玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*「18きっぷ」で只見線

2015年08月31日 | 捨て猫の独り言

 久しぶりに「青春18きっぷ」の旅に出た。金券ショップで二日分を購入し、目指すは絶景の秘境路線といわれ会津若松と魚沼市の小出を結ぶ只見線だ。前日に会津若松駅前の東横インを予約した。初日は米沢まで行き、そこで4時間の散策後に会津若松に引き返す。二日目の只見線は始発の会津若松7時37分に乗り只見で下車すると、小出へ乗り継ぐ電車はなんと4時間後である。

 旅から帰ると訪ねた土地について調べたいことが出てくる。米沢は上杉氏からの縁で上越市と、また江戸時代に米沢藩の米蔵が福島城下に立ち並んだことから福島市との関係が深い。駅を出て最上川に架かる住之江橋にさしかかると欄干には米沢生まれの彫刻家・桜井裕一のブロンズ女性像がいくつか設置されている。上杉神社には中興の租といわれる鷹山(ようざん)の「成せばなる なさねばならぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」の石碑が目をひく。

    

 

 神社周辺の開放的な空間に、「置賜(おきたま)文化ホール」と「上杉博物館」を併設する「伝国の杜」が平成13年に完成した。エントランスにある能舞台は空気浮上方式によってステージに移動するという。どのように移動するのかなかなか飲み込めなかった。そのあと酒造り資料館「東光の酒蔵」をあわただしく見学し、「東光」の小瓶を購入して駅に戻った。さいわいにも散策中に傘の出番はなかった。

  二日目は朝食前に雨の中を片道徒歩25分の鶴ヶ城まで出かけた。只見線はあの東北大震災と同じ年の7月に発生した新潟・福島豪雨によって甚大な被害を受け不通となった。2013年のJRの発表によると、復旧にかかる工事費は約85億円、工期は4年以上、今後鉄道での復旧の可否について総合的に検討するとある。現在は会津川口と只見間は代行バスで繋いでいる。只見町営の保養センターでは只見線を描き続ける松本忠の画を浴槽で見ることができる。滔々たる只見川は尾瀬沼に源を発し、喜多方市で阿賀野川に合流している。只見と小出の間の車窓から見える細い流れは破間川(あぶるま)である。

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イタリア料理を御馳走になる

2015年08月27日 | アトランタ便り

 娘は昨年の春、日系企業の帝人から東京鋲金に変わった。リクルーターをしていた彼女の知人が、自分の最後のリクルーターの仕事として勧めてくれたという。サラリーは上がるのだけど、とても地味な小じんまりした会社だと言い、日本人の常として大会社指向の私には不安の残る選択だった。事実訪米時、双方の会社見学の機会はあったが事務所の構えが全く違った。賃貸ビルとはいえ、総ガラス張りに近い所から各種の螺子釘を常備する倉庫に事務所が付いているという変化であった。

 その会社の社長さんと3人で去年、今年と夕食を共にした。普段より娘から、会社の業績は好調で社長との会食も少なくない、と聞かされていたので甘んじて受けさせてもらう事にした。10名弱の職員達は職位で呼ばず、まるで同僚を呼ぶように姓で呼んでいるらしい。彼は日本で働いたのは3年で、以来外国勤務という。外国で生まれ育った子供達も、長じるにつれ帰国し単身赴任歴は10年来という。たまの滞在で戸惑うばかりの私には、長年外地にあって、日本の得意分野である企業の責任者の方と夕食を共に出来る事自体が嬉しい。限られた3時間ばかりの中で、その方の店員や私達に示される振舞や言葉に「グローバルな‥‥」と感じたと言えば大げさ過ぎようか。

 そこで土曜日夕はブレーブスとヤンキースとの試合を、全社員で応援に行く話になった。田中将大投手の登板を期待しているらしい。前もって聞かされていた私は留守番(12才以下の子供だけはダメ)と決め込んでいた。それが私の帰宅前夜に相当すると知った社長は、娘に「それはよくない。そんな大事な日は家族全員が一緒に居るべきだ。私もさんざん妻に言われてきた。そんなもんだ」と言われた。当初言葉を返していた娘も遂にはその言葉に従うことになった。さてさてその夕とは明晩である。出前母親(祖母)の役割も最終盤を迎えている。

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*藤沢名誉棋聖六年祭

2015年08月26日 | 捨て猫の独り言

 棋士の高尾紳路天元(38)のブログ「たかお日記」で藤沢名誉棋聖の六年祭のことを知った。仏教では七回忌である。25日の10時から台東区の小野照崎神社で行われるという。喪服でなく平服でいらしてください、お祭りとは祝詞(のりと)をあげていただくことですとある。サッカー日本代表の武藤嘉紀選手が座右の銘は「強烈な努力」と語ったことからこの言葉がひろく知られるようになった。

 武藤選手の座右の銘のことを私は「たかお日記」で知った。六年祭はその「強烈な努力」と刻まれた藤沢秀行記念碑前で行われる。地下鉄日比谷線の入谷駅で降りるとすぐのところに小野照崎神社はあった。私が開始時刻30分前に到着すると、鳥居の辺りで中から通りをうかがう風情の笑顔の女性がいる。しばらくしてこの女性が高尾夫人であると分った。台風の影響で雲は多いが雨はなく涼しい一日だった。

  

 

 高尾ご夫妻は早めに来て神社側と打ち合わせをし、いろいろと準備されていたのだと思う。境内にはすでに吉田美香女流棋士の姿があり、関係者と談笑していた。準備が整いそしてことが始まるまでに、ほんのわずかだが手持ちぶさたな時間が生じることがある。そんな絶好の機会をいかすべく私は高尾氏に「たかお日記」の読者であると名乗り出て、厚かましくもツーショットをお願いした。高尾氏は近くにいた年輩のプロのカメラマンに私のデジカメを渡して私の横に並んだ。

 私がツーショットと考えていたのは高尾ご夫妻のツーショットだった。ささやかな互いの思い違いだったが、あらためて高尾氏は夫婦で祭壇の前に立ち私の希望を叶えてくれた。また記念碑の横の地面に円形のプレートがある。先ほどのカメラマン氏は私がそれに気付いてないことを見てとると、その存在をそっと教えてくれた。まもなくプロの棋士たちが続々と到着した。棋士の周りをその他の参列者が囲んで並び、祝詞奏上のあと全員で献杯を行った。大竹秀雄名誉碁聖の言葉、高尾天元のあいさつが簡潔に述べられて30分ほどで終了した。いい六年祭だった。

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誕生日にハプニング

2015年08月25日 | アトランタ便り

 一昨年だったか、当地で孫世代の誕生会に参加したことがある。遊技場があってパーティの開ける会場へナビに従って参集した。一遊びした後誕生会となった。親子合わせて20人位いたろうか。招待者が注文し置いたハンバーグ?だったかを食べ、カード、プレゼントの交換をしていた。娘宅では家庭やプールサイドで簡単にやっているらしい。今時と違い私の子育て時代には、誕生会等という洒落た物とは無縁だった。8月を当地で過ごすようになって以来、8月生まれの長男にはアトランタ発のメールを打ち、おなじく8月生まれの娘とは2人だけで外食の誕生会が恒例となった。今年もその筈であった。

 仕事から帰宅した娘を待って夕食に出かける手筈になっていた。そこへ学童から電話。「男の子の投げたフリスビーが唇に当たり出血している。縫う必要がありそうだ」。急いで学校に戻り連れ帰る。口元を血の滲んだちり紙で抑え腫れていた。至急にPCで営業中の外科を探し訪ねた。60代後半か70代前半と思える女医さんだった。日本で息子の真新しい診察室をみなれている私には、物品棚が目立って倉庫のようにすら見えた。即、面麻酔のゼリーがぬられ麻酔下で5,6針縫った。本人は勿論、母親もこわごわながら必死で我が子の手を握りしめ針元を見つめていた。孫は時にうめき声を発したけれど泣くことはなかった。泣きたいのは娘の方だったかもしれない。抗生剤の処方もなく返されたので、日本の息子のクリニックで処方してもらい持ち帰っていた抗生剤を念のため服用させた。20時半に帰宅し、安堵した娘は孫「Good Job」と褒め、私に「母さん有難う。母さんが居る時で良かったよ」と心からの謝意を述べた。

 我家はだいぶ前に私の脳貧血事件で大騒ぎを経験していた。その経験が娘には大きな教訓となったようだ。かつて長男の中学受験を終えた後、入浴中に風呂場で脳貧血を起こし、そのまま浴槽のヘリで顎をを強打したらしい。私が気づいたときは浴室の床には血が流れ口元が裂けていた。何せ入浴中の事故だから流血が派手なのだ。その夜は騒ぐ家人を制し、口元をバンドエイドで修復して翌日縫ったのだった。あの時は歯全体が浮いて、顎全体が腫れてしまい入学式の記念写真はマスクでも隠せなかった。暫く粥食と軟采作りが手間だった。さて口元を縫ったばかりの孫は、その日は神妙にしていたけれど、翌日からやんちゃぶりもスッカリ元にもどった。この土曜日に晴れて抜糸したら、浮き輪ナシでプールを泳ぎ回れる事になる。そして翌日にはバイバイだ。

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*なでしこ佐々木監督

2015年08月24日 | 捨て猫の独り言

 最近テレビのニュース番組を見る気がしない。あの人が画面に表れると、そのお顔を拝見するなり私の精神がとても不安定になるからだ。しかし新聞の投書欄は注目している。政治に一言なりとも言いたいという人が増えているようだ。あの人に任せていいのかと、心配する投書が「毎日新聞」には連日のように掲載されている。

 18日の高校野球は準決勝、決勝前の休養日である。この日は早起きして5時半から庭の梅と柿の剪定に取り組んだ。梅は四、五年前に害虫被害のため、そのうち切り倒すつもりで大枝をほとんど切り落とした。電柱状態の哀れな姿になったが春になるとけなげに花を咲かせる。切り倒さずにここまできたが、自らの力でもとの姿に戻りそうな気配である。垂直に伸びる柿の木の枝を切り落しているとき、5個ほど実が付いた枝まで切ってしまった。(写真は23日の処暑の観察会にて、順にオミナエシ、ヌスビトハギ、コナラ、ルツボ)

 

  

 4年に一度の女子ワールドカップが今年はカナダで開催された。決勝戦は4年前と同じアメリカと日本の組み合わせとなった。つい先日のことになるが、その試合を当時日本にいた孫たちと一緒に録画を再生しながら観戦した。我家ではどちらが勝ってもよいという状況になっていたが、予想外の5-2の大差でアメリカの勝利に終わった。孫たちに門扉の前のプランターに咲くなでしこをこれがそうだよと教えた。枯れたとおもうとまた咲きだす非常に強い植物だ。

  つい先日なでしこジャパンの佐々木則夫監督の「なでしこ力(ぢから) 次へ」を読んだ。2011年のドイツ大会優勝以後の12年に出版されている。優勝までの道のりや選手との交流もいいが、監督の生い立ちなど個人的なことがらも書かれていて興味深い。小学校1年まで山形の尾花沢で暮らす。埼玉、東京と転校をくりかえし、東北訛りを笑われたりするが「かけっこで勝負」して勝つことで徐々にクラスに溶け込む。監督は多忙になった今も、事あるごとに尾花沢を訪れて同級生と旧交をあたためているようだ。私はまだ尾花沢を訪れたことはない。これから訪ねてみたい場所の一つになった。また監督は26歳の時に妻を病気で失いかけ、生死を彷徨った妻からかけがえのないことを学んだという。

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アトランタ‥‥レノックス発

2015年08月19日 | アトランタ便り

 一年ぶりにブログに向かっている。この間ブロバイダーがグーグルに変わった。然も普段使い慣れているPCとは異なり、PC事情はかなり悪い。というのも、アトランタの娘宅から発信しているからだ。当の娘すらもPCのご機嫌を伺いながら使っている。何とかして欲しいのだけど、大方はアイフォンで間にあってるらしい。そんな訳で途中から改行されたり、とんでもない所に文字が入り込んだり、突然消えてしまったり。従って私の忍耐がどこまで持つかとんと分からない。加えて写真挿入‥‥これはとんでもない相談だ。

 実は昨日時間を持て余し、ソウダ‥‥‥ブログでも書いてみるかとPCに向かった。所が改行したら途端にその段落全てがぶっ飛んだ。数回繰り返してみたが結果は同じ。そこでエイとばかりかなり勝手の違う街並へ散歩に出た。30分近くかかる道すがら、広い土地を天幕で囲い中では何台もの作業車が唸っていた。物好きな私は、建物に関する設計や価格に興味があり傍らでそんな物件に遭遇すると決まって立ち寄った。昨年廃屋同然だった建物がそのまま残っていたり、大改修中であった立派な家屋が、今回も再度セールの立札が点てられ再度改修中であった。ということは再度売りにかけられた?

 10時に家を出て16時に帰宅した。途中喫茶店や、なだらかな傾斜のある木立の下で何度か休息を取った。昨年はよく歩き、迷子になって遭遇した警官に電話を頼み帰宅途中の娘に拾って貰った。娘は私に事アラバ即電話する様にと心配してくれる。当地での私のモットーは娘に余分な負担を掛けない事だ。昨年に比し方向感覚はかなりシッカリしてきた。直進、右折、左折とその度に方角や高層ビルの位置関係を確認した。昨年歩いた場所や、車で通り抜けた道、迷子になった所、新しく建築されたビルやマンション等々。そして今年のハプニングは、とある立ち寄った軽食店でトイレに閉じ込められたのでした。

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*ある日のイチロー

2015年08月17日 | 捨て猫の独り言

 8月9日は立秋のオープンギャラリーの観察会に久しぶりに参加した。6月7日の芒種のときは、始まりのミィーティングに参加しパンフだけを手に入れて、その後の散策には参加しなかった。たしかその日は孫を連れて、「グリーンロード21㎞」にあるあじさい公園とふるさと村に出かけたのだった。これまで「孫守」を理由に観察会を立て続けに欠席してきた。私は欠席していた「夏至」「小暑」「大署」のパンフをかき集め、今回の「立秋」とあわせて手に入れた。

 娘の家族がノースカロライナ州から南のジョージア州のアトランタに移り住んで5年になる。私は6年前に妻とノースカロライナ州のローリ・ダラムを訪ねたが、これが私の最初でしかも唯一のアメリカ旅行である。6年前といえば玉川上水オープンギャラリーが開設した年でもある。孫の6月から7月にかけての小学校短期留学は今年で3回目だ。妻はそのつど孫をアトランタに送り届けて、そのまま一カ月ほど滞在するようになった。(写真は立秋の観察会にて、下段クヌギ、ミズキ、クサギ)

 

 

 アトランタは福岡市とほぼ同緯度にあり、両市は姉妹都市を締結して交流がある。アトランタにはコカコーラ、デルタ航空、CNNなど多数の大企業が本社を置いている。北米の四大プロスポーツといえば野球、フットボール、バスケット、ホッケーだが、これらどの4つのリーグにもアトランタを本拠地とするチームが存在する。野球のアトランタ・ブレーブスはメジャーリーグ最古のチームで発足当時はボストンに本拠地を置き、チーム名もボストン・レッドストッキングスだったということを知る。アトランタに移転したのは1966年という。

 甲子園の高校野球の開会式が行われているちょうどその時に、娘と妻はアトランタ・ブレーブスのスタジアムであるターナーフィルドでマーリンズのイチロー選手のプレーを観戦していた。ビジターのイチローは6番ライトで先発出場して2安打2四球1得点の活躍だった。私もその試合はパソコンでリアルタイムで追跡した。つぎの週末は二人してフットボールの観戦だという。チア経験のある娘は、アトランタ・ファルコンズでは日本人初のチアリーダーとなる「大石理恵」さんに注目と伝えてきた。NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)で活躍する日本人チアリーダーは数多いという。

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*台湾総統選

2015年08月10日 | 台湾のこと

 月22日に92歳になる李登輝元総統が国会内で講演した。李登輝はその地位によって政治主張が目まぐるしく変化して、駆け引き上手な現実主義者というイメージが強い。今回の講演は超党派の国会議員の呼びかけで実現し、与野党の国会議員約290人が出席した。安保法案について「日本が主体的に安全保障について意識を持つことがアジア全体の平和につながる」と支持する考えを示した。馬英九政権については「中国との経済協定を密室協議で強引に結んでいる」と批判。そのうえで「総統の権力が大きくなり過ぎ、制限を受けるべきだ」と述べ、政治改革の必要性を強調した。

 毎日新聞の先月26日の社説は「近隣の変化に目配りを」と題して台湾総統選を取り上げていた。与党の国民党は朱立倫・新北市長ら有力候補が立候補を見送り、女性の洪秀柱・立法院副院長(67)が公認候補に選ばれた。野党の民進党は4年前の総統選にも立候補した、女性の蔡英文・党主席(58)の出馬がすでに決まっていた。いずれにせよ台湾初の女性総統の誕生が確実になった。(高雄市の六合夜市にて・2015年4月)

 

 台湾は中国と経済的な結びつきを強めてはいるが、安全保障では米国を頼っている。政権奪還が濃厚な民進党の課題は対中政策だ。現在の馬政権は「一つの中国」を認めるが、その内容は独自に解釈するという「1992年合意」を基に中国との交流を進めてきた。しかし、台湾独立綱領を持つ民進党はこの合意を認めていない。蔡氏は6月に訪米した際「現状維持」の立場で中台関係の安定化を目指す方針を表明している。

 中国との統一を目指す国民党政権は、台湾人意識を無理やり消そうとしている。それらに反発した若者の行動が、去年春のヒマワリ学生運動だ。この夏は高校歴史の学習指導要領改訂により教科書の内容が中国寄りになるとして高校生らが撤回を要求して教育部に座り込んだ。改定の内容とは、17世紀に清朝と戦った鄭成功一族による台湾統治を「鄭氏統治時期」という表現を、明朝とのつながりを示す「明鄭統治時期」に変更とある。ほかにも「日治(日本の統治)」という用語を「日拠(日本の非合法な占拠)」へ変更などがあるという。

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*一万キロメートル

2015年08月03日 | 捨て猫の独り言

 二人の孫は近所の年下の男の子たちとよく遊んだ。暗くなるのを待って夕食後に男の子の男親が付き添ってクワガタやカブトムシを捕りに出かけた。これも玉川上水の恵みの一つである。甘酸っぱい香りの樹液が出ている樹を子供たちは「蜜の樹」と呼んでいた。近所の遊び友だちとのお別れの行事となった庭先での花火会や、レストランでのランチ会に私は参加したことがない。

 これは孫たちの祖母の提案で始まったことだが、夕食が終わると二人は競って日記を書くようになった。ひらがなに今年覚えたカタカナが混じることがある。毎日それを担任の先生に提出してコメントをいただくようにした。担任の先生の協力のおかげで日記を書くことに意欲的だった。日本の子供たちの漢字の宿題に相当するものだ。アトランタに帰る日が近づくと、日記帳のほかに写真や手紙の整理をした。帰りを待つ母親に見せるためだ。

 

 二人は時おり大声を出して取っ組み合いの容赦のない喧嘩をする。爪をたてて薄く出血したりする。妹があるいは両方が泣きじゃくることで終息する。その喧嘩にこちらも逆上して大声を張り上げたりすると自己嫌悪に陥る。しばらくすると怒鳴り合いは忘れ去られ、二人はなにごともなかったかのような顔をしている。この喧嘩ゲームにつ付き合わされた時に私は激しく消耗してしまう。

 日本での学習を終えた二人を迎える母親の、子供たちへの対応に私は不満を持っていた。「アトランタに戻ったあと二人の日本語学習に対して、何の手当てもしてない」と。ところが最近になって娘につぎのように告げられて反省した。「孫と日本語で会話ができるだけでも幸せなことじゃない」かと。そこで今年は空港での別れの時に「日本に来てくれてありがとう」と二人に言った。羽田からロサンゼルスまで10時間、乗り換えに3時間、ロサンゼルスからアトランタまで4時間、飛行距離は一万キロメートルである。

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