碁を打った雨の日は団体客が去って宿は静かだった。その夜の広間での歓談で、とんとん拍子に今後の私の午前の日課が決まった。明日から早朝5時半に宿を出てゲート前に参加することになった。上越市から来たIさんの車に、私と三鷹市から来たHさんが便乗させてもらう。。「やっと5時半デビューね」と私を皮肉る人がいる。この三人は宿泊数も多く、その期間もほぼ重なっていた。Hさんが持ち込んだ米を炊き、共同の夕食を作ることにしていたがHさんが二回欠けて三人そろったのは二晩だけだった。
薄暗がりの6時前にゲート前に着く。国道を挟んで山側もまた基地である。その山側の国道沿いにテントがびっしりと建ち並んでいる。テントに対する警告の立札も一応あるにはある。吹きさらしのテントとは別に、内部を窺うことができないテントがある。到着の早すぎた私たちが、その中へ入ると電球が輝き、練炭火鉢に湯が沸いている。テレビもあり簡易ベットもある。ここに若者たちが泊りこんだこともあるという。撮影禁止の貼り紙がある。朝の冷え込みは厳しく携帯カイロが配られた。
6時半ごろ集合の合図があり、山側のテント前で注意事項を聞く。怪我をしない、逮捕者を出さない、一人きりの状況になったらすぐに大きな声を出すなどの注意がある。県外からの人はと言われて二十名近くのうち半数ぐらいの手が挙がり、歓迎の拍手が起こる。明るくなりかけた7時頃には座り込みが始まっている。そのうち次第に座り込みの人数も増えてゆく。日に何回か黒砂糖や焼きドーナツなどの甘いものが配られる。女性の参加者の数が多いようだ。五台ほどの車がフル回転してトイレの送迎が行われている。辺野古の抗議行動は組織的で機動力も備えている。送迎の車の中で地元の爺さんは週に6回はゲート前に来るよと話してくれた。
私の隣りの隣りで座り込んでいた年輩の方が、立ちあがり私を指さして何か言っている。どこかでお見かけしたお顔である。そしてすぐに気付いた。互いに名乗り合ってはいないが、昨日の囲碁クラブで私が一目負けした五段氏である。思いがけない再会に私は軍手を脱ぐことを忘れて握手した。午後には汀間漁港から海上行動の船が出るという。瀬嵩の浜からはカヌーやゴムボートが出る。私は県外からの男4人で小型船に乗せてもらった。ドリーム号はスパット台船の監視の任務をおびていたようだ。一隻だけ大浦湾の外洋に出てフロートのはずれまで行き台船の近くで小一時間停船していた。帰港する時には雲が低く垂れこめていた。こちらの動きに合わせて海上保安庁の船はどこまでも追跡してくる。激しく上下動して波をたたきながら進む小型船の舳先に座っていた私達はバケツで海水を浴びせられているような状態で下着までびしょぬれになった。