玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*二つの花見

2018年03月29日 | 捨て猫の独り言

 目にするのはソメイヨシノが多いが、最近は桜を見ても、かつてように心が動かない。なぜだか自分でも分からない。それでも、日をおいて二回の花見をすることになった。どちらも初めての場所だった。一回目は新宿御苑の予定を変更して神田川の桜見物だった。

 

 高田馬場駅を降りて近くを流れる神田川に出る。しばらく行くと都電荒川線が、ほぼ直角に曲がる高戸橋に出た。ここから面影橋あたり、桜が覆う川の両岸を見物の人たちが行き交う。下流は江戸川橋、飯田橋だが、その途中にある椿山荘辺りで花見を終えて、早稲田大に近い夏目坂、そして文化センター通りを新宿駅まで歩いた。

 この日は親族の宴席が世田谷であり、そこで私はカメラを忘れた。長男が世田谷の自宅から小平の我家まで、野川沿いを歩いて来たことがあった。それを思い出し、翌々日、忘れ物を取りに野川沿いを自転車で行くことにした。サイクリングロードが整備され片道100分だった。河川敷には花見の家族連れなどがいる。思いがけない野川の桜見物となる。

 

 武蔵野台地には2種類の発達した河岸段丘が見られる。JR中央線が走る高位面を武蔵野面、甲州街道が走る低位面を立川面と呼ぶ。武蔵段丘と立川段丘は国分寺崖線によって分けられる。国分寺崖線の湧水を集めて流れるのが野川である。神田川も武蔵野台地東部の湧水である。武蔵野台地の成り立ちに思いを馳せる花見になった。

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*小平の用水路

2018年03月26日 | 捨て猫の独り言

 通りかかった中央公民館のギャラリーで写真展「小平遺産ー用水路」が開かれていた。会場で手に入れたパンフレットを持ち帰って開いてみた。「こだいら 水と緑の会」の発行である。この会では市内の小学校4年生に出前授業をしており、その時に配布されるパンフレット「小平の用水路」だった。その内容に興味を持った。

 

 360年ほど前の玉川上水完成から2年後、狭山丘陵の麓の村の小川九郎兵衛が上水から水を引くことを願い出て小川用水ができた。江戸城の漆喰に必要な石灰を運ぶために整備されたのが青梅街道である。小川用水はその街道沿いに南と北と二つ流れていた。移住してきた人々により小川村が誕生する。小平市の始まりだ。

 現在でも小平市には江戸時代の用水が残る。それらは出来た順に田無用水、野中用水、鈴木用水、大沼田用水である。水と緑の会では小平市の用水路を「せせらぎ」として復活・保全を目指すという。幸いにも小平市の行政は用水路の保全に前向きだ 小平市内を縦横に走る用水路は全長で55kmあり、特筆すべきは多摩川の自然水ということだ。

 明治3年にできた新堀用水が最も新しい。今では想像するのも難しいが明治3年から2年間だけ玉川上水では物資を運ぶ通船事業が行われたという。そこで各用水の取水口は通船に邪魔ということで新堀用水に一本化された。家の近くにある新堀用水が、他の用水と異なり玉川上水のすぐ横を並行して流れている理由を今回はじめて理解できた。

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*ネット徘徊

2018年03月19日 | 捨て猫の独り言

 小平霊園までの遠い道のりを歩き、正門近くの事務所でもらった案内図で著名人の墓所をたずねる。村上一郎の番地は21区19側39番とある。この数字をたどれば、いとも簡単にたどり着くことができる。この日は近くにある有吉佐和子と2か所をたずねた。

 

 村上の墓は黒御影に「風」の一文字が刻まれて、他とは少し違う印象を与えている。村上一郎の名はぼんやりと私の記憶に残っているが、これまで書いたものを一度も読んでいない。1975年に武蔵野市の自宅で日本刀で自死したことをネットで知る。享年54。この頃の私の勤務先は武蔵野市だった。

 村上は歌人でもあり、個人誌「無名鬼」を発行していた。「村上一郎著作集(全12巻)」の監修は吉本隆明、金子兜太、桶谷英昭の3人だ。その中の2冊を借りてきて、ところどころ頁をめくった。付録(月報)に「村上さんが眠る多磨霊園にも何度目かの春が来る」と記されている。これは「小平」の誤植、あるいは墓所の引っ越しのどちらかだろう。

 昨年「無名鬼の妻」が出版されたことをネットで知った。村上の妻であった長谷えみ子さん(94歳)からの聞き取りをもとに、えみ子さんと短歌会の同人である山口弘子が書いたという。さらにネットで知ったのだが、長谷えみ子歌集「風に伝えむ」には「思い切り生きてみよとぞ聴く哀し春の墓辺のきみは風にて」があるという。

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*故郷の特産品

2018年03月12日 | 捨て猫の独り言

 「完熟たんかん」が収穫できるのは2月下旬から3月中旬の限られた期間だけだ。今年も故郷の鹿児島から、たんかんが届いた。亜熱帯性柑橘類で産地は中国、台湾、日本では奄美大島や屋久島などである。果肉は柔らかく多汁、甘味に富む。

 故郷から届くもので、奄美の「黒糖焼酎」は私の一番の好物だ。黒砂糖と米麹が主原料で、1回だけ行われる蒸留の際に黒砂糖と米由来の芳醇な風味が加わる。しかし糖分は加えないので、糖分ゼロの辛口焼酎である。

  

 奄美の黒糖焼酎を注文するときは喜界島の朝日酒造の「朝日」か喜界島酒造の「喜界島」に決めている。喜界島はサンゴ礁が隆起してできた平坦な島だ。また喜界島の荒木食品の黒砂糖が、奄美や沖縄の黒砂糖の中では一番だと思う。

 喜界島黒砂糖が2015年に黒砂糖として日本初の「有機JAS(日本農林規格)認定」を受けた。喜界島は地下水に頼っている。命の水を農薬で汚したくない。サトウキビ農家の杉俣さんと朝日酒造の喜禎社長の団体が、黒砂糖、白ゴマ、陸稲の3品種で認定を受けたという。

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*小金井公園の梅

2018年03月08日 | 捨て猫の独り言

 桃の節句に小金井公園に出かけた。ここまで来たら、いつもの「桜の園」のベンチから5分ほど先の「梅林」まで足を延ばさない手はない。後に知ったが、2月の中旬の週末に「梅まつり」があり、野点(のだて)や琴の演奏などがあったという。梅林には28種約100本の梅があるという。

 先月の梅まつりの頃より、今日の方が見頃ではないかと思われた。花梅は3系9性に分類される。トゲ状の小枝が多く原種に近い「野梅系」、枝や幹の内部が紅い「緋梅系」、梅と杏子の雑種の「豊後系」だ。昔のことだが花が白くても枝の髄が紅いからこれは紅梅だと言われて面食らった事があった。

 

 私がその名を覚えたのは野梅系の「月影」だ。緑色のガクで花は青白くまるで緑色の梅みたいだ。一般に月影を見かける機会は少ないと思われるが、幸いなことに私は近くの個人の梅園で毎年「月影」を見ることができる。緋梅系の「紅千鳥」はよく見かける梅ではなかろうか。

  

 「吉野梅郷」は東京都青梅市にある関東でも有数の梅の名所だった。ところが梅の木がウイルスに感染し、2014年にすべての梅の木が伐採された。吉野梅郷には青梅市の「梅の公園」のほか、個人の梅園に25,000本が植えられていたといわれる。多くの人たちが失われた梅林の再生に懸命に取り組んでいることだろう。 

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*親鸞のアニメ映画

2018年03月05日 | 捨て猫の独り言

 古いカセットテープを繰り返し見ている。もう使うこともなくなった奥行きのある重い卓上型のテレビで再生する。30年も前のNHKテレビの囲碁講座「これならわかる定石の活かし方」で講師は石倉昇で聞き手は島田広美だ。当時は録画することに精一杯だった。再びこの録画を見ることが今や囲碁の学習の中心になっている。

 

 親鸞聖人90年の生涯を全6巻に描いたアニメ映画「世界の光・親鸞聖人」の第1巻の上映会が近くの公民館である。ポストにそんなチラシが投げ込まれていた。夏目漱石も驚いた親鸞聖人の肉食妻帯のキャッチコピーが目に入る。好奇心やら気分転換やらで上映会をのぞいてみる気になった。

 初回はうっかり遅刻して上映中に忍び込むことになった。参加者は少なく、DVDを操作する一人の上映スタッフと私を含めて5人ほどだったか。第1巻の上映時間は1時間10分で誕生から29歳までだった。アニメは予想以上に興味深いものがあった。人物の動きはぎこちなく本格アニメの滑らかな動きではないが、解説に用いられている言葉が明解だ。

 布教やDVDの販売などが目的の上映会だろう。アンケートを書いたり、昨年度の月刊誌を一冊もらったりした。その後も公民館を巡りながら行われた第2、3、4巻の上映会に私は参加した。参加者は相変わらず少ない。顔なじみになったスタッフに、私は「アニメの出来に感心して見続けています」と答えた。なぜ生きるかが一大事だという教えだ。

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*武蔵国分寺跡

2018年03月01日 | 捨て猫の独り言

 例年だと秋まきのシュンギクは年内には収穫があり、冬を越して春分の頃には菜の花になっていた。今年は育ちが悪く全く収穫できない。2月には畝を掘り返した。3月早々の春まきで巻き返しを計る。庭の不作は最近の野菜高騰と軌を一にしている。

 2時間ウオークの南のコースを考えた。南へはこれといった快適な緑道がない。家から南に行くとすぐに国分寺市だ。車の通らない細い道を選ぶ。南の折り返し地点は国分寺崖線(通称ハケ)の「お鷹の道」にある「真姿の池」を予測した。新府中街道の建設が国分寺市側では急ピッチで進んでいる。近い将来に小平市でも凄まじい家屋撤去が始まるだろう。

  

 西国分寺駅の近くJR中央線の南に都立武蔵国分寺公園がある。そこの円形広場を斜めに横切って対角にある公園正門を出たところに、電気機器メーカーのリオンがある。ここで私は補聴器を買った。リオンの横の細い道の先は崖になっている。木立の中の石段を下ると、そこが「真姿の池」だ。時計を見ると、もう少し先の武蔵国分寺跡まで行けそうだ。

 

 武蔵国分寺跡は全国の国分寺跡に比べても規模が大きく、古代の東山道沿いの東に僧寺、西に尼寺が配置されていた。僧寺の金堂や講堂の跡地を復元整備中だった。近くには真言宗豊山派の寺院である国分寺がある。その境内ではいろいろな万葉の植物を見学できる。府中街道の向こうにある尼寺跡まで足を伸ばすには、片道1時間の制限を超える。

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