玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*寒露から霜降へ

2018年10月29日 | 玉川上水の四季

 去る14日の正午ごろ、玉川上水の緑道で顔見知りの一団とばったり出会った。かつて私もそうだったが、オープンギャラリーの観察会に参加していた人たちだ。鈴木さん不在でも継続している人たちである。二十四節気の寒露の最初の日曜日の観察会だった。私は鈴木さんの復帰がないのでいつのまにか観察会から遠のいたままである。そのことで四季の移り変わりに鈍感になりつつあることは否めない。

 鈴木さんが毎年節気ごとに発行していた小冊子がある。いまとなっては貴重なものだ。ところが生活の雑事にまぎれて、読まずに過ごすことが多い。そんな反省もあって、さっそく寒露と霜降の小冊子をひらいて外を歩いた。あちこちで柿が色づいている。庭の柿も多く実をつけている。最初は脚立の届く範囲で一部をもぎ、大部分は小鳥たちにさし上げるつもりでいた。

 近所の人たちに配っているうちに欲が出た。大型の三脚梯子を持ち出して据えた。これで小鳥たちの分は大幅に少なくなりそうである。それにしても今年の庭の柿からは大玉の実が大量に採れる。一般に樹木には一年おきに成り年と不作の年があると言われている。通説と異なり、庭の柿はこれまでずっと低調だったが今年だけは爆発的である。(左は小平市民祭り・鈴木囃子屋台)

 

 庭の柿は種なしではなく、ガクの部分がどれも黒ずんでいてとても商品にはならない。寒露から霜降までに柿の実に集まるのは留鳥のメジロ、ヒヨドリ、オナガにムクドリという。メジロを心待ちしているのだが庭にはヒヨドリやシジュウカラしか姿を見せてくれない。秋から冬にかけて緑道は黄色に染まる。しかし今年は台風による倒木の残骸がいつまでもあちこちに残っている。新堀用水では折れ枝でせき止められて流れが悪くなっている個所もある。

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*追悼・翁長雄志

2018年10月22日 | 捨て猫の独り言

 朝日は10月で終わり、つぎは毎日に変わる。この2紙を一年交代で購読している。古紙はゴキブリ叩き棒や、その他けっこう用途がある。古紙回収の前に切り抜きをする。週に一度の歌壇・俳壇(あまり読み返すことはないが)、沖縄関係などが主だ。9月2日の福島申二の「日曜に想う」の「翁長知事の言葉のゆくえ」は繰り返し読んだ。「翁長氏や広島、長崎両市長の言葉はよく練られ、聞く人をうなずかせるものだった。それらに比して首相のそれは常套句の組み合わせを聞かされた感は否めなかった」とある。

  翁長知事の言葉として取り上げられたのはつぎのものだ。「沖縄が日本に甘えているのか、日本が沖縄に甘えているのか」「総理が日本を取り戻すと言っていた。取り戻す日本の中に沖縄は入っているのか」「普天間は危険だから大変だとなって、その危険性除去のために沖縄が負担しろ、と。こういう話がされること自体が日本の政治の堕落ではないか」「歴史的にも現在においても、沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされてきた。私はこれを魂の飢餓感と表現している」(国と争う辺野古訴訟の陳述で)

 文中で詩人茨木のり子の言葉を引用している。「全身の重みを賭けて言葉を発したところで、受け手がぼんくらでは、不発に終わり流れて行くのみである」と。政権が翁長氏の言葉と切り結ぶことはなかった。沖縄の民意をのせた重い言葉は、一強政権の驕慢に問答無用の体で跳ね返されたままである。中略。言葉は私たちに投げられたのだ。「ぼんくらな受け手」でありたくない。同じ9月2日の朝日歌壇には翁長氏を詠んだ歌が8首も並んでいた。

 祈りは短歌に欠くことができないものだろう。●翁長さん逝くとうテロップの流れれば娯楽番組ニュースに変える ●平成の最後の夏を選びしか八月八日翁長知事死す ●「わたしたち」と言ふ時そこに沖縄を含めていたか翁長知事逝く ●辺野古「NO!」ボード掲ぐる七万に翁長雄志は「帽子」を遺す ●「翁長さんがんばったね」と文太さん基地なき島へ想ひのこして ●いつまでも本土の捨て石ではならぬ気骨示して翁長氏逝きぬ ●沖縄にすべてを捧げ身を削り痩せ衰へて知事逝きましぬ ●辺野古への果たせぬ想い抱へつつ旅立つ知事の無念晴らせよ その後も沖縄を詠んだ歌は散発的に続いている。蛇足ながら9月23日掲載の一首に「音だけで意味を持たない言葉知るああ淀みない首相演説(永田和宏選)」とあった。

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*喜界島

2018年10月15日 | 捨て猫の独り言

 最近のことである。私の親父は喜界島の出身と話したとき、俊寛が流された島ですねと問うてくる人がいる。そんな伝説があるということぐらいはなんとなく聞いてはいたが、喜界島に住んだこともない。ええそうですねと、あいまいに答えていた。新聞に国立劇場で、通し狂言「平家女護島(にょごのしま)」の上演という全面広告があった。

 その広告の中の短い文章を読んで、鎌倉時代の「平家物語」についていくつか、泥縄式だが調べてみた。私は冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす」ぐらいしか知らない。朧げな記憶ながら幼い頃に目にした絵物語の俊寛、木曾の義仲、巴御前、牛若丸、那須与一などは平家物語から生まれたものなのだろう。

 近松の平家物語を題材にした「平家女護島」は全五段の時代物で人形浄瑠璃で初演された。歌舞伎では平家打倒の計画に参加して流罪となった俊寛の悲劇を描く「鬼界ヶ島」(通称俊寛)が単独で上演される。ところが今回の国立劇場では平清盛の横暴や俊寛の妻東屋の自害を描いた「六波羅清盛館」と、清盛が亡霊に苦しめられる「敷名の浦」を「鬼界ヶ島」の前後に付け、通し狂言として上演するという。

 

 「俊寛」と題した作品を、世阿弥、倉田百三、菊池寛、芥川龍之介などが 残しているのも驚きだ。平家物語は「鬼界ヶ島」の様子を「島の中には高い山があり、常時火が燃えており、硫黄がたくさんある」と記している。鬼界ヶ島の場所については、鹿児島県の大島郡の喜界島、鹿児島市三島村の硫黄島のいずれかと考えられている。喜界島には俊寛の墓と銅像があり、硫黄島には平成7年に建てられた銅像がある。他にも長崎市の「伊王島」という説もある。

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*新聞読み比べ

2018年10月08日 | 捨て猫の独り言

 目取真俊の10月1日のブログ「海鳴りの島から」には「沖縄県民が死に物狂いで選挙をたたかい、結果を示しても、民意を踏みにじる安倍政権を支えているのは、大多数の日本人である。玉城さんが当選してよかった、ではない。安倍政権の沖縄に対する強硬策をヤマトゥの人たちは止めないといけない」とあった。同じ日の北上田毅の「チョイさんの沖縄日記」には「政府は以前、翁長知事に対して就任後4ヶ月も安倍首相との面会を拒否し、その後も沖縄県の要請を徹底的に無視するなど、ありとあらゆる嫌がらせを続けた。翁長知事の急逝も、こうした心労と無関係ではない。今回、沖縄県知事選史上最大の圧勝をした玉城新知事に対しても、メンツを潰された安部政権の露骨な報復が始まるだろう。これからは厳しい局面となることが予想されるが、県民が支えるほかない」とあった。

 沖縄知事選の翌日の朝日以外の各紙の報道ぶりが気になって近くの図書館に出かけた。読売、産経はやはり政府広報紙の評判通りだった。読売は一面トップに「辺野古反対を継承。政府は承認撤回を無効化のため今月上旬にも訴訟」二面には那覇支局長の署名記事で、「移設問題停滞させるな。軍備拡大を進める中国や、核、ミサイル開発を進めてきた北朝鮮は依然として大きな脅威だ。在沖縄米軍の抑止力を維持することは不可欠といえる」2日の社説で「選挙戦で玉城氏は普天間の危険性除去の必要性も訴えていた。辺野古への移設は、普天間の返還を実現する上で、唯一の現実的な選択肢である。知事の立場は野党議員とは異なる。沖縄の発展に重い責任を負うからには、県民所得の向上や正規雇用の拡大に向けて施策を推進する必要がある。政府との緊密な連携が欠かせない」と主張する。

 毎日は選挙結果が朝刊に間に合わなかった。それで2日の一面のノーベル賞記事の隣に、「玉城氏は1日に報道各社のインタビューに応じ、普天間飛行場の計画を巡り、米海兵隊の訓練を海外に移転できれば、普天間飛行場や辺野古移設は不要になると述べ、在沖米海兵隊の運用について米政府と交渉するよう日本政府に求める考えを明らかにした」とある。2日の社説では「民主主義国家では最終的に多数決で政策が決定されるが、議論をしたうえで少数派の意見を可能な限り取り入れることが前提となる。外交安保は政府の専権事項だからといって、圧倒的な多数派の本土側が、少数派の沖縄に不利益を押し付けるのを民主主義とは言わない」とある。

 この毎日の社説は1日の産経のつぎの社説を念頭に置いたものだろう。「米軍基地を国内のどこに置くかという判断は国の専権事項である安全保障政策に属する。憲法は地方自治体の長に、安保政策や外交の約束を覆す権限を与えていない。この民主主義の基本を玉城氏は理解して欲しい。中国が狙う尖閣諸島は沖縄の島である。防衛の最前線である沖縄の知事である自覚をもってほしい」と政府広報紙以上の偏りだ。しかし産経のつぎの記事は正直だ。「辺野古の軟弱地盤の改良工事や設計変更について新知事の承認を得なければならない 。防衛省幹部は、これまで知事の承認を得ないで進められるギリギリの工事をしてきたがそれも限界に近づきつつあると述べる」とある。

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*台風一過の緑道

2018年10月04日 | 捨て猫の独り言

 台風24号は1日未明に関東地方を通過した。いまだ経験したことのないような強風が吹き荒れたようだ。目覚めると家の前の道路は、こまかく引きちぎられた木の葉が散乱していた。この日の朝は木の葉の後片付けに追われた。

 家の前の作業を終えて緑道を歩いてみると、立ち入り禁止の黄色のテープが張られている。右岸のクヌギの大木が通学路の左岸に倒れ込んで通行できなくなっている。いつもは小学校低学年の子供たちが担任の先生の引率で2列になって駅へ向かう道だ。通学路の確保のためのとりあえずの作業が行われ2日の午前中には通れるようになった。(通学路の復旧)

 

  

 翌日の2日も緑道を下流に向かって遠くまで歩いた。あちこちでへし折られたコナラや、時おり根こそぎ倒れたクヌギに出会う。これらの後始末には時間がかかりそうだ。緑道がこれほどまでに痛んだ光景を見たことがない。最近は「かつて経験したこともない」という言葉をよく聞くようになった。

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*ゴミの戸別収集

2018年10月01日 | 捨て猫の独り言

 海のプラスチックごみを回収する巨大な浮遊装置が9月8日、米国本土とハワイ沖の間の海域「太平洋ごみベルト」に向け、米西部サンフランシスコ湾を「出航」した。オランダの非営利組織(NGO)「オーシャン・クリーンアップ」が計画。太平洋ごみベルトのプラごみを5年間で半減させる構想だ。すごいことをやる人たちがいるもんだと頼もしく思った。(写真はバンクーバーにて)

 

 神奈川県下9市と多摩地区の戸別収集及び有料化を導入している市町村とそうでない市町村とを比較調査した結果がある。導入している方が①総排出量は平均12%少ない ②燃えるごみについては24%少ない ③収集運搬費用は37%多い。平成の半ば以降に多摩地区でも多くの市でゴミの有料化が実施されている。わが小平市でも来年4月1日からいよいよ戸別収集が始まる。

 そのことを告知する市報を見て混乱した。「プラスチック製品(プラマークがついているものを除く)」やら「プラスチック製容器包装」やらの用語についていけない。さてさてペットボトル以外のプラスチック製容器に表示されるのがプラマークらしい。ペットボトルのラベルは剥がしてプラスチック容器包装になる。容器包装以外のプラスチックにポリバケツ、歯ブラシなどがある。いやはやゴミの分別は頭が痛い。

 隣接する小平市、東大和市、武蔵村山市は各市議会から4名ずつ選出した議員が計12名で衛生組合議会を構成し、3市共同でゴミ処理に取り組んでいる。まもなく東大和市に資源物中間処理施設が完成する。これは3市から排出されるシャンプーの空ボトルやスナック菓子の袋などその他のプラスチック製容器包装とペットボトルを受け入れ、破袋後、手選別を行い資源化不適物を除去し、リサイクル業者に引き渡せるよう圧縮梱包する施設だ。また小平市には共同の不燃・粗大ごみ処理施設がある。それの改装拡張が進行中である。

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