玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

都はるみいつまでも

2006年07月29日 | 捨て猫の独り言

 先週の土曜に都はるみ(58歳)のコンサートがあり市民ホールに出かけた。私が市民ホールに出かけるときは牛に引かれて善光寺参りであることが多い。都はるみは2時間かけて自分の持ち歌を目一杯歌う。途中に衣裳替えの時間が10分ほど2回あった。その短い時間は閻魔堂という風変わりな名の専属バンドの演奏がつなぐ。閻魔堂は都はるみの前に7年半ほど美空ひばりのバックをしていたということを後で知る。

 コンサートは初期のヒット曲4曲のメドレーで幕を開けた。16歳でデビューするのだが、初めて東京世田谷の先生(作曲家市川昭介)の自宅を訪ねた。道に迷い3時間も遅れて半べそでたどり着いたことから語り始めた。嬉しいことに最後まで何々ナンデスと語尾の上がる京都弁だった。その他にこの夜語ったことは次のようなことっだった。京都の西陣で働いていた母に捧げた歌が 「夕陽坂」 である。「北の宿から」 の大ヒットの反動が大きかった。どうしたら次へ進めるのかその当時は出口のない大きな壁を感じて不思議なほど苦しんだ。自分の我儘で歌手を引退したとき、自分は一人で生きているのではないと人の親切に気づいた。

 ネット検索によると引退する前はるみ自身の離婚は成立したが、一緒に暮らした中村一好の方の離婚は成立しなかった。日本人の母は韓国から来た父と結婚した。長女である北村春美が引退していた期間に父は死去している。引退にいたる事情は複雑であったろう。復帰直後のインタビューで 「トレイシー・チャップマン(米国の黒人女性歌手)が歌っているのは人種差別や貧困、麻薬、ホームレスのこと。そういうことも歌になるんですね。考えちゃいました」 と答えている。

 42歳で復帰してから新しい地平を切り開いたようだ。この夜のコンサートで歌われた 「夕陽坂」 「抱きしめて」 「小樽運河」 「邪宗門」 「枯木灘残照」 「千年の古都」 新曲「花はあなたの肩に咲く」 これら復帰後の曲を私はほとんど初めて聞いた。親交の深い和歌山県生まれの歌人道浦母都子の歌詞の曲があることを知る。また故中上健次との縁もある。ヒットするしないに関らず 「自分だけの歌」 を求めてこれからも毎年全国コンサートツアーを展開することだろう。しかしこの夜の客の年齢層は高かった。都はるみもこれを無視できない。最後は 「好きになった人」 で幕が降りた。

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52)赤組参加者募り作戦

2006年07月28日 | ピースボート世界一周

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 当日まで毎日行った事はシンボルカラー作戦。赤い物を身に着ける(服、アクセサリー、ベルト、帽子)。赤い鉢巻を渡し約束を取り付ける・・等少々恥ずかしくもあったが、仲間が増えるとモットと張り切った。

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 先ず先方の誕生月を確認して誘う。洋上で誕生日を迎えた人に対して、テーブルにケーキが届きウェイター、ウェイトレスが集まって賑やかにハッピーバーズデイを歌って祝ってくれていたのだが、ラッキーな事に10月は赤組で、連日に複数いて「彼らを誘わない手はない。自分の仕事にする」という人も現れた。(拡大で見えるが字の中に、さらに書き込みあり)

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 それと平行して何度も召集がかかり、競技種目参加者の決定(ほぼ申し出順)。代表による応援の集合ダンス(北野たけし監督座頭市のタップダンスのアレンジ版は熱を帯びていた)。応援練習、応援グッズ作りも励んだ。競技ではムカデ競争、大縄跳び以外はぶっつけ本番だった。(ダンスはリズミカルでダイナミックで大好評。評点も高かったのでは)

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 私が参加したのは大縄跳び。練習して解ったが予想以上に難しい。18名のメンバーを飛ばす綱の廻し手も、飛ぶ方も上手くいかない。1人しくじると綱が足にあったって痛い。各2~30分3日間練習したのだが、1日目の最初は全くダメ。声だけ出して空飛びしたり、中央と端のメンバーを入れ替えたり、真ん中から半分反対方向を向いて廻し手の綱を見定めながらやったりして、3日目ヤット最高30回飛べるようになった。他の組を偵察に走る人の情報ではこれで勝てる筈であった。しかし当日になってア・ク・シ・デ・ン・トが・・・。(綱を良く見てサ~ァ跳ねてッ・・この練習は元々足にあった下肢静脈瘤を悪化させたかも)

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51)なんたって大運動会

2006年07月25日 | ピースボート世界一周

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 船は東シナ海、インド洋、紅海、地中海を抜けて大西洋に至った。洋上大運動会実行委員会が開催されたのは10月9日で全航行の中日。実施されたのが24日。この間が、グループ分け、団長決定、団員募集、練習(応援、競技)、応援グッズ作り(団旗、バナー、飾り物)に充てられた。

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 当日こそは、ほぼ全日運動会(非参加者に対しては別メニューあり)に充てられたが、平日は船内での行事も平行して行われていたので、参加者が揃うこと自体が至難の業であった。参加者にとっては日常の生活に運動会の準備が重なり大忙しの日々であったのだ。(笑顔を絶やさない赤組・副団長、元気印のピンクさ~ん。モギトレ~)

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 先ずグループ分けがなされた。12・1・2月生まれが冬・白組。3・4・5月生まれが春・黄組。6・7・8月生まれが夏・青組。9.10.11月生まれが秋・赤組。次は団長決定となり、青組から女性団長がでた。大会長より採点は競技種目の点数の他に、参加者の人数、応援合戦や応援グッズの優劣も大きなポイントになると発表された。(シンボルカラーのTチャツで団長による場所取り合戦=コヨリでクシャミ出し、糸通し、着せ替えられ競争等が競技種目=ここから既に応援合戦の火蓋は切らていた。)

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 当然の事とはいえ若者達が主体になって行われたのであるが、参加者への呼びかけや、応援グッズの作製なら私たちだって出来る。それに異年齢集団の運動会なればこその競技も盛り込まれている。同じ船に乗り合わせた運命共同体。どうせならよ・り楽しまなくちゃ。といったわけで私は大いに張り切ったのでした。

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100円老眼鏡

2006年07月23日 | 捨て猫の独り言

 昨年9月に右目、その7ヶ月後の今年3月に左目の白内障の手術を受けた。最初に受けた右目の炎症が治まらず、今でも目薬を使用している。クラビット、ジクロード、リンデロン、キサラタン、チモプトールなどである。

 手術前の視野検査で左は正常、右に軽度の緑内障が見られた。緑内障とは何らかの原因で眼圧が高くなり、視野を失う病気だ。回復は不可能で、それ以上の進行を抑えるしか術はない。次々に両目の手術を受ける人もいる。私の場合はレンズがずれて接着したのが原因で、先に受けた右目の炎症が治まらずに7ヶ月も間を空ける結果になった。

 後に手術した左は順調で鮮明に見えている。右は炎症の外に、再び濁りが現れて一度は回復した視力が低下している。右と左を手術した有能な医師はそれぞれ退職して今はこの病院にいない。

 誰も注目してくれないが、手術後はメガネをかけなくなった。文字を見るときだけ100円ショップで手に入れた老眼鏡をかける。読書のときはさらに拡大鏡も使う。読書以外は不自由していない。白内障の手術から3ヶ月もすると視力は安定して、ちゃんとしたメガネを作れると聞いていた。今度は大枚を叩いてでもとびきりのメガネをと考えているが、いまだ実行できずにいる。体については、これから何があろうとも 「すべて想定内」 ぐらいの気持ちでいくことにした。

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50)紀行記として残そう

2006年07月22日 | ピースボート世界一周

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 ラスパルマス港を出航し、キューバのハバナ入港迄大西洋横断に9日間を要した。その間にイヴェントとしての圧巻は洋上大運動会でその他フォーマル・ディナー、囲碁大会、グリーク・ナイト、燗酒楽園、ラテン・ナイトがあった。(入、出港の際は決まって、太い碇綱を下ろしたり巻き上げたりする作業をデッキから見降した)

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 どの寄港地でもそうだがゲストの出入りがあった。今回は中東専門家高橋和夫氏、ジャーナリスト伊高浩昭、伊藤千尋氏、漫画家尾瀬あきら氏、キューバの音楽、ダンス(サルサ)を紹介するラサロ、ホセの両人、有機農法の女性研究者であるロサ氏が乗船したので、順次記していこうと思う。(今沈まんと輝く夕陽)

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 今回の旅行において私は多くの写真を映した。その数は1500枚に及ぶ。画像を取捨選択できるという理由でデジカメを購入したのだ。その他の機能としては接写、連写などあるようだがそちらは今だもって使いこなせていない。(あ~落っこちてしまう~)

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 その代わりと言っては何だが、「船上の人」となってからレクチャーを受ける度に「そうだ!こんな方々とは2度とは会えない。お礼を言って記念写真を撮らせてもらおう」と決心したのです。帰国してPCで全部の写真を見渡していたら又「そうだ!折角だから紀行記にしよう」となったのです。講師の方々との写真が多いのはそんな訳です。中には親しくさせてもらった方々もいますが、当然の事とはいえ1000人の中の一人ですからそれ程親しくはないのです。(船に伴走しているイルカ群)

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49)どーなってるの・米編

2006年07月18日 | ピースボート世界一周

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 以前紹介した船内新聞の一角に「どーなってるの・~編」や「今日は~の日」というコーナーがあった。そこには船上での現状やカレンダーに記された記念日のいわれ等が紹介してあった。(何回目かのディナー)

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 例えば10月17日は「貯蓄の日」で、収穫した米を神様に供え勤労の実りを大切にしようとの事で制定された。言い換えれば「お米の日」と言った風だ。(昼食は一部デッキ形式のヨットクラブが主。英語のクラスメートと。20時以降は居酒屋「並へい」に変身)

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 それから、トパーズ号でのお米事情が解説されていた。およそ15トン(想像し難い)が積み込まれ、一日100キロ以上(解りやすい)の米が消費される。トパーズ号は外国船。米を積んで炊くという文化のない本船では「お米当番」は日本人で、ただでも早い厨房の生活にも拘らず、人一倍早起きして一人で大量の米を研いでいると言う。(大縄跳び。40歳以上の男女6人を含む20人との条件付。簡単なようで意外に難しい。やっと20回飛んで4組中2位。1位は何と30回で大きく離された)

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 しかもただ研いでいるだけではない。日本人が好むふっくら、粘りのあるご飯作りを目指して、硬度の違う水を使いながら備長炭を入れたり、もち米と混ぜたりと奮闘しているとあった。小食ぎみの私は、炊き込みご飯などが多くて、少々不満に思っていたが以来有難く食したのだった。(さて、結果やいかに?静まり返ってその瞬間を待つ。正面のカメラマンは韓国の新聞のカメラマン)

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矛盾な存在

2006年07月16日 | 捨て猫の独り言

 親父が息子をぽかぽか殴っているわけ、そして何を言っているかって言うと 「あれだけ暴力はふるうなって言っただろう!」 人のやることはこのように矛盾に満ちていることが多い。教室で 「うるさい!黙れ!」と叫ぶ教師がその瞬間はいちばんうるさい。体育館での健康診断のおりに 「お静かに!」 と書いたプラカードを持ち歩いていた教師がいて、いたく感心したことがある。

 矛盾の実体そのもののような 「無言の行」 という小噺がある。インドの民話である。昔ある所で三人の行者が、無言の行をしていました。そこへさっと一陣の風。消してはならない常夜燈が文字通り風前の灯火。たまりかねた一人が、ついに叫びました。「常夜燈が消えそうだ!」 しばらく沈黙がつづいたのち、もう一人がいいました。「お前は禁を破ったぞ」 長い沈黙の後、三人目が誇らしげにいいました。「禁を破ってないのは、オレだけだ」

 このほど光市母子殺人事件で最高裁は下級審への差し戻しを言い渡しました。被告人の死刑が予測される事案となりました。テレビのニュース番組は理不尽な犯罪で妻子を失った本村洋氏をたびたび登場させ 「犯人を死刑に」 という主張を放映しました。最高裁の弁論を欠席した安田弁護士は強い批判を受けました。私も抑制の効いた本村氏の主張に最初は心動かされた一人です。一方でマスコミの過熱ぶりには違和感がありました。少し時間をかけて冷静に考えてみました。ひとまず本村氏には道徳から宗教へと超えることを望みたい。つまり加害者側の反省と贖罪の生き方を見届けるという心境になってもらいたいと思います。十数年ですべて許されるような形ばかりの 「無期懲役」 とは違う、本当の意味での懲役刑が整備されることも必要です。これを機会に死刑制度について考えました。そして死刑制度の是非についての議論は際限ないことを知りました。

 アメリカはもっぱら矛(ほこ)で、日本はもっぱら盾(たて)で日本の安全保障は何の矛盾もない。このように最近の小噺はできが悪い。落ち着かないでいるところに昨年9月に91歳で死去した後藤田正晴氏の新聞切抜きが出てきました。「国民全体が保守化し、政治家がナショナリズムをあおる。大変な過ちを犯している。アジア近隣諸国との友好こそが大事なことだ」 とありました。

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48)大自然トレッキング

2006年07月14日 | ピースボート世界一周

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 モロッコの次はラスパルマス。アフリカ大陸北西沿岸に位置し、火山の噴火によって生まれた7つの島からなるカナリア諸島の一つである。スペインの支配下にありスペインと混血、同化を繰り返し今は吸収されてしまった。大自然を満喫するために年間1000万人が訪れるという。(日没と残照)

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 各ツアーは、事前に別冊子から選んで乗船前に申し込み、支払いを済ましておくシステムになっていた。ここでは10種類のツアーが計画されており、山を楽しまんと「大自然トレッキング」を選択した。このコースは本格者と初心者に分かれておりどの程度の差異か不明のまま、迷惑をかけてはいけないと初心者コースで申し込んでいた。(途中にみえたダム)

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 明日はラスパルマス入港の前日、いつものように上陸説明会が開かれた。私は勇んで説明を聞いた。結果的にいえば私の期待は半分裏切られた。休憩を含んで2時間(正味1時間)のコースだったのだ。説明会後何とも承知できなくて旅行社の窓口にクレームをつけに行った。(標高1800Mの山頂は岩肌がむき出し)

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 コース分けの際、時間や距離を明示して選択させるべき(情報不足)。変更可能ではあるが前日の場合かなり割高なら、早めに説明会をすべきの2点であった。クレームをつけたものの後味は悪い。(見てる間に下から雲が立ち昇ってくる)

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 さて翌日、自然はヤッパリ素晴らしい。九十九折の道をバスで縫い、最後の少しを歩いて山頂からの雄大なパンラマを満喫し、見え隠れする連山や人家や海を臨みながらバスで山を下った。しかしモット自分の足で歩きたかった。本格者コースも案ずるほど困難ではなかったらしい。

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47)お洒落なお婆ちゃま

2006年07月10日 | ピースボート世界一周

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 その奥様は、娘さん御夫婦と参加された最高齢の90歳のご婦人だった。ともかく元気で朗らかだった。耳も足も達者で杖も一切つかず、ただ見ていただけの私たちを尻目に、プール開きの際は一番乗りに近かった。

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 娘さん御夫婦とは行事で御一緒することもあり、共に同じテーブルで食事もしたが、年寄り臭さとは無縁の豪快ささえ感じさせていた。加えてお洒落。フリルの付いた服がよく似合っていたし、化粧品関係のお仕事をされていただけあって日焼け予防の帽子も愛用されていた。(忍耐ぶら下がりと敵側の笑わせ隊)

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 振り返って参加者のデーターを見ると年齢は11歳から90歳まで。年代比は10~20代44%、50~60代38%、70以上10%、30~40代8%。男女比は男性35%、女性65%。地域別では関東45%、近畿17%、東海14%、九州以南9%、北海道5%、その他となっていた。(工夫を凝らした応援合戦ーこれも大きなポイントになる)

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 これらの年代、男女、地域差のある人々が1000人前後、3ヵ月半乗船しているのだから船側の企画も大変な事は容易に推測できる。中年世代にとって若者のマナーの悪い部分には閉口したが、若者からは逆の意見もあったろう。多少の難があるのは仕方のないことで、主催者側と乗客の自主企画が相まって心ゆくまで楽しめた船旅だった。(文字通りゲストも客も全員参加で国際色豊か)

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樹木の存在

2006年07月09日 | 捨て猫の独り言

 この目で確認できていないが、「成蹊に寄す」 が金子光晴全集第5巻(中央公論社)にあるという。金子は昭和20年頃、50歳を過ぎて吉祥寺に移り住んだ。その詩は11連からなる。それの一部をここに紹介する。 《あのけやきはいい、けやきの落葉したあとの幹や梢が 軽金属の激しさで、青さで、冬の寒空に沈んで、響いている□あそこの階段をのぼり あそこの椅子にかけ、未来を吸取るものは、僕ではない。それは君らだ。□あのけやきはすばらしい。けやきの芽ぶいた幹や梢が 放電する閃きで、紅さで 冬の寒空に弧をえがき、燃え上がる!》

 成蹊学園のけやき並木は、1923年(大正12年)9月1日の死者・行方不明者14万余人が出た関東大震災の翌年に植えられた。今や樹齢80年で、高さが20mになろうかという巨木に育っている。五日市街道沿いの大学正門から大学のキャンパスの外壁に沿って中高正門までの約600mに124本のけやきが7m間隔で立ち並ぶ。武蔵野市の天然記念物、新東京100景、日本の音風景100選に指定されている。もはや公共の物となっている。吉祥寺駅北口から徒歩で25分である。

 管財課から敷地樹木調査図という綴りを貸し出してもらった。縮尺200分の1で平成3年に業者が作成したもの。1本1本の直径や高さが記された樹木調査データ(エクセル)はメールで届いた。調査図(測量地図)綴りの文字は小さすぎて判読不可能である。そのためメールと調査図を対応させることはあきらめた。

 データによれば樹木は154種類で、総本数2727本である。シラカシ(320)、サワラ(293)、ケヤキ(216)、ヒノキ(115)、カイズカイブキ(113)、アカマツ(95)、スダジイ(81)、イロハモミジ(74)、イチョウ(73)、エノキ(72)、キンモクセイ(56)、サザンカ(56)、ミズキ(52)、ハナミズキ(46)、ウメ(45)、コブシ(42)、ヒマラヤスギ(35)、マテバシイ(35)、シュロ(33)、ムクノキ(29)、エゴノキ(28)、ツバキ(28)などである。桜はソメイヨシノ(107)、ヤマザクラ(49)、サクラ(25)、シダレザクラ(19)、サトザクラ(9)、イヌザクラ(5)、ウワミズザクラ(2)の合計216本とある。見事な配置の植栽に先人の静かな情熱と先見性を感じて頭の下がる思いがする。なおクルミは1本とあるが、私は3本存在することを確認している。 

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