玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*イチロー語録

2016年08月29日 | 捨て猫の独り言

 やっとゴーヤの本格的な収穫が始まった。まず高い場所にあるゴーヤ2個を見逃して、熟れすぎて黄色になっていた。しかしこれはいい機会だった。そのうちの落下をまぬがれた1個を慎重に収穫して種の回りの真っ赤なゼリー状のものを口に含んでみた。それは伝え聞いた通りに十分に甘かった。また沖縄では、天婦羅にするときワタの部分と若い種とを捨てずにそのまま揚げるということも聞いた。

 

 注目を集めたイチローのメジャー通算3000本安打達成はすんなりとはいかなかった。達成したのは、まるで計ったのかのように甲子園の高校野球の開会式の日だった。メディアはこれで一区切りがついて高校野球とオリンピックにシフトしていった。達成直後の会見では「3000という数字より、僕が何かすることによって僕以外の人が喜んでくれることが、今の僕には何より大切なことだと認識した」と述べている。(台風9号のあとの玉川上水緑道)

 

 この会見のイチローは通訳付きで日本語で応じている。これについてある関係者が何年もアメリカでプレーしているのだから通訳なしでやるべきだと発言したけれども、すぐにこれを撤回せざるを得なかった。イチローは日常会話なら十分すぎるほど英語で話せるという事実を知っての注文かという反撃のためである。イチローの発言は個性的である。誤解を生まないように通訳を通したのだと思う。記録達成後の先の発言は、イチローが自分の背中を自分で見ることができることで生まれたのだ。

 「努力に勝る天才なし」とか「努力は素質を超え、気力は実力を上回る」という ことわざ は広く知られている。一筋の道を歩むイチローは、これらの ことわざ を視野に入れながら考えに考えて自分の言葉で語ろうと努める。「僕は天才ではありません。なぜかというと自分がどうしてヒットを打てるかを説明できるからです」「気持ちが落ちてしまうとそれを肉体でカバーできませんが、その逆はいくらでもあります」これがイチロー語録である。

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新聞のない日々

2016年08月27日 | アトランタ便り

日本での私の毎日のスタートは朝一番、新聞の取り込みから始まる。それを知っていた姉の孫娘は「私のジョブ」としてその仕事を決して妹に譲らなかった。その習慣から離れておよそ1ケ月。今やPCでヤフーを開きトップニュースを見ている。昨今は台風の影響がアチコチに及んでいる様で、仕事で日本から帰国する筈だった社長の飛行機が欠航になり、娘は事後処理に追われていた。夕刻スカイプをしていた下の孫娘が、台風の話題にジジにそこの新聞を見せてとせがんでいた。日本にいる時に傘をもって登校するかどうか、自分たちで朝刊一面の天気欄をチェックしていたからだ。

私は午後3時過ぎになると、青空の元木陰を作るプールサイドの長椅子で過ごす。1ケ所に滞っていてさえウッカリ転寝してる間に傘のテントを雨が叩く。当地に来ていつも思うのだが、特に車中に居ると日に何度も雨の襲来に合うはどうして?広範な国を1人1台づつの車が、縦横に設けられた片側2ー6車線を行き交う。しかもスピードと言えば高速並みで、信号も郊外ではナイに等しいからその距離は半端じゃない。本来の気象状況に排気ガスが加わって、半端じゃない移動距離の間に何度も雨の襲来を受けるのじゃないだろうか。

さて今日は滞米最後の週末。娘の車で再度の住まいの下見、韓国人経営の野菜、魚豊富なマーケットでの買い出し、土産物の再確認をする。昨日冷凍庫を整理したら可成りのスペースが生じた。この分では予定以上の作業が必要とされそうだ。

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*水車通り

2016年08月21日 | 捨て猫の独り言

 現在の地に住み始めて40年近くになる。住み始めてまもなくの頃にチャボ゙を飼っていた。手づくりだったが、よくできた頑丈なニワトリ小屋だった。餌は近くの水車通りの小島米穀店で配合飼料を買っていた。店のご主人は片方の腕の手首から先がなく、そこは白い布でまかれていた。紙袋の飼料を巧みに抱きかかえながら計量していた。戦地で負傷されたものだろうと私は勝手に想像した。

 そのうちチャボの飼育が途絶えて小島米穀店に出かけることはなくなった。10代目に代替わりしてからは店の前には自動販売機がずらりと並び、本業の方は休業状態のようだった。玉川上水を横断する店の前の通りを「水車通り」という。うかつにも、その名が小島米穀店に由来することを知ったのは定年退職後だった。

  

 玉川上水に沿って流れる新堀用水を利用した「小島水車」は小平よりも国分寺の多くの農家が利用していたという。少し歩くとそこはもう国分寺である。昭和25年に稼働を止めたが 直径約7メートルもある水車が昭和42年まで残っていたという。昭和42年というのは私が当地に引っ越してくる8年前のことだ。水車の土台である平行に並んだ二つのコンクリートの遺構を今でも見ることができる。新堀用水探訪者が必ず訪れる場所の一つだ。

 この7月に由緒ある小島米穀店が解体撤去された。8月に入りその跡地に急ピッチでコンビニが建設されつつある。最寄りの鷹の台駅周辺の道路は一方通行のせまい道路で、駅前の商店街はさびれる一方だ。駅そばには駐車場のない2軒のコンビニがある。その駅から400mのところに駐車場のあるコンビニができるというわけだ。近くの「たかの街道」沿いにもコンビニがいくつかある。そのうちの一つは交差点に面したガソリンスタンドだった。コンビニ商戦は激烈だ。ところで水車土台の遺構は敷地境界近くの保存樹林内にあるために残るようだ。

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タウンハウス下見の予定

2016年08月17日 | アトランタ便り

来年の夏になると、上の孫娘が6年生になりこの州では中学校へ進むことになるらしい。小学校もそうでプレスクールといって5才児から入学していた。小学校は良い方だが中学はそうでもないらしく、転居を考慮してるので私も日曜日の午後下見に行くことになった。私も知る娘の友人が仲介業の資格を得たそうで、地域、予算、職場との距離等希望に沿った物件を送信してくれている。ここバックヘッドとはお別れだから、街へ出て一歩きしてみることにした。

道路沿いにはタウンハウスと思われるどでかい建物がソチコチ建築中である。この手の労働者の多くはメキシコやキューバからの移住者らしい。例年訪れるモールは迷路の様で出入り口を間違うと大ごとだ。私は家具店やキッチン用品店を見て回るのが好きだ。店員は少なく店内は広いから、バックヤード用品が置いてあるコーナーでゆっくり腰を下ろし外を眺めつつ長らく休んだ。通り過ぎた店員も、スマイルを送り用があったら呼んでくださいと言う。過日訪ねたイケアとは大違いで、調度品は重量感があり品格に満ちて心地よかった。

私が訪ねた事のある娘の友人の2軒の家も調度品はいずれも磨き込まれて手入れが届いている。さてさて片付け、整理整頓が苦手な我が娘・・・。少なくともキッチンだけは使い勝手のいい物件(作業の流れに沿って冷蔵庫、洗い場、調理台、ガス台、配膳台)をとアドバイスしなくては!!来年中にはMYハウスを入手する事になるだろうから。今回は下見だけだからいいけれど、本番の際はどんな事態になるのヤラ。シングルマザーの娘に心強い味方が近くに居てくれたらとつくづく思う。

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息子、娘の誕生祝い

2016年08月15日 | アトランタ便り

8月をアトランタで過ごす様になって5度目になるだろうか?2人の我が子の誕生日は、幸運にもと言うか丁度その時期に当たる。先週は長男の、今週は長女の誕生日だ。所帯をもった息子との音信は、何かと気を遣う事も多く配慮を要する。その点誕生祝いのメールは何の遠慮もいらない。専用外のPC だから、届くかどうか気がかりで乞う返信としてメールした。そして即日手短な返信を得た。その返信に、謝意の言葉と午後は毎日手術が入るようになったとあった。

 

息子は40才で大学病院を辞しクリニックを開院したいと念願していた。腎臓内科で透析用に、静脈血と動脈血を連結させるシャントの手術を得意としていたのだ。相談があった際、午前は一般診療に当て午後は検査と手術としていた。オープン当初からそれは無理があるし、診療は午前のみというのは如何にも高飛車な印象を与えると強く懸念し意見した。様子を見つつ手術が増えたら切り替えた方がいい、という私の見解に従ってオープンし3年目を迎えたのだった。3年目にして当初の目標に近づけているとは嬉しい。

 

今週は娘の誕生日。普段は家事援助で訪米中の身ゆえ、自宅での夕食だがこの日だけは2人だけでの外食だ。特別の御馳走でなくたって娘との会食は胸が弾む。昨年のその日は孫娘の口唇裂傷事件が発生してお流れになっていた。シングルマザーは朝に夕に忙しい。日々接していると目につくことは多々あり、こんな??と思わずもないが皆が元気で機嫌よく暮らせておればヨシとしよう。そろそろ作り置き料理の量産体制に入らねば・・・・。

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*天の邪鬼

2016年08月14日 | 捨て猫の独り言

 孫たちが収穫を楽しんだキュウリとトマトはその役目を終えて畑から姿を消した。ゴーヤは順調に葉を伸ばし小さな花をつけ、かなりの数の花を散らしている。朝日をさえぎる緑のカーテンは午後からは部屋を暗くする。ここにきて、やっとゴーヤの収穫ができるようになった。ゴーヤの赤ちゃんを見つけたよと言って孫たちはアトランタに戻った。

 リオといい東京といい反対意見を押しのけてオリンピックは開催される。福島在住の知人が「オリンピックをやっている場合か」と吐き捨てるように言った言葉が私の耳からは離れない。相も変わらずマスコミは競って報道し、生活に重要な課題が棚上げされてオリンピック一色に染まる。乗り遅れると売り上げに響くというマスコミの打算だろう。(キツネノカミソリとオミナエシ)

  

 私はささやかな意地をはることを決めた。あと4年生きていられるかはともかく、今回からオリンピック報道に関してはテレビ中継は見ない。新聞の見出しを見る程度にする。テレビは高校野球に集中すればよい。夜は千葉ロッテのプロ野球を見ればよい。BS12チャンネルではロッテの中継がある。というのも私は高尾紳治九段の影響もあって地元の西武から千葉のロッテに宗旨替えしている。

 幸いなことに高校野球の決勝戦とオリンピックの閉会式はともに8月21日である。これで退屈することなくオリンピックのテレビ中継からとことん逃げることができそうだ。オリンピックの影響でNHKのMLBの中継が中断している。アメリカン・リーグの東地区はブルージェイズとオリオールズの首位争いが続いている。10月3日のレギュラーシーズン最終戦まで目が離せない。オリンピックよ早く終われが私の願いだ。

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プールサイド

2016年08月08日 | アトランタ便り

当初の予報の通り、8月になった途端日本は夏本番の猛暑に見舞われているらしい。というのも、7月に入って数日暑い日はあったけれど、例年の様に孫娘たちが暑さで真っ赤な顔をして下校することは殆どなかったからだ。そんな筈はないと思いつつ彼女らと共に訪米して間もなくその報に接した。だが当地アトランタの夏も暑いのだという。とはいえ冷房下での生活は長袖がちょうどいい。

珍しく今夏ハイキング中熱中症様の症状を呈した娘が、いつになく水分補給の助言をしてくれた。久方ぶりの常備薬を持参した私を労わってか、初老の匂いをかぎとってか気遣ってくれる。私が訪米する度に引越し先がが変わっていたのが常だったが、この3年はそれもなく、私のアトランタ生活も落ち着いている。毎朝7時20分に慌ただしく3人を送り出すと、帰宅する18時迄全て私の時間となる。

昨日は日中バスタブにたっぷりのお湯を張り、日本式の入浴を楽しんだ。帰国して何が楽しみ?問われればこれに勝ものはない。在日中孫達も、浴槽でプール張りに回転を繰り返してはしゃぎ、真っ赤なほっぺになっていて上がる様急かしたものだ。入浴後は人影の少ないプールサイドの木陰で、本を読んだりうたた寝したり。日本ではホテルでもない限りプールサイドという環境はないし、旅行にでも行かなければこの時間帯での入浴すらもない。非日常なればこそ可能な事だろう。

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*かき氷

2016年08月07日 | 捨て猫の独り言

 孫娘たちがまだ日本にいて、終業式を目前にした週末に3人は立川で映画を見た。「午前十時の映画祭」シリーズの「アマデウス」である。30年ほど前に日本で公開されたこの映画を、私は子供たちと3人で見たことがある。上の子が中学生で、たしか立ち見だったという記憶がある。この日も人気は高く前列にわずかの空席があるだけだった。入場の際に孫娘たちを見た係員は、かなり長時間になりますと注意喚起してくれた。

 始まってすぐにサリエリが自殺を計った鮮血の場面が目前に迫ってくる。下の孫娘は目を伏せながら隣りの私に救いを求めてくる。さてこれは途中退場もありうると覚悟を決める。ところがぴったり3時間に及ぶ上映時間中、退屈をした様子も見せずに最後まで見入っていた。二人の成長を感じた。映画のあと二人は昭和記念公園の無料エリアの原っぱでバッタを捕まえては放して遊んだ。(写真・まつり準備中)

  

 その後しばらくの間、モーツァルトを演じるトム・ハルスの奇矯な笑い声を私が真似ると、二人とも面白がって真似返してきた。また甘いものが好きという設定のサリエリが、指についたチョコレートか何かを器用になめる仕草を真似て面白がったりした。このあとシリーズは「夏休み特別企画」として「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3部作を3週連続上映だった。これらの映画を二人はアメリカで見たという。

 

 私が「フューチャー」を発音すると二人はとてもおかしいと大笑いする。二人に真似たつもりでもいつまでも笑われてしまう。向き合って食事をしている二人が英語で会話することがある。その時は仕草からなにから大人びて見える。日本語で話しなさいと言うと、同じ内容を話しているらしいのだが、日本語になると大人の雰囲気はなくなっている。これは私の偏見あるいは錯覚なのだろうか。ところで、この夏は二人にかき氷を食べさせる機会がなかった。そこで買い置きのシロップを無駄にしないためにも、私は自分だけのためのかき氷を作ることになる。 

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*ジョージア

2016年08月02日 | 捨て猫の独り言

 孫娘たちは63日間の滞在の後の7月28日に祖母とアトランタに戻った。クワガタやカブトムシの飼育に夢中だった。それらは帰国の直前に虫かごから解放することに相談がまとまり、ある晩に仲間と一緒に緑道に出かけていった。今年は新しく一輪車を二人に用意したがマスターするにいたらず二日ほどの練習でそのままになった。(写真は私の2泊3日の帰省)

 

  ある日のこと、三人が自転車で通りかかると、庭先の4個の大きな水甕でメダカを飼育している年輩者に呼びとめられた。とくに上の孫娘は生きものには大いに興味を示す。メダカが浮き草の根に卵を産み付けているのを見せられて、いろいろと質問していた。アトランタは何州だったかなというメダカの飼育者の質問には私が答えた。

 ジョージア州です。私が大相撲の「栃ノ心」がアメリカ出身と誤解していたことに気付いたのはその時である。ジョージアという国が東欧にあるということを知らされたのだ。その方がアイスクリームをあげようと言って玄関に戻ったすきに、「ありがたく頂きなさい」と言い残して私は一足先に自宅に帰った。ジョージアはグルジアのことだった。私はグルジアワインなら以前からよく知っていた。

  「グルジア」の呼び名を「ジョージア」と改める法律が日本で成立したのは最近のことらしい。同国の現地語での正式名称は「サカルトベロ」で「ジョージア」は英語読み。どうも国名呼称はファジーのようだ。日本語での国名は「ニッポン/ニホン」だ。だがこう呼ぶ国は見当たらない。昔のスポーツの国際大会などでは日本の選手は「NIPPON」と書かれたユニホームを着ていたが、現在はたいていが「JAPAN」だ。これも当該組織がどう表示するかを決めるもので、政府としては関知していないのだという。

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