玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*春場所を振り返る

2020年03月26日 | 捨て猫の独り言

 大相撲春場所は新型コロナウイルスの影響で無観客場所として開催された。一人でも感染者が出たら中止という背水の陣だったが無事に千秋楽を迎えた。あらゆるスポーツが中止となる中で大相撲が多くのファンに元気を与えてくれた。理事長の「全力士、全協会員を誇りに思う」には万感の思いがこもっていた。(柿の新芽に淡雪3・29)

 

 応援する郷土の力士東前頭17枚目の「明生」(24歳)は先場所は途中休場して、今場所は7勝8敗の負け越しとなった。来場所の番付では十両筆頭に陥落すると予想されている。私が勝手に考えるのだが明生の目標とすべき力士は遠藤(29歳)である。遠藤の最高位は西小結だ。明生にもその小結を目指して欲しい。

 もと武双山の藤島親方が「上位とやるときは若い明生が先に仕切って待つのがふつう。礼儀として、わきまえてもらいたい」と忠告したことを知った。5月の夏場所の開催がどうなるかわからないが、今後は明生の仕切りに注目しようと思う。今場所の幕内力士は42人いて勝ち越し、負け越しの力士数はともに21人だった。

 格闘技にケガはつきものだ。ケガを少なくするための稽古が一番大切なことのようである。将来の横綱を期待されたモンゴルの巨漢力士、十両東3枚目の照ノ富士(28歳)は10勝5敗で来場所は前頭西15枚目に返り入幕、十両西8枚目の逸ノ城(26歳)は9勝6敗で十両東5枚目との予想だ。まことに相撲とは厳しいスポーツである。

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*フィリピンのこと

2020年03月26日 | 捨て猫の独り言

 映画「三島由紀夫VS東大全共闘」についてジャーナリストの田原総一朗氏は「トランプ政権の自国中心主義により、日本も自立についていよいよ考えなければならなくなった。そのため反米と自立で一致する三島と全共闘の討論が意義あるものとみなされているのではないか」と語る。

 

 フィリピンで1991年に全ての米軍基地がなくなりました。その後は恒久基地ではなく、一時的にフィリピンを訪問する米軍部隊として行動できるように訪問米軍地位協定(VFA)が結ばれました。これをジャーナリストの松宮敏樹氏の記事で知りました。ところで記事の眼目はドゥテルテ大統領がそのVFA廃棄を米国に通告したということでした。そして協定終了は現実味を帯びてきているといいます。

 大統領の終了通告に対して、ウォルデン・ベロ元下院議員はつぎのように指摘したといいます。「大統領は悪の化身かもしれない。しかし、彼が歴史の代理人として、120年にわたるフィリピンの植民地的な服従や、脱植民地後の専制的な権力者への屈服を終わらせようとするならば、私は支持する。そして人権や民主的権利の侵害については批判し続ける」

 すでにフィリピンでは「米軍頼らず」と「中国に屈せず」をどう貫けるかといった議論が始まっているといいます。ロクシン外相は地位協定終了で動揺する官僚らに「泣き言を言うな。主権を守るためにわれわれ自身の足で立とう」と訴えました。大統領のスポークスマン、パネロ氏は「自立外交」の推進を強調しました。記事を読んで私はフィリピンの政治家の言葉に打たれました。

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*共感したこと

2020年03月23日 | 捨て猫の独り言

 新聞で「ブレイディみかこ」(54歳)という作家の存在を知った。「ぼくはイエローホワイトで、ちょっとブルー」という本が評判のようだ。福岡市生まれ。35歳でアイルランド人と結婚、41歳で長男出産。42歳で貧困区域の託児所で見習い。保育士資格を取得。「『ぼくイエ』が若い世代に読まれたことでヤングアダルトという分野に可能性を感じています。欧米では、政治や社会もテーマなんですよ。あと気にかかっているのは、帰国するたび、日本社会が縮こまっていること」

 作家の「室井佑月」(50歳)は「ため息を意見に変えて、声をあげよう」と呼びかける。八戸市生まれ。「とにかく安倍政権を終わらせたいんですよ。人を傷つけるようなウソを平気でついたり、弱い者いじめをしたりするところが、どうしても許せません。安倍首相は見るだけでもイヤ。テレビは覚悟を決めないと見られません。私は怒りの沸点がとても低いんです。怒っても、すぐに忘れちゃうんだけど(笑)。安倍さんへの怒りだけはずーっと続いています」私もこの作家と同じ症状で苦しんでいます。日本社会が縮こまる原因の一つがアベ政治かもしれません。

 「ブレイディみかこ」は語る。「私がやりたいのは、主張でなく、現代社会の風景を描くことなんだろうと思います。政治や経済の動きが、どんな風に人々の生活にしみ出ているか。心模様に表れるのか。自分が暮らす地べたから、見つめていきたい。無力な人、役立たずな人だからこそ、清らかで美しい。美意識としか言いようのないものが私にずっとある」(都立薬用植物園にて)

 

 「室井佑月」は語る。「歴史を振り返ると、いいことも悪いことも、ずっと続くということはありません。今、確実に変化が起きています。安倍長期政権が終わるという時代の転換期をこの目で見ることができるかも、と考えるとワクワクするよね。あるデモが大きく広がって、それがきっかけで政権が代わるなんてことがあるかもしれない。そのとき『それ、私も行ってた!』って言いたいじゃないですか。だから広くアンテナを張り、自分でも行動したいと思っています」

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*パンデミック

2020年03月19日 | 捨て猫の独り言

 現場で精米して、炊きたてのご飯を出す食堂がある。出入り口に米糠が置いてあり自由に持ち帰ることができる。無くなっている時もあるが、あれば必ずもらって帰る。生ごみに混ぜたり、小鳥の餌にする。やって来るのはムクドリとヒヨドリだ。ムクドリは7~8羽に団体でやって来てサルスベリの木に止まり交互に舞い降りて食べる。ヒヨドリは単独のことが多い。

 

 大根の収穫がぼちぼち始まっている。足の太さほどの立派なものではなく、腕の太さよりも細いぐらいのものだ。初めて庭でつくる大根ということもあって収穫の喜びは大きい。あの小さな種が成長してこんなにも大きくなった。成長の過程を観察しながら素人ならではの幸福を味わう。葉の部分も調理して食べる。ヒヨドリも大根の葉をついばんでいたことがあった。(シュンラン、キバナセツブンソウ)

 

 二十四節気ごと、つまり2週間に一度の玉川上水散策に参加しなくなって久しい。今では不定期の一人歩きといったところだが、これまでの蓄積で季節の草花に気付くようになっている。これもオープンギャラリーを主宰されていた鈴木さんの導きによる。家から上流に小平監視所がある。そこから多摩川の水が野火止用水に放流されている。その野火止に沿って家に戻る方角に歩いてゆくと季節を堪能できる薬用植物園がある。私の大切な場所だ。(左端ヒサカキ)

 

 3月11日にWHOは「パンデミック」の状態と認定した。アトランタへの旅行をあの時に決行しておいて良かったと、今さらのように思う。子育ての親や事業主は大変だろうが、年金生活者の私の不自由は図書館と公民館の閉鎖である。映画と囲碁対局の録画でそれを補う。今週はアトランタに行く前に見ておきたかったグレゴリーペックの「アラバマ物語」が放映される。今度の日曜日には囲碁のNHK杯の決勝戦がある。

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*郷土と国の歴史

2020年03月16日 | 沖縄のこと

 上間氏は古事記や日本書紀ができたころの、天智、天武、持統から聖武天皇にいたる歴史を根底から覆してみせる。私はその開拓された地平に対して専門家が参入してきて議論百出となることを夢想したりする。そうなればこんな愉快なことはないのだが。呉王夫差の名には記憶があった。「臥薪嘗胆」は将来の目的のためにつらい苦労をするという意味だ。たきぎの上に寝た呉王夫差、苦いきもをなめた越王匂銭の故事からきている。

 紀元前97年に司馬遷が完成させた「史記」は、前漢までの2000年の歴史書である。よく知られた話が多い。先の「臥薪嘗胆」がそうだし、秦の始皇帝の死後、天下をふたつに分けて戦った項羽と劉邦の戦いは「四面楚歌」の語源だった。晋の陳寿(232~297)の手による「三国志」は「魏志」「呉志」「蜀志」の三部構成で、晋が統一を果たすまでの100年間の歴史書だ。ちなみに「魏志倭人伝」とは「魏志」に出てくる話だ。また「三国志」には蜀の劉備が三顧の礼で諸葛孔明を迎えた話もある。(大根と米糠)

 

 一冊の読書がさまざまなことを呼び起こす。島尾敏夫の著作「ヤポネシア考」に石牟礼道子との対談がある。「あやはびらというのは〈生き魂〉ですか?」「アヤは模様、ハベラというのは蝶ですね。しかし蝶はマブリでもあります。マブリには〈生き魂〉と〈死に魂〉がありますけれども、蝶はそれらの象徴のように言っているようですね。そしてそれはまた三角形で表します。ですから三角模様というのが、色んなものについています」このたび沖縄民謡唄者の上間綾子(34歳)さんの「綾蝶(あやはべら)」をYouTubeで聞いた。

 吉本隆明には「南島論」がある。単行本「どこに思想の根拠をおくか」につぎの記述がある。「本居宣長が古事記にあらわれた8世紀以降の日本を問題にしたように、また天皇制に文化的な価値観(漢学的な美意識)を収斂させていった三島由紀夫のように、歴史的に〈天皇制〉を問題にするとき、歴史以前の視点を包括する眼で問題にしなければ、南島の問題やアイヌの問題や在日朝鮮人の問題を包括することはできない」(完)

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*百済と倭国は兄弟

2020年03月12日 | 沖縄のこと

 黄河流域の殷を滅ぼした周の始祖の長男が太白で、長江の南に呉を建国して呉太白となります。「呉太白は周王朝の一族である」これが上間氏が辿り着いた結論でした。倭人とは海を移動するいろいろな部族の総称ですが、呉太白に協力する倭人たちはタカラガイを求めてそれぞれの拠点をつくりながら沿岸を移動します。紀元前472年に滅ぼされた呉王夫差は太白から数えて25代目の王です。

 中国では同じ血族のものは同じ姓を名乗ります。呉太白と呉王夫差の姓はともに姫(き)です。姫氏に協力した姜姓の女性たちはウコンを使って神を降ろすことができる巫女であり、伊尹氏はタカラ貝の流通ルートを作り上げた海神族です。消そうと思っても消すことができないのが地名だとして、水先案内人の伊尹(いいん)の一族の名前の伊のついた地名を上間氏は追跡します。

 西表島の伊田の浜が最初の上陸地点、石垣島の伊春間、伊支馬、宮古島の伊良部、沖縄本島の西側に伊敷、伊祖、伊佐、伊武部、伊差川、伊豆味、伊野波、伊江島、伊是名、伊平屋、徳之島に伊仙町、奄美大島に伊須湾、喜界島に伊砂、種子島に伊関、薩摩半島に伊集院、伊佐、佐賀の伊万里、出雲の伊名佐、若狭湾の伊根、黒潮に乗って伊勢湾、伊勢神宮、伊良湖崎。

 後半のテーマは「古事記」や「日本書紀」が何を隠し、なにを封印したかです。「実は聖徳太子と蘇我入鹿は同一人物でその子が天武」「持統帝は天智天皇の娘などではなく、百済系の天智天皇の花嫁であったが天智亡きあと天武の皇后になり、天武亡きあと天武を裏切る」というのが上間氏の大胆な仮説です。裏切りとは「691年の持統帝の詔」のことです。これを南の海から日本列島に辿り着いた倭人たちの歴史が消えた事件と上間氏は考えています。(続く)

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*黒潮と始祖日本人

2020年03月09日 | 沖縄のこと

 元琉球朝日放送社長である上間信久氏(1947年生まれ)の「消された南の島の物語」という労作を読んだ。あとがきには「西のノートルダム寺院と東の首里城。これは人類に対する天からの何らかのサインか」とあわただしく加筆されている。今年の1月の出版である。お会いしたことはないが2013年出版の「琉球いろは歌」を読ませてもらったことがある。

 県泡盛同好会の会長でもある上間氏の、沖縄文化への熱い思いが伝わる著作だ。あくまでも市井の面白がり屋が書いたものと断りながら、大胆な仮説を展開している。ところどころに質問役のハビルと解説役のタオとの会話が挿入される。ハビルはウチナーグチで「蝶々」のこと、タオは「道」という中国語だ。対話の中のウチナーヤマトグチ(沖縄なまりの標準語)がほほえましい。

 琉球の島々のルーツを探る氏の視点は、古代中国の殷王朝から周王朝あたりの約3000年前まで広範囲におよんでいる。殷の時代の貨幣であった「タカラガイ」については柳田国男著「海上の道」に「琉球諸島群がタカラガイの最大の供給地だった」に示唆を受ける。魏志倭人伝に卑弥呼が「私は呉太白のすゑです」とある。そこで「呉太白」とは何者かをとことん追跡してゆく。

 中国の歴史書「論衡」に「倭人貢鬯(わじんこうすちょう)」という4文字を発見したときに、上間氏はこの鬯(ウコン)は琉球諸島から採取されたものに違いないと雷に打たれたような衝撃を受け、つぎには高揚感を覚えたという。私も漢和辞典で鬯(チョウ)を引いてみた。そこには「くろきびを容器に入れ、うこん草をまぜてかもした酒で、そのかおりがのびて、神をひきよせる」ということが付記されていた。(続く)

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*米軍の横田空域

2020年03月05日 | 捨て猫の独り言

 那覇空港に着陸する旅客機は、海面すれすれに飛行した後に空港に侵入する。最初にそれを経験したときは、まじかに見える海面を見ながら、低空をゆったりと飛行する機体が揚力を失ってそのまま不時着してしまうのではないかと恐れたものだ。しばらくして沖縄の空が米軍の管理下に置かれているためだと気付いた。

 沖縄本島の米軍嘉手納基地では戦闘機がタッチアンドゴーを繰り返し住民は騒音に悩まされ続ける。日本の民間機はその許された狭い領域を遠慮がちに飛ばねばならない。沖縄とは比ぶべくもないが、横田基地のある首都上空も米軍に握られている。これを「国辱的異常事態」と呼んだ元外務事務次官がいた。

 首都のこのような事態を改善しようとした東京都知事もいたが実現していない。理念的にはともかく、具体的な問題解決の道筋はいまだに見通せないままだ。横田基地に近いわが町でも米軍の貨物機が低い高度で飛行するのをよく見かける。横田空域とは23区の中野区より西側の神奈川、静岡、新潟にまたがる広大なものだ。

 成田空港と羽田空港は国際と国内に住み分けるはずだったが、いつのまにか羽田にも海外から多く飛来するようになった。そこで羽田新ルートが開発されて3月29日から運用が始まるという。これに対し航空評論家で元日本航空機長の杉江弘氏は、横田空域の存在でジェットコースター並みの急降下着陸を強いられて、大事故が懸念されると国交省に警告を発している。

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*漢字練習

2020年03月02日 | 捨て猫の独り言

 我が家の確定申告の担当者は元号だと混乱するので西暦に統一できないものかと、この時期になるとボヤキが激しくなる。それはさておき、毎年届く回顧川柳の軟茶亭氏からの年賀状は「庚子(2020)元旦」というスタイルで一貫している。干支(えと)の「庚子」は「かのえ・ねの年」と呼ぶのだろう。元号を使用しないところに差出人の遊び心を感じる。

 私は退職後に小寒、大寒、立春と始まる二十四節気の区切りに親しみを覚えるようになった。そして、これまであいまいな理解ですませていた「十干十二支」について調べてみた。中国では古来「木、火、土、金、水」を五行と呼び、万物を組成するもととなる「気」と考えていた。五行をそれぞれ陽の気を表す兄(え)と陰の気を表す弟(と)に分けたのが十干である。

 例えば「木」の陽の気は「きのえ」であり、陰の気は「きのと」となる。それぞれに当たる漢字は、きのえ(甲)きのと(乙)、ひのえ(丙)ひのと(丁)、つちのえ(戊)つちのと(己)、かのえ(庚)かのと(辛)、みずのえ(壬)みずのと(癸)となる。「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」と十二支「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」「鼠牛虎兎竜蛇馬羊猿鶏犬猪」などの漢字を書いてみるのも楽しい。

 最初の組み合わせが甲子(きのえ・ねの年)である。干支は10と12の最小公倍数60毎に元に戻る。そこで60歳を還暦という。672年の壬申の乱(みずのえ・さるの年)、明治元年の戊辰戦争(つちのえ・たつの年)、1911年の辛亥革命(かのと・いの年)は多くの人が知る。芭蕉の「甲子(かっし)紀行」、別名「野ざらし紀行」は1684年(きのえ・ね)の作句旅行にもとづく呼び名だ。ちなみに1689年の「奥の細道」は己巳(つちのと・みの年)である。

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