玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*秋晴れの日に町田へ

2014年09月29日 | 捨て猫の独り言

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 今年のゴーヤは収穫が少なかった。ゴーヤの盛りが過ぎたこの時期は小さい実だけがぶら下がり、緑の葉は大部分が黄色く変色している。のびのびになっていたゴーヤカーテンの撤去をを今日の午前中に終えた。撤去前に収穫してみると、小さい実ながら20個もあった。種をまいた春菊と小松菜は一週間後にほぼ同時に発芽した。種をまいてから今日で二週間あまりになる。小松菜の方は本葉が出始めたので明日あたり間引きしようと思う。

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 秋晴れの昨日は町田市にある旧白洲邸の武相荘(ぶあいそう)に出かけた。一度は訪ねてみたい場所の一つだった。その場所を思いついた夜に寝床で「白洲」「正子」の名前をなかなか思い出せず、「次郎」も何々次郎か思い出せずにおおいに焦った。このようなことはこれからもたびたび起きるにちがいないと覚悟した。国分寺から立川に出て南武線で登戸に行き、小田急線の鶴川で降りて徒歩15分のところだ。武相荘は小さな丘の斜面にあった。

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 白州次郎は日本が敗戦し、東京は焼け野が原になることを見抜いて昭和18年に鶴川村に転居している。茅葺屋根の農家を買い取り改造しながら暮らしたのが武相荘である。次郎は手先が器用で日曜大工が趣味の一つだった。キャスター付きのテーブルやパンの調理台、次郎が設計しマッカーサーに贈った椅子のレプリカが展示されていた。次郎と正子には長男二男長女がいる。二男は小林秀雄の長女と結婚した。次郎は83歳で没し、正子はその13年後の平成10年に88歳で没した。

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 広い敷地には二本の古い柿の木があった。散策路の入り口にはなぜか鈴鹿峠の石柱がある。母屋から出ると、つる野菜栽培ネットに見知らぬ白いストライブの入った小さな実がぶら下がっていた。オキナワスズメウリだと知った。1時間ほどの見学が終わるとちょうど正午である。腹ごしらえをして鶴川の駅周辺を探索した。2年前に完成したという町田市の複合施設「和光大学ポプリホール」があった。その2階にある鶴川駅前図書館に足を踏み入れて感動した。対面式でない利用者専用の机が数多く並んでいる。図書館とはかくあるべきと思わせる構造だ。静かさが保たれて幅広い年代の利用者で溢れていた。

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*天高く

2014年09月22日 | 捨て猫の独り言

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 オープンギャラリーの展示ケースに見慣れない貼り紙があった。それには「小平中央公園の雑木林で幻燈会や観察会を開催しているどんぐりの会です。鈴木忠司さんがギャラリーをお休みされる間、ささやかな展示をさせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」と書かれてある。どんぐりの会では道路問題についての思い思いの意見を葉っぱの形の紙に書き、それを貼りつけて「みんなの木」をつくるというイベントを行ったことがある。その時に寄せられた紙の葉っぱが展示されていた。

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 どんぐりの会の運営主体は若い母親たちである。寂しくなったギャラリーの展示ケースを見て、その空白部分を利用しようとしたのは機を見るに敏だった。今回の展示はギャラリーに五面ある作品展示ケースの二面を使ったささやかなものだ。今後展示が増えるのかどうか分らない。雑木林の存続がかかる都道の建設はどんぐりの会にとっては切実な問題だ。これから十年は多くの住民と行政のせめぎ合いが続く。鈴木さんのお休み期間がどれほどになるのかは分らない。

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 私の家からオープンギャラリーまでは玉川上水沿いに歩いて3分、そこからさらに5分歩いたところが問題の中央公園の雑木林だ。私の夕方のウォーキングの場所は中央公園だから毎日そこを通る。中央公園には400mトラックがあり、その半周部分は桜並木で囲まれている。その桜と桜の木の間の植え込みには、この時期にところどころススキや萩などが顔を出し、すぐ横のトラックのコースには桜の黄葉が落ちて秋を強く印象付けている。

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 明るい空を見上げると、ちぎれ雲がはるか上空に見える。西の空の夕焼け雲までも印象深い。小学生の頃に習字の時間に書いた「天高く馬肥ゆ」という六文字を思い出す。それを書いてた頃は「天高く」を実感することもなく言われるままに書いていたにちがいない。最近の私は空を見上げてしみじみ秋を感じることができる。「馬肥ゆ」については、もともとは中国では秋になると馬に乗って略奪に来る蒙古人を恐れた警戒の言葉ということだ。これはつい最近知った。そしてしばし中国や朝鮮との交流の歴史を思った。(写真最下段はツリガネニンジン)

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*どういう意味です?

2014年09月16日 | 捨て猫の独り言

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 彼岸花が咲きだした。私は12日に畳二枚ほどの畑に春菊と小松菜の種をまいた。家人はこのところ週末毎にベニカナメやシラカシの剪定に大忙しだ。切り枝の後始末が私の役回りだ。庭の角にある一本のクロガネモチの幹回りはだいぶ太くなっている。さらに家人はその木に登って枝を落とす。何年先までこの作業ができるか予測は不可能だ。ツゲの生垣の手入れも家人の一日仕事だ。二本ある松の手入れは昨年から植木屋さんに頼むようになった。

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 散歩に出てオープンギャラリーの横を通るたびに空っぽの展示ケースに目が行く。このように個人で経営するオープンギャラリーを私は他に知らない。玉川上水の四季の風物をスケッチや写真に焼きつけてタイムリーに提示する。「追っかけていてはだめ、待つようにならないと」が鈴木さんの口ぐせだ。その展示がしばらく休止という事態になった。私は二週に一度の観察会をこれまで三ヶ月も欠席していた。さあ九月からは参加しようという矢先のことだった。

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 新聞のコラムでユーモラスな一首が紹介されていた。投稿したのは藍原秋子さんという方である。『新しい眼鏡で私を見るたびに「うわっ」て どういう意味です?父さん』 なんともいえないそれぞれのお人柄が伝わってくる歌だ。別の場所では石川のり子さんという方の投稿歌で「数あれど不満の一つ呟けば夫は箸止め酒こぼしたり」とあった。ついでに男歌を一首。「うまくいけば今日は禁酒が出来るかと六時を過ぎるころまで思ふ(馬場昭徳)」

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 囲碁棋士の高尾紳路十段のブログには自戦解説がある。最近の記事に『早くも敗戦を覚悟、その後も凡ミスを連発、しかしなぜか運良く逆転勝ち。野村元監督の「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」この言葉は名言です。しばしこのような事が起こります』とあった。私は名言の元監督は詩人だと思う。「勝ちを拾った」というズバリの言葉を使わずに、その周辺の言葉を組み合わせて、なんとかそれを表現しようとするとき、そこに詩が生まれる。この説は歌人・斉藤斎藤の受売りです。(写真最下段はヤマボウシの実)

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*しばらく休止

2014年09月09日 | 玉川上水の四季

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 週に一度の公民館の囲碁会と二週に一度のオープンギャラリーの観察会はよく参加していた。五月末にアメリカからの二人の小さな留学生を預ることになり、その期間は二つの会を休むことにした。子守に専念というところだが不器用なだけとも言える。その後八月に入っても帰省などもあって休んだ。それぞれの会へ参加を再開するのは区切りのよい九月からと決めた。

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 九月初めにギャラリーの近くで鈴木さんにばったり出会った。しばらくのごぶさたを詫びると、それをさえぎるように鈴木さんは意外な言葉を口にした。「このところ疲れがとれない状態が続いている。医者からは活動を控えるように言われた。この夏はバタバタと同級生が三人も倒れたのも参ったよ」と、すこし痩せたようではあるが相変わらず日焼した顔でにこやかに話した。

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 9月8日は二十四節気の白露である。ところが行われるはずの展示の入れ替えが今回は行われなかった。開設して6年目を迎える中で初めての出来事である。なにもない掲示板の中央にはコゲラを描いた鉛筆画デッサンがあり、その下には「ギャラリーを運営しております主宰者が体調不良のため活動を休止しています。よって、展示が継続できませんのでしばらく休ませていただきます。20014年9月7日。玉川上水オープンギャラリー」と書かれていた。

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 展示休止について鈴木さんから直接に聞いてなかったので驚いた。白露は「スケッチ・秋の野草」秋分は「写真・モズの生活」寒露は「スケッチ・秋の玉川上水」霜降は「写真・ジョウビタキの生活」という「秋の展示予定」の掲示はそのまま残されている。展示は長期的な見通しのもとにいつも緻密に計画されていた。「わが町の顔」の休止に寂しい思いをしている人は多いはずだ。(写真は玉川上水のセンニンソウと薬用植物園にて)

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静かな暮らしに戻る

2014年09月08日 | アトランタ便り

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 数年前グアムの海中でオコゼに刺されて以来、私の皮膚は虫に刺されると大きく腫れ易い。滞米中何度か蚊には刺されたが、ある日腕がやたらと痒く見たら腫れつつあった。翌日には腫れはさらに拡大し痒みも増してきた。外国でヤバッツ!娘がつい先般の来日中、今春開業に踏み切った息子から、処方を受けていた軟膏や抗生物質を内服し、冷やしに冷やし5日目に完治した。ちなみにこの処方は、医療費の高い米国ゆえ、娘の希望に沿って長期海外滞在として3け月分処方を受けた代物だった。

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 アメリカのキッチン台の高さも毎度苦労しているから、出発前古くなった靴をヒールが高めの物に変えた。室内は靴を脱ぐ生活にしているのだが、台所だけは履いた。靴を履かないと台所仕事に支障を来す。包丁は日本から持参したものだが、うっかり手でも切ると後が面倒だし、ガス台だって危ない。それなのに・・・今度のアパートときたらIHながらゴトクが乗ってその分嵩高だった。それでも事無きを得てホッと安堵しのだった。そして最終日、冷蔵庫の野菜全てを使いきる料理を作り、パッキングも済ませ、ゴミも出し終えて一服せんとコーヒー作りに事務所へ向かった。紙コップも嵩高だから充分気をつけていたのに・・うっかり肘が当り、太腿に熱いコーヒーを浴びてしまった。あァ~ツ!。急いで帰室し今度も冷やしに冷やし患部を冷やし切った。真っ赤でヒリヒリしていた太腿はそのまま鎮まってくれた。

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 翌日の帰国便はスムーズで1ヶ月ぶりに自宅に帰り1週間たった。例によって私の体重は落ちていた。2ヶ月東京で、1ヶ月アトランタで喧騒に紛れていた私は、丸でエアーポケットに陥ったような気分だ。小学低学年の子供達の言動は、そうそう私の体力を奪う訳ではないが、静かな暮らしに慣れ切っている私を揺さぶるのだろう。時差や環境の変化に対応すべく体調や睡眠管理に気をつけてるし、マダ大丈夫だと思ってはいるのだが、それでも体重は減る。そうやって体重が戻り切らない内に年が明け、また同じ事を繰り返している。

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*短歌雑誌

2014年09月02日 | 捨て猫の独り言

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 そうか君はもういないのか。親しかった人を送って、その事実をなんども確認している。いま思えば宣告を受けたあとの電話だったのだろう。「年を取るということはこういうことかと思う」「70まで生きてこれで十分」などと強がりを言っていた。徒然草に「人は皆死ぬことを知っているが、その覚悟もしていないとき、突然やってくる。沖の干潟が遥かに見えても、まもなく磯辺に潮がみちるように」とある。だから若いうちに突き進めと。そう君はまだまだ若かった。

 視力の関係もあるが私の読書の時間は無いに等しい。たまに図書館で手にするのは月刊誌「NHK短歌」である。昨年から永田和宏が「時の断面・あの日、あの時、あの一首」というコラムを連載している。「歌を一首作るということは、自分の持った時間に錘(おもり)がつくということです。その時間が他のどの時間とも違って、特別な意味を持つようになる。歌を作るということは無意識のうちに自分の外側を過ぎてゆく時間に楔(くさび)をうちこむということにほかなりません」

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 恋の時間というテーマで取り上げた歌の一つに「夕闇の桜花の記憶と重なりて初めて聴きし日の君が血の音」という亡き妻河野裕子の歌がある。「はじめてあなたに抱かれたのは、夕暮れ、満開の桜の下だったということなのでしょうね、たぶん。ほんの短い時間であったはずなのに、記憶の中でその時間は、抱かれていた女性には、はるか未生以前の時間の長さの時間にもつながっていくような時間として刻まれていったのでしょう。たぶん」と解説している。

 日本には俳句や短歌に親しむ人は多い。これほど多くの詩人が住む国は他にあるだろうかと頼もしく感じることがある。ブログを発信することや、非公開の日記を書くことなども「自分の持った時間に錘をつける」という作業と同じではなかろうか。日記を書くような気持ちで自分も歌を作ってみようと何度も思ったが、なかなか永続きしなかった。このことについては自分の壁を乗り越えられないでいるのだが、ふたたび挑戦してみようという気持ちになっている。(写真は8月12日鹿児島市にて)

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