玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*佐渡ヶ島へ

2021年10月28日 | 捨て猫の独り言

 この日曜から2泊3日で佐渡ヶ島へ行っていた。相も変わらず、あなた任せのパック旅行だ。旅は「一時的な家出」とすれば今回は家人と二人の旅だから「一時的な非日常」とでも言えるだろうか。前々から日本海のどこかで、ゆったりと夕日を眺めていたいと思っていた。その夕日はさっそく初日に実現したがゆったりというわけにはいかない。(俯瞰図・手前が日本海側の大佐渡)

 

 離島で育ったことのある私には島願望とでもいうものがある。新潟港から両津港まで海上30㎞を大型フェリーで2時間半かかる。今回の旅で佐渡ヶ島全体の地形が私の中で明確な像を結んだ。離島にしては私の考えていた以上に神社仏閣や窯元が数多くあった。旅を終えた今、これからは佐渡ヶ島のニュースがあれば耳をそばだてることになるだろう。

 日本海側の「大佐渡」と本土側の「小佐渡」の間の平野部では佐渡コシヒカリを生み出す田んぼが広がり、その上をトキが舞う。初めての放鳥は2008年で、2年間ほど細心の注意で育てられたトキが放鳥される。幸運にも3羽または5羽と舞う姿を見つけては、そのつどバスに中で歓声が起きた。

 

 世界遺産登録を目指す佐渡の金山は日本海側の「相川」にある。観光客はかつての坑道に入り、等身大の人形を使って再現された過酷な労働の様子を知る。1601年から1989年の閉山までの88年間に金78t銀2330tを産出した。産出最高記録は江戸時代ではなく精錬技術の進歩で1940年の1537㎏だという。

 佐渡歴史伝説館では、佐渡に配流(はいる)された順徳上皇、日蓮上人、世阿弥がこれまたハイテク等身大のロボットで紹介されていた。全国でも起きている過疎の問題は佐渡でも深刻だ。年々人口は千人規模で減少し現在は5万人ほどである。平野部の両側の両津湾と真野湾では蠣の養殖が行われていた。

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*沖縄に海兵隊不要

2021年10月21日 | 捨て猫の独り言

 月刊誌「軍事研究は」1966年4月に創刊されている。書き手は自衛隊制服OBと雑誌出身ライターが半々という。日本が先進国を名乗りたいなら軍事も経済も外交も同じ比率で考えるべきという編集方針のようだ。この8月号に元海上自衛隊幹部で軍事ライターの文谷数重氏が標題のような大胆な提言をしたという。

 そのことを赤旗日曜版の10月17日号の文谷氏のインタビュー記事で知った。「私は皆さんと立場が違います。中国に対し米軍と協力して対峙することがありうると考えています。この私から見ても沖縄の海兵隊は必要ありません」氏は97年早稲田大学卒業後に海上自衛隊一般幹部候補生として入隊2012年に退職し現在は軍事ライターである。

 「日中の戦闘は主に海・空の戦力で行われます。戦場は海上とその上空です。そんな戦闘に上陸侵攻を得意とする海兵隊が出て行って何ができるでしょう。中国人民解放軍は陸上兵力だけで約98万人といわれます。海兵隊はその存在意義が疑われています。だから生き残りのための戦略練り直しに必死です」

 「沖縄県内の米軍施設の約7割が海兵隊です。事件・事故の多くは海兵隊が起こしています。海兵隊を除去すれば辺野古問題も普天間問題も解決します。沖縄から<海兵隊をどかしてほしい>という声を上げていけば、状況は変えられると思います。どかす方法を考えるのは政府の仕事です」記事は私の思考に一本の柱を建てた。

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*ナラ枯れ

2021年10月18日 | 捨て猫の独り言

 先日は久しぶりに東村山市と所沢市の境界にある八国山緑地を散策した。ここを私はミニ高尾山と呼んでいる。新緑の頃と違い、女郎蜘蛛の巣や、目の前でまとわりつく虫などで深呼吸するという気分にはなれない。また途中スズメバチ注意という迂回路が一か所あった。そしてここでもナラ枯れの被害が進行していた。

 玉川上水の緑道を小金井公園まで東に向かうのは私の散策コースの一つである。片道約1時間を要する。往復すると約1万5千歩になる。このコースの途中でナラ枯れの無残な姿の木を数多く目にするようになった。ナラ枯れを目撃した時期はコロナの感染拡大の時期とほぼ重なる。(10月6日に小金井公園へ歩く)

 

 ナラ枯れはカシナガキクイムシが媒介するナラ菌によってドングリがなるコナラなどが急速に枯れ死する病気だ。枯れた木は基本的に伐採されるが、それまでは害虫の拡散を防止するためシートで覆われている。木の根っこにはカシナガが孔道を掘った木くずや糞などが混じった粉(フラス)が噴き出している。

 林野庁の資料によると全国のナラ枯れ被害のピークは2010年になっている。ナラ枯れは集団で枯れる伝染病の一種で江戸時代からあったという。高齢化した大きい木を切って林を若返らせないと被害は増えるという。先人たちは枯れた木を薪炭として利用することで被害を早期に収束させたという。そういえば何年か前にマツ枯れで大騒ぎしたこともあった。 

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*有為転変

2021年10月14日 | 捨て猫の独り言

 工事車両が入る辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、コロナ禍の今でも座り込みは続いている。抗議活動の先頭に立ち、沖縄平和運動センターの議長を8年間務めてきた山城博治さん(69)が年齢を理由にこの9月に議長を退いた。抗議活動の現場から身を引くつもりはない、生涯活動家としてくたばるまでやると言う。

 ドイツを16年間率いてきたメルケル首相(67)が9月のドイツ連邦議会選挙に出馬せず選挙後に政界を引退した。この夏にメルケル氏の伝記を出版したジャーナリストのボルマン氏(52)は「イデオロギーを持たないことが際立った特徴だ。彼女にとって、すべては現実的な課題だ」と話す。選挙では中道左派の社会民主党と緑の党が議席を伸ばし、どのような連立政権になるか注目されている。

 フィリピンのドゥテルテ大統領は「来年で政界から引退を」表明して国内では驚きが広がっているという。憲法で大統領の任期は1期6年と定められている。就任以来主導してきた「麻薬戦争」をめぐり退任後に国内外で訴追される可能性を回避するために副大統領選へ出馬を予定したが、それをとりやめ引退するというのだ。ドゥテルテしの長女で南部ダバオ市長のサラ氏が大統領選に出馬する可能性がある。

 だいぶ昔のことのように私には思われるが、大規模な選挙不正という根拠のない陰謀論をふりまいて、トランプ米大統領がホワイトハウスを去ったのはこの1月のことだ。共和党支持者のなかにもトランプ前大統領の突拍子もない言動にはうんざりしているのではないか。わが国では昨年の9月16日に安倍総理が不明朗な辞め方を決行した。どこまでもこの人らしい生き方だと私はウンザリしたものだ。

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*固定電話

2021年10月11日 | 捨て猫の独り言

 個人情報保護法は2005年に成立している。情報化社会の進展とプライバシ―保護などの社会的要請によるものだった。あらゆるところで住所録の発行などは停止され、分厚い電話帳なども姿を消していった。住所録が無くなって不便だと思ったことなどが思い出される。

 つい最近まで私はスマホが身につかなかった。いや今でもスマホを十分に活用できずにいる。最近折り畳み式の携帯いわゆるガラ系からスマホに切り替えた。たまたま時を同じくして、私が頼りにしていた固定電話機が故障するという事態が起きた。そこでこの機会に固定電話を破棄することにした。

 私にとっては一大決心だった。これまでスマホでやりとりをしたことのない大事な人の数名には番号をハガキで伝え、必要な数か所にはスマホで直接連絡した。これまで固定電話は留守電に設定していたが、それでも無用な電話には悩まされていた。とりあえずこれでさっぱりした気分である。

 ところが困ったことにスマホの便利な機能を学習しようとする意欲が起きない。いまだに電話とメール利用のレベルで停滞している。乗り換えるにあたってグーグルレンズで花などにカメラを向けると花の名前を教えてくるという機能に大いに期待した。ところがその精度たるやまだまだ不十分で出鼻をくじかれた。いろいろ屁理屈を並べてスマホを使いこなせないでいる。 

 

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*うなされる夢

2021年10月07日 | 捨て猫の独り言

 「いい夢を見たい」というとき、手に入れたい都合の良い理想的な「現実」のことだろう。このように理想に近い状態のことを指すのではなく、寝ている時に見るあの夢のことである。私が見る夢は例えば約束の期限をズルズル延ばしたりして窮地に陥り、そこで目が覚めるというような夢が多い。

 養老先生なら即座に夢とは寝ている時の脳の働きと言うだろう。寝ている時にも脳は途方もない情報を処理しているという。夢から目覚めてそれが記憶に残っているということは、よほど記憶のかけらが濃く集積した結果だろう。(農家の柿と蜜柑)

 

 私の場合、これまでろくな生き方をしてこなかったせいか罪悪感のかけらが処理できないほど脳に集積されてそれが刺激となり、うなされたあげく目覚めるような夢が多い。たまに懐かしい人たちが意味不明な仕方で登場することもある。一度でいいからおだやかな幸せな夢をみたいものだ。

 夢といえば荘子の「胡蝶の夢」という故事を思い出す。蝶になって飛んでいる夢を見た、目覚めると荘子である。「自他の区別を超越してしまっている境地」という解釈が一番いいように思う。彼は我であり、我は誰でもである。そう考えると、「なんと真面目にわれわれは生きていることよ」という心境になるのかもしれない。

 

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*新聞を切り抜く

2021年10月04日 | 捨て猫の独り言

 新聞回収日が近づくと切り抜き作業をまとめて行う。月曜の「毎日歌壇」、水曜夕刊の田中優子の「江戸から見ると」、月一回木曜の王銘九段の「棋界新時代」、日曜の高橋源一郎の「人生相談」と松尾貴史の「ちょっと違和感」は決めている。

 気になるプロの棋譜を切り抜いてフォチキスで止めておき、後に石を並べたりする。ブログのネタになるようなものを探しているようなときもある。むしろ切り抜きながら読み返している時の方がちゃんと新聞を読んでいるかもしれない。

 毎年11月に新聞は朝日か毎日かどちらかに代わる。不便だがかなり前からそのようにしている。1年も経つと朝日では何を切り抜いていたか全く思い出せない。私が注目する郷里の2人の歌人がいる。7月から9月にかけて毎日歌壇の入選作をつぎに記してみる。朝日歌壇でも二人の才能ある作者に会えると思う。

 垂水市・岩元秀人⇒ 「君という分銅一つそっと置き記憶の重さを計らんとせり」「真っ青な空に待たるるここちして七月の窓全開にせり」「ゆく夏の浜に千鳥が二ついて「さびしい人がいますね」と言う」

 霧島市・久野茂樹⇒ 「早世の友のかあちゃん卒寿超え空っぽの目でぼくを見つめる」「山峡をめぐるおんぼろ路線バスバックミラーに媼をうつす」「駐車場の空を白鳥一羽ゆくプリマのごとく両脚そろへて」「さみだれに全身濡らす誘導員赤き灯を振る工事車両に」「きらいなものプリン・牛乳・ミルクセーキ妻は<なめらか欠乏症>です」「ウイルスに魂売りしか若者は缶ビール手に戸外に屯す」

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