玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*止水のお知らせ

2013年08月31日 | 捨て猫の独り言

 朝晩は秋の気配だがいつものように日中の猛烈な暑さが戻ってきた。庭の柿の木は上に伸びないように芯を止めてある。枝は横へ横へと伸びるしかない。この時期になるとかなりの数の細い枝が空に向かって垂直に伸びて目立つようになる。なんとも妙な枝仕立てだとためらいつつ、垂直に伸びた枝を切り落とすのが毎年の仕事だ。今年は青い実をつけた枝を誤って切りおとしてしまうほど多くの実をつけている。ニガウリの収穫は終息を迎えつつある。こちらは柿と異なり葉の繁りもまばらで収穫も少なかった。雲南百薬の育ちは順調で長期にわたり収穫できている。

 単身生活の楽しみの一つに食料品の在庫一掃があった。一カ月では乾物を含めてきれいさっぱりとはいかない。冷凍食品の中では魚の干物はおいしく食べられた。どこからか送られてきていた大量のタマネギとジャガイモがあった。ポテトサラダは1回、肉じゃがは10日おいて2回調理して何日もかけて食べ終えた。かぼちゃがまるまる1個あった。鉄板焼きなどで玉ねぎ、ジャガイモ、かぼちゃの在庫を片付けられたことは満足である。ニガウリは油で炒めるチャンプルかサラダにしていただいた。雲南百薬はもっぱら味噌汁の具に用いた。冷蔵庫保存の味噌汁を取りだして具をそのつど放り込んで温める方式である。

 わが家のすぐ近くで絶えることなく流れていた小川の水音が聞こえなくなった。失ってはじめて大切なものに気付く。ほぼ縦横1mの新堀用水が干上がって無残な河床をさらけ出している。多摩川から取りこんでいる水の供給が停止されたのである。冬場に用水に流れこんだ落ち葉の除去作業のために流れを止めることはある。新堀用水は明治3年(1870年)供用開始ということだからおよそ140年ぶりの事件だろうか。玉川上水は都の水道局の管轄で、すぐ傍を並行して流れる新堀用水は小平市の管轄である。今回のことでつぎのような事情説明の札が立てられた。

 「平成25年8月19日(月)に新堀用水(市立上水公園南側付近)の河床に東西およそ百メートルにわたる亀裂が確認されました。現在、関係機関等と原因の究明と対策の検討に努めておりますが、安全確保の観点から新堀用水への流れを停止させていただきます。お問合わせ 小平市役所 水と緑と公園課」とあった。用水は西から東に流れているから亀裂の方向は河床に沿ったものである。わが家から上流にある上水公園を訪れると、公園区域ほとんど閉鎖され、その南側の緑道の一部は通行禁止区間となっている。公園の北側に沿って黄色のテープで迂回路がつくられていた。残念なことに復元までには時間がかかりそうな予感である。

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今年もアタランタ便り

2013年08月28日 | アトランタ便り

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 昨年もそうであったが、長らく休筆していたブログを再開したのはアトランタ滞在中からであった。今年もそうしてみよう。当初の2週間は室内の片付けに精を出し、その後は街の探索をする。郊外に住んでいた昨年は、スッタモンダの末バスと電車を利用して、訪れたレノックスの街であるが、今年はその街中に近いアパートに引っ越したので歩いて探索可能なのだ。といってもビジネス街や駅界隈は歩行者を見かけるが、近隣の歩行者は犬の散歩以外先ず見かけない。犬を連れた人はほぼスマートでいわば犬は人間の健康管理者に見えてくる。

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 3週間強の滞在を終え、帰国まで一週間を残すのみとなり、おとつい辺りからつくり置きの利く料理つくりに励んでいる。なにせ普段の食生活が偲ばれるのだが鍋、釜、ボール、ザルの数が限られエイヤッツと一気に物事が進まないときている。離婚して一年。子供の学校を第一にと街中に引っ越した一LDKの住まい。冷蔵庫、レンジ(ガス、電子)、洗濯機、乾燥機、空調付きで10万円は超えるらしいからそうそう物も増やせない。第一私には必要でも、彼女らに無用の長物なのだから。私が暮らしたアパートだけでもココが4軒目。更にはもう一軒のアパートと自宅購入(元夫居住)という時期もあった。米国生活6年目にしてこうだから、この先どうなること。。ヤラ。

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 今回教育的配慮から引っ越したのだが、8月7日から新学期がスタートした。流石にいい学校と娘は大いに気に入っており何よりだ。親に対するオリエンテーションはいつも夕刻からで、私も2回参加した。勿論話を聞くためではなく、学校の様子や、先生方の紹介(教育関係の大学院卒業者も多数)や、実際の教室、学童保育室を見学したり、学校や父兄の様子、雰囲気を知るためである。そして何より驚いたのは、特に、プレスク-ルと言い年長さんから地区の小学校に通うのだが、そのクラス担任は、印刷物は言うに及ばす、子供たちの学習や遊びの様子をメールで配信しているのだ。印刷物も多く親は目通しを免れない。一ヶ月を超えて滞在すると多少の諍いも生ずる。ナンダカンダあっても必死に頑張っている娘はケロリとのたまう。「来年は2人よ。よろしくネッ」

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*詩人・まどみちお

2013年08月23日 | 捨て猫の独り言

 「まどみちお」という詩人の名を私が認識したのはごく最近のことだった。NHKラジオ第2にカルチャーラジオという番組がある。「ポケット詩集を読む」という童話屋編集長の田中和雄の5回にわたる講演の中に「まどみちお」が登場した。そのとき紹介していた詩は「おならはえらい でてきたとき きちんとあいさつする ・・・・せかいじゅうの どこのだれにでも わかることばで・・  えらい まったくえらい」というものだった。

 童謡の「ぞうさん」の作者も「まどみちお」である。作者の解釈を知って私はしばらく考えさせられた。「ぞうの子は鼻が長いねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代わりに一番好きな母さんも長いのよと誇りをもって答えた。私が思いをこめたのは、目の色が違うから肌の色が違うからすばらしい。違うから仲良くしようねということです」

 「まどみちお」さんは1909年のお生まれだから今年で104歳である。地球上のあらゆる存在に敬意をはらってきた詩人である。そんなまどさんの詩を皇后美智子さんが選び英訳したものが1990年代に出版されていたことを私は知らなかった。今年になって新たにまどさんの詩を美智子さんが選び英訳した詩集が2冊同時刊行された。私はそれらを偶然にも図書館の新刊コーナーで見つけて手に取った。それは「にじ」と「けしゴム」という表題の2冊の詩集である。

 私は孫に「eraser」という単語を教わったばかりだった。表題になった「けしゴム」という詩はあっけないほど短い。「じぶんで じぶんを けしたのか いまさっきまで あったのに」美智子さんの英訳はつぎの通りだ。「Have I erased Myself  Funny,I was here Only a minute ago」もう一つの「にじ」という詩は「にじ にじ にじ ママ あの ちょうど したに すわって あかちゃんに おっぱいあげて」である。

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*8月中旬

2013年08月15日 | 捨て猫の独り言

 2個の眼鏡を使い分けている。そのうち遠近両用の眼鏡は疲れやすくて困っていた。2月に目の手術して視力が安定するまで新しい眼鏡の購入は禁じられていた。なんだかんだでのびのびになり最近やっと買い替えた。1年半ほど前に購入した読書用の老眼鏡はそのまま使う。読書は読書でも碁に偏った狭い範囲の読書である。新しい眼鏡で甲子園のテレビ中継がよく見えるようになった。

 久しぶりに日曜日のオープンギャラリーの観察会に出席した。連日の猛暑で参加者は総勢7名と少ない。猛暑の中を陽あたりのよい南側の右岸を下流に向かう。野草保護観察ゾーンにはキツネノカミソリやワレモコウの姿が見える。鈴木さんは玉川上水に多様な植物を持ち込むべく、挿し木をしたり種をまいたりとひそかに奮闘している。最近ではツルボや蝶の食草であるウマノスズクサを増やしているところだ。

 この日のテーマは「チョッキリ」と「カラムシのゆりかご」だった。8月ごろに青いドングリが落ちている。しかも葉っぱが何枚かついている。チョッキリという虫がドングリの帽子部分に穴をあけ卵を産み付け、口で枝を切り落としているのだという。その切り口は鋭い。コナラやクヌギは高木だから高い木の上の作業を目撃することは難しい。まだ小さなドングリの木を見つけてチョッキリを探してみようという。雑草にしか見えないカラムシはアカタテハなどの蝶の食草である。カラムシの葉をまるめこんだゆりかごの中で幼虫が育つ。どちらも教えてもらわないと気付かない。

 しっかり水分補給をしながらの散策だったが終わったあとで暑さによるダメージを感じた。最近では就寝時には氷枕と扇風機でしのいでいる。今日はアニメ映画「風立ちぬ」を観に立川に出かけた。電車か自転車のどちらにするか迷ったが炎天下を自転車で行くことにした。夏休みということもあって平日にもかかわらず大勢の人がつめかけていた。宮崎駿監督はインタビューで「自分の今いる場所で、可能な限り誠実に、力いっぱい生きるしかない」と映画のテーマについて語っている。関東大震災の場面の迫力ある描写が私の記憶に残っている。大地が波打って表現されている。この映画は孫娘と一緒に予告編を見た瞬間に見ることを決めていた。

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*ヒトリシズカ

2013年08月07日 | 捨て猫の独り言

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 二人は機内食は食べる気にならないということで空港のコンビニでおにぎりなどを調達していた。この二カ月あまりはすべて孫娘が中心の生活だった。期間限定だから頑張ることができた。孫は来てよし帰ってよしである。安堵の気持ちが別れの気持ちに勝っていたのだろう、空港での別れの時に少しの感傷も湧かなかった。どの人の親もそうなのだろうが子育て時代は大きな流れに流されるままに無我夢中で生活して、あっという間に過ぎ去る。自分の昔のことが思い出された。別れの翌日から私は少しづつ家の内外の片付けを始めた。

 帰国してから少し経ってスカイプが来た。まわりの人達にお姉さんになって帰ってきたねと言われているそうだ。それはそうだろうと私は思う。2才違いの妹と一緒にスカイプの画面に登場した。孫娘は晴れやかな顔をしている。瞬時におたがいの気持ちは通じる。そして面映ゆいのかすぐに画面から姿を消した。この7日から向こうの学校の新学期が始まるそうだ。この期間中に孫娘と毎朝一緒に登校してくれた近所の6年生のS君の協力は大きかった。通い続けることができたのも彼の存在があったればこそだろう。まわりもおおっぴらに二人のことを盛りたてるようにしていた。

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 孫娘の帰国の翌日に私は畑のキュウリを引き抜いた。庭に放置されたままの水遊びのたらいの中のプラスチック容器などはゴミとして出した。2階の物置には自転車と傘とゴム長靴を保管した。これらは一年後に使われるかどうかわからない。虫かごのクワガタはカブトムシを飼っているいる3才の男の子に引きとってもらった。はびこった庭の雑草を目立たないようにした。一人になって5日ほどはそんなことで過ごした。昨日は緑のカーテンからニガウリを収穫して塩もみにした。これからは収穫に追い立てられる。乾燥させて保存しニガウリの味噌漬けとか佃煮とかの工夫をする必要がある。

 自分の食事は自分で手当てせねばならない状況に追い込まれたときに湧き起こる欲求がある。それは冷蔵庫を空っぽにしたいという欲求だ。空っぽにできたらさぞ気分がよいだろうと思う。冷凍庫のカレー、餃子、魚の干物がおもなものだ。なぜか私の場合は一人の時の方が外食する機会は減る傾向にある。まるでたてこもり状態を楽しむ気分だ。新聞の配達を8月だけ中止にした。朝のラジオ体操、昼の憩い、高校講座とテレビを消してラジオを聞く。石倉昇著の「囲碁の教科書」シリーズで囲碁の勉強を再開した。プロの打ち碁を鑑賞するのも有力な勉強法の一つだ。囲碁名人戦の挑戦者に大逆転で井山祐太5冠が決まった。9月からの山下名人との七番勝負は見ものだ。明日からは甲子園の高校野球も始まる。近所のS君がときどき算数の問題の質問に来るようになった。(上の写真は給食当番の衣服)

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*よくぞ二ヶ月以上も

2013年08月01日 | 捨て猫の独り言

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 キュウリとトマトの収穫は孫娘の朝一番の楽しみだった。これらの収穫は孫娘の帰国に合わせたかのように終息に向かった。一方でニガウリはやっと収穫期に入り帰国までに孫娘は3個のニガウリを収穫した。軽く塩もみしたニガウリどツナとハンペンのサラダを出すとツナだけをひろって食べた。ところでニガウリの葉の繁り具合は例年に比べて勢いがないような気がする。8月になって私は、あちこちに実をつけ始めたニガウリと茂みの中のミョウガを無駄なく収穫することを心がけねばならない。

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 長野に2泊3日して3時頃に帰宅した日の夕方は、小学校の校庭で「納涼祭」が開かれた。市内の19の小学校にはそれぞれ青少年対策委員会が設置され、教育委員会からの補助金で活動している。小学校の保護者が主体だがその活動にどのような地域格差が生じているかは知る人ぞ知るである。2本のヒマラヤスギに挟まれた校庭の中央にはやぐらが組まれて、小平音頭や新小平音頭が流れた。それを焼き鳥、糧うどん、団子、ジュース、ビールなどの店がぐるりと囲む。孫娘は洗濯したての女性甚平を着て少し照れ気味だ。祭の途中に空が不気味な黒色に変わり冷たい風が吹き会場がざわめき始めた。恐ろしいほど強くそして冷たい風にあおられながら、ものすごい雷雨の直前に家の中に飛び込んだ。

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 小平市はブルーべりの栽培が盛んである。商工会主催の「第一小学校ブルーベリー摘み取り体験」に応募して参加できることになった。10数名の児童が参加して保護者が付き添う。雷雨に見舞われた祭の翌日の午前7時に学校に集合して10分ほど歩いて農園に着いた。農園までは舗装のない農家の庭先の細い道だけを通った。小平市にはやさしい水音をたてて流れる用水や迷路のような昔ながらの細い道が残っている。昨日の雨にぬれた枝に触れて孫娘と私の着衣はびしょ濡れだ。それぞれが収穫した小さな実は一か所に集められた。参加者には帰りにおにぎりとビニール袋に入った少しばかりのブルーべりーが配られた。これが労働に対する対価だった。

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 帰国前々日には子供のいる2家族を招いて保護者は女性だけのランチ会をレストランで開いた。そして夜はこの夏初めて家の前の道路でちびっこを中心に花火を楽しんだ。帰国の当日に孫娘は空港へ出発する時間までという約束でブルーベリー摘みに誘われて出かけた。前回と違って今回は収穫した重さに応じて料金を支払うシステムだった。ところで孫娘は何かにつけて早く片付けたい性分だ。猛烈なスピードでブルーべりーを収穫し破格の金額に達したという。付き添い者はどんなにはらはらしたことだろう。ともあれ大きなけがもなく、発熱で伏せることもなく無事に体験入学は終わった。日本語の学習はこれからカタカナ、漢字と進んでゆく。本人はその困難さをうすうす察知しているふしがある。一年生というタイミングが今回成功の要因だったようだ。7月31日16:20発のエア・カナダで成田から婆と一緒に帰国した。よくぞ2ヶ月以上も親元を離れて暮らしたと思う。

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