玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*文法の勉強

2017年01月30日 | 捨て猫の独り言

 本棚にある丸谷才一の対談集「言葉あるいは日本語」を取り出して、頁をめくったのが始まりだった。その中に「係り結び」はなぜなくなったかを対談相手の大野晋が説明していた。とても興味深いテーマだった。しかし文法用語に邪魔されてスムーズに読み進むことができない。そこで高校生用の参考書で、まず文法の勉強をすることにした。さらに間口を広げて大野晋、井上やすしの著作を図書館で借りる展開になった。

 

 大野晋によると係り結びは本来は倒置表現で「ぞ」は「なり」と同じく指定の意味を表す言葉だったから「花ぞ美しき」は「美しき(もの)花なり」という意味だった。倒置形をつかうと、下は連体形で終わる。古典語では終止形と連体形は別形だったのに、しょちゅう使っているうちに連体形が終止形の位置にはいり込んで、区別がなくなった。形の上の区別がなくなれば価値がなくなるから鎌倉初期に係り結びもなくなった。江戸時代の人が係り結びを使って書いたものなどは擬古文という。

  現代語では五段活用の「書く。」と「書くトキ」または上一段活用の「起きる。」と「起きるトキ」などのように終止形と連体形は形が全部同じだ。古典語では、例えば上二段活用の「老ゆ。」と「老ゆるトキ」のように別形になっている。福武書店出版の「日本語で生きる・全五巻」の第一巻は大野晋編の「この素晴らしい国語」である。その中に「習っている生徒だけでなく、教えている先生が嫌いな学科がある。それは文法である。こういう学科目はめずらしい」とあった。このシリーズ残り四巻の編者は井上ひさし、丸谷才一、大岡信、柴田南雄で大岡を除く四人は故人。

 13日付け新聞の「ら抜き言葉多数派に」という記事を読むとき、今回の文法の勉強が役立った。「ら抜き言葉とは何か。五段活用の動詞「歩く」の可能形は「歩ける」、上一段活用の動詞「見る」の可能形は「見られる」となるが後者の可能形から「ら」が抜け落ちて「見れる」となることを言う」という解説も理解できるようになった。そのことよりも、次のコメントには何度もうなずいた。「実は今、言葉をおとしめているのはら抜き言葉を使う若者ではない。政治家だ。自分のやりたいことに理解を求めるためではなく、隠すために語る。「強行採決など考えたこともない」。ああいう言葉を聞くたびに、言葉という存在を侮辱されているようで悲しい」

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*小平糧うどん

2017年01月23日 | 玉川上水の四季

 小平に生まれ小平で育ったオープンギャラリーの鈴木さんは、うどん打ちの講師をされたことがあります。小平名物の一つに挙げられるのが「小平糧うどん」です。これは冷たい盛うどんを温かいつけ汁に「糧(かて)」という旬の野菜を茹でたものを入れて食べるといったシンプルなものです。鈴木さんの子供の頃には、冠婚葬祭や行事の際にはうどんを打って糧と共に食べる習慣があり、ご馳走として振る舞われたそうです。

 

 昨年のことを思い返しています。ギャラリーのこの年の最初の「小寒の観察会」のあと鈴木さん宅の庭先の「花のアトリエ」で新年会がありました。六畳間は足の踏み場もないほどです。前日から準備に追われていた鈴木さんは、当日のうどん茹でにも最後まで立ち働いておられました。そうそう、この日は特別に庭先でナズナの天ぷらが揚げてもらいました。今年の小寒の観察会の途中の畑地で、ナズナを発見して一年前のことを思い出したのでした。

 春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(大根)です。鈴木さんの冊子によると、七草粥の時期に玉川上水付近では七つのうちセリ、カブ、ダイコンを除いた除いた残りの四つは畑地で見ることができるといいます。多年草のセリを除いてすべてが越年草です。越年草は、秋に芽を出して成長し、冬を越して夏までに花を咲かせて成長し、種子を残して一年以内に根まで枯れます。ゴギョウはハハコグサともいいます。この時期のゴギョウは根出葉がロゼットの状態です。ギャラリーの展示写真にもあり、観察会では畑地に自生するゴギョウを見ることができました。

 昨年最後の「冬至の観察会」のあと、「花のアトリエ」で忘年会がありました。新年会に続いてこの年の二度目の糧うどんの会となりました。鈴木さんは、その時もまたうどん茹でに大忙しでした。ギャラリーでお世話になり感謝申し上げねばならないのは私たちの方です。まことにありがたいことです。うどんは茹で加減が大事だといいます。大晦日の日に鈴木さんの打ったうどんを、教えに忠実に自宅で茹でたところ、納得の糧うどんに仕上げることができました。年が明けて、そのことを鈴木さんに報告して安心してもらいました。ところでギャラリーの展示および観察会は、今年の立春で九年目に突入することになります。

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*ふるさと元旦号

2017年01月16日 | 捨て猫の独り言

 家の前の私道で舗装工事が始まった。たかの街道に接道するこの地域の私道の出入口あたりは水たまりができるほど傷んでいた。たかの街道と玉川上水に挟まれたロの字型の私道の半分を舗装する。25年ぐらい前には全部を舗装したが、今回は半分しか舗装しない。理由は地元負担金の私たちの積立金の不足だ。工期は1月10日から3月上旬まで。集水ますを新たに5個設置するという。市役所との交渉などに動いてくれた二人の方がいる。感謝の念を伝えると「二年かかりましたよ」と教えてくれた。昨年度私は持ち回りの当番で、隣組に工事段取りの連絡をしただけだった。思い起こせば前回舗装時は家人が市役所との交渉にあたる主要なメンバーの一人として奮闘していた。(モクレンの芽吹き)

  

 たまたま立ち寄った図書館の「ふるさとの新聞元旦号展」で、奄美と沖縄の新聞を見た。奄美市にある南海日々新聞の一面コラムは「1970年、島尾敏雄は日本の歴史の曲がり角では琉球弧の方騒がしくなる」と書いたという文句で始っている。佐藤・ニクソン会談で沖縄の施政権の72年返還が発表されたのが1969年だった。そこで今回の「騒ぎ」とは辺野古新基地のことかと考えたのは私の早合点だった。この春は「奄美群島国立公園」が誕生し、来年の「奄美・琉球の世界自然遺産」登録に向けて大きく動き出すというのがコラムの眼目だった。他には『奄美の子どもたちが県本土のスポーツ大会に参加するとき、今年は「試合割」のような形で財政的に支援する』という三反園知事へのインタビュー記事もあった。

 琉球新報ではまず社説を記録しておきたい。見出しは〈「復帰の誓い」今こそー米軍優先に終止符を打とうー〉だ。【復帰前年1971年の沖縄国会で「沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択され、佐藤首相はその直後に発言を求め「この問題に真剣に取り組む方針である」と述べた。これは政治の責任として歴代政権が引き継ぐことは当然である。だが安倍政権は「米軍基地機能強化」を「沖縄の負担軽減」と言い換えるなど不誠実な対応に終始している。復帰前は米軍基地と米政府が県民の前に立ちはだかった。安倍政権になってからは、日本政府が県民の弾圧に加わったと言わざるを得ない状況がある】 また翁長知事はインタビューで「オスプレイの墜落事故も発生し県民の不安が現実的なものとなった。県民は一つ一つを見ながら、また心を一つに、新基地建設に反対、オスプレイ配備撤回へと力強く頑張っていくと思っている。私もそういう県民の思いと一緒に、広く県内、国内、ワシントンDCにも行って、実情と私の決意を伝えていきたい」と述べている。

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*大相撲観戦

2017年01月12日 | 捨て猫の独り言

 10日は日帰り団体旅行「初詣と大相撲初場所観戦」に参加して、遅く出て遅く帰宅しました。まず永代通りに面した江東区の富岡八幡宮で団体祈祷を受けます。別名を「深川八幡」といい、現在でも新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われ、相撲にまつわる数々の石碑が建っています。芭蕉の肖像や伊能忠敬の像もありました。

 

 

 バスは清澄通りを北上して墨田区の横網(よこあみ)にある国技館に向かいます。初場所3日目です。渡されたチケットは「1階桝席B 東9側10」でした。20もある案内所の「お茶屋さん」のうちの一つでチケットを示すと、係りの人が升席まで案内してくれます。この日は座布団が4枚敷かれたスペースを二人で使って楽に観戦できました。座席は可動式でイベントの時は土俵は地下に格納されるといいます。

 

 

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*神社と寺と手帳

2017年01月09日 | 捨て猫の独り言

 世田谷区に住む長男が元旦に顔を見せた。双子の子供のうち下の子だけを伴って二人連れで来た。その妹は大学が早々に決まっている。受験を控えている姉は自宅学習ということだった。「行くこともすることもなく三箇日」ということで大歓迎である。しかしこの日は長男は運転して帰らねばならないから、残念なことに男同志で飲み交わすことができない。例年は二日の日に四人で来るので、そのようなことにはならなかった。そして二日と三日は箱根駅伝のテレビ中継が延々と流れていた。

 二日の午後に、近くにある小川(しょうせん)寺に出かけた。青梅街道を挟んで向かい側にある小平神明宮は参拝客が列をなしている。神社の裏口から入ってサービスの甘酒をいただき、忍耐強く待つ参拝者の列を観察してすぐに退出する。神を恐れぬこのような不届きな行いを毎年繰り返している。そのうち天罰がくだることだろう。そのあとに小川寺に行くとこちらは静寂に包まれている。「年に一度行くだけなのに初詣」というが私はこの寺が好きで年に何度か訪れる。(寺の裏庭のカゴノキ)

  

 境内に水仙が花があった。思わず顔を近づけて香りを嗅いでみた。昨年の正月には家の玄関に水仙の生け花が置かれていたことを思い出した。賽銭箱の上に置かれていた「円覚」という小冊子を持ち帰った。鎌倉にある臨済宗の円覚寺が発行している。その冊子に「大悲の人・鈴木大拙」と題する若松英輔氏の随筆があった。それを読んで円覚寺から通りを隔ててすぐのところにある東慶寺に鈴木大拙のお墓があることを知った。そのほかにも東慶寺には西田幾多郎、岩波茂雄、出光佐三、安宅弥吉、小林秀雄などの墓所があると紹介している。

  

 ところで今年も近畿ツーリストの社名の入った能率手帳を分けてもらった。能率手帳は日本能率協会が「時間目盛り」を採用した手帳として1949年に誕生した。その時間目盛りに関係なく私は備忘録ていどに手帳を利用している。読んだ本の気に入った個所を書き写したりする。それでも空白部分がほとんどだ。日々気づいたことをメモして空白を少なくしたいものだ。2015年から「能率手帳」が「NOLTY(ノルティー)」に変更された。「New Style(新しいスタイル) Original(そしてたったひとつの存在で) Life Time(ずっと毎日) Your Will(あなたの想いを叶えたい)」とかなり強引な名称変更に思えるのだが。

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*囲碁と辺野古と

2017年01月02日 | 捨て猫の独り言

 今年もまた鹿児島銀行の一枚カレンダーが年末に届いた。撮影場所は奄美群島の南西部に位置する沖永良部島とある。空と海と岬の断崖が写っている。カレンダーを広げた瞬間は沖縄本島最南端の喜屋武岬かと早合点した。隆起サンゴ礁の島に特有の石灰岩の断崖が連なる岬の景観だ。鹿銀のカレンダーだから沖縄の岬であるはずはなかった。沖永良部島に私はまだ上陸したことがない。この岬は何という名の岬だろうか。

 昨年のことを振り返ってみた。増上寺、辺野古、都内歩き(内堀通り、外堀通り)、目黒駅界隈、桜島マグマ温泉、那須塩原駅近郊、武蔵御岳(929m)、秩父龍勢まつり、江古田駅界隈、国立新美術館、秩父夜まつり、光が丘駅界隈などだ。よく歩き回った年と言える。年末に体調を損ねて考えることがあった。そのせいもあって、歩き回れることだけでもありがたいという思いが強い。

  

 昨年は私の囲碁の腕前は停滞気味だった。勝負の結果も勝率五割ぐらいに低迷し、その内容もあまり充実していたとは言えなかった。少しずつ強くなっているなと手ごたえを感じることもあったが昨年はそれがなかった。気持ちを切り替えて新たな気分で碁に取り組もうと思う。一局ずつ丁寧に集中して打つことを心掛けるつもりだ。日本だけでなく中国、韓国そしてAI(人工知能)などの多彩な組み合わせの対局を見ることができる時代になって碁の楽しみ方は広がりを見せている。

 オスプレイの墜落事故から六日後に政府は飛行再開を認めた。最高裁が沖縄県の埋め立て承認取り消しを違法とした判決から一週間で、国は移設工事を再開した。工事再開について翁長知事は東京都内で記者団に「怒りや、やるせなさがあり、こんなことが同じ国民に許されるのか。絶対に辺野古基地は造らせないという気持ちで頑張っていきたい」と述べた。ときおり私は旧海軍司令官大田実中将の電文「沖縄県民斯く戦えり、県民に対し後世特別の御高配賜らんことを」を思い出している。                                              

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