玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*復興

2011年10月31日 | 捨て猫の独り言

 土曜の午後に何気なくつけたテレビに、東日本大震災の被災地の子供達に囲まれてギターを抱えている長淵の映像が写し出されていた。長淵は歌うというよりも語りかけることに専念している。小学校低学年の十数名の子供達の中には涙をぬぐっている子もいた。荒っぽいが心のこもった長淵の励ます言葉に感極まったようだ。それはSONGSプレミアムという番組の再放送だった。シンガーソングライターの長淵は1956年の生まれの鹿児島市育ちである。

 番組では場面は変わり「お家へ帰ろう」が熱唱されたのだが、その歌詞に私は衝撃を受けた。久しく忘れていたものが甦る思いがした。「ああ明日の朝、ああ国会議事堂へ行こう、ああしょんべんひっかけて、ああ口笛吹いて、お家へ帰ろう」と繰り返して歌われる。私はこれを契機にネット検索に向かい、これまでの長淵の復興支援の積極的な活動を初めて知ることになった。

 これができるのは長淵しかいないだろうと思われるこたが実現していた。自衛隊の松島基地における隊員激励ライブでは、「会いたかった、皆さんに会いたくてたまらなかった。皆さんは僕の大きな誇りです」という長淵の叫びで始まる。終了後の隊員達は「心が震えました」「最初からヤバかった」などの感想を述べている。つぎに公式サイトでラジオプログラム「長淵剛 RUN FOR TOMORROW」について知った。

 これは4月にスタートして全23回で終了している。主に東北地方のFM局で週一回の55分番組として放送された。全23回と「長淵剛の伝えたかったこと」という追加の3回を公式サイトにアクセスすると聞くことができる。「なぜ怒らない!いつから怒らなくなったんだよ!」と長淵は挑発してくる。この番組を今後ていねいに少しずつ聞いてみようと考えている。過去も未来もない、現在の長淵の思いを私も共有したい。思うことが大切なのだ。自分には何もできないと卑下することもあるまい。

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*日曜朝のラジオ

2011年10月24日 | 捨て猫の独り言

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 台風から一か月が経過しても玉川上水にはまだその傷跡が残っている。落下した枝が放置されそれらは枯れて変色し、頭上注意とテープが張られた個所もまだ散在している。季節が進んで落葉の頃になればそれらも目立たなくなるだろうか。ところで庭の縁石に砕いて置いたマテバシイの実を小鳥たちは食べた形跡がない。低い場所が駄目ならば餌台を作ることを考えねばならない。また柿の木の葉は残り少なくなり、小鳥のために残している10個ほどの実が青空を背にはっきり確認できるようになった。

 NHKラジオの「日曜あさいちばん」に5時20分から「季節のいのち」という10分ほどのコーナーがある。日本野鳥の会主席研究員の安西英明氏(1956年生まれ)が担当している。1990年ごろからスタートしたという。このコーナーのことを私が知ったのは数年前のことだ。しかし早い時間帯なのであまり聞くことがなかった。その内容は私が毎回出席している鈴木さんが主催する二十四節気毎の玉川上水ミニ観察会のそれと重なる部分が多い。久しぶりに聞く23日の「季節のいのち」のテーマは「ドングリとサイカチ」だった。

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 スタジオには大きくて丸いクヌギと小さくて細長いコナラのドングリ、および数個の種子が入った長さ25cm程のサイカチの鞘(さや)が持ち込まれたようだ。ドングリが机の上をころがる音、そしてサイカチを振る音が聞こえる。こちらはカシャカシャと楽器マラカスのようである。サイカチという高木については全く知らなかったから、放送を聞いた後でネットで調べた。さて地球上の野鳥は1万種で、そのうち小鳥が6千種を占める。動けない植物が小鳥たちを利用した「命をつなぐ作戦」もみごとだ。小さくて丸い木の実をつけて小鳥たちに丸呑みしてもらって糞となった種子を運んでもらう。また固いドングリの殻は保存に適しており、それを小鳥たちが隠し場所に運んでくれる。

 安西氏は季節の小鳥や虫や草花をサバイバル戦略という見方を軸に説明する。野鳥から学ぶ、地球というこの奇跡の惑星の「持続可能な未来」がテーマのようだ。つぎの30日の放送は「ジョウビタキ」の予定だ。これから日曜日は目覚まし時計で起きて5時20分にラジオのスイッチをいれることにしよう。「季節のいのち」に続いて5時台には「文学のしずく」がある。これは「あらすじで聞く小説」と言われている。23日は中勘助の「銀の匙」を俳優の内田朝陽(あさひ)が朗読していた。(写真は西伊豆にて)

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開業医選びは口コミ?

2011年10月20日 | ねったぼのつぶやき

 スケジュールに組み込んでいた一通りの定期検診が終った。受付で血液検査のデーターをいつ聴きに来るか問われる。いづれインフルエンザんの予防注射も必要だから、同日にと願い出たが、混雑すると云われ不本意ながら別々の日時を設定した。案の定指定された日ですら満杯で受診せず。電話で予防注射の予約を入れて一回で済ますことにした。利用者の都合を優先する筈の所、年輩職員が医院の都合を優先した?ので細かな抵抗を試みたのだった。     

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 病・医院という所は離れてみれば何とも不都合な所だ。順番の取り方一つとっても、予約制を敷いていなければ辛抱強く待たねばならないし、例え予約が取れても忍耐力は必要だ。身体上の不都合をガマンしながら更なるガマンをせねばならない。医師との会話はプライバシーが保たれる様にはなったが受付は別だ。待合室は静かで自ずとその会話に全員の耳目が集まってしまい、それらを無視するのは難しい。

 職を辞して数年がたち、Bed数160床あった病院は一時休院となり、その後民間病院になって様相も激変した。病院名は存続したものの職員は総入れ替えとなった。それを機に私も開業医を開拓する必要に迫られている。数少ない開業医の中どの医師がどの分野に詳しいのか皆目見当もつかない。優劣はおろか親切度、親味度など一切解りゃしない。かといって間違いなかろう大きな病院に一々行けないし、アチコチ「Dr Chopping」するヒマもない。保健所なら教えてくれるだろうか。 近じか会う予定の旧友・元保健所担当の医師にその辺の事情を聞いてみよう。(大グランドのマスゲームを見る)

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*木の実の季節に

2011年10月17日 | 捨て猫の独り言

 あちこちで柿の実が順に色付きはじめている。近くの畑には幹は細く、大人の背丈ほどの低い柿の木につややかで大きな柿の実が数多く実っている。高くはないので梯子は不要である。このような柿の木が欲しいものだと思う。それにくらべて庭の柿の木は幹は太く、かなりの高さだから収穫に不便だ。それなりに大きな実がつくが味は今一つでよく虫にやられる。この頃は朝6時過ぎにヒヨドリやシジュウカラが来て熟した柿をつついてゆく。ささやかに全部で30個ほど実ったものを小鳥たちと半々に分けあうことにしている。

 これまでに玉川上水の桑の実、ヤマボウシの実、イチイの実、エノキの実は口に含んでみた。これら甘い実は小鳥たちの食料でもある。まもなくするとムクの木の実も色付くと聞いた。つぎはムクの実を口にしようと楽しみに待っているところだ。庭のハナミズキ、クロガネモチ、生け垣のツゲも実をつけているのをあらためて確認した。種の保存のために実をつけるのだろうか。先の秋分の頃にはマテバシイの実を拾い集めた。庭の固くて平らな縁石の上でマテバシイの実を叩いて殻をとり、さらに細かく砕いた。これで小鳥たちの餌場の出来上がりだ。一昨日始めたばかりである。小鳥たちは気付いてくれるだろうか。

 マテバシイの実はシイの実のなかでもっとも大きい。アクがないから人も食べやすいと聞いて素焼きの焙烙(ほうろく)で煎ッてみた。ドングリとはシイの実を含むクリ以外の総称だという。マテバシイはクリの味がした。今の寒露の頃になると木の実拾いはクルミとギンナンである。ギンナン拾いにはビニール手袋は必需品だ。家人は一年を通してフキノトウに始まり、ミョウガ、ツワ、ギンナンとあちこちで無料で手に入るものの収穫に忙しい。ギンナンは焙烙を使うまでもなく使用済み封筒に入れて電子レンジで加熱するのが簡単で良い。

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 昨日の雨上がりの日曜日に玉川学園の体育祭の見学に出かけた。土曜開催の予定が翌日に延期になったのである。学園の創立者である小原国芳は鹿児島生まれ、七年制成城高等学校長を経て1929年に玉川学園を創立した。今では広大なキャンパスには幼稚園から大学院までおよそ1万人が通う。日本では珍しい4・4・4制の一貫教育が行われている。低学年は1~4年生、中学年は5~8年生、高学年は9~12年生となる。こんな幅広い年齢層の体育祭は初めて見る。幼稚園から大学2年生まで総勢4404人が人工芝のグランドに集う。とくにグランド一杯に展開される棒体操、棍棒体操、旗体操などの集団ゲームには圧倒された。

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収穫の秋がやって来た

2011年10月13日 | ねったぼのつぶやき

 先日求めた新米は美味しい。仕事に通う為に通り抜ける公園では、色づいた銀杏の実が落ち始めていた。たまに立ち寄る農協の売店で手に入った芋がらは皮をむいて干した。昨年作ったズイキの残りは、千切りにした薄揚げ、人参、シイタケと共に炒め煮にし、タマタマ囲碁打ちに出かけるツレアイに持たせた。幼少の折には親しんだ味だから、懐かしい味がした筈だ。

Ginnantop700  日本中に吹き荒れた台風12号は立木の枝を痛めつけた。銀杏の実も青いまま落ちしだいていたが、昨今落ち出した実は黄色く熟れて来た。公園では毎朝4~5人のおじさんが、落葉や銀杏の実を滑らないようにかき集めている。臭いと不評の向きもあるが、いちようは20本近くあるのでいつも実は落ちていて拾える。葉は青く繁っているがその内黄色く染まってそれもまた美しい。(写真はインターネットより借用)

 子供の頃、秋には決まって芋ご飯や、山に栗拾いに行っては湯がいて食べた。我が子には年に何度か芋や栗を蒸かして食べさせた。今はせいぜい年に一回位だろうか。殆ど種ばかりと言っていいあけびも種を飛ばし飛ばし食べた。天婦羅にするといいと聞いたことがあるけれど、種はどうするのだろう。窓越しに秋空を眺めながめていると、かってから今迄の風景や行事などが次々に思い出され、瞼に浮かんでは消える。

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*市民名画座

2011年10月10日 | 捨て猫の独り言

 新聞販売店から格安料金の映画のチケットを手に入れた。上映は10月2日で開始は14時である。場所は自転車で25分の市民会館である。主催は西東京シネマ倶楽部という。この映画についての予備知識はまるでなかった。「格安」にひかれてなんとなく見に行こうかということになった。安さにひかれる習性は改まらない。いまだに食料品などではディスカウント商品の方に手がのびる。これらは「清貧」ということとはまったく別次元のことだろうと自覚している。予想通り入場者はほぼ私のような年代の者で占められていた。

 映画は「最後の忠臣蔵」という。討ち入り前に失踪した孫左衛門(役所広司)と討ち入り後に密命を受けて逃亡を装った吉右衛門(佐藤浩市)を軸に物語は展開する。孫左衛門が使命を果たした後に、大石内蔵助に殉じて切腹する最後の場面には思わず目をそむけてしまった。駈けつけた吉右衛門に介錯無用と孫左衛門は自ら頸動脈をかき切ってしまう。使命を果たした孫左衛門(主人公)に「これからは自分のための生活を始めよう」と観客である私は感情移入していたのに、みごとに裏切られてしまった。いつものように映画を見た後でいろいろネットで調べてみた。それらを私なりに整理してみた。製作は「ラストサムライ」「硫黄島からの手紙」などを手がけたワーナー・ブラザーズである。

 昨年12月の映画の完成披露会見での出演者の発言がこの映画についての十分な解説になっていると思う。役所広司は「これほど主(あるじ)に忠誠を尽くし、最後も主の元へ行くのを喜ぶような美しくも不思議な侍(さむらい)の生き方。だが彼等は確実に僕達の先祖である。伝えていかなくては」と語る。佐藤浩市は「僕自身を含め忍耐だけでは済まない「忍(しのぶ)」という美しさがどれだけ伝わるか」が見どころと語る。杉田監督は「倹約を旨とし、清貧を美とする。己を律して人のために尽くすことを善とする。こうした日本人の美意識は世界に誇れる資産です」と語っていた。

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遂に冬布団に取替える

2011年10月06日 | ねったぼのつぶやき

 一泊旅行から帰宅するとゴーヤが片付けられて部屋が明るくなっていた。律儀な彼岸花も庭の隅や道路際で終わりなんといる。いびつに剪定した柿は実をつけたがもぎ取るにはマダ早い。茗荷の葉は枯れ始めた。芝刈りを怠った庭は煩い。干して味噌に漬けたにゴーヤや茗荷の食べ頃はいつになるだろう。澄んだ秋空を愛でには、網戸を外してガラスを磨かねば。(水月森鴎外館前庭)

003  クラス会で十数年ぶりに旧友と会った。台風シーズンは未だ終わっていないけれど、災害に明け暮れた一年であった。参加者14名(卒業生44名)は、これらの災害で落命された方々や物故者4名に黙祷を捧げた。茨城在住の旧友は「息子が放射能に過敏で、窓は閉め切り、除染対策の為庭木は切り、家の外壁を高圧洗浄し、庭の表土を剥いだが持って行き場がなくて積んであるわ!」と言った。今もなお助産師の教育に当たっている別の旧友は、「アジア系のベビーは逞しく、ガッシリとしてモコモコ出る母乳をグイグイ飲む。それに比し日本人のベビーはクニャとして抱き心地が全く異なり、母乳の出も悪く吸いつきも弱い。生命誕生の瞬間からのこの相違はDNAの相違? 」と驚きを込めて報告した。そして「今迄生み出すことに主力を置いてきたけれど、入院の為実母を引き取り、両極を抱え苦悩している」と呟いた。

 月が変わり定期ガン検診のシーズン到来でいよいよスタートする。検診で万全という訳ではないけれど取敢えず済ましておけば一安心だ。心身をリラックスさせる為にと始めたエアロビクスはカレコレ20年近くたつ。ジム機器を使って一通りのエクササイズも止められない。後半には、旧友達と本場での「オハラ祭り」参加を含む長めの故郷巡りを計画中でウキウキ。

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*私と囲碁

2011年10月03日 | 捨て猫の独り言

002 

 「碁会所で見てばかりいる強いやつ」というのは碁に関する古川柳である。アマはプロと違い碁で食べてはいない、だから気楽に打てるはずである。それなりに碁を楽しめればそれでいい。ましてや血が沸きたつような碁ができたなら望外の喜びである。そこでアマには勝ち負けは関係ないよと言いたいところだがそうはいかない。負けると悔しい。だから勝負を避けたい気持ちも湧く。先の川柳の逃避の気分を私も理解できるようになった。週に一度の公民館の碁会で2または3局の勝負が習慣になってからである。毎回ある程度の緊張感を持って私は勝負に出かける。 

 私の碁の基礎知識が増えるに従い、一局の碁の過程はまるで人の一生の歩みにも似ていると考えるようになった。あるいは碁とは格闘技であるとも。縁側で碁を打つご隠居といったようなイメージはどこかに吹き飛んだ。そのことを碁というゲームを知らない人に説明したいのだが難しい。その一つの方法として最近手にした一冊の囲碁の本の中の文句を目につくままに拾い出してみた。囲碁とはどんなゲームかを少しでも知ってもらえたらと考えたからである。

006 

 「その場で何をしたらいいか分からない場合は、今までの流れをおさらいしましょう。それまでは見えなかった相手の欠陥や自分の弱点に気付くことも少なくありません」「相手の狙いにすべて受けていたら形勢を損じてしまいます。反撃すべき場面でしっかり自己主張できれば、もう一段上のレベルに駈けあがれるでしょう(攻撃は最大の防御)」これらはさしずめ人生訓か。現在の私が最も注目している碁の格言は<サバキはツケ>である。軽く柔軟な石の形を作るためにはまず相手の石にツケる(contact)のがよいという意味である。

 「命は助かりますが明るい展望は見えてきません」「両者が真正面から組み合い、力比べが始まりました」「両者の気合いがぶつかりあい、目まぐるしい展開です」「一歩でもひるむとやられてしまいそうです」「生きるか死ぬかの非常事態なので形にはこだわっていられないのです」「いじめが楽しみです」碁は気迫が激突するゲームである。精神の格闘技ということか。しかし気迫みなぎる着手でも音高く石が打ちおろされることは少ない。闘志は秘されることが多い。(写真2枚は国分寺駅前の殿ヶ谷戸庭園)

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