玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*庭石

2023年09月28日 | 捨て猫の独り言

 凄まじい暑さも和らぎ朝晩に冷気を感じるようになった。朝の洗面時には水の冷たさに思わず身震いする。外を歩くと爽やかな風が肌に心地よい。この冷気は、ひと頃の暑さを懐かしく思い出すにつれ、なにかもの寂しい気分にさせられる。季節は行きつ戻りつしながら進むようだ

 この夏、我が家では十数年ぶりに屋根の吹き替えと壁の塗り替えの工事が行われた。足場が組まれ家全体が薄い黒布で覆われた状態が約一月続いた。足場が解体されて建物が蘇ると庭先のあれこれが気になりだす。まずは伸び放題の芝生を刈りこんだ。密集した茗荷の葉を取り払うと彼岸花がひときわ目立つようになった。

 同居人は「松の剪定」に取りかかる。古い葉を手でしごく剪定を「もみあげ」と言う。さらに松全体を小ぶりにしたいと大胆に枝を切り落として行く。要らぬ心配だった。予想以上の見事な出来栄えにほっとする。一方の私は、庭石の小石を並べた部分が貧相でそこを何とかしたいと考えていた。そこで近隣を歩いて手ごろな石を捜した。

  

 そして近くの元仲宿通りの先に私の欲しい石が見つかった。それは道路に面しながらも壁のない無防備な家の敷地内に無造作に積まれていた。通りがかりのものだが石を譲ってもらえないか相談した。偉丈夫な男性が出てきて、ありがたいことにただ同然で譲り受けた。自転車で1個ずつ繰り返し運んだ。ほかの庭石を見ながら我が家の庭師さんは若くして亡くなったことを思い出した。

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*在日韓国人政治犯①

2023年09月25日 | 捨て猫の独り言

 身勝手だが、いつまでも発行され続けることを願いつつ、昨年暮れに週刊金曜日の定期購読を止めた。中央図書館に行けばいつでも手に取って読むことができる。ひさしぶりにバックナンバーを借りてきて読んでみた。「在日韓国人政治犯」という5回連載に出会い、思わず引き込まれて読んだ。「北のスパイ」として有罪判決を受け服役した在日韓国人のことだ。
 
 1970~80年代に韓国の治安・軍機関は祖国に留学した在日韓国人学生らを「北のスパイ」として捕らえ投獄した。その数は数百人にのぼるとみられる。軍事独裁政権に抵抗する民主化運動を押さえ込むために反国家行為としてスパイ罪を持ってくるしかなかった。国内材料が枯渇したため、日本を経由するスパイ、すなわち在日韓国人が狙われた。学生だけでなく実業家などもいて在日は最も捕らえやすい魚とされていた。
 
 1971年の「徐兄弟事件」で兄の徐勝さんの大火傷の法廷写真報道が衝撃と波紋を広げ全国で救援運動が起きた。この写真は私も記憶しているが、当時はその背景を正確には理解していなかった。同じころ朝鮮の機関工作員が日本に侵入して「日本人拉致事件」が頻発する。中学1年生・横田めぐみさんの拉致は1977年11月15日に起きている。南と北のお互いが相手の領域で地下組織を作り工作員を派遣する南北分断の状況が存在した。
 
 2000年代に入って再審裁判が相次ぎ大半が当局による拷問で虚偽の自白をさせられ「捏造」された事件であるとして無罪宣告が続いている。2019年G20大阪サミットで来日した文在寅大統領が在日韓国人の「元良心囚」らに公式謝罪している。日本と異なり朝鮮戦争以後、台湾と韓国はものすごい犠牲を払いながら、民衆が自由と民主主義を獲得するための闘争を行いそして獲得したことを忘れないようにしたい。

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*父とその娘(中)

2023年09月21日 | 捨て猫の独り言

 引用ばかりで恐縮だが「坂本さんの来訪」もおもしろい。

◯父の死後3ヶ月ほどたった夏の初めの頃だったと思う。坂本龍一さんから電話があり「あの~吉本さんのお仏壇にお参りしたいのですが」と言う。坂本さんは80年代には父がいようがいまいがフラッとアポなしでよく我が家を訪れたものだ。坂本さんはお仏壇に手を合わせると、開口一番「あのぅ・・・吉本さんは原発について、どうおっしゃってしたか?」とボソボソと尋ねる。

◯(悪いけど)ちょっと吹き出しそうになった。本当に父親を泣くしたばかりの心細そうな少年の顔をしていた。やっぱり気にしてたんだ。その頃坂本さんは「たかが電気のためになんで命を危険にさらすのか」という発言だけが切り取られ、1人あるきして「電気を使った音楽で食ってるお前が言うな!」的な誹謗中傷にさらされていたのだとおもう。ヨ・・・弱い。

◯「何も特別なことは言ってないと思いますよ」人が”火”を見出してしまったからには、決してそれ以前の生活には戻れない。その扱いについても、後始末についても、代替エネルギーにしろ新エネルギーにしろ、もう人類は永遠に”火”と向き合って考え続けねばならない。「一貫してその考えでしたから」—ってなこと話したと思う。猿でも分かる論理だ。

 

 ◯そして父は、自分たちこそが「絶対善」それ以外の考えは、絶対に「悪」という理念から徒党を組み活動することを最も嫌ったが、それは別に言わなかった。坂本さんは、また1人トボトボと帰って行った。

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*スライドヒンジ

2023年09月18日 | 捨て猫の独り言

 住まいも28年も経つといろいろな不具合が生じる。その中でも我が家の最大なものは暖房器具だ。商品名がクレダというイギリス製の特殊な器具で安価な電力を活用して深夜にレンガに蓄熱し、昼間に放熱するというものだ。それがこの冬を限りに用を足さなくなった。すでに国内での取扱はなく、取り寄せが不可能だという。

 なかなかの優れもので、ほとんどエアコンなしでも過ごせていた。深夜電力料金制度もなくなった。すべてにおいて潮時だが、さて今年の冬はどうするか思案中である。エアコンだけで間に合うかどうか。この異常な夏の暑さで冬のことは後回しだ。そしてクレダを撤去したあとの壁面は熱で変色しており、クレダのあった部屋はすべてクロスを張り替えることになった。

 蝶(チョウ)の番(つがい)の最もシンプルなものは確かにその形状は蝶のようである。蝶番=ちょうつがい=ちょうばん(建築業界)=丁番=ヒンジ(英語)ということを学んだ。いまある備付けの納戸のそれはすべてスライドヒンジだ。形状は蝶でなく尺取虫だ。以前壊れたときに建具屋さんに来てもらったことがある。

  

 今年の初めごろにまたヒンジがこわれた。使用頻度の少ない上部の扉のヒンジを取り外して、壊れた下部に移しかえて凌いだ。いつまでも放置しておくわけにゆかず、壊れたヒンジを持参してホームセンターに相談した。メーカーに問い合わせたところこの商品は代替品を取り寄せることになるという。郵送料こみで4千円はするだろうという。はたして店頭に並んでいる5百円ほどの商品で間に合うかどうか自信はなかった。しかも「全かぶせ」「半かぶせ」「インセット」の3種類があり、いずれであるか分からない。なんと「半」を返品して「全」でめでたく修理は完了した。

 

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*父とその娘(上)

2023年09月14日 | 捨て猫の独り言

 晶文社から「吉本隆明全集」が出版中である。その月報に吉本隆明の長女のハルノ宵子が書いている。初回だけのつもりが毎回書く羽目になったと明かす。はるのよいこは漫画家でエッセイストだ。身内が書くものだけに吉本隆明の体温らしきものが感じられて親近感が湧き、吉本への理解が深まるような気がしてくる。最も新しい第31巻の月報の題は「科学の子」となっている。その一部を紹介したい。

 ●父の本を読んでいるとつくづく理系の文章だと思う。とにかく不親切なのだ。説明をすっ飛ばす。他人も当然周知のこととして話を進める。感覚も理解度も学習レベルも自分と同等とみなしている。人々に説明し広めるのが父の大嫌いな啓蒙というヤツだから、わざと避けていると思われるかもしれないが、違う。天然だ。

 ●原発事故は、周辺の人々は正しく被害者という他ないが、正直東京や首都圏辺りで騒いでいる人たちの気が知れなかった。検査済み福島県産の野菜や魚介類が出回るようになったら率先して買うようにした。しかし誰もが福島県産を敬遠するせいかけっこうモノの鮮度が落ちてしまっている。これには閉口した。こんなささやかな生活の中でも「非科学」は、頑張る生産者を痛みつけたのだ。

 ●かつて「反核異論」を書いた人だから、今回の原発事故についても何か面白いことを言ってくれるんじゃないかと期待した某雑誌のインタビュー依頼を受けた。しかし編集者が「原発をやめたら猿になる」というヒジョ~に煽情的なタイトルをつけてくれた。父の死まで1年を切っていた頃だ。煽情的なタイトルだけに1人歩きした。(右寄りの)当時の都知事にも利用されたりした。ヤレヤレ説明をすっ飛ばすから面倒くさいことになるんだぞ、オヤジ・・・程度の慣れたもんだった。

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*反核をめぐって

2023年09月11日 | 捨て猫の独り言

 詩人の鮎川信夫(1920~1986)と吉本隆明(1924~2012)が1982年に対談している。そこでの鮎川の主な発言を記録することにした。いくらか新たな視点を教えてもらったという気がしている。

●核兵器を作ったということはすでに原罪みたいなものなんだよ。人間が知っちゃったことは核兵器を廃絶したところで知識としては存在し続けるんだよ。そういう点で知識というものを軽く見ているね。

●人類の絶滅っていうことを、すぐ誰でも核戦争の結果として言うけど、それは理論的にはおよそありそうもないことを言ってる。ところが今の反核論は人類絶滅論に立っているでしょ。だけどそれだって本当は分からないでしょ。誰もが疑おうとしないことこそ、みんなが正義だと思い込みがちだね。これだけは間違いないということが一番間違ってることがあるんだよ。

●中世には神様なんていうありもしないものをめぐって論争も裁判も起きている。あの神学論争と同じだと思う。反核運動の御本尊は核なんだね。核爆発の実験よりも本当は運搬手段の実験の方がはるかに重要で危険性も高いはずなんですよ。個人の判断で核戦争をはじめるわけないし、会議したうえで決定し遂行していくわけだが、あまりにも不確定要素が大きく、それが核戦争の抑止力になる。

●日本ではなかなか本当の論争は生まれないね。アーギュメントはあっても、それは自分の立場に執したもので、少しでも相手のいうことを吸収して自分の論理で克服するという、いわばディベートの方をやらない。ディベートには立場にとらわれず、相手を少しでも知って吸収して行くという基本的な態度が根本にある。ところが日本人の社会って依然として情緒だけで動いちゃうね。反核にしても実質的な論争を生まないままファーッと終わっちゃうんじゃないか。

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*核の傘

2023年09月07日 | 捨て猫の独り言

 なぜアメリカは日本に核兵器を使ったか。原爆投下の最大の動機はソ連に対するけん制であるという見方がある。9日未明にソ連が入る。同じ日の11時2分に長崎に原爆が投下される。なんとかしてソ連の対日参戦を頼まずに、日本をほぼアメリカ単独でノックアウトしたと印象づけられるような形で対日戦を終わらせたかった。

 自民党政権は被爆国として非核三原則を打ち出しながら、防衛上、政治上のことを考え原子力の平和利用をやりつつ、ずっと核保有の考えを持ち続けている。核燃料サイクル事業はうまくいってないし、うまくいく見込みもないが、これをやめることができない。

 1967年第二次佐藤内閣時代に外郭団体主催で研究会が開かれた。そこでは核爆弾を作ることは可能だが、日本の核武装は国際的に多大なマイナスで、安全保障上の効果も著しく減退するので、核武装は不可能だと結論づけている。同時期に外務省は核武装ができる能力というのは、絶対に頑張って維持するという文書を出している。

 「非核三原則」と「アメリカの核の傘のもとに入っている」というのは、どう考えても矛盾。そのことを長い間ごまかしてきた。なぜかというと、核を持ったアメリカが実質的には日本を占領、支配し、その核の下で日本は考えないでいいということが続いてきた。このあと日本がアメリカの核の傘を脱して、核廃絶を全世界に表明する日が来ることを私は夢想する。 

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*NHKが悩む日本語

2023年09月04日 | 捨て猫の独り言

 NHKには放送用語班という部署がある。全国の放送現場からひっきりなしに言葉の相談の電話が寄せられる。製作者の意図を電話でしっかり聞いて、一緒に考えるにはメールでなく電話が一番いいという。どのようなことばを使えば多くの人に違和感なく内容を伝えることができるかを検討する。

 それぞれ得意なジャンルをもつメンバーが分担して執筆し「NHKが悩む日本語」という本ができた。ことばは新しく生れたり、ほとんど使われなくなったり常に変化している。回答に悩むときはメンバーのすべての知恵をかき集めて回答する。4コマ漫画あり、クイズありで気楽な読み物になっている。その内容の一端を記す。

  

 まずは私があいまいだった四字熟語のクイズ。多士済々(たしせいせい)、上意下達(じょういかたつ)、同行二人(どうぎょうににん)、老若男女(ろうにゃくなんにょ)。「悲喜こもごも」は一人の人間の心境について用いるのが伝統的語法だ。「合格した人、不合格だった人、悲喜こもごもの光景」は本来のいい方ではない。

 「知れてよかった」はやや舌足らずの感があるがという相談。「知れる」は「名の知れた会社」「たかが知れている」「お里が知れる」のように「自発」を意味し、「可能」を意味するものではなかった。しかし、もともとの自発に加え、若い人たちの間で可能の意味でも使われだした。幅広い年代層への配慮から「知れて」を「知ることができて」と字幕表示することにした。

 

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