玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*民間療法

2014年01月28日 | 捨て猫の独り言

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 オープンギャラリーの小寒の観察会は例年だと4kmほど先にある小金井公園まで歩き、そこのベンチでささやかな新年会となる。しかし今年は冷え込みが厳しく屋外での新年会はあきらめ、希望者は公園近くの「甚五郎」に飛び込み「小平糧うどん」を賞味した。そして大寒を迎えた。当時68歳の鈴木さんが屋外に私設ギャラリーを開設して5年が経つ。その間に展示の休みは一度もない。今回の大寒の展示で通算すると24×5の120回の展示となる。撮りためた写真をパソコンを駆使してみずからプリントして展示する。年に4回は玉川上水をスケッチした鉛筆画の展示もある。鈴木さんによると玉川上水の自然にテーマが尽きることはないという。気がつけばギャラリーの暦である二十四節気が日本人の生活にじわり浸透してきている。

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 成人の日に図書館の新刊コーナーで「耳鳴り・難聴を治す本」という本に出会った。その本は私のために用意されたかのようにそこに存在していた。私は突発性難聴ということで薬物治療中である。いくぶん回復してはいるもののまだ音が割れて聞こえたり、耳が詰まったように感じることがある。この本を監修したのは40歳代後半に睡眠不足、疲労、ストレスに苦しみ、ありとあらゆることを試みて最後にたどりついたのがヨガという経験を持つ石井正則氏である。突発性難聴は、ある日突然、片方の耳の聞こえが悪くなる病気である。片方というは天の摂理かと思う。原因としてウイルス説、血行不良説、ストレス説などがある。

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 体を健康に保つには日常的に体を温めて冷えを解消し全身の血流をよくすることが大切である。どうやらこれが根本のテーマのようだ。体調不良で診察してもらった時、内科の医者は私の手の脈を測りながら冷え症だねと言ったことを思い出す。健康状態が良好でないのは血のめぐりが悪いからだよと彼は言ったにすぎない。この本は医師や薬剤師、鍼灸師といった専門家が耳鳴り・難聴を改善するための方策を数多く紹介したものである。まずは直感で、「これは効きそう」「これはおもしろそう」というものを試してくださいとある。湯たんぽで「耳を温める」を試した。耳には脳神経の一つである迷走神経が走っていて、耳を温めると迷走神経を介して内蔵機能が活性化するという。

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 食品では「酢タマネギ」「ショウガ紅茶」「黒ゴマ酒」を試した。タマネギ酢はタマネギ2個を5ミリの厚さに切り、広口瓶に500mlの酢で10日漬け込む。花カツオをのせしょうゆをたらしておかずとして食べる。黒ゴマ酒は黒ゴマ100グラム、耐熱性の広口瓶に35度の焼酎(ホワイトリカー)を1リットル注ぎ、広口瓶の半分の高さまで鍋に水を入れ沸騰させる。ふたをして冷暗所で一晩寝かせる。さかずき1~2杯分をぬるま湯で10倍にうすめて1日に2回のむ。エクササイズとしては「片鼻呼吸」「耳もみ」「頭皮マッサージ」「爪もみ」「わき下もみ」「胸鎖乳突筋マッサージ」を試した。胸鎖乳突筋とは左右の鎖骨と左右の乳様突起(耳の後にある骨の出っ張り)をそれぞれ結んでいる筋肉である。これらの試みをどこまで継続できるか自分でも予測できない。

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たまの展覧会・芝居見物

2014年01月22日 | ねったぼのつぶやき

 寒い冬は旅行は当然として遠出の(最近の私には都内でも)外出さえはばかられる。 が、過日旧友を誘って三越劇場に「明治一代女」公演を見に行った。この芝居は、川口松太郎が実話を基に新派の山田五十鈴に書き下ろしたとされている。芸妓・波野久里子と水谷八重子の 「恋のさや当て」 と恋人の襲名披露のための 「資金作りに結婚を約束し・ついには殺人」 を犯し、「襲名を見届けて後の自刀」 の物語である。期せずして八列目のいい席。セット内の作りは「かっての時代」を思わせ懐かしい。山場である積雪の中、人力車で仕事に向う波野に結婚を迫る男との格闘は、臨場感にあふれかつ美しく胸打つものがあった。

010 この手の公演はいつもそうだが、ほぼ同年代前後と思しき観客が(今回は結構な老紳士も)多い。年に2回程度は芝居見に行くが、チケットが結構高価なので、都民半額鑑賞券に応募し当った時位しか行かない。お知らせは年に数回発行される「都民だより」に載るが、勤務外の曜日でかつ昼間の公演と限定するのでそうそう選んでもおれない。2枚申し込めるので、当たれば誰彼を誘いギフトするのも又心楽しい。昨秋はたまたま大地真央の現代劇の喜劇仕立てで、芸術劇場の観客は若い女性が多数を占めていた。

 三越劇場の日は昼飯からご一緒し神田でにぎり鮨を戴いた。当方は回転寿司か盛り合せの常連だから、値段表も知らない初めての店で落ち着かなかったが、彼女は時に利用しているようで御厚意に甘えた。その数日前、ラジオの深夜放送で、在日25年のピーター・マクミラン氏が日本の「百人一首と伊勢物語の翻訳」を語り、相田みつお館で「新・富獄三十六景」と題した版画展をしていると紹介していた。丁度いい機会なので「西斎」と称した版画展と「みつお展」双方を見ることも出来、なんとも弾んだ一日であった。

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*西へ

2014年01月20日 | 沖縄のこと

 畑のシュンギクの横にキャベツとブロッコリーの苗をそれぞれ2株ずつ植えた。去年の暮のほんの気まぐれだった。キャベツについては葉を巻いていく様子を見たいという思いがあった。しかし現在は4株とも無残な姿をさらしている。ヒヨドリが来て葉をコツコツと食べるのである。まるで「うちわの骨」のような葉になっている。ヒヨドリが松の枝などで日向ぼっこをしていて、気が向いたら畑に下りてくるのを何度も目撃した。鳥も食事するわけだが、やはり鳥は木から木へ糸をひくように翔ぶ姿に魅せられる。

 ある雑誌に、短歌界の重鎮四氏が選ぶ「近現代短歌ベスト100」という特集記事があった。四人で話し合いながら一人の歌人について一首を選んでいくわけである。塚本邦雄は「日本脱出 したし皇帝 ペンギンも 皇帝ペンギン 飼育係も」、寺山修司は「マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」、俵万智は「<寒いね>と話しかければ<寒いね>と答える人のいるあたたかさ」だった。俵万智は東日本大震災後に、仙台市から沖縄県石垣島に移り住んだ。そのときに「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」と詠んでいる。

 日本には山があり川があり海があり四季がある。これほどの自然環境に恵まれた国が他にあるだろうか。歳を重ねるにつれ日本再発見の旅に出たいという願望は募るばかりだ。一方でこれまで数多くの自然災害に遭遇してきたのも事実だ。自然災害ならばある程度受け入れざるを得ないが、人為災害ならば回避する努力が必要である。福島原発4号機の原子炉建屋が再び大きな地震に襲われたら日本はもちろんアジアも致命的な打撃を受けるという状況がある。そうなれば日本再発見の旅どころではない。ましてやオリンピックでもない。

 注目の名護市長選挙で新基地建設反対の68歳の稲嶺氏が再選された。私は住宅に囲まれた危険な普天間基地を撤去し、しかも新基地はつくらないという選択肢があり得ると考えている。駐留米軍の縮小である。稲嶺市長には沖縄のために身を捨てて働いてもらいたい。沖縄が自ら新基地の建設に着手することがないように祈りたい。市民の安寧な生活を守れない国家なんて逆立ちしている。私一人が行動しても何も変わらないとみんなが思っていることが、本当に世の中が変わらない原因だろう。現政権がこの問題で沖縄に犠牲を強いる事態になれば、私も西へ向って行動を起こすだろう。

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*政治風土

2014年01月13日 | 捨て猫の独り言

 雑誌の文芸春秋は亡き父がときどき読んでいた。私はこれまで熱心に読んだことはない。一年前の一月号は創刊90周年記念号だ。12月16日の衆院選で自民が圧勝する直前の10日発売である。特別企画「新・百人一首~近現代短歌ベスト100」の目次にひかれて図書館で借りてきた。もう一つ「激動の90年、歴史を動かした90人」という特別企画もあった。90人の中には私が最近読んだ岩波茂雄、種田山頭火の名もある。山口百恵、阿久悠、美空ひばり、小林秀雄などの名もある。それらの中で今回取り上げたいのは岸信介だ。岸についての原稿を寄せたのは元首相の森善朗である。

 岸の側近の今松の秘書だった森は1969年の衆院選で自民党の公認を得られず無所属新人として旧石川1区で出馬する。森は岸に応援を懇願し、岸は森の要望を快諾する。そこで森はつぎのように書いている。「わずか三、四時間の滞在でしたが、岸先生の応援によって風向きは変わりました。無所属の新人で「泡沫候補」とまで言われた私がトップ当選を果たしたのです。東京へ当選御礼の挨拶い伺うと、岸先生は「そんなに感謝してるなら、福田君の手伝いをしてやれよ」その言葉がきっかけで、のちに「清和会」となる福田派に入りました。福田赳夫先生や安倍晋太郎先生、その息子である福田康夫さんや安倍晋三さんを支えることで、岸先生への恩返しを続けてきたわけです」

 生涯恩義を忘れないと、素直と言えば素直な述懐である。それにしても元首相の志とはこの程度のものかと思う。日本の政治はこのような恩返しの連鎖が強く作用して動いているかの様だ。すこし情けない話ではないか。そういえば東京オリンピック開催決定の会場で安倍首相と森善朗が並んで万歳していた場面が思い出された。ところで安倍寛・岸信介・佐藤栄作ー安倍晋太郎ー安倍晋三・岸信夫という親族関係の中で私が特に注目したいのは岸信介と安倍晋三についてだ。岸は東条内閣の閣僚だったことから極東国際軍事裁判でA級戦犯被疑者として三年半拘留されたが不起訴となり釈放され公職追放となる。1952年のサンフランシスコ講和条約の発効にともない公職追放解除となる。晩年は自主憲法などの発言を続けた。

 安倍晋三の母方の祖父が岸信介である。昨年は唐突な閣議決定により両陛下を招いて「主権回復の日」の記念式典を強行した。安倍首相にとっては祖父の公職追放が解除になった日であるわけだ。奄美ではこの日を「痛恨の日」、沖縄では「屈辱の日」と呼んでいる。さらに年末には靖国神社参拝を強行した。祖父の恨みのを晴らそうとしての行いかと勘繰りたくなる。世襲議員だからと排斥するつもりはないが、恩返しという狭い人間関係が幅をきかす風土の中で、首相がこれ以上独断的・近視眼的な行動に突っ走らないことを切に願う。沖縄の辺野古問題で首相との会談後に仲井真知事は「驚くべき立派な内容だ」「これでいい正月になる」と答えた。私はこれは知事の皮肉(逆説)かと一瞬思ったほどだ。これについて「強姦したあと札束を投げつけて去る男の様な安倍政権の<格別のご高配>」と、あの上野千鶴子女史はつぶやいている。

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苦瓜の味噌漬け失敗

2014年01月10日 | ねったぼのつぶやき

 昨年夏、収穫した苦瓜と茗荷を日干しした後味噌に漬け込んでみた。途中何度か食べて味・歯応え共いい具合であった。そのまま冷蔵庫の奥に仕舞い、思いだして雑煮のあとのお茶受けにとタッパーの蓋をあけると・・・何やら変!。そのままの形を保ってる物もあったけれど、実がふやけて箸でつつくと型崩れしそうなのもあった。兎も角全体的に柔になってしまい水洗いしたら溶けてしまいそう・・・ということで、味噌をザッと箸でこそぎそのまま食すことにした。確かに大根・人参や昆布の味噌漬は子どもの頃には食べ慣れていたが、他の味噌漬けは食べたことはなかった。苦瓜は果肉は厚いけれど繊維が少なく、短時間の漬けものには向いていても、長らくの漬込みには不向きなのかもしれない。

003 血圧測定を日課にしだした夫を前に、私は更に薄味にして長らくのお茶漬けである。朝から「塩分入りで粗食過ぎるよ」と、気遣ってくれる友人もいるが、起きがけの私の体は、たっぷりのお茶を要求するのだ。お茶漬けの友にも漬物は欠かせない。「茶節」にも加えてみよう。私が小~中学時代往来していた燐居の祖父母宅の味噌汁は、毎朝茶節といい鰹節に味噌を入れお茶を注いだ物だった。祖父は、枕崎の小母さんが売り歩く鰹節を毎度数本買っては、蓋つきの笊籠に入れ天井から吊るしていた。そして毎朝決って、大工さん用の「鰹節専用カンナ箱」を出しては中から鰹節とカンナを取りだし、ザッ・ザッと掻いていた。祖父母を偲ぶ際出てくるのはこシーンと音である。

 一方茗荷の方は無事だった。こちらは繊維だらけの様な物だから大丈夫だったのだろう。最近和食の良さが見直されている。和食には欠かせない漬物。大根や人参など、醤油や味噌に漬け込んで置くだけで自然に旨味が生じてくる。その旨味は発酵食品である床のもつ旨味成分だ。チーズやハムも美味しいけれど、私はやっぱり「お米と漬物」が何と言っても大好きだ。

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*生活の変化

2014年01月06日 | 捨て猫の独り言

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 三大穀物であるトウモロコシ、米、小麦はいずれもイネ科だという。これらは世界各地で主食として多くの人々の命を支えている。穀物以外の食物で主食となっているのはジャガイモ、サツマイモ、タロイモなどのイモ類がほとんどである。戦後アメリカの過剰な小麦は日本に送り込こまれて、それを契機に日本人の食生活は洋食へと大きく変化していった。それはアメリカの戦略だったかもしれない。私はこれまで朝はパン食であったのだが、今年から朝のパン食を止めることにした。日本人の米の消費量の減少に少しでも歯止めをかけたいと考えた。

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 たまたま昨年の秋に、小粒だからだろう安価なサツマイモを見い出した。これがねっとりした食感で甘味たっぷりである。大いに気に入って、それ以来イモを毎日のように食べるようになった。イモはビタミンCや食物繊維を多く含んでいるという。ちょうど医者にスポーツドリンクや果汁100%ジュースなどの甘いものは避けよとの忠告を受けた時期だった。おやつ代わりである。今朝もイモを蒸かした。これで買い溜めていたイモは底をついた。年間を通して店頭からイモが姿を消すことはないと記憶しているがどうだろう。

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 年齢とともに、大なり小なり自分の体に変化を感じるようになった。肌に保湿力がなくなる。とくに冬になると肌は乾燥して、かさかさとなる。右手の二つの指に痛みを感じて調べると、爪のところにあかぎれが生じていた。退職後に見舞われた片方の目の視力の障害に、最近では聴力の障害が加わった。これもやはり片方である。両方だと私にとっては一大事だ。現在聴力の方は錠剤と顆粒剤の服用中であるが、聴力が完全に元の状態に戻ることは期待していない。これまでにない変化と言えば毎朝起床直後に血圧を測定することが日課になった。ときおり血圧の上昇を経験したからである。今では朝ふつうに目覚めて起き上がれることだけで幸せを感じている。

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 難病の身で軽井沢で過ごしておられる先輩から年賀状が届いた。例年と変わらないスタイルの年賀状に安心する。裏面は縦書きで小さく二段に分けて印刷された37の句がぎっしり並んでいる。その冒頭には「吉例(?)の回顧の拙句でご機嫌お伺い申し上げます」とある。表面の宛名の下には手書きの横書きで「私は愈愈(足は)不自由になり外出は難しくなりましたが他は元気で長閑に過ごしています」云々とあって、横には小さくかわいいカットがついている。句をいくつか選んでみた。一月【難聴】耳元へ優しい息子の怒鳴り声 四月【理科教育】ケイタイを持つ子が驚く糸電話 六月【悟り】寝て暮らす夢が叶って寝たきりに 九月【風流人】耳鳴りも虫の音めいて秋の宵 十二月【秘密保護】百均にもう並んでる極秘印 【聖夜所懐】難聴が独居に静けさプレゼント

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*水仙

2014年01月01日 | 捨て猫の独り言

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 大晦日の夜は少し違った過ごし方になった。NHK第2のカルチャーラジオ日曜版のアンコール放送を寝床で聞いた。6月に放送されたものである。1回が60分の4回分をなんと一挙放送である。講師は「夏休み子ども科学電話相談」で「京都弁の先生」として好評の甲南大学教授の田中修さんだ。タイトルは「植物って、すごい!逆立ちしてもまねできないしくみ」である。なかなか興味深い話が続いて3時間連続で聞き入ってしまった。その後20分の中断があり少しテレビの紅白を覗いたりしてラジオの4回めは聞くことなく終わった。

 ラジオを聞いて記憶に残ったことが二つある。一つは無洗米のことである。田中さんの言う通り私は無洗米について誤解していた。寒い時など冷たい水で米を研がなくてもいいように手抜きしたい人のためのお米だとばかり考えていた。これまで普通の米をせっせと買い続けてきた。米を研ぐのは糠を落とすためであるが、そのことで旨味成分も洗い流しているのだという。これまで水を浪費し、旨味成分を捨てていたことになる。もう一つはレンゲ畑のことである。タンポポは雑草だがレンゲは種をまいて育てていたものである。レンゲは成長したものを土の中に戻し貴重な稲の栄養源(緑肥)としたのである。それが化学肥料になったのは田植えの機械化が原因だという。ここではその因果関係を皆さんに想像していただこう。

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 久しく部屋に花を飾ることがなかった。近隣の方から暮に水仙の切り花をいただいた。その方は隣りのそのまた隣りの家の前まで道路掃除に出かけたり、暑い夏には他所の庭の草花に水遣りをなさるという方である。10月に70歳前半だった御主人を亡くされたばかりである。かなり気落ちされているはずで、お花を届けなければならないのはこちらの方なのにと思う。その水仙は年内にはつぎつぎに花が開き終わって甘い香りが部屋を満たしている。水仙をこのように味わったということは、あまり記憶にない。清々しくていいものだ。ネットの力を借りて水仙を詠んだ短歌を調べてみた。その中から三首取り上げてみる。

「真中の 小さき黄色の さかずきに 甘き香もれる 水仙の花 (木下利玄)」   「胸のうち いちど空にして あの青き 水仙の葉を つめこみてみたし(前川佐美雄)」   「水仙の うつむき加減 やさしくて ふるさとふいに 思う一月(俵万智)」 これらの中で私の好みは厚みを感じる二首目である。ちなみに水仙はヒガンバナ科という。そういえば葉の形状が似ている。(写真は12月1日狭山湖にて)

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