玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*うりずんの沖縄⑥

2017年04月27日 | 沖縄のこと

 闘いはゲート前の座り込みと、カヌーおよび抗議船による海上行動がある。カヌー隊は海が荒れた日はゲート前に参加する。74歳の男性や沖縄に移住してきた女性などの精鋭部隊だ。そのメンバーの中に連日のように上手に機動隊に立ち向かう勇敢な青年がいた。彼の名を聞くとポツリと教えてくれた。土曜日にはフェイスブックで全世界に配信するため「I can’t keep quiet」の合唱の後に、女性リーダー高里鈴代さんが 、カメラの方を向いて辺野古からのメーッセジを流暢な英語でスピーチした。

 

 月曜は私にとってゲート前の最終日だ。リーダは瀬長さんという。あの瀬長亀次郎の孫だと聞いて感慨深いものがあった。県外から来た者の一人としてスピーチを求められマイクを握った。「トランプやフィリッピンのドゥテルテなどは一昔前までなら表に出てこられなかった人物です。安倍総理はこの二人とウマが合うと言いいます。新聞の一口投稿欄に〈品の悪さー今や指導者の必須条件か〉というのがありました。おそらく投稿者にはこの三人が頭にあるのでしょう。私も同感で、これを〈世界の三バカ〉と呼ぶことにしています。

 

 東京から来ました。二人の逮捕者が出た木曜、つぎの金曜に機動隊に排除されて檻の中に落とされた瞬間に、情けないやら悔しいやらで不覚にもこみ上げるものがありました。土曜は〈とんがってばかりでは続かない〉ということで、二見情話などのゲート前芸能に癒されました。ひところ〈今だけ、金だけ、自分だけ〉が流行りました。ゲート前では今だけでなく、金だけでなく、自分だけでない人たちを見ることができました。あそこに〈民主主義は私たちだ!〉という幟があります。〈保育園に落ちたのは私だ!〉のパクリだと思われますが、いいセンスだと思います。おわります」

 北上田毅さんは京都市の土木技術者だった。家族で沖縄に移住して、情報公開などで集めた資料を検討し防衛省発注工事の問題点などを指摘続ける。辺野古には欠かせない知恵袋である。ゲート前で求められて発言することも多い。連日工事車両が出入りして、皆さん悔しい思いでしょうが、困っているのは国の方だ。県がきっちり対応し、ゲート前に日ごと200人以上が集まることができれば工事を止められると語る。少し認知の入ったMさんからメールアドレス交換の申し入れがあった。三晩ほど続けて泡盛で別れの乾杯をした。なんと彼は滞在を伸ばすことにした。私がいた部屋を使うという。羽田空港からの帰りの電車の中で何度も笑いがこみ上げてきた。それはゲート前で3人の機動隊員に排除され、普通の人と異なるダラリとしたMさんの姿が浮かぶたびにそうなのだ。その発作は翌日も止まらなかった。(完) 

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*うりずんの沖縄⑤

2017年04月24日 | 沖縄のこと

 宿主と千葉の宿泊客Mさんと私の三人が親しく話すようになったのはなぜだったか。宿主の成田正雄さんは、特に若い女性には「ワチキのマサオのオはオスの雄です」と笑いながら答える人だ。宿泊客と話すときは、パソコンで相手の住む地域の地図を出しながら会話を進めてゆく。彼については、まず東京の世田谷区に住んでいた。20代で車椅子生活となり、その時の入院中に知り合った看護師さんと結婚する。40歳で沖縄に移住してかれこれ20年以上が経過したという。

 

 あるとき私は低血圧で起き上がれない宿主の依頼で、ある番組の録画予約の操作をした。回復した彼と一緒にMさんと私の三人で、その「情熱大陸」という番組を見た。それはクメール織物復興のためカンボジアに村を作った日本人のドキュメンタリー番組だった。その日本人の名は森本喜久男という。京都出身でカンボジアに住む森本氏を、成田さんは訪ねたことがあると言って、クメールの絹織物と森本氏の著作を私たちに見せた。

 成田さんはMさんのことを「かつてJALに勤め、現在は少し認知が入っている」と手短に私に説明した。そういえばMさんは動作緩慢、口元締まらず、足を引きずる歩行である。「千葉から毎日のようにゲート前はいつが山場かなどと電話してくる。この間は来たかと思えば一日で帰ってしまうんだから」とぼやき節である。「オマエさんはゲート前で死ねばいいんだ」と成田さんに言われて、「名誉の戦死ということですね」とMさんは、にやにやしながら言い返していた。

 Mさんは、私の好きな落語家だった春風亭柳昇師匠にどことなく似ている。そしてMさんと私は同じ期間の宿泊予定だった。二人で食事をする機会も多かった。滞在中の食料を買い込んでいる私と違って、食事についてはなんの用意もなかった。私は食料を調達する店の場所を教えたりした。「おかげで栄養失調にならずにすんだよ」とMさんは言う。ゲート前でも隣り合わせに座り込む。彼は集会で「特にゲート前の沖縄の女性パワーは素晴らしいと」無難にスピーチした。

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*うりずんの沖縄④

2017年04月22日 | 沖縄のこと

 滞在中にゲート前には延べ4日間座り込んだ。前半の2日間は徒歩で、後半は車に便乗させてもらって参加した。この宿からゲート前まで徒歩で行く人は私ぐらいなものだ。この時期のゲート前でのもっぱらの関心事は4月23日に投開票される「うるま市長選挙」だった。翁長知事が推す若手女性候補の山内スエコ氏がベテランの現職市長に挑む。これから選挙の応援に行くというスピーチをたびたび聞いた。なんとか勝って欲しいと私も祈るような気持ちになる。

 日曜日だけは座り込みはなかった。誘われて名護で開かれている写真展に行くことになった。二人の写真家による「墜落オスプレイに海中から迫る!」と「高江のオスプレイN1建設現場」の展示だった。前者は米軍が回収する前にいち早く現場に駆け付けて撮影した写真だ。海中に散乱する機体の残骸がくっきりと捉えられている。会場では写真家集団「まぶいぐみ」がこの1月に刊行した「ドキュメント ぬじゅん(NUJUN)」の創刊号が置かれていた。沖縄語で「抜く、撮る」ことである。

  名護博物館ギャラリーの写真展の後は一人で行動した。「名護囲碁クラブ」の営業開始まではたっぷり時間があった。名護市役所のあたりを歩いてみた。そのあと名護漁港のなじみの食堂で昼食をとる。昨年は土砂降りの雨の中をこの食堂に飛び込んだことを思い出した。碁会所は昨年と変わらず活況を呈していた。置き碁で黒番の私は相手の石の運びに感服するばかりで3連敗を喫した。時間を計りながら碁会所を出て世冨慶で5時のバスで宿に帰った。

 

 写真展に誘ってくれたのは、岩手で元は理科の教員をしていた小柄なIさんである。ゲート前で理路整然としたスピーチをしていた。ある晩、彼はオスプレイと従来の輸送ヘリの模型を手にして、二つを比較しながらオスプレイがいかに事故の確率の高い兵器かということを説明してくれた。二兎を追うもの一兎も得ずの例ですという。「岩手交流会の通信」というパンフを発行しているという。彼は編集も何もせず集めた記事をそのまま掲載したものだと言いつつ、その312号を差し出した。

 

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*うりずんの沖縄③

2017年04月20日 | 沖縄のこと

 沖縄平和運動センター議長の山城博治さんは3月18日に152日にわたる長期拘留の後に釈放された。保釈中の身とあってゲート前でお会いすることはなかった。すぐにでも会えると考えていた自分を恥じた。3月25日に就任以来初めて翁長知事が「オール沖縄会議」主催のゲート前の辺野古集会に参加した。その集会の前には山城さんも姿を見せたという。滞在中には今年も88歳になる島袋文子オバアの元気な姿をゲート前で確認できた。

 

 6日(木)の初日に宿からゲート前の6㎞の道のりを歩いて往復した。コースの半分は大浦湾沿いで、残り半分は両側がキャンプシュワブの森である。車なら10分、歩くと75分かかる。途中スミレのほかに色とりどりの花になごまされて歩いた。この日で座り込み抗議は1005日めだった。山城さん逮捕の後はリーダーの当番制で集会が続いている。「負けない方法は勝つまで諦めない」が合言葉だ。

 

 集会は基本的には8時から始まり4時に終わる。水曜日は統一行動日で県会議員、市町村議員ら多くの人たちの参加がある。そのために水曜日は工事車両の出入りはない。工事車両は9時に入り、12時に出入りがあり、15時に出るというのが普段のパターンだ。そのたびに機動隊が市民を排除する。ゲートは近い距離に2種類存在する。工事車両用と米軍および基地労働者用のゲートである。座り込みは工事車両用のゲートであり、たまに米軍用のゲート前に移動しての抗議行動もある。

 この日の出入りする工事車両は延べ60台ぐらいだったろうか。機動隊出動のたびに騒然となる。排除されて歩道の檻に一時収容された我々は出入りする車の隊列と機動隊に抗議の声を上げる。白い指揮棒の中隊長の合図で機動隊が引き上げると、取り除かれたブロックと長板を並べなおして座り込む。めずらしいことらしいが、この日はゲート前で二人と、離れた普天間基地で一人が逮捕された。昨日はシュワブの米軍用のゲート前の抗議で、長時間にわたり米軍車両が立ち往生したという。そこで米軍から沖縄県警に何らかの申し入れがあったのではないかと、もっぱらの噂だった。

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*うりずんの沖縄②

2017年04月17日 | 沖縄のこと

 名護市街地は沖縄本島の西海岸にある。北上してきたバスが名護の中心部へ向かう入り口に「世冨慶(よふけ)」がある。世冨慶は東海岸への幹線道路があるのでT字路交差点になっている。終点の名護バスターミナルまで行かずに世冨慶でバスを降りた。交通の要所だけにコンビニやスーパーがある。ここで滞在中の食料を買い込み、5時のバスで東海岸の瀬嵩(せだけ)集落に向かった。

 

 瀬嵩に向かうバスは午前は一回、午後は二回だけ運行されている。峠を越えて車窓から大浦湾が見えてきた。辺野古新基地の埋め立てにどれほどの土砂が必要なのか想像することは難しい。海上に見える侵入阻止のフロートは昨年より範囲が拡大されている。その中に大型作業船ポセイドンが停泊している。宿の受け付けをしている若い女性とは初対面だった。

 宿主が長い入院生活から復帰して、施設の一部は改良されていた。私の予約した部屋は昨年と同じ6畳の個室である。この宿では唯一の個室だ。そこの畳表が新しくなり掃除も行き届いている。各自の飲食は必ず「ゆんたくルーム」という玄関わきの広間でとることになっている。「ゆんたく」とは「お喋り」のことである。情報交換の場所だ。二泊ぐらいの客が多いようだ。

 観光目的の人もいるが、ゲート前の座り込み目的の人の方が多い。私と同じ時期に同じぐらいの期間滞在をしていた千葉県と岩手県の二人の70代の男性客と親しくなった。中でも千葉の方と宿主と私の三人はなんでも話せるような間柄になった。宿主は低血圧の症状に悩まされ、寝込むことがあるという。車椅子生活者ながらも、自ら車を運転してあちこち出かけているようだ。 

 

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*うりずんの沖縄①

2017年04月14日 | 沖縄のこと

 沖縄は5月の大型連休の頃に梅雨入りし、6月23日の「慰霊の日」の頃に梅雨が明ける。冬が終わり青葉がいっせいに芽吹き、草花が彩りを増してゆく梅雨入り前の季節を沖縄では「うりずん」と呼ぶ。「潤い初め」が語源と聞いた。昨年に続き今年もキャンプシュワブのゲート前を訪れた。

 六泊七日の旅行に要した費用は総額七万円だった。初日は始発電車で羽田空港まで行き、シルバー割引の当日券で10時半には那覇空港に到着していた。案内所の人の少し驚く顔を後に、空港からモノレールの高架に沿って歩くことにした。高速バスで1時間40分かかる名護市には午後の4時に着けばよい。時間はたっぷりあった。

 

 車での移動では見えなかったものでも、歩くと見えてくるものがある。空港から歩き始めると左手には陸上自衛隊の訓練場があり、実際に訓練している隊員たちの姿が見えた。右手は航空自衛隊の基地だった。モノレールの小禄駅そばにあるイオン那覇ショッピングセンターで軽い昼食をとる。

 

 歩いているとじっとり汗ばんできた。奥武山(おうのやま)運動公園の横を流れる国場川に架かる那覇大橋を渡る。モノレールもこの大橋に沿って川を渡り、大きく左にカーブして対岸の川沿いを旭橋駅へ向かう。そこから右へ折れて首里城方面に北上する。旭橋には沖縄バスターミナルがあって現在は工事中だった。私は旭橋から高速バスに乗り名護へ向かった。

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*寸鉄人を刺す

2017年04月12日 | 捨て猫の独り言

 毎日新聞の日曜版にある「松尾貴史のちょっと違和感」というコラムを愛読している。1960年神戸市生まれの57歳である。多方面にわたる才能の持ち主だ。寸鉄人を刺すがごときコラムには、毎回似顔絵も同時に掲載されている。また折り紙作家でもあり、黒柳徹子さんなどの「折り顔」を創る特技もある。まず最近のコラムから三枚の似顔絵を紹介する。

  

  写真の三番目の似顔絵(早く質問しろよ)と同時掲載されたコラムはつぎのように終わっている。

 道徳の教科書の検定を行った担当官たちは、そんな奇妙な、効果のないサブリミナルのような手法で子供に郷土愛や愛国心が育つと思っているのだろうか。私はこれも「仕事しているフリ」なのではないかと感じた。「私たちが検定してこんな具合に仕上がりました」という実績を「誰か」に見せたいのではないか。あるいは今流行りの「忖度」なのかもしれない。子供たちの鑑ともならなければいけない政治家の、国会での言葉遣い、姿勢、態度、そして噓をつかない誠実さがあれば、教科書の記述よりよほど日本の礼節の「美しさ」を見て、道徳心あふれる、郷土愛に満ちた青少年を育てることになるのではないかと思うのだが、現状はあまりにも「スカタン」だ。

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*南へ

2017年04月03日 | 捨て猫の独り言

 あまり庭木に肥料をやらないのだが、先日は松と梅の根元に肥料を施した。先日は近くの幼い子たちに松葉を奔放にむしり取られて、こちらは大慌てした。松はともかく、この庭の梅に肥料をやるのは初めてのこと。柿の根元には生ごみを入れるコンポストがあるので、柿に肥料をやらなかった。5日から沖縄に6泊の旅に出る。今後とも沖縄には年に一度は出かけるつもりでいる。

 いつも五月の大型連休の頃にゴーヤなどの夏野菜の苗を植えつけている。昨年は「みどり東京・温暖化防止プロジェクト」と称する事業団から市役所を通して、ゴーヤの苗2株とタネを2袋もらった。それを活用すべく4月1日にプランターにタネを蒔いた。タネから始めるゴーヤ栽培の試みが成功するか見ものだ。ダメならいつも通り苗を買うことになる。

 

 4月9日の日曜日に小平では市長選挙と市議補欠選挙が行われる。多選自粛を重く受け止めるとしていた現市長が 4期目の出馬を表明し、3月議会の初日には自民党などの議員による4人連名の「市長に対する不信任決議案」が提出された。採決では公明党の6人は議場を退出し、賛成は8名、反対は13名で否決された。9日に沖縄に滞在中である私は不在者投票となる。

 私の沖縄の宿は昨年と同じ名護市の瀬嵩(せだけ)にある民宿で、和室6畳に住み、外食または自炊生活だ。宿主は車イス生活者の方で、昨年は入院中でお会いできなかった。現在は退院されているという。今回の旅行に持参する一冊の本がある。1990年筑摩書房出版の「八重山共和国~八日間の夢」で、著者は私と同じ年生まれの桝田武宗という方だ。この2月にリサイクル資料すなわち図書館の払い下げ本を積んだワゴンの中に偶然見つけた。

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