玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*帰国の途へ

2017年07月31日 | 捨て猫の独り言

 孫たち二人は祖母と7月31日に成田からアトランタへ向けて旅立つ。直行便でなくロサンゼルスで乗り換える便である。私にはこの乗り換えが身を削るほどの難事業に思える。このような状況に身を置くのはごめんだ。税関ではどこの列に並べばよいのか誰も教えてくれない。ずらりと並ぶマシーンで税関申請せねばならない。税関人の質問に英語で答えなければならない。荷物エリアを探して受け取り、そして預けなくてはならない。つぎのアトランタ便はどのターミナルの、どのゲートから出発するのか。その場所はどこなのだ。

 日本の学校の給食はおいしいと毎年のようにいう。敷地内の給食室で作られているので、なおのことおいしいのだろう。献立表を見ると、よくもこれだけ考えるものだと感心するほど豊富なメニューがならぶ。7月の「主食」だけでも驚くほどの工夫だ。中華丼、マーブル食パン、そぼろごはん、ターメリックライス、うめじゃこごはん、ツナおろしスパゲティ、ガーリックライス、シュガートースト、ゆかりごはん、じゃじゃめん、さんまのかばやきごはん、ナンと続く。さらに多様な「おかず」がそれらと組み合わされる。

 

 終業式の翌日は、さっそく自分の机の回りの整理に取りかかっていた。ほっとした様子が見える。ある程度のストレスを感じながら登校していたのだろう。目の前でときおり激烈な姉妹喧嘩が勃発する。アトランタで長い夏休み過ごしていたら喧嘩の回数はもっと多いだろうと思われる。そのことだけでも日本で暮らすことの意味があるようだ。今年はあちこち連れ回すことにした。最後の週に、東京駅から皇居周辺に出かけた。ところが引率者は、どれが丸ビルでどれが新丸ビルかさえ分からない。さて昼食はどうするかと迷走した。

 東京駅の外観を眺めたあとで、あるビルの地下一階のカウンター席でサンドイッチを食べた。そのビルこそが丸ビルであることを後日知った。飲み物を補給できない状態だったが二重橋を目指した。その辺りには外国人観光客の姿しかない。東御苑にあるであろう売店で飲み物を調達するつもりだった。むし蒸し暑さの中を大手門に着くと、月・金曜は東御苑は休みで入園できない。誤算続きだ。お堀端を歩いて、毎日新聞本社の入るパレスサイドビルにたどり着いた。幸いにも見つけたコンビニが「また来たい」と思わせるほど快適だった。窓側のカウンター席から外の景色を見ながら飲食できる。ここで元気を取り戻して、北の丸公園の人通りの少ない小道を武道館まで歩いた。それは私も初めて歩く道だった。陽差しはようやく、やわらいでいた。

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*由比ヶ浜

2017年07月24日 | 捨て猫の独り言

 私と孫の三人は一泊の鎌倉旅行に出かけた。孫の遊び友達である、隣りの家族の実家は鎌倉の長谷にある。坂ノ下の私学共済の「あじさい荘」に泊まることを告げると、それは実家の近くだという。毎年「海の日」の連休には2泊の帰省をする。どうせならご一緒しませんかというお誘いがあった。ただちに旅館の予約変更の手続きをした。この変更は、とりわけ私に大きな恩恵をもたらすことになった。

 坂ノ下の信号前の由比ヶ浜で午後3時過ぎに落ち合うことにした。海の日の前日に9時に鎌倉駅に到着した。強い日差しの中を今小路から六地蔵を経て由比ヶ浜大通りを大仏様を目指して歩いた。下の子は海はどこかと何度も聞いてくる。テンプルよりもビーチのようだ。大仏様は思ったよりは小さいという。外国人の観光客の姿が目立つ。長谷寺の見晴らし台から鎌倉のまちと海を見渡すと歓声をあげた。長谷寺は見どころの多い寺だ。

 

 長谷駅と極楽寺駅の間には江ノ電の唯一のトンネルがある。そのトンネルの近くにある御霊(ごりょう)神社の境内を抜けて坂ノ下のコンビニで昼食を調達した。浜には木陰がない。チエックインの3時までには2時間もある。たまらず「あじさい荘」に飛び込んでロビーでの昼食の許可を得る。食事の後、近くの極楽寺まで歩いた。七里ガ浜~極楽寺切り通し~長谷寺~大仏は江戸時代の観光ルートだった。帰りは車道(切り通し)の上にある成就院の階段を上る。下る階段の向こうには由比ヶ浜が見えた。昔の旅人が心躍らせた場所だ。

    

 子供たちは午後と翌日の午前と浜辺で遊んだ。アサリがバケツ一杯採れた。潮干狩りをする人の姿がほかにないのは不思議だ。運がよければ地引網に参加できたという。浜は遠浅でいつも高い波が打ち寄せていた。私は孫を若夫婦に預けて浜を離れた。初日は長谷寺の隣の光則寺、二日目は北鎌倉の東慶寺を見学した。東慶寺では幸運にも鈴木大拙と小林秀雄の墓所にお参りすることができた。また訪れたほとんどの寺院にはハンゲショウが植えられていた。これは今回の旅での貴重な発見だと考えている。

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*沖縄移住あれこれ

2017年07月17日 | 捨て猫の独り言

 MLBの後半戦が始まった。レッドソックスとヤンキースの4連戦に注目だ。あちらでは自分の都市のチームを応援するのが一般的だ。日本人の私がなぜ、レッドソックスのファンになったか、その理由を述べるのはむずかしい。そのレッドソクスが好調である。今年は優勝が望める勢いだけに応援にも次第に熱が入るようになった。投手と野手のバランスがとれて、野手は小柄ながらパンチ力のある個性派ぞろいである。(左写真はホウキギ)

 

 知人に紹介されて原田マハ著「太陽の棘」を読み始めた。解説の佐藤優は「私は日本人が書いた沖縄をテーマとした小説の中でいちばん好きだ」と紹介している。米軍の若き軍医(精神科)が終戦直後に沖縄で経験した実話をもとにした物語である。一気に読まずに隙間の時間を利用してじっくり読むことにした。先の辺野古への旅の際に持参した「八重山共和国」は現地では全く読むことなく、そのまま持ち帰り未だに読み終えていない。

 沖縄に移住を考える人は少なからずいる。歌人の俵万智は東日本大震災の原発事故の直後に、小学生の子供を連れて石垣島に住むようになった。日向市の若山牧水短歌甲子園の選者を務めるなどの縁もあり、5年後の2016年に宮崎市に移住したという。子供は中学生になっている。今は亡き高倉健が近藤勝重との対談でつぎのことを明かしていた。「一度沖縄県の西表島(いりおもて)に住みたいと思って、土地を買い求めたことがありました。良い海でした。

 ちょうど映画ブラック・レイン(1989)の頃でしょうか。あの海と、島の人々の心の豊かさにむちゅうになりましてね。でも、あの地は俳優がチョロチョロと来て住むような場所ではない、と気づいた。僕がやろうとしていたことは自分が暮らしたいと思うほど感じていた島の人たちの心の豊かさとは正反対のことではないのか、と思って。それであきらめました」 

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*薬用植物園

2017年07月10日 | 捨て猫の独り言

 夏至には玉川上水のヤマユリが我が家からすぐの場所に咲いた。昨年とほぼ同時期である。かなり前の鈴木さんのパンフによると以前は少し遅れた小暑に咲いていた。香りの強かったヤマユリも現在は朽ち果てている。変化と言えば、4月の穀雨の頃は、うれしいことにすぐ近くの土手にキンランが群れ咲くようになった。ギャラリーの突然の閉鎖に戸惑う人が連絡を取り合い、鈴木さん不在のままで大暑の観察会の日に集まることになった。 

 この季節は玉川上水の緑道の涼しさがことのほかありがたく感じられる。我が家から下流にある「都立小金井公園」には玉川上水の木陰にできた舗装されたサイクリング道路を利用して行くことができる。炎天下でも苦にならない。昨日は孫たちと上流に向かってサイクリグに出かけた。舗装は全くなされていない。目指すは「こもれびの足湯(ごみ焼却の余熱を利用)」と「都立薬用植物園」である。いずれも無料だ。

 

 この日は、これらの二つの場所で年配者のお世話になった。足湯では大小のヒョウタンが湯の近くの棚にぶら下がっている。それを丹精込めて育てたらしい男性が焼け付く敷石に打ち水をしていた。休憩場所にはメダカの水槽が置かれている。薬用植物園ではボランティアの男性が入り口付近のベンチに腰かけていた。ヤギさんに似た風貌で、飄々とスマホを操り子供の心を巧みに掴んでいった。案内された薬事資料館での私の関心事は「ハンゲ」と「シキミの果実」だった。どちらもギャラリーの観察会でその名を覚えたものだ。(写真はハンゲショウ)

 

 

 ハンゲは写真のように球茎から茎が取れたあとは、へそのように窪んでいて「へそくり」とも言われていた。これを小遣い稼ぎとして薬屋に売っていたので、内緒で小遣いを貯めることを“へそくり”というようになったとヤギ博士は説明した。はじめて聞く説である。シキミの果実は中華材料のトウシキミの果実(八角)と似ている。シキミの果実は猛毒だから要注意と表示があった。庭園に出て、ハスの葉に水を転がして遊んだ。蓮と里芋の葉の形状をしっかり認識できた。ソーセージに似た赤褐色の穂をつけたガマ(蒲)が池の中に見えた。ガマの穂は晩秋には綿毛(種)になると博士がスマホの映像を見せてくれた。

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*沖縄慰霊の日

2017年07月06日 | 捨て猫の独り言

  今年の沖縄の梅雨明けは6月22日でした。沖縄慰霊の日の前日です。一人でも多くの人につぎの写真を見ていただきたくて、ブログ「毎日がちょっと冒険」から無断借用しました。写真がありのままをとらえています。

 全戦没者追悼式では「知事平和宣言」や「首相あいさつ」などがありました。首相は「沖縄の人たちには米軍基地集中による大きな負担を担ってもらっており、この現状は到底容認できない」とあいさつしました。言葉の価値をこれほど貶め続けるリーダーを他に知りません。

 ある県議は「辺野古移設に触れずに基地負担軽減と言われても白々しいだけ。沖縄県民の心にはまったく響かない」と述べています。翁長氏は、基地負担軽減を巡って首相が追悼式で強調した「できることはすべて行う」という言葉について「できないことはやらないと言っている」と切り返しました。

 権力による露骨な情報操作が公然と行われることが多くなりました。情報の受け手としての私たちも賢くなる必要があるようです。この写真の撮影者の沢田氏に敬意を表します。(写真はクリックで拡大)

 

沖縄全戦没者追悼式で献花に向かうアベ晋三首相を見つめる翁長知事はじめ沖縄県民の厳しい目 沖縄県糸満市の平和祈念公園で(沢田将人撮影)中日新聞2017年6月24日朝刊

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*7月2日は半夏生

2017年07月03日 | 捨て猫の独り言

 短期編入生である二人の孫たちの小学校の登校日は合計36日だ。7月は終業式までに13日しか残されていない。二人とも学校に分厚い英語の読み物を持って行く。止めたらどうかと提案したが、すぐに撤回した。交友関係を広げる妨げではないかと考えるのは、こちらの一方的な高望みだと考え直した。元気に登校しているだけでも十分ではないか。

 できるだけ週末にはあちこち連れ出したいと考えている。6月のある週末に渋谷にあるNHKスタジオパークに出かけた。渋谷の街ではものすごい数の人が行き交い、迷子にならないように互いに固く手を握り合って歩いた。玉川上水の緑陰をサイクリングして行く小金井公園は何度も来ている。国分寺崖線の湧水を見た後で行く、広大な原っぱがある武蔵国分寺公園は初めてだった。

 

 上の孫に「ジジはこれからどうするの?」と聞かれたのはギャラリー閉鎖のことだった。「う~ん、どうしようか」と答えるのが精一杯だった。私が抱える喪失感をこの子がどの程度理解しているのか定かではない。気を取り直して、これまでの鈴木さんの節気のパンフレットを整理してみた。通年で揃っているのが2年分ある。あと2年分はいくつかの節気が欠けている。さっそく夏至のパンフを読み返していると、ハンゲショウについて自分なりに理解が深まったことがあったので、それをつぎに記すことにした。

 カラスビシャク(烏柄杓)はサトイモ科の多年草で、根茎を「半夏」といいそれは悪阻(つわり)の妙薬という。玉川上水でよく見かける「ウラシマソウ」に似る。カラスビシャクが芽を出すこの季節の、夏至から11日めに当たる日を「半夏生」と定めた。田植えを済ませた農家が湯治場などに出かけて休息をとる日である。二十四節気の雑節である。一方「ハンゲショウ」という植物はドクダミ科の多年草で、「半夏生」の頃に茎の上部の葉が白くなる。これは「半化粧」の駄洒落ではないかと思いつき、その思いつきに一人悦に入っている。

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