玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*日本ダービー

2024年05月30日 | 捨て猫の独り言

 5月26日に府中の東京競馬場で第91回日本ダービーが行われた。その日の朝日新聞の朝刊はダービーの記事を2面ぶち抜きで載せていた。なぜダービーがこれほどまでに大々的に取り上げられるのか不思議に思い調べてみた。まず日本の競馬は、イギリスの競馬をモデルにつくりあげられてきたという。

 クラシックレースと呼ばれるものは、3歳牡馬・牝馬が出場できる皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞がある。それに加えて3歳牝馬限定の桜花賞、優駿牝馬(オークス)の合計5レースをいう。3歳牝馬限定のG1レースの秋華賞は秋華賞に該当するレースが本家の英国にないのでクラシックレースから外されている。

 日本ダービーは創設が1932年(昭和7)で、最も古い歴史をもつクラシックレースなのである。今回の1番人気はディープインパクトの子のキズナ、さらにその子(インパクトの三代目)の15番枠「ジャスティンミラノ」だった。結果は9番人気の5番枠「ダノンデサイル」だった。大番狂わせといっていい。

 ダービー翌日の高尾紳路九段のブログに驚いた。「当日、競馬新聞を見て悩んでいたら映画碁盤斬り脚本家、加藤正人さんと競馬場にいたので閃いた!碁盤斬りが公開中なので「5番」がくる!あとは囲碁だから「15番」。オッズも見ずに買いました。最後の直線、横山典弘ジョッキーに導かれインから鮮やかに5番の馬が抜けだした時には大興奮。15番の馬も2着に入り、久しぶりに大勝しました。これも、映画碁盤斬りのお陰です。3回見た、ご褒美でしょうか?」

 

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*「村上春樹研究」

2024年05月27日 | 捨て猫の独り言

 図書館の新刊本コーナーで手にした横道誠著「村上春樹研究」を読んだ。この偶然の出会いが、その直後の私の暮らしを大きく左右した。長編「ねじまき鳥クロニクル」を10日以上かけて読む羽目になった。ぜひやり遂げねばならないことなどもたない自由な(不安定な)身であれば、気の向くままに生かされているというところだ。熱烈な村上ファンもいるが、アンチファンも多いようだ。私は流行に遅れて「ノルウェイの森」を読み、そのあと遠ざかった。この本は村上春樹に関するかなりの資料が集められた分厚い本だった。

 村上は大江健三郎のファンであり、筒井康隆は好きな作家だったと、この三者の緊密性を指摘する。読書量の少ない私は、大江や筒井の作品をほとんど読んでないことに気づく。著者は村上を自閉スペクトラム症の特性が強い作家だという。つまり臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を優先させたいという本能的志向が強いのだという。村上はひとりで自由気ままに過ごす時間を大事にし、音楽などの趣味に耽り日本の文壇から距離を置き、海外に好んで居住し、マラソンなどによって体を鍛え、創作に没頭する。

 村上のつぎの発言を知って、私はおおいに驚いた。《総合小説と聞いて最初に思い浮かぶのはドストエフスキーの「悪霊」であり「カラマーゾフの兄弟」です。それが僕の到達点ー到達できないかもしれないけどーそこに向かって進んで行くための北極星みたいな定点です。それが「ねじまき鳥」を書くあたりからようやく定まってきた。それまでは想定外の位置にあったものがだんだん目標とすべき想定内に入って来た》この心意気たるや慶賀すべきことだろう。

 村上は「ノルウェイの森」のようなリアリズム(叙情)の長編を書いてほしいと願う読者の声に応えることができないという。《僕の考える「リアリズム」(つまり僕にとってリアルである世界)はいわゆる世間的な「リアリズム」からどんどん逸れていく傾向があります。これは僕にとってどうしようもないことなのです。なにしろそちらの方が僕にとってはよりリアルな、より切実な世界ですので申し訳ありませんがご理解ください》そして三つの代表作で言えば、「ノルウェイの森」=リアリズム・抒情、「世界の終わり」=非リアリズム・象徴、そしてメイントラックに「ねじまき鳥」という構図になるだろう。

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*苗植え種まき

2024年05月20日 | 捨て猫の独り言

 5月20日は小満。小満とは、いのちが、しだいに満ち満ちていく頃のこと。草木も花々も、鳥も虫も獣も人も、日を浴びてかがやく季節のこと。一年の中で一番気候が安定しているのが小満。玉川上水の土手はウツギの白い花で埋め尽くされ、どこからともなく甘くさわやかな香りが漂ってきたら、それはスイカズラの花の香り。

 練馬区や国立市にある農業体験農園に関する11日の新聞記事を読んだ。年間利用料が5万5千円、プロが作付けプランを立て、いつどんな間隔で植えるか、肥料の種類や量も指示する。種や苗、くわやバケツなどの道具も農園に用意してあり、利用者は準備の必要がない。現在都内だけで約140園、全国では400~500園と推測されるという。

 そのような農園が近くにあるけれども、わが家には最小限の畑地があるので申し込むことはない。プロの指導を受けたい気持ちは十分あるのだが、自己流でやるしかない。ときどき参考のため農園を覗きに行くことがある。一番の悩みは土づくりだ。野菜作りは堆肥だけでは不十分。化学肥料と混ぜ合わせて使うのが基本と先の記事にあった。

  

 大型連休明けに夏野菜の苗を植えた。キュウリ2,トマト4,ナス2,ピーマン1、ゴーヤ3とほぼ例年通り。最初のナスは水ナスだったことに気づき普通のナスを買い足した。気まぐれにバジル1も追加。シュンギクとサヤエンドウの種が残っていたので蒔いてみた。当然のことながら苗の値段も上がっている。投資に見合う収穫は期待しない。遊びと心得ている。

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*映画・碁盤斬り

2024年05月16日 | 捨て猫の独り言

 つぎは昨年12月末のブログ「たかお日記」からです。「脚本家の加藤正人さんが石川県でお仕事されていたので、追いかけて(?)金沢で合流。昨夜は六軒もハシゴした。加藤さんは僕がタイトル戦に出たらよく対局場まで応援に来てくれました。それにしても昨夜のお酒は美味しかった!加藤さんが脚本された映画「碁盤斬り」来年5月の公開が待ち遠しいです」

 「天地明察」「凪待ち」「日本沈没」の脚本家は、囲碁五段の実力という。その加藤さんと高尾九段の年齢差は23歳もある。「加藤さんとは飲みに行ったり、競馬に行ったりいつもお世話になっています」なんとうらやましいお二人の交流だろう。また高尾九段は無頼派棋士と呼ばれた藤沢秀行の弟子らしいとつくづく思う。

  古典落語の演目に「柳田格之進」がある。別名「柳田の堪忍袋」もしくは「碁盤割」。誇り高い武士の生きざまを描いた人情噺だ。妻に先立たれ娘と二人暮らしの格之進、ここまでは落語と同じ。加藤氏は冤罪事件に巻き込まれた武士が、囲碁を武器に娘のために命を懸けた仇討ちを誓う物語にした。映画に先立ち、加藤正人著「碁盤斬り・柳田格之進異聞」が文春文庫から出ている。

 

 5月12日のたかお日記では、碁盤斬りがイタリア映画祭で「ブラック・ドラゴン賞」を受賞と紹介している。また同日の朝日新聞には主演の草彅剛のインタビュー記事があった。「自分のこと褒めるのって、恥ずかしいじゃない?でも17日公開の碁盤斬りを見て初めて自分をかっこいいと思えた。ちゃんとした顔してる、いい男だなって。照れくさくなく、客観的に。こんなの初めてだよ」

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*小説・舟を編む

2024年05月13日 | 捨て猫の独り言

 「辞書は言葉の海を渡る舟だ。ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮びあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で正確に思いをだれかに届けるために」これは小説「舟を編む」の一節だ。舟と船の違いについて、漢和辞典は漢の時代は船でそれ以前は舟と説明している。新しい辞書作りに情熱を傾ける人々のすがたを描いた小説だ。

 辞書を言葉の海を渡る舟に見立てるのは、大きな慈悲を船に例える仏教からきているのは明らかだ。青梅の塩船観音寺を訪問した直後にこの本を手に取ることになったのは、おもしろい縁だと思う。作者は1976年生まれの「三浦しをん」で、2011年35歳の時に光文社から単行本がでて、翌年に本屋大賞を獲得、2013年には映画化もされている。

 この小説が、かなり話題になったというかすかな記憶が蘇った。読み始めは、真締(まじめ)光也、林香具矢(かぐや)、岸辺みどりなどの登場人物の名前に心もとない気がしたが、そのうちそれも解消されていった。小説は玄武書房の辞書「大渡海」の完成までが描かれるが、第四校の際に「見出し語」の記載漏れが発生し、総動員体制でチェックにかかるという事件が起きる。

  

 現実の岩波書店の「広辞苑」や三省堂の「大辞林」などの中型の国語辞典の見出し語は約24万語だという。ことばにも生き死にがあるから「語釈」も変化して改訂版が出される。ひとつの言葉について複数の使われ方が派生した場合、現代の使われ方を優先するのではなく、元々の意味から順番に記すのが広辞苑の鉄則という。それに対抗するかのような、三省堂の「新明解国語辞典」(小型)の語釈はかなり前からそのユニークさが話題を集めていた。

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*九州への旅④

2024年05月09日 | 捨て猫の独り言

 最終日は大分県と福岡県。バスは別府市内にある甲子園常連校の明豊高校の横を湯布院に向かう。バスは山頂が二つに割れた特徴ある姿の由布岳をぐりるりと回るから、その裏と表を見ることができた。湯布院には先進的な街づくりの伝統が受け継がれているようだ。その例として毎年8月下旬の湯布院映画祭があげられる。「映画館のない町での映画祭」として知られている。湯布院を代表する観光スポットの金鱗湖まで歩いた。

  

 大分県の最も西にある日田市で、観光列車「ゆふいんの森」乗車のため、ひとまずバスを降りる。発車の13時まで駅周辺で待機することになった。日田駅から久留米駅までの、46分の乗車体験という趣向だ。特急は博多と湯布院の間を2時間20分かけて走る。ちなみに筑後川は阿蘇山を水源とし、東から西に、熊本(小国)、大分(日田)、福岡(久留米)、佐賀の4県を流れ有明海に注いでいる。

  

 つぎの柳川は江戸時代の城の掘割が市内を縦横に走り、有明海につながっていることから「水郷柳川」と呼ばれる。ハゼ類のドンコに姿が似ている「どんこ船」で巡る「川下り」は柳川の一番のおもてなしだろう。2016年の1月場所で、日本人力士として10年ぶりに優勝した大関琴奨菊の地元での優勝パレードは、15隻のどんこ船でのお掘り巡りだったという。川下りのグループと別れて私たちは北原白秋の生家を訪ねた。北原白秋は酒造業北原家の長男として生まれ、上京するまでの19年間を柳川で過ごした。母屋が復元されデスマスクが展示されていた。裏の敷地には生誕百周年記念事業として白秋記念館が建てられていた。振り出しの佐賀空港に戻り、18:55発で帰宅の途に着く。

 ベテランのガイドさんの話には味がある。有明海の鹿島市あたりは干満の差が6mと最も大きく、それを利用して海苔の養殖が盛んなのだという。また修学旅行の中高生相手の話もしてくれた。島原半島の口之津のイルカウオッチングで、「ショーは何時に始まるの?」との質問あり。待機のあとイルカに遭遇すると「チョー可愛い!生イルカだ~!!」川下りの冬の「こたつ船」では七輪を説明せねばならず、そのときには「グーグル先生に聞いて」とスマホに託すのだそうだ。旅の4日間は、黄砂に見舞われたものの連日いい天気に恵まれた。

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*九州への旅③

2024年05月06日 | 捨て猫の独り言

 3日めは熊本県。島原港からフェリーで熊本に入る。乗下船のときはバスに乗り、あとは40分の船旅だ。熊本城見学のときは、うだるような暑さだった。熊本地震から8年が経つ。崩落した石垣の横に仮設の空中道路が続く。3年前に復旧したという天守閣に登った。熊本城の完全復旧までには、あと十数年かかるという。だから現在は特別公開だ。天守閣前の大銀杏が印象に残った。

 旅の最中は、昼食を含めて約2時間の自由時間が設けられている。しかし宿の夕食・朝食をついつい食べ過ぎるので、昼食はもうたくさんということになる。どうしてもそうなる。熊本城から阿蘇に向かう途中の菊陽町は、台湾の半導体会社(TSMC)が進出して、にわかに脚光を浴びるようになった。関連企業も多く進出して地価が急上昇している。そのあおりで畜産農家やキャベツ畑農家などに、土地の貸しはがしや、人材の雇い負けなどの影響があるという。

  

 阿蘇は世界最大級のカルデラだ。カルデラとは大きな窪地のことで、その窪地の内側にある1市1町1村に4万5千人が暮らす。バスはカルデラ内に入り、内牧温泉から935mの北外輪山の「大観峰」へと直登した。ここら望む阿蘇五岳はお釈迦様の寝姿に見える。山の上は強風が止むことなく寒さに震えた。思いがけずここで菊池市の銘菓「松風」を買う。薄さ1.2ミリの日本一薄い和菓子とも言われる。

 別府へ向かうバスは杖立川沿いの小国町を通過した。杖立温泉とは聞いたことのある地名だ。北里柴三郎はここ小国町で、代々庄屋を務める家に生まれた。今年の7月3日には新札が発行される。その千円紙幣の肖像が北里柴三郎である。街にはその祝賀の看板が見られた。この日の宿は別府駅そばの「アマネク別府ゆらり」で、これも昨日の雲仙の宿と同じ開業二周年という。いつもなら情緒豊かな別府の街の湯けむりが、この日は強風で吹き飛ばされていた。

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*青梅の塩船観音寺

2024年05月02日 | 捨て猫の独り言

 4月下旬に、春のつつじで知られる青梅市にある塩船観音寺を訪ねた。愛用の都バス梅70に乗り、初めてのバス停である河辺駅入口で降りる。そこでつぎの都バス梅77甲の塩船観音寺入口行きの時刻表を見るとまだ時間があったので、出発点を確認しようと一区間を戻って河辺駅まですこし歩いてみた。

 駅前のバス停では、観音寺に行くと思われる人たちの行列ができていた。なかなかの人気らしい。バスを10分ほど乗り、やや坂道を歩くこと7分で山門に到着だ。つつじ祭りの期間だけは特別に入場料が発生するという。駐車場経営はかきいれどきのようだ。近隣の人たちには初詣の場所でもある。

  

 境内の地形は小高い丘に囲まれすり鉢状になっていて船の形に似ている。仏が衆生を救おうとする阿弥陀仏の本願は船にたとえられる。そこから塩船観音と呼ばれるようになったという。親鸞の高僧和讃に「生死の苦海ほとりなし、ひさしく沈めるわれらをば、弥陀弘誓(ぐぜい)の船のみぞ、乗せて必ず渡しける」とある。

  

 ここは真言宗醍醐派の寺で、本堂(観音堂)や山門(仁王門)などは室町時代のものという。早咲き、中咲き、遅咲きの数えきれないつつじが、丘の斜面に順に咲き、初夏の紫陽花、秋の彼岸花もあり、花と歴史の寺と呼ばれる。つつじ山の最上部には2010年に建立された高さ15mの平和観音立像があった。

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