玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*手帳

2012年01月30日 | 捨て猫の独り言

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 かなり昔のことだが日記をつける習慣が途絶えて、しばらく後にそれまでの日記帳はすべて処分した。備忘録としては手のひらサイズの手帳を愛用している。1995年から使い始めているから18冊も溜まったが、なぜかこれは処分されずに残っている。手帳には個人の感傷的な記述はあるはずもなく、淡々と事実のみが残されているから、あわてて処分する必要もない。私には手帳の月間予定表以外の大部分は自由ページである。そこには腑に落ちた他者の言葉や、気に入った和歌や、最近では囲碁の格言などをメモしている。

 ごく最近のことだが読売歌壇につぎの歌が載った。「新旧の手帳しばらく同居させつまづかぬよう今年をひらく(山口市・岡田貞義)」この歌への俵万智の選評はつぎの通りである。「今年の三月の予定などが、すでに書かれている去年の手帳。二冊の手帳の移行時期の感じが、とてもよく出ている。手帳と重ね合わせつつ、去年から今年へのスムーズなバトンタッチを願う気持。それも伝わってくる」私が愛用している手帳は日本能率協会の「能率手帳」という。別冊の「アドレス」帳はポケットとバンドで本体に固定することができるからそのつど取り外して、つぎつぎにもち越すことができる。

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 この手帳は無料で手に入る。私のかつての勤務先では、毎年近畿日本ツーリストによる手帳の献上があった。職場の机の上に積まれた手帳は自由に持ち帰ることができた。それが私の愛用しているこの手帳である。表と裏の表紙の裏にはこの会社の全国のサービスネットと個々の支店名が入る特注品である。退職してからは、ついでの折に立川の支店に立ち寄って手に入れている。最近になって本屋さんに並んでいるこの手帳の価格が920円であることを知った。ツーリストにとってはかなり高くつく投資ではなかろうか。

 私は「アドレス」帳の最初の4ページを使って自己史年表を作っている。年表はスペースの関係で1970~1990と1991~2010までの2つに分かれる。左端に西暦、元号、自己年齢がありその右に旅行、入院等の記録、世界史的事件、物故者名などが書き込まれることになる。1970年は私が上京した年で三島事件があった。そして2010年は私が完全退職した年である。日本の内閣では93年の細川内閣だけ記入がある。異例だが95年野茂、01年イチロー、03年松井秀喜のメジャー入りを書き込んでいる。年表の最後に2行の空きがあり偶然今年までは書き込むことができる。つぎのページはアドレス帳として埋まっているから、「アドレス」帳をリニューアルして年表を続けるべきか思案中だ。(写真は日展会場にて)

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その後どうしてるの?

2012年01月26日 | ねったぼのつぶやき

 お年玉付き年賀状の抽選会も終わり、紙上にある番号と一応照合する。例年切手シートの2~3枚は当たったが今年はゼロ。しかし賀状交換がキッカケで、かって私の上と下に位置していた3人と近日昼食をすることになった。3年振り位だろうか。

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 上司だった方は自分自身が外科手術(股関節)を受けすっかり回復されていると聞く。ケースワーカー上がりの事務長だった彼は、人情にも厚く、私が手術を受けた際も、リハビリと思って早く仕事に復帰せよとハッパを掛けて下さった。又大変な努力家でもあり、常に医学書を傍らに置いて、医学の知識習得を怠らなかった。その彼が医者の勧める精密検査受けようとされなかったのは、「もしやガン?」と恐れての事だったか。

 今や病院の統廃合は日常茶飯事となったが、元部下だったも一方もその波をモロに浴びた。未だ現役中であるが、当病院の経営不振~困難~廃業の危機~遂には一時廃院後、転売された。決して弱音を吐かない人で、何度か電話で相談を受けたというか、聞き役に回ったことがあった。彼女の率いるチームはそっくりそのまま他院に併合された。加えて両親の介護・夫の病との格闘をかかえてもいた。子供の教育もそろそろ終わる頃だろうか。しばらく音信を交わしていないけれど、明るく快活にお喋りする彼女の話を久しぶりに聞きたいと思う。(日本最古の総合大学足利学校の前庭)

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*大寒

2012年01月23日 | 玉川上水の四季

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 昨日の日曜日の朝は雨模様のお天気だった。それで「大寒の玉川上水ミニ観察会」は実施されないと私は予測していた。ところが天気予報がはずれて雨は早めに上がった。前回の小寒の観察会は、自宅にいながら他のことに夢中になっていて、うっかり欠席した。そのことを残念に思う気持ちもあってなにやら落ち着かない。2回連続の欠席は避けたい。定刻の10時を少し過ぎたことに気付いた私はやりかけていたことをあわてて中断しギャラリーに駆けつけた。はたして中止なのか実施なのか気がもめた。

 いつもより少ない人影が見えて、鈴木さんが展示写真について解説する大きな声が聞こえてきた。諦めずに駈けつけてよかった。雨が落ちてきそうもないので散策を実施することになったようだ。決行するかどうかは成り行きまかせといえども、必ず顔を出さねばならない主催者側のご苦労を私は思った。こんなとき鈴木さんはこれは私の道楽ですと豪快に笑いとばすのが常である。 この日はまず近くの畑地にあるソシンロウバイの芳香を楽しんだ。次なるテーマは、すっかり葉を落とした木々の形を真近からでなく遠景として観察することだった。

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 公園内のメタセコイア、イチョウの並木はどの木も直線的に天空に伸びている。緑道のクヌギ、イヌシデの大木は複雑に入り組み堂々とした枝ぶりである。導かれてしみじみ眺めると不思議と印象深い景色として感受される。この時期は木々がまるはだかだから容易に野鳥たちの姿を発見することができる。高いところに役割を終えたカラスの巣が見える。この日は散策の途中で鈴木さんが私に個人的に声をかけてきた。昨夜鈴木さんが打ったうどんがあるから散策の後で鈴木さんの家に立ち寄れという。なんと特別なご招待である。

 この日重大な誤解をしていたことの一つが判明した。観察会にいつも参加している女性を私はスタッフの一人であり、鈴木さんの奥さんでもあると誤解していたのである。あの女性は鈴木さんの奥さんではなかった。まさか鈴木さんは私の思い違いに気付いてそれとなく私を本当の奥さんに会わせることにしたのではあるまい。私は喜んで鈴木さん宅にお供をし、まず別棟にある仕事場の「花のアトリエ」を見学した。2週間に一度の展示作品や、パンフレット作成のための印刷作業がここで行われる。しばらくして母屋に案内された。居間の炬燵から小鳥たちが飛来する餌台が窓ガラス越しによく見える。この庭で生まれた小鳥もいるというから楽しい。きさくで柔和な奥さんの煮ものを肴に熱燗をいただき、仕上げはざるうどんという贅沢な日曜の午後を過ごさせていただいた。(写真は日展会場にて)

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最近遭遇したひとこま

2012年01月19日 | ねったぼのつぶやき

 年末年始の休みを終えてディケアーも再開された。中休みとしてはわずか7日間だが、通所の曜日によってそれ以上の休暇となり利用者さんは家庭で過ごされた事になる。近年、お正月といってもとりたててイベントもなく、初詣をするぐらいだが、それでも新たな年として気持ちは切り替わる。

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 高齢になり息子さん宅に呼び寄せられ2年経過した利用者さんがいらした。その方は耳こそ遠いが自立心が強く、電車で買い物に出かけたり、金銭管理も自分でなさっていた。いつも「塗り絵張」を持参し塗り絵を楽しまれていた。その方が休みの間に-5Kg減でゲッソリとなっていた。元々細身の方だが、丸で風貌が変わり鼻や顔がとんがり、体力・気分の落ち込みも激しかった。

 家族とメモや電話を通して事情が判明しつつあるのだが、人として最も大事である「自立心の強さ」が我の強さと結び付き、甘えられない、甘えても良さそうなものをと捻じれてしまったようだ。普段から個室をあてがわれ、食事も洗濯も自己調達だったところ、何かの拍子に(詳細は不明)閉じこもり状態になり、食事の調達もママならず、息子さんの差し入れにも手をつけずだったらしい。ディの中で少しづづ心を解し、通所回数も増やして歩行距離の延長を計っている。介護に関して御家族と認識を共有できる場合は協力しあえるが、一致に至らない場合が多々ありジレンマも多い。

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*天才絵師・若冲

2012年01月16日 | 捨て猫の独り言

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 「ジャクチュウを知ってるだろう」と問われて、「え!ジャクチョウ?」「ちがうちがう、そうか知らないのか」と友人に憐れむような顔をされたのは、去年の秋のことだった。これから友人の案内で訪ねる杉並のお宅には若冲の作品が個人的に所蔵されているから、おそらく見せてもらえるだろうという。期待通り若冲の水墨画の屏風絵が持ち出されてきて部屋いっぱいに並べられた。心して見ていなかったせいで、今ではそれらの絵の細部の記憶は薄れてしまっている。あの時いただいた日本酒のせいでだろうか、いやもともと私は記憶力が驚くほど弱い。

 14日(土)の新聞の番組欄に「伊藤若冲~江戸時代の天才絵師を徹底解明」の文字をたまたま見つけた。作品の秘密を4回に分けて解き明かしていく番組だという。1回が90分という力作だ。昨年の大震災直後の4月にNHKBSプレミアムで4日連続で放送された番組の再放送だという。第1回の「色と光の魔術師・奇跡の黄金」と第2回の「命のクリエーター・超細密画の謎」を続けて見た。3時間もテレビの前に釘付けだ。翌日の15日(日)に第3回「千年先を見つめた絵師・ボーダレスJAKUCHU」と第4回「黒の革命・水墨画の挑戦者」が放送された。思いがけなく2日連続して私は若冲の世界に没頭することになった。

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 高校生用の日本史の資料集を開いてみた。索引にもどこにも「伊藤若冲」の名は見い出せない。これまで私が伊藤若冲を知らなかったとしても仕方ないことよと自らを慰めた。つぎに日本語大辞典を調べると「江戸中期・後期の画家。京都の人。水墨画の奇態なフォルムと装飾画の濃密な色彩が特徴」と簡単であるが記されていた。これまでの若冲評価の在り方を見た思いだった。今回の番組によると、若冲は酒をたしなまず、女性には目もくれず、ひたすら絵を描くことを楽しみにして、絵を通して仏教に帰依するかのような85年の生涯を送った。

 若冲は独学の人であるがゆえに流派の束縛などもなく自由に創作に打ち込んだようだ。いろいろな絵の技法に挑戦し、若冲の技は天才と呼ぶにふさわしい。極彩色の絵から黒一色の墨絵というような広がりをもつ。墨のうすい「にじみ」を利用して輪郭線にする「筋目描き」という技法が番組で紹介されていた。大きな筆一本でとぐろを巻いた蛇を描く大道芸術家が町に現れた子供の頃を思い出した。蛇のうろこが浮き出す技に観客は見入っていた。番組が紹介する若冲の筋目描きの作品は菊および鶏の羽だった。今回運よく番組に出会うことができて若冲について多くのことを知り、若冲の作品を所蔵するあのお宅をもう一度訪ねたいと思うようになった。(写真は日展会場にて)

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如何・米国流近所付合い

2012年01月12日 | アトランタ便り

 新年を迎え半月たとうとしている。年末年始や連休が重なって10日余の休暇に恵まれた。特別の用件もなかった日々は穏やか過ぎて、終いには退屈をかこった程だ。かって出産準備の娘を抱えハラハラの正月もあった。生まれた末孫も4才になって、今やSkypeで上手に日本語を喋る。

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 昨年は訪米出来なかった。新しい街に移り、新たな仕事を得、家や車を買ったというのに。私はこの3年半の内に3回訪れているが、今まではアパート住まいでその度に違う物件だったし、近所付き合いは丸でなかった。家を買うのは一大事だからと吟味に時間をかけたようで、いい所と娘は気に入っており、この夏訪ねることにしている。

 春になったらすぐにも行きたいのだが、夫君が職務上の功績で7月初旬にメキシコ旅行を付与されているという。家族旅行をと念願したのだが、治安上子供同伴は不安らしく、どうせならとベビーシッターをと頼まれたのだ。孫達の日本語が劇的に上達したのは、一昨年夏2・5ケ月我家に滞在し、近所の子供達と遊んだおかげだった。次女の保育園は日本語だが、現地の小学校に通う長女は英語オンリーになる為、これを機に日本での夏休みも考慮したが、米国籍の父親にとって放射能問題は大きいらしい。娘の仕事も繁忙を極めているようで里帰りも見送りとなった。半年後には、2年振りに聞き分けの出来つつある孫達に会い、米国流近所付き合いも目近に見ることになる。「初めての出会う漢字」という、絵(形)~文字が生まれる過程が分かり易い頃合いの本が目にとまり求めた。

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*一日ごとを生きる

2012年01月10日 | 捨て猫の独り言

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 取るに足りないことから思いがけなく落ち込むことがある。若い頃にはよく自己嫌悪に落ち込んだものだ。ところで最近久しぶりにそんな状態に私は落ち込んだ。言葉を失いがちになり、なにかに耐える状態から回復するのに時間を要した。年を重ねてからこの種の状態に落ち込むと回復は遅れるようだ。そして少し普通にもどると昔の流行語が浮んできた。「こまっちゃうな~デイトにさそわれて~」「私ってダメね」「気にしない、気にしない」これらは1970年までの高度経済成長期の流行語だ。あの時代の空気はこんな言葉を口に出すことで、早く立ち直れたような気がする。言葉が出るうちはまだ大丈夫なのである。

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 7日(土)の午後に寒風の中を出かけると近くの道路が黄色のテープで封鎖されていた。この道路への一般車両の進入を規制しているのだ。警戒中の警察官に聞くと「ごらんの通り火事です」という。翌日の地方版の記事で重大な火事だったことを知る。「住宅全焼男女の遺体ー〇〇さん方の2階から〇〇さん(71)と妻(67)とみられる男女2人の遺体が発見された。小平署が出火原因を調べている」事故死した方はまさしく私と同年代である。記事を読んだ後に早朝散歩に出かけた。パトカーと消防車が1台ずつ停車していたので現場はすぐにわかった。現場維持のため寒空の中を徹夜で警戒していたのだ。

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 成人式のインタビューで「一日一日を大切にして生きたい」と答えている若者がいた。最近落ち込んだ経験をした私にはことさら新鮮に聞こえる。過去も未来もない。新しい気持ちでこの一日を生きると考えるのがいい。とくに落ち込んだときに立ち直るには有効な考えだ。先のインタビューで「さらに一秒一秒を大切にして」とつけ加えていたのは余計なことだ。単位は一日でよい。それ以上切り刻む必要はない。そんなに切り刻んだらまとまったことは何一つできない。一日が終わり安らかに眠れ。睡眠は私が最も安らかである時だ。ひょっとして仏教でいう無の状態とはこのことではないか。そして目覚めるのだ。

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 柿本人麻呂の「ひむがしの野に かぎろひの立つ見えて かえり見すれば 月かたぶきぬ」という宇宙的な広がりを感じさせるこの歌はいい。人麻呂は死んだが歌がいまだに伝わっているのも不思議といえば不思議である。「一日とは何か」と問われたら、この歌のように地球と月と太陽が織りなす周期的な一現象であると私は答えたい。うれしいことにこの三者は私たちが死をむかえるまで確実に私たちの眼前に存在し続け、認識され続ける。 (写真は小平市の小川寺にて)

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*年末の旅

2012年01月03日 | 捨て猫の独り言

 いつも心待ちにしている二十四節気のパンフレット「玉川上水の四季」が中断している。発行者の鈴木忠司さんが12月に入って体調を崩されたためだ。12月中の2冊の大雪(12・7~)と冬至(12・22~)が未発行のままである。パンフレットの発行以外にはギャラリーの展示は続いており、2回のミニ観察会も鈴木さんは姿を見せて私たちの先頭に立ち、これまで通り案内してくれた。鈴木さんは多くを語ろうとしないがかなり変調を来したようだ。早く完全回復されることを願うばかりだ。

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 年末に西宮市を拠点にして「青春18きっぷ」の旅をした。27日は伊勢神宮を初めて訪れた。行きは大阪から天王寺、奈良、加茂の関西本線で、亀山からは参宮線で津、松坂と南下して伊勢市駅に着く。列車は天王寺駅を出て生駒山地と金剛山地の間を流れる大和川沿いに奈良盆地に突入する。まもなく笠置山地の稜線があかね色に染まり陽が昇り始めた。加茂から亀山までは木津川渓谷沿いにたっぷり時間がかかる。帰りは柘植で乗り換えて甲賀、草津を経て昨日も利用した東海道本線で大阪駅に戻る。草津線区間において稜線に陽の入りを眺める。

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 お伊勢さんは想像以上に清々しい場所だった。ともかくバスで20分の内宮(ないくう)を目指す。いわゆる伊勢神宮(内宮)は川向うの小高い森の中だった。大鳥居をくぐって五十鈴川にかかる檜造りの宇治橋を渡る。橋の檜の色の白さまでが神々しく感じられる。橋が水にさらされる部分には欅が使われているという。境内の参道沿いにはいやがうえにも時を感じさせる巨木が立ち並んでいる。二十年ごとに神殿が建て替えられるという。平成25年の遷宮の準備がすでに始まっていた。絶えることなく続けることが権威につながるのだろうか。まいりましたである。門前のおはらい通りとおかげ横丁は人出でにぎわい楽しめる。再びバスに乗り駅の近くの外宮(げくう)も見学した。

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 28日は休養日として西宮の酒蔵通りを散策した。大関、日本盛、白鷹、白鹿などよく知られた酒蔵が集中している。思いがけず西宮えびす神社にたどり着く。昨日すすはらいが行われ、「逆さ門松」の取り付け作業があったという。29日は高松の栗林公園を訪ねる。岡山から瀬戸大橋を渡り大阪から高松までは普通列車で片道3時間半である。駅前の中央通りから兵庫町商店街のアーケードを左に入ってすぐの「うどん市場」はおすすめだ。安くておいしい。腹ごしらえをしてそのまま中央通りを30分も南に行くとそこは栗林公園の東門だ。名とは裏腹に栗の木はほとんど見かけない。紫雲山を背景に園内には隆々たる松の木が数多く存在する。(最後の写真は逆さ門松)

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