した。その政策顧問の一人が大前研一である。

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*ギャラリーのこと

2017年05月11日 | 玉川上水の四季

 「テーマは無限。欲しいのは時間だけです」と語る「玉川上水オープンギャラリー」を主催する鈴木忠司さんの紹介です。鈴木さんは35歳の時コレステロールのことで警告を受け、玉川上水を毎朝10キロの散歩を始めました。それから数年後のある朝、これまで聞いたこともない野鳥のさえずりがして、その主を探すと胸がイエローで首がオレンジの派手な色彩の野鳥でした。その何日か後に望遠レンズを構えて、木を見上げている人に「何を撮っていますか」と尋ねると一言「ムシクイ」と答えてくれたそうです。

 でもその瞬間何のことやら意味が分かりませんでした。その人に、この時期に夏鳥が通過すること、自分が前に出会ったのはキビタキであることを教えてもらいます。この時は教わる立場の鈴木さんであったわけです。それ以来鈴木さんは野鳥の世界に足を踏み入れることになりました。鈴木さんは生まれも育ちも玉川上水沿い。定年まで小平市職員でした。玉川上水を含む、小平市内を一周するグリーンロードの整備のリーダーが現役最後の仕事でした。散歩しながら写真を撮り続け、定年記念に「玉川上水四季さんぽ」を出版しました。

 

 散歩の途中で売りに出されていた約30平方㍍の土地を見つけ、退職金をはたいて購入します。オープンギャラリーにしたいという計画を友人に相談すると、パネルの仕入れや工事職人の紹介など全面協力してくれてわずか一カ月で完成します。それは2009年で鈴木さんが68歳のときです。7年目の2014年には体調を崩して半年間展示を休みました。一時は止める覚悟をしたそうです。2015年からは、これまで展示に欠けていた昆虫にも視野を広げることになり、パンフレットの表紙も「玉川上水の四季」から「生きもの暦」に変えました。

 清明のパンフレットに「展示と観察」と題してつぎのように記しています。「私の日課は、午前中の3時間は、武蔵野台地のどこかで生きものを観察して、撮影しています。その行動は、これまでの観察の蓄積で、生きものが行動する時期に合わせて、目的の場所に出かけます。ただ、淡々と目的の生きものを追いかけるのです。たまにこれまでの作品に比べて、新しい作品が撮れるのですが、その一枚の作品が撮れた喜びが、至福の時なのです。展示に当たっては、玉川上水を歩いている人たちが、その時々に出会えるものを展示するように心がけています。平凡に出会うことができるものを優先します」

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*回顧川柳は健在

2017年05月08日 | 無断転載

 思いがけなく4月26日にBさんから年賀ハガキが舞い込んだ。裏面に「遅まきながら恒例・拙作回顧川柳をお届け申し上げます。【孫に】胃瘻見せ臍二つあるゾと自慢する」とあり、2016年の1月から12月までを回顧して、一枚のはがきにびっしり作品40が並んでいる。作品はハガキの表面の下段にも印刷され、その余白には手書きで「川柳作ってあったのでプリントアウトしました。私はまあボチボチ、リハビリに励んでいます。おハガキありがとう」とあった。月は省略して、作品をいくつか紹介したい。(ヤマブキ、シロヤマブキ、ヤマブキソウ)

 

  【北の核実験】キノコ雲食い物に見える北の民 【閣僚劣化】自由化で大臣の資格も緩和され 【福島で】アベさんの「寄り添う」などとはキモイだけ 【コクボーコクボー】亡国に聞こえる国防リフレイン 【国会答弁】出任せは読み違えせずペラペラと 【哀しや】墓参り防護服の僧先導し 【廃炉】有難や「もんじゅ」おシャカになり給う 【退位問題】玉体を過労死させそなお国柄 【他山の石】お隣りも国政謝るオトモダチ 【真珠湾で】アベさんの「未来」は過去を消す呪文 【正解?】キンでなく今年の漢字はカネと読む (イカリソウ、サクラソウ、フデリンドウ)

 

 

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*Bさんからのハガキ

2017年05月01日 | 無断転載

 養老孟司の「ほとんどの人は、心とは個人に限るものだと思っている。しかし個人に限られた心なんて、ほとんど意味がない。感情も理屈も、他人に理解されてはじめて意味を持つ。近代人は心は個人のものだと思い込んだ。だから他人を理解しなくて平気である。世の中で生きているかぎり必要なことは他人の心を理解することである」という言葉に触発されて、つぎの私信を公開することにした。毎年楽しみにしているBさんからの「回顧・世相川柳」の年賀状が今年は来なかった。そして4月になって、つぎのハガキが届いた。

 

 ●春は名のみの風の寒さや・・・という早春賦の歌詞の通り、当地では一足遅れます。4月1日(今日)朝から一面、雪景色。雑木林の枝々に雪の花が咲きました。●その後、長らくごぶさた申し上げて居りますがお変わりございませんか。下って私こと、昨年末に ふとした肺炎をこじらせ、多臓器不全を引き起こし、〇〇病院のICU(集中治療室)に入院。人工透析、胃ロウの経管栄養、酸素吸入、等々の手厚い医療の恩恵に与って、3月初め、どうやら無事、一般病棟へ転院、目下△△病院で入院加療中です。寝たきりですが、ベッドの上に胡坐して、このハガキを書いています。回復に向かっていますので他事乍らご安心ください・・・という次第で、年末以来ごぶさたして了いました。年賀状も欠礼。どうかお許しください。

 ●ICUに2ヶ月入院中、ケイタイも使えず、面会も謝絶で、外界から「隔離」されていたので、森友問題も閣議決定もアベ政治の動き全体のことも、当地の上空をオスプレイが飛んでいたことも知らずに過ごしました。一般病棟に移って1ヶ月、TVや新聞で色んな事を知り面食らっている次第です。

 ●いつ退院できるか分かりませんが、夏ごろまでに退院できたら、又、おめにかかれるのが楽しみです。但し、チューブを通じて胃の穴(胃ロウ)に栄養を注入する「食事」を摂っているので、ごいっしょにご馳走を囲めないのが残念です。では、お元気で!!なつかしい思い出をこめて。お詫び、ご挨拶まで。早々不一。

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