玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*消える日

2017年06月26日 | 玉川上水の四季

 何ごともなければ、その日は芒種から夏至に展示の入れ替え作業があるはずだった。これまで作業は夕刻に行われていた。しかし展示はこの日を限りに中止されることになった。そこで最後の撤去の様子を近所の子どもたちと一緒に見届けようと考えていた。下校してきた子供たちの話では、すでに展示物は無くなっているという。現場に駆けつけると朝に見たギャラリーの様子とは一変していて、ぽつんと「ギャラリーの消える日」と題するつぎのような鈴木さんの挨拶文が掲げられていた。

 

 「6月20日は、6月正節・芒種の最終日です。この日をもって、玉川上水オープンギャラリーの展示を最後といたします。最後の日を迎え、早朝に野草観察ゾーンを小川水衛所跡から桜橋まで歩き始めると、最初に出会ったのが、オカトラノオの花に止まっているアカシジミでした。アカシジミは年に一度、立夏に姿を見せて、その使命である子孫を残す産卵が済むと消えてゆきます。偶然ではあるのですが私を慰めてくれました。野草観察ゾーンではノカンゾウ・オカトラノオ・ネジバナが咲き、ナワシロイチゴは真っ赤な実が熟しているのです。どんな時でも、玉川上水は私の心を慰め癒してくれるのです。

 玉川上水の自然は、野鳥や昆虫の生きものたちと、樹木や野草のバランスよく共生しているのが、一番良い環境を生み出します。ギャラリーの展示は、理想の姿を追い求めながら「生きもの暦」と「植物暦」を二十四節気に合わせていました。また、同時に観察会を実施してきました。それは玉川上水の自然を永遠に残したい。そんな思いが込められていました。しかし、生きてゆく中には過酷な運命に翻弄されることもあります。その対応に突然遭遇して、今日の日を迎えました。こんな苦しい時でも、玉川上水は私を見捨てません。それが玉川上水なのです。2017年6月20日」

 なにごとも、いつかは終わりが来るというのは真実だった。私がこの挨拶文をカメラに収めていると、隣にいた見知らぬ男性も携帯で同じように撮影していた。玉川上水を歩く人が途中でギャラリーに立ち寄る姿を見ると私までも、なぜか誇らしい気分になったものだ。あそこに行けばいつでも季節の写真を見ることができた。その写真を見ることができなくなった。寂しい限りだ。 

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*展示中止

2017年06月22日 | 玉川上水の四季

 18日の朝のこと、鈴木さんから電話が入った。それは衝撃的な内容だった。「息子のホスピスケアに入ることになった。できるだけのことをしてやりたいので、今後のギャラリーの展示は中止することにした。それで先ほどギャラリーにその旨の掲示を出した。すべての皆さんに直接お話しできないので何か聞かれたらよろしく伝えて欲しい」ということである。

 「それからあなたの隣に住む昆虫博士(小学2年男子)には、約束を守れなくなったことを謝っておいて欲しい」ということが付け加えられた。蝶が幼虫から羽化するまでをこの子たちに観察してもらい「こども観察日記(仮称)」としてギャラリーの一角に展示することを鈴木さんは考えて、その方向で話を進めていた経緯がある。

  

 掲示は「ギャラリー友の会の皆様へ」と題して「突然のギャラリー展示活動の中止について、お知らせします。家族の事情で已むに已まない決断になりました。6月20日(火)をもってギャラリーの展示を中止いたします。そのために6月25日の観察会は行いません。突然の行動で、皆様にご迷惑をおかけしますことを、お詫びいたします。2017年6月18日オープンギャラリー鈴木忠司」とあった。

 展示は2009年に始まり、途中6年目に半年ほどの中断があったものの今年で9年目に入っていた。この期間は私の完全退職の時期とほぼ重なっている。ギャラリーの展示や観察会のおかげで二十四節気について節気ごとの自然の様相に関心を持つようになった。それにともない、生きものたちの名もかなり覚えることができた。私は観察会に参加しながら知ることよりも鈴木さんの後姿を見ながら、歩く行為だけでも十分に満足していた。

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*唯脳論の辺り

2017年06月19日 | 捨て猫の独り言

 4月に都内で養老孟司の90分の講演を聞いた。どこかで宮崎駿が「養老さんの最大の特長は眼です。あれは好きなことしかしてない人の眼の光だと思います」と語っていた。子供たちにお爺ちゃんなのに虫を捕るんですかと聞かれて「違う、違う。虫を取ってたらいつの間にか、おじいちゃんになってたんですよ」と答える。「バカの壁」の印税で虫の標本を収納できる博物館を神奈川県内に作るという。ゾウムシの収集家でもある。

 講演ではスーツ姿でリラックスして、にこやかに話していた。東大構内を歩いていたら、まだ生きてたんですかと声かけられたと話し始めた。右手でマーカーをお手玉しながら歩き回る。時に左手をポケットに入れながら、時に演壇の前に出てそれに左の肘を載せ、足を交差させながら話す。感覚ということで白板に黒のマーカーで白と書く。人は5歳ごろから相手の立場を思いやる心が出てくると話す。概念とは「どこの誰かは知らないが、だれでもみんなが知っている」と歌うように繰り返す。(写真はマレーシアにて)

 

 唯脳論とは「脳という構造が心という機能と対応している。すべての人工物の仕組みは脳の仕組みを投影したものである。人は己の意のままにならぬ自然から解放されるために人工物で世界を覆おうとする」とネットの解説があった。池田晶子は2003年に「14歳からの哲学」を出し、翌年に池田と養老は対談している。さらにその翌年に養老には、とじこみ特別付録ながら「13歳からのバカの壁」というのがある。

 池田は自著で「唯脳論は唯心論を唯物的に語るための方法である。心が先なのでも物質が先なのでもない。脳ということでお話を始めれば、それはどちらの側からも語られ得るということ示す方法である。あれは唯脳法である」と書いていた。対談では人文系と自然科学系の違いで、かみ合わないところもあった。その中で池田は「言葉は人間の発明ではない」と言い切っていたが、これは私の理解を超える。養老の「言葉が人と人の間におかれて動かないものものだという感覚は、いまの人はほとんど教えられていない」は多少は分かる気がした。

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*我が家の留学生

2017年06月12日 | 捨て猫の独り言

 シングルマザーとしてアトランタに住む娘が自分の子を残して帰国した。娘の今年の日本滞在は10日間だった。行政の上では突如として小平市に三人世帯が出現し9日間で消滅したわけである。それと同時に2人の孫娘は私の世帯に転入し、ほぼ2か月してアトランタへ転出ということになる。3人とも国民健康保険に加入し、教育委員会からは孫娘たちの編入学通知書が交付される。児童手当の支給もある。

 孫たちは来日した翌々日から、それぞれ小学5年生4年生として登校した。ハードルが高いのは国語の授業だ。教科書のすべての漢字にルビを振るのは私の仕事になる。電子辞書を引くことが多くなった。例えば、5年生では円柱形はcylinder、多様性はvariety、要約はsummaryなど、難しいと思われる刺激的な言葉が次々に出てくる。算数の計算ドリルは喜んで取り組むのだが、算数の文章題となると手が止まる。

 

 「りり、ひさしぶり!あえてうれしいよ!1ねん前に花火とか虫をつかまえたね。おぼえている?またやりたいね。 りりは絵がじょうずだよね。また、りりがかいたえほしいよ。  あまりあそべないかもしれないけれど、なかよくしてね」これは同じクラスで隣の席にいて、何かと面倒見てくれている4年生のアスカさんがくれた手紙だ。登校2日目だった。彼女は姉のスミレ宛への手紙も書いてくれていた。

 毎朝の「お早うございます。お茶をどうぞ」はこれまで通り続いている。お盆でこしらえた簡易祭壇に焼香して手を合わせる。そして昨日のできごとや、今日の予定などを思いつくままに2人が競い合うように言葉にする。横から私が付け足すこともある。何気なく続いているが、そこに何らかの効用があるからだろう。短く自分を振り返る時間なのかもしれない。これはラジオ体操の後に行うことになっている。

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*蝶の幼虫

2017年06月05日 | 玉川上水の四季

 オープンギャラリーの鈴木さんが、ジャコウアゲハの幼虫の食草であるウマノスズクサを我が家に届けてくださったのは2年前だったろうか。鉢植えのそれをツゲの生垣の傍に置いた。放置していたと言っていい。翌年に気づくと、つる性のスズクサは垂直に伸びて生け垣を抜けて、隣接するハナミズキに巻き付き、その木の全体を覆うようにして頂上まで達していた。茶色に変色した冬枯れの姿を見た時に、やっとそのことに気づいた。

 スズクサの繁殖力の凄さには驚いた。その頃に鈴木さんはジャコウアゲハの幼虫を届けてくださっていたのだが、早々に私は幼虫を見失い観察に失敗した。せっかくの好意を無にしたわけである。鈴木教室の劣等生であることを改めて自覚した。そこでせめてスズクサをコントロールしようとした。鉢を貫いて根を張っていたので、その鉢を割って取り除いた。そして園芸用の支柱を格子状に組み立てた。しかしスズクサを横へ横へと延びさせるのは容易ではない。

 隣に住む小学2年生の男の子は大の昆虫好きである。去年この少年はギャラリーの花壇のサルトリイバラでルリタテハの幼虫を観察した経験がある。鈴木さんに幼虫の存在を知らされた私が少年にも伝えた。少年は私よりも熱心に観察を続け、これを契機に鈴木さんと知り合うことになった。また、この少年の母親がカマキリの卵嚢を屋内に確保し、冬を越しておびただしい数のカマキリが孵化する様子を少年と私に見せてくれた。この親にしてこの子ありだ。

 毎年クヌギが樹液を分泌する頃に、二人の孫娘はアトランタからやって来る。そしてこの少年をふくむ近所の子供たちと樹液に集まるカブトムシなどの採集をするのが慣わしとなっている。つい先日鈴木さんが、子供たちのために5匹のジャコウアゲハの幼虫を我が家に持参してくださった。子供たちが幼虫を見逃さず追跡して、蛹になり羽化するまでの観察に成功することを私は願う。鈴木さんは、ギャラリーの展示に子供たちを登場させようと、そんな楽しいことを考えておいでかもしれない。(ウマノスズクサとジャコウアゲハの幼虫)

 

 

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*マレーシア④

2017年06月01日 | 捨て猫の独り言

 今回の旅で現地ガイド氏から聞いた話のあれこれを記すことにする。ガイド氏の交代は発熱による体調不良が原因だった。これから記すことは、ほとんど後半のガイド氏が話したことである。交代は私達にとって幸運だったわけである。ただ交代した気の毒なガイド氏は最終日の朝にバスに乗り込んできた。空港まで私たちを見送るためである。体調は万全ではない様子だった。

 ◯クアラルンプールでは1日で朝と夕方に2回の交通渋滞があります。しかしお隣の国では1日に1回しかありません。一日中渋滞だからです。◯日本と違ってマレーシアでは老人の姿を見かけません。どこへ出かけていると思いますか。そう石の下です。マレーシア人の平均寿命は65歳ぐらいです。

 

 ◯マラッカやイポーという地名は木の名前に由来します。ここに落ちているマラッカの木の実はサルも見向きません。◯アブラヤシの経営者は左団扇で暮らしています。アブラヤシは植えて2年半で収穫ができます。◯アブラヤシの最大の敵はネズミです。ネズミ対策にニシキヘビを放ちます。最近はフクロウが導入されています。◯暑さのためアブラヤシの収穫作業は7時から10時に行います。労働者はその後は麻雀などをして過ごします。

 

 ◯第4代首相のマハティールは22年間の任期の中で一人の親族も側近に登用しませんでした。現在91歳です。私も尊敬しています。〇住宅購入時に販売業者が納期を守らず、消費者が損害を被ることが多発しています。私も被害にあいました。何度も現場に出向いて進捗状況を確認せねばなりません。◯バス停に時刻表はありません。いつ来るとも知れないバスを待ちます。待つうちに腰が曲がったという冗談も聞かれます。

 ◯ペトロナス・ツインタワーは20世紀の高層建築としては最も高い高さ452mの88階建てです。「20世紀最高の高さ」を目標に作業は急ピッチで行われ1998年に完成しました。◯国営石油会社ペトロナスの経営は多方面から注目され、その扱いは政治問題にもなります。(完)

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