玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*買取ビジネス

2022年10月31日 | 捨て猫の独り言

 右肩上がりの経済成長の時代はとっくに終わり、日本は長期的な不況のただ中にあるようだ。不況になれば、物を現金化しようという心理が働くという。買取業界にとっては追い風というわけだ。近くの紳士服量販店が閉店し、リサイクルショップに変わった。少し離れた場所にさらにもう一軒出現した。

 買取業の極意は安くで買って高くで売ることだ。古典的なものは売るにせよ買うにせよ、よく学生時代にお世話になった「古本屋」だ。「質屋」はまず金融業だろうが、客が流してしまえば買取業に変わりはない。日用品を扱い、規模が大きくなった「古道具屋」は今ではリ「サイクルショップ」と呼ばれる。

 何年か前に街道筋の一等地にあった和菓子屋が、けばけばしい看板で覆われて屋根瓦が見えるだけの買取店になった。ブランド品、貴金属、高級酒、電動工具などが大写しとなった看板である。街の景観を損なうことはなはだしい。むき出しの物欲を見るようだ。最近その類の店があちこちにできて新聞のチラシ合戦が熱を帯びている。

 

 団塊の世代が75歳に達したこともあって、日本は「大量死の時代」を迎えつつあるという。物があふれていた経済成長時代に買い込んだモノを吐き出すことで供給の方は十分あるということだ。それに「終活」や「断捨離」が追いうちをかける。中古品の需要は国内だけでなく海外にもあるという。

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*落語2題

2022年10月27日 | 捨て猫の独り言

 つぎは落語の「碁泥」のあらすじ。碁に熱中しているところに一人の泥棒が入ってくるがこの泥棒も碁が大好き。盗んだものを風呂敷に包んで家を出ようとするが碁石を打つ音にひかれて二人に近づきしばらくながめているうちについ我慢できなくなって助言をし始めてしまう。二人は見知らぬ男が大きな荷物を背負っていることに気づくが、口出ししないでくれと言いながら依然として碁に夢中。

 つぎは「笠碁」のあらすじ。「待った」で大喧嘩、しかし互いに毎日打ちたいほどの碁好きであり、かといって碁会所に行くほどの棋力もない好敵手同志。やがて「待った」をした方は相手も同じ心情にちがいないと通りの軒先から見える位置に碁盤をおいて待ち始める。雨の午後、狙い通り笠をかぶった相手がやってくるが家の前を何度も行ったり来たり。「やい!ヘボ」「ヘボってなんでエ」雨は上がったのに盤に水が漏れる。「お前さん、笠被りっぱなしだ」

 落語はまくらと本編、そしてオチで構成されており、「笠碁」のまくらは「碁敵は憎さも憎し懐かしし」である。また格言の「岡目八目」の岡目(傍目)はわきから見ていることで、八目の目は碁盤の目のことで、八目先まで読むということになる。つまりこれは第三者の方が事態を的確に判断できるという意味だ。「碁泥」の泥棒の置かれた状況を岡目八目という。

 

 パソコンに、見知らぬ相手と打つ囲碁アプリを設定してあるのだが臆病なせいで、一度もそのアプリでの対局に踏み切れずにいた。最近のことスマホに「みんなの囲碁」という無料アプリをインストールすることになった。相手はAIなので自分の都合のいい時間に対局を開始できるし、何の気遣いも要らない。それに「待った」もできる。電車で移動するときなどに最適なお供だ。

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*堆肥

2022年10月24日 | 捨て猫の独り言

 新聞の「ひと欄」のローカルフードサイクリング社の平(たいら)由以子(56歳)さんが紹介されていた。社名にちなんだ「LFCコンポスト」はファスナー付きのおしゃれなバッグである。台所におけるほどの大きさで、玄関先などに置いてもなんの違和感もない。バッグと独自の配合基材と内袋がセットになった商品だ。都市の集合住宅に住む人向きといえる。

  

 この機会に堆肥そもそものことから考えてみた。小平市でも江戸時代から、ケヤキやコナラ、クヌギの雑木林を育て、そこから供給される大量の落ち葉を堆肥にして利用していた。近年は都市において焼却生ごみの減量=生ごみの堆肥化が求められている。ここでCOMPOSTは堆肥のことであり、堆肥をつくる容器もコンポストと呼んでいるようだ。

 堆肥とは、わら、落葉、野菜クズなどの有機物を、積んで腐らせて(微生物に分解させて)その栄養を植物が吸収しやすいようにしたものといえる。田畑で野菜などを育てて収穫を繰り返すと土の中の栄養素はだんだん減ってゆく、それを補うのが堆肥というわけだ。また微生物といえば、その働きで納豆や醤油、チーズ、酒などの食品ができる。

 コンポストのこれまでの設置型、密閉型、電動式生ごみ処理機などに加えてLFCコンポスト(バッグ型)が新たに参入したということのようだ。我が家の庭には設置型のコンポストがある。これまでその利用の仕方が不十分だったことに気づいた。野菜クズはできるだけ細かく刻むこと、まめにかき混ぜること、時に発酵促進剤を足すこと、これが重要だがいっぱいになったら2~3ヶ月「熟成させる」ことなどだ。

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*新日本風土記

2022年10月20日 | 捨て猫の独り言

 NHKBSの14日(金)の新日本風土記の「再会絶景鉄道」を録画して見た。あの2011年東日本大震災と同じ年の福島・新潟豪雨被害で11年間一部不通となっていたJR只見線が10月1日に全線開通した日の様子を中心に、沿線の人々のこれまでの暮らしを紹介していた。(シュウメイギク)

 

 まだ一部不通だったときの只見線に関する番組を見たことがある。それは郷土写真家が撮り続けてきた只見線の写真をSNSで発信したことが契機となって外国人観光客が鄙びた集落を訪れるようになった。特に雪のない東南アジアの人々にとって、雪に埋もれるように走る列車の姿は「ロマンチックな鉄道」と映ったようだという番組だった。

 「風土記」でも、この写真家は登場するのだが観光という観点は背景に退き、大正時代の会津線開通に始まり、徐々に六十里越しトンネルから新潟へと路線を伸ばしていったこと、田野倉ダムの建設で湖底に沈んだ集落、またダム景気の賑わいは一時的なものだったこと、最後のマタギ、沼沢湖のヒメマス養殖など地域の歴史を中心に紹介していた。

 退職した元駅長さんが昔を懐かしんで「出発、信号機よし、お客なし」と言って笑わせたり、不通区間の代行バス運行終了のセレモニーの様子も放映された。只見線の復活は、便利さやコスパじゃ計れないものを願う人々の熱意が奇跡を生んだのだ。また朝日新聞では17日の夕刊から「お帰り只見線」の連載が始まった。登場人物が風土記とダブルのは仕方がない。

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*詩人・実朝

2022年10月17日 | 捨て猫の独り言

 小林秀雄は無常と言ふ事の「実朝論」の書き出しで芭蕉が中世の歌人では西行と実朝を挙げていることを紹介している。また万葉調と言われる有名な歌「箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波の寄るみゆ」を小林は大変悲しい歌であると主張する。陰惨な暗殺集団のうえに乗っかった無垢(むく)な詩人の孤独をみている。

 吉本隆明の実朝のもろもろの歌に対する見解は小林とほぼ同じだ。吉本によると、初代・頼朝が義経を討ったのは猜疑心や小心さではなく、在家武家層の慣習に従うことで関東武者たちを納得させカリスマ性を獲得したとみる。頼朝は律令王朝を改廃せず、位階をもとめる意志もなく、ただ征夷将軍の任さえあればよいと慎重だった。(小平市中央公園のメタセコイア並木)

  

 三代・実朝が務めたことは鎌倉の里のうちや、伊豆箱根の神社仏寺もう出ることだった。一度も上洛して律令朝廷へ伺候することもしなかった。実朝は和田義盛のようなような頑固で武骨な宿将が好きであったが、和田合戦で信頼すべきすべての家人を失う。その後、実朝が北条一族の執政に対しておしとおしたことがある。ひとつは渡宗の計画(建造された船は遠浅の鎌倉の浜で浮かぶことなく朽ち果てた)であり、ひとつは晩年官位の昇進をしきりにもとめたことである。

 義時にしてみれば実朝に太政大臣に就任されたとしたら武門勢力が律令王権の体制下に組み込まれてしまうことになる。義時と広元の諫言(かんげん)をしりぞけたうえは、あと実朝に残されのは〈死〉だけ、ということは自明であった。ところがNHKの「英雄たちの選択」の最近の番組では、異なる実朝像が描かれていた。和歌で都の後鳥羽上皇との信頼関係を築き、朝廷の権威で御家人たちを統制、幕府の武力が朝廷を支えることで平和な世を築こうとしたというのである。この見解には私として賛同しがたいものがある。

 

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*JR只見線全線開通

2022年10月13日 | 捨て猫の独り言

 福島の会津若松市と新潟の魚沼市を結ぶ「JR只見線」が、この10月1日に2011年7月の豪雨災害から11年ぶりに全線開通した。「秘境路線」として鉄道ファンには人気の路線で、私も「青春18きっぷ」で乗車したことがある。JR東日本は当初、廃線とバス転換を福島県側に提案していたという。

 それを翻意させたのが、復旧費用90億円の3分の1を、復旧以後の維持管理費年3億円を負担してでも全線再開にこだわる地元の熱意だった。JR東は列車運行を担い、鉄道施設は県が維持管理するという「上下分離方式」が採用された。「自分たちの鉄道」として責任をもつという運営のあり方は画期的なことで注目に値する。(茶の木の花)

 

 JRでは今年、東日本 、西日本、東海の三社でもローカル線の赤字額の公表に踏み切った。国交省が主導して路線ごとの存廃論議が本格化する。しかし廃線を警戒する沿線自治体の反発で協議が進まないケースが多い。たとえば2020年7月の豪雨で運休したままの「JR肥薩線」についてはJR九州は赤字額を235億円と見積もり廃線の方向だが、地元は「SL人吉」などの観光列車が人気だったことから、鉄道としての復旧を求めている。

 JR東日本・深沢社長の10月9日のインタビュー記事を読んだ。利用が少ないローカル線をバスなどに転換した場合、同社が運行経費などを負担する期間について「30年以上は責任を持てない。30年は一つの区切りだ」と語った。「昔は鉄道しかやっていなかったが今はやれることの幅が広がった。生活サービスやDX(デジタル化)などの分野で貢献できる。働く場所をつくり、新しい人が入ってこないとまちは絶対に成り立たない。それが我々の仕事だと思っている」と話した。

 

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*独特な文体

2022年10月10日 | 捨て猫の独り言

 いつものように朝日新聞の高橋純子編集委員が執筆する9・28「多事奏論」を切り抜いた。多事奏論の執筆者は他にもいるがこの人の書いたものだけは欠かさず目を通すことにしている。魅力はとにかく歯切れの良さである。「男はつらいよ」の寅さんが使う啖呵売での口上のセリフを聴く痛快さに通じる。

 彼女については、最終学歴を公開していない、反日、反安倍、文章へたくそ、朝日だから編集委員やれてるなどと腰が引けたような反論がネット上で散見される。それだけ突破力のある文章だということの証明かもしれない。この日のお題は「国葬と岸田首相 実にこわい 剣ヶ峰で気概なし」だった。

 

 「岸田首相はそもそも安全運転だっただろうか?違うな。確かにスピードは全く出ていない。だが、ふらふらと右に寄ったり左に寄ったり、ウインカーを出しつつ直進を続けたり、なんでいま?というタイミングでアクセルを、どうしてここで?な場所でブレーキを踏んだりする。周りがよくみえていないのか、はなから見ちゃいないのか、状況と動作がかみあっておらず、何をどうしたいのか意図がさっぱり読めない。これは実に地味にこわい」

 「社会の分断をもたらす国葬を実施した首相の罪は重い。だからこそあえて一つ提案したい。自ら先頭に立って安倍氏を盛大に悼んだことを奇貨として安倍政治との決別を宣言し、国葬を新たな出発の機会と位置づけてしまってはいかがか。今となっては唯一の、意味のある国葬の使い道であり、首相にとって、日本の政治にとっても起死回生のラストチャンスかもしれない。勝負に出る価値は十分あると考えるがどうだろう?・・・って、答えは聞かなくてもわかる、ような気がする」

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*大河ドラマを楽しむ

2022年10月06日 | 捨て猫の独り言

 三谷幸喜脚本によるNHK大河ドラマの「13人」とは、頼朝の死後発足した、集団指導体制を構成する武士や官僚からなる13人のことだ。13人の中から1人また1人と脱落者が出てゆく。三谷はこの作品は考え始めてから、まる三年かけて書いていたことになるという。この8月に最終回を脱稿したそうだ。

 日本史を知らない海外の人が観ても楽しめるドラマにするのが目標だった。年末に迎える最終回はかなりの衝撃。今までこんな終わり方の大河ドラマはなかったはず。参考になったのは、アガサ・クリスティ―のある作品。どうぞお楽しみにと言う。たまたま私は初回から欠かさず観てしまっている。(紅要を覆う雲南百薬の花穂、砂利道に咲く曼殊沙華)

 

 本棚を整理していると吉本隆明の「源実朝」が目に止まり読み始めた。これは筑摩書房の日本詩人選の中の一冊で三島事件の翌年の1971年に出版されている。全20巻の中には大岡信の「紀貫之」、山本健吉の「西行」などがある。大河ドラマでは現在、主人公の北条義時が仕える三代将軍・実朝がしばしば登場している。

 吉本の「源実朝」を読んで頼朝、頼家、実朝の源家三代の将軍職や坂東の在家武家層との関係などのことがよく理解できた。タイミングの良い読書となった。そして「鎌倉殿の13人」への興味は増すばかりだ。三谷は鎌倉初期というあまり描かれることのない時代。その分、難しくはあったけれど、描き甲斐もあったと語っている。

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*小平の秋

2022年10月03日 | 捨て猫の独り言

 芽吹きの春の埃っぽい空気とは異なり、秋の大気は澄みわたり、からりとした風が肌に心地よい。曼殊沙華が咲いて、どこからか金木犀の香りが漂う。香りのある植物はたくさんあるが人々の注意をひくことで一番は金木犀ではなかろうか。秋になると中国を旅したとき桂林の街全体は金木犀の香りでむせかえるようだったことを思い出す。

 小平市は10月1日で市制施行60周年を迎え、この日市民文化会館では記念式典や催しが行われた。また平櫛田中(ひらくしでんちゅう)彫刻美術館では特別展「生誕150年平櫛田中展」が9月17日~11月27日まで開催されている。特別展のために、生まれ故郷の岡山県井原市立田中美術館や東京芸大などから作品約60点が集められたという。

 ぜひ観たい2点がある。普段なら岡山でしか見ることのできない「幼児狗張子(いぬはりこ)」(1911年)で、特別展のポスターにもなっている。モデルは田中の長男で、ふっくらとした頬やすべすべした肌など幼児の表情が生き生きとした作品。個人蔵で約120年ぶり公開の「樵夫」(1899年)で、木樵(きこり)の顔に刻まれた深いしわや着ている服のひだなど細部まで克明に再現された作品。

 

 また10月28~30には「武蔵美芸術祭」が開催される。江戸の活気を受けてコロナの収束を芸術を通して願うコンセプトのもと準備中という。テーマは「まうじゃないか」で「まう(舞う?)」はMAUの駄洒落のようだ。感染症対策のため予約制というが詳細は不明である。11月4~27には「日展22」が例年通り六本木にある国立新美術館で開催される。

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