玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

思い出の桜島

2006年03月31日 | 捨て猫の独り言

 生活の場は東京だが、娘の結婚を披露する内輪の会を鹿児島で開くことにした。婿殿はアメリカ青年である。私達と花嫁花婿の4人はこのたび23日から27日までの鹿児島旅行をほぼ行動を共にした。婿殿にあの櫻島を見せたかった。裾野に集落があるのみ。茶褐色の山肌をして、ほぼ対称の美しい形をした活火山である。私が12歳の時に離島からの定期航路の船から初めて見て、この火山に感動した。

 初日だけは鹿児島市の背後に位置する丘の上のホテルに宿泊した。このホテルの外風呂の評判は以前に聞いていた。翌日の朝早く一人で風呂にでかけた。大きな浴槽の内風呂を通って、念願の外風呂に入る。眼下に鹿児島市街が広がり錦江湾の向こうに櫻島がかすんで見える。ぬるぬる感の温泉に外の風が心地よい。旅でなければ味わえない開放感だ。

 東に位置する櫻島はこの時まだかすんで見えた。北岳の稜線の背後の雲が茜色に染まってきている。刻々に変化する光と影の風景が展開されている。太陽に対して桜島が屏風のごとく鹿児島市街の前に立ちはだかっているというのが今の状況である。桜島の背後がしだいに明るくなり、北側の稜線がときおり稲妻が走るかのように黄金色に光る。6時50分北岳の上すなわち桜島の左上に太陽がその姿を現し始めた。まばゆくて正視できない。櫻島は黒濃くシルエットと化した。

 内輪の会は25日の土曜日に、桜島を望む海辺のホテルのレストランを借り切って行われた。お天気に恵まれた。総ガラス張りの開放的な会場から春霞の桜島を間近に見ることができた。婿殿は何を思ったことだろうか。私にとって外風呂から見た桜島の日の出は忘れ難いものとなった。ところで皆さんには無断で御無沙汰してご心配おかけしました。ここにお詫び申し上げます。

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⑳アァ涙が止まらない

2006年03月21日 | ピースボート世界一周

Peace_boat128  今アフリカでの出来事を書いている最中、最も現実であって欲しくない現実の事件が起きてしまった。訃報に接した昨日以来私の心はスッカリ塞ぎこんでいる。あの一番の元気印のクマーさんが銃弾に倒れたのだ。しかも彼がこよなく愛したアフリカの地で。

 Peace_boat_611 一昨日の朝、悲しいお知らせと題したメールを受け取った。読みながら「エーッ・・何で・・彼が・・」とうろたえるばかり。何度読み返しても読み違えてはいない。彼はジャンベが大好きで事ある毎に叩いては幸せそうな表情を見せていた。船が寄港地を出港するときは決まってテーマソングに乗せてジャンベを叩き、回を追うごとに弟子も増えて数人で叩くようになっていた。

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 下船後は先ず米国に帰り母親や兄、姉とクリスマスを楽しむと私に言っていた。その後はピーターバンドに合流するか船に帰るか決めかねていると乗客の親しい人に話していたらしい。とりあえず練習がてら出掛けたピーター宅に強盗が入り、心臓を射抜かれて死去したという事だった。主人は負傷で客人が死去という痛ましさ。

 Peace_boat209 彼の船内での役割は語学教室のマネージャー。5回目乗船の彼が初乗船の他の先生方に資料の提供を含むマネージ全般、英語スピーチや卒業式の仕切り、先生方の出し物の工夫など船内を走り回り、又寸暇を惜しんではサッカーに興じたり、我々常連と共にボックササイズを楽しんだりと大活躍だったのに。

 今ピースボートの職員がご家族を現地にお連れしているという。ご家族のPeace_boat_1121 悲しみはいかばかりかと察する。彼は私にとってはわが子の世代であった。世界の平和を熱く説く彼に「世界の平和が大事なのは当然だけど、貴方自身が平和に暮らす必要も?」と問うと「今の仕事も好き、も少しやってみたい」と返事した言葉が忘れられない。

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方丈さん

2006年03月20日 | 捨て猫の独り言

 中央線に高円寺という駅がある。ねじめ正一の直木賞作品 「高円寺純情商店街」 や8月の東京高円寺阿波おどりで知られる。私は作品を読んでいないし、おどりを見学していない。市街地図を見ると町名となった高円寺(曹洞宗)をはじめとするお寺が多いことに気づく。

 私の職場の隣の席に36歳になる男性数学教師がいる。本業はお寺の方丈さんつまり住職さんで数学は非常勤だ。ちなみに1丈は10尺で約3メートルである。方丈とは3メートル四方のこと。地下鉄新高円寺駅近くの曹洞宗のお寺の3代目で独身。工学部(建築)と文学部の2つの学部を出た。お寺をあずかるにあたり永平寺で1年ちかく修行を積んだ。髪は短く刈り込んで所作は折り目正しい。心のありようが外に現れると考えている。それで私は彼と朝の挨拶などのときには、作業中でも手を止めてできるだけ正対して軽く頭を下げる。彼はこの学校の卒業生で実は私も教えたことがある。

 彼は朝と夕の2回しか食事をしない。私は弁当を食べながら自分は貪りすぎてはいないかと自問することがある。1メートルの隣でもその存在に煩わされたりすることはまるでない。たまに授業のあとロッカーで袈裟に着替えてあわただしく本業に向かうこともある。お寺を訪ねてくれるようなことがあれば袈裟を着て大歓迎しますと言う。それで近いうちに高円寺界隈のいくつかのお寺を覗いてみようと考えている。

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⑲サア英語でサファリ

2006年03月17日 | ピースボート世界一周

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 シンガポールを出て2回目の英語研修のコース。セイシェルを出て3日目の早朝7時にケニアのモンバサに入港した。全生徒数が160名でそのうちの半数以上は参加していたろう。言語は現地語であるスワヒリ語の他に公用語として英語も指定されていた。

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 ケニアは広大なサバンナと野生動物のサファリが人気で、この2つを英語を通して楽しもうという企画であった。下船してすぐ1台のサファリカーに生徒が6~7人、割り当てられた教師、現地ガイド、ドライバー各1名が分乗して現地へ直行する事になった。100名を超える人たちが乗った車が車列をなして走る。中央分離帯は勿論、追い越し車線もなく、舗装道路のあちこちに露出している凸凹の穴をよけて1本道をひた走る。各国の援助で道路を走りやすくしようにも迂回路がないのだという。ドライバーも気づかって走っているのだろうが、車体をシッカリ掴まえていないと体を強打してしまうのだった 。

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 上船前や上船中に、アフリカの歴史や現状や問題など少々学んではいたが、車上から見えた町や商店や学校や家並や人々は私の予想を超えて貧しく、胸が痛む思いだった。サバンナについてサファリが始まるまで心は重く塞がれていたが、サファリが始まると今度は砂埃との戦いが待っていた。一定の距離を置くとはいえ20台近い車列である。翌日には更に1日目に他のツアーに参加して、2日目にこのツアーに合流したサファリカーを併せると果たしてどれほどのサファリカーをかき集めたのかと思ってしまう。

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 さて本題に戻って,同乗教師やガイドと英語で話せた?残念ながらガイド、ドライバーとは皆無であった。必死で質問しても返事の声がこちらまで届かない。「顧客満足」といった思想がまるでない。そこで教師が伝達してくれるのだが、彼ら自身もアフリカは初めてなので自分自身の興味の方が優先してしまうのだ。私達も聞き取りたくて耳を澄ますのだが何せ縦長のサファリカー。距離の問題と快適とはいえない乗車体勢では集中力も途切れてしまのだった。いつものクラスメートと担当教師であればもっと違ったかもしれない。 しかしツアーの終わりに、与えられたテーマを時間内で各チームでストリーを作りから(英語で)寸劇仕立てにして競演するといった作業は困難だったけれど愉快だったな~。続編は次回へ。

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⑱元気な女達エミリー 

2006年03月13日 | ピースボート世界一周

Peace_boat148  乗船前は群馬県の中学校で英語教師をしていた白人女性エミリーは、BEE(Bicycle for Everyone’s Earth)というNGOに所属し、環境保護を訴えながら北海道から沖縄まで、仲間と共に自転車で日本縦断した経歴の持ち主だった。

 私は船内で何度か彼女の講座(いつも小さめの会場だった)に参加したが、身近な環境問題を一緒に考えようとmy箸、mycup、mybag運動を提唱し、teaタイムにmycup持参者にスタンプを押すなどのアピールをしたり、フェアトレード、地域通貨活動なども展開していて、一般的には馴染みの薄いフェアトレードの考え方を啓蒙していた。Peace_boat127_1

日本縦断中の体験談は、自転車のパンク修理は勿論タイヤ交換をした事。行った先では市民やマスコミ関係者との交流や学校訪問をして環境問題を一緒に考えた事。時には地域住民と海辺や丘のゴミ拾いなどに参加した事などが話された。

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 また中南米やアフリカでは、自分で設立したNGO[ムヘレス」の活動の一環としてエイズ教育や性教育の実施をしたことなどを、現地のレポートや映像を通して紹介した。日本の状況も「先進国のなかでエイズ感染者が突出して多い」ことなどが報告され、日本の若者達もジット聞き入っていた。そして「自分に限って・・・」の思いから「エイズ怖い病気だと実感した」「モット教育が必要だ」「帰国したら検査を受けたい」と変わって行ったようだった。多くの先生達も初乗船で外国人特有のお祭り好き。事ある毎に全部の参加者とくに若者たちと共に楽しむのだった。

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⑰心と体を共に開こう

2006年03月09日 | ピースボート世界一周

 船では様々なプロジェクトがたち立ち上げられたが、ブックプロジェクトもその一つだ。第49回クルーズのGETteater達が、カナダのバンクーバーの子供達から寄贈されたたくさんの本を、ケニアの孤児院ウエマセンターにいる子供達に届けようと第51回に托したものだったPeace_boat139_1

 先ず「ケニアの子供達と出会う」ツアーコースの対象者に講座への参加を募り、今回の趣旨説明と本の一部の読み聞かせがなされた。子供達にとって本は勿論、圧倒的に学習用具が不足しているとのことだった。そこで寄贈された多くの本を船内で販売し〈一冊1000円または1ドル)、本の裏に未だ会った事のない彼らにメッセージまたはサインなど記入してツアー参加者に托すことになった。

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 何か企画があるといつもそうだが、宣伝担当者がボデイの前と後ろにダンボールで作ったイラスト入りの宣伝を描いて、大きい物から小さい物まで、色々なサイズのボードをブラ下げて、企画が終わるまでほぼ終日船内を移動しながら自然に周知させるのだった。今回は前々回の先生方が取り組んでそのまま引き継がれたケースだけに、GETteaterの取り組みは一段と熱が入り、宣伝、本の購入者のリストアップ、メッセージやサインの記入有無、売り上げの確認などがなされた。3日後、船内新聞の最終報告に寄付金10万円がを超えたことが報告された。つまり残った本と寄付金を併せて「ケニアの子供達と出会おう」ツアーコースの人々を通して送られることになった。

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 その他にもケニアに限らず、船内で現地の方々が手作りしたものの販売や〈服、装飾品,土産物など)、日本から色んなものを積み込んで現地に届けるといった活動もあった。そこには例えわずかでも、「必要な人々に必要なものを可能な限り自分達の手で届けよう」「現地の方々の製品を購入することによって職業生活を支援しよう」といった精神があった。

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自販機撤去

2006年03月06日 | 捨て猫の独り言

 南側は4mの私道である。そこに薄型のっぽの水色をしたソフトドリンクの自販機が設置された。我が家の門扉を出てすぐ向こう側の電柱の陰である。この場所は通学路でもあるので業者が着目した。設置から1年と1ヶ月が経過してこのほど自販機は撤去された。

 予告なし設置には驚いた。小学校の前にパチンコ店ができたような場違いな印象であった。隣人宅から自販機はほとんど見えない。自販機と正対する私たちのことまで考えが及ばなかったか。設置されたその日のうちにやんわりと抗議した。私たちの思いをすぐに理解していただいて安堵した。業者と交渉したが1年間は置かせてとの結論という。つげの生垣越しに視野に飛び込んでくる水色自販機には、見たくもないものを見させられているという苦痛がある。しかし1年辛抱すればという希望があればそれもやわらいだ。

 夜間の自販機は明るい。夜中に目がさめると玄関ドアや居間のガラス越しにあかりが射し込む。漆黒の闇に程遠い。学生さんは下校時にコンビニで買ったものを食べ歩きする。ちょうど食べ終わる地点に自販機備え付けの空き缶入れがある。その上にゴミを置く。何時とはなくゴミの溜まり場になった。

 その間2回ほど業者がこちらの顔色を伺いに来た。菓子折りの受け取りは辞退した。予定より1ヶ月ほど遅れたが、撤去が実現し視界がすっきりした。隣家との感情のもつれなど生じることなく無事に解決した。庭に来る小鳥たちも喜んでくれていると思う。

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⑯ピーターバンドとgo!

2006年03月03日 | ピースボート世界一周

 シンガポールからピーターをリーダーとするケニヤからのバンドマン4人が乗船してきた。彼らは陽気で、根っからのダンス好き。とりわけピーターは在日経験もあって日本語が堪能。元プロボクサーで体もでかく、連発の「~でごじゃる」や時に彼の口から出る東北弁に話は一段と盛り上がった。

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 彼らのライブはパワフルで我々を圧倒するのだが、「ジャンベ」という股に挟んで叩く太鼓や音楽のワークショップだけでなく、スワヒリ語講座、象の密猟問題、動物のスライドショウーや、トークショウ、「何も心配ないよ」と繰り返し歌いつつステップも踏める「ジャンボ」、とりわけ哀切に歌う「マライヤ〈恋人の名前)」には当方も切なくなるほどの情感がこもっており、アフリカとアフリカ人により身近感をもたせてくれた。

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 彼らから学んだケニヤのステップと、スペイン語圏の人たちから習ったラテン系ステップと日本の盆踊りのステップを皆でアレンジし合って出来上がった混合ステップはとても好評で、踊りつかれるまで皆汗ダクになって踊った。

 私が始めて彼らと真近に対面したのは、ジャグジーに入っていた時だった。Peace_boat092_2 10人そこらで満杯になるような小さな温浴に彼らも入って来たのだ。ヒョットしたら肌も触れ合わんばかりの近さに居合わすことになった。しかも水着だったので、違和感や戸惑いを覚えて視線を合わさないようにしたのに。共に乗船していた10日間のうちに、ケニヤのダンスのステップを共に踏んだり、踊ったり、彼らの話を聞いているうちに親しみを覚え、更にコミュニケーションをとりたくて「オバサン」の厚かましさで彼らに接近したのでした。勿論彼らは陽気に何のこだわりもなく向き合ってくれたことは言うまでもありませんが。

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ダンスのシーンはスペイン語の先生に日本、アフリカ、アメリカ、カナダ、在日韓国人が生徒としてステップを習っている所。下はサファリに向かうジープから車外を写す。通行人は殆んど徒歩で女性は水や荷物を頭上に載せている人が多い。車は中古車の業務用で路上のアチコチでエンコしており、車体の下に潜って修理している風景に出くわした。自転車の通行も少ない。あっても贅沢品か貴重な運搬用具のようだった。

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