玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*二十四節気・霜降

2009年10月26日 | 玉川上水の四季

 アメリカヤマボウシ(ハナミズキ)と柿の落葉が我が家の前の道路に散乱しています。通行する人も多いので、気づき次第に箒でかき集めてきれいにします。ハナミズキは小さな赤い実を落とします。いずれかの最後の一葉が散るまでには、まだまだ日数がかかりそうです。しばらくこの作業は続くことになります。玉川上水のケヤキ、クヌギ、コナラなどの落葉が本格的に始まるのはあと少し先のことです。

 柿の葉はわずかに黄ばんで落葉します。早朝、黒い頭に白いほほ、のどから腹に黒い縦すじが目立つシジュウカラが、わずかばかりの柿の実をつつきにやって来ます。はらりと一枚ずつ葉が落ちて、今では全部の柿の実が見えるようになりました。しかし、柿の木の存在に気づく時、必ず思い浮かぶのは若葉の頃の柿の姿です。つややかな萌黄色の若葉が現在の姿の上に二重写しになって甦ってきます。何と云っても柿は実より若葉です。

 玉川上水オープンギャラリーの二十四節気・霜降(10・23~11・6)の展示は野鳥です。漂鳥のイカル、シメ、アカハラ、ルリビタキ、ウグイス、アオジ、冬鳥のジョウビタキ、シロハラ、ツグミ、カシラダカなどの写真が掲示されています。撮影日時の古いのは04年10月のものから、最近では09年3月のものまで、鈴木さんは撮影した場所もあわせてすべて記録し発表しています。私にはその名も知らなかった小鳥がほとんどです。これらの小鳥をこれから私が実際に目撃することは容易ではありません。

 11月7日は立冬で、そのあと小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と区分されています。季節的な特徴となる語をあてた二十四節気はなかなか親しみやすいものです。今後とも愛用され続けることでしょう。さて、先日ラジオが秩父のミューズパークには3キロのイチョウ並木があることを紹介していました。龍勢まつりで秩父に出かけた時にミューズパークの傍を車で通り過ぎたことが思い出されました。今度は知人を煩わせることなく、3キロのイチョウ並木とはどのような景観なのか、11月の初めの頃に秩父を訪ねてみようと思っています。

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5年ぶりに免許証更新

2009年10月23日 | ねったぼのつぶやき

 気がかりになっていた免許証更新を済ませた。この5年間違反がなく、立川の警察所で更新可の通知が来ていた。広大な立川基地跡には昭和記念公園や災害医療センターや国、都レベルの建造物が次々と建ち、今や警察署は埋没しそうな程に小規模で、署員は途切れなく続くドライバーを機械的に処理していた。

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 入口を入るとすぐ記録台がある。周りを見渡してもその用紙は見当たらない。マゴマゴしていると行列の人が教えてくれた。「2番窓口で手数料を払うと用紙をくれます」 2番を終えると指示に従い、本籍地に代わる暗証番号を打ち出す機台(逆方向にあった)で番号札を打出す。次いで3番の列に並んだ。その列は視力検査で、メガネを掛けて、はずしての指示の後「メガネなしの方がよく見えてる」と。迷った挙句の正解率が高かった?

 4番列で順番が来たら、「申請用紙は3番に提出してないのは何故?」と。記入漏れを指摘された際、再提出の説明モレだった。5番列で写真撮影を終えグループでのビデオ講習が済むとヤット新しい免許証が交付された。ヤレ!ヤレ!  狭い署内に逆向きや蛇行した列が数列。年配の紳士は自分の荷物、署で配布された茶封筒を何度も覗き必要書類を出し入れしていたが、最終的に高齢者講習のほうへ誘導されて行った。誰一人異議を唱える者とてなく、従順な民は秩序に従う。私はイヤな映画の行列を思い出していた。

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*二十歳の囲碁名人

2009年10月20日 | 捨て猫の独り言

 囲碁界には七つの大きなタイトルがあります。朝日、毎日、読売新聞がそれぞれ主催する、名人、本因坊、棋聖の三大タイトルに、十段、天元、王座、碁聖を加えたものです。この15日に二十歳の名人が誕生しました。日本棋院関西総本部所属の井山裕太八段が、5冠王の張羽名人(29歳)に昨年に続く2度目の挑戦で、今年は4勝1敗と圧倒して名人位を奪取したのです。

 三大タイトル戦の2日制の勝負はテレビ中継されます。私には見逃せない番組です。昨年19歳での名人への初挑戦は3勝4敗の惜敗でした。本人の言によると 「最終局のあと、部屋に戻って涙が止まらなかった」 とありました。これは私の想像を超えるものでした。東大阪市で一緒に暮らす祖母が 「昔から、おとなしい子でした。我慢強くてなかなか泣かない。ただ碁だけは別。負けるとよく泣いていました」 と話すのを聞いて、昨年の涙を納得せざるをえません。

 小学1年で石井邦生九段の弟子に、小学2年で全国大会の小学生の部優勝、小学3年でプロ棋士の卵である院生に、中学1年でプロ棋士(初段)デビュー、高校に進まず囲碁に専念します。16歳で阿含・桐山杯で優勝しタイトル獲得史上最年少記録を達成、17歳で棋聖戦、18歳で名人戦のリーグ入り、今年は本因坊戦のリーグ入りも果たしました。師匠の石井九段は 「碁の感性、ひらめきがずばぬけており、碁の申し子かと思った」 と6歳の出会いの時のことを振り返ります。一緒に暮らす祖父がアマ強豪だったのも幸いでした。

 本人の強い意志や努力によって才能が開花する様子を目撃するのは気分のよいものです。こちらも勇気付けられます。私は先輩プロ棋士たちが井山裕太八段の打った手を称賛する場面をテレビで何度か見てきました。私ぐらいの棋力でも、打つ手が新鮮だということを感じることができます。名人位奪取直後に印象的な談話を残しています。「去年は張羽名人の打つ手が正しい手に見えた。今年は、自分がベストをつくせば勝てるという強い気持ちで臨んだ」 たしかに若武者は勝ちが見えても安全運転の手ではなく、最強手を打っていました。

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パソコンを修理に出す

2009年10月18日 | ねったぼのつぶやき

 不調が続いていたが、米国との交信に一先ず区切りがつき修理に出すことになった。XPを求めて4年。VISTAに変えて6ケ月。原因はキィー打ちに対して過剰反応を起こしてるらしい。新機種に慣れるの(切り替え)に2ケ月。不調を来して2ケ月。文明の利器に預からんとするには、これ程の労苦はヤルカタナシとせねばなるまいか?

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 この所スッカリその恩恵に浴し切ってる身にとって、修理中の10日はかなり痛い。この1、2年何度か渡米する機会があって、その度に少しづづながらスキルアップをはかり、国内同様に使えるようになった。他にも映像通信を含めPCナシの生活は考えられなくなっている現在だ。

 高々1ケ月そこらの手伝いを兼ねた滞在ながら、日々の暮らしを取り巻く生活用品を使いこなすのには苦労した。サランラップ、缶切り、トースター、掃除機、乾燥機、PCに至るまで。取分けPCの使い勝手の悪さと言ったら! ローマ字打ちだが、打ち込むローマ字を正確に拾わない(母音抜け)と来た!PC本来の利便性に唸りながら何度も舌打ちをした。”どうして?英語だったらスムーズなの?” 明日出す。今度こそ帰ってきたらご機嫌にお付き合い頂けるだろうか?

 

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迷子になってもっけもの

2009年10月15日 | ねったぼのつぶやき

 連日の散歩も、池で水遊びした孫は「At  beach」と拘ったが、アチコチ見歩きたい私は少しずつ舵を切った。そのせいで、片道1時間往復2時間程度なら帰って来れる自信はあった。とりわけゴルフ場界隈は緑も深く、コース側に開放された連棟式のレンタルもある住いや、辺縁ながらコース内に家があっていいの?と思える程に芝生に取り込まれた住い等見飽きなかった。

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 myバッグにおやつ(黒砂糖、裂きイカ、栗、茹で落花生)を忍ばせた孫も散歩好き。前の2つは土産物で彼女の大好物となりクロサト、サキイカと覚えた。私も入手困難な生落花生を韓国市場で入手し茹でて堪能した。オヤツが楽しみな彼女は何度も「アイムハングリー」と休憩を求めた。ランチタイムを挟んだ時間は日照も強く、私の素足はサンダル型に日焼けした。90分歩いたが、出会っていい筈の大通りに出れない。ゴルフコース沿いのビレッジは入り込む程に迷路様。聞いた方が間違いなさそうで前庭で犬と遊んでいたご夫婦に尋ねた。(セールORレンタルの掲示があった家)

 手帳に書いたアドレスを見て?。PCで調べるから部屋で待ってという。家の中はドンナ?と念じていた私には願ってもないチャンス。家と一体化された車庫から通されたダイニングは、システムキッチン越しにゴルフ場が見え、リィビングやテラスからコースに降りられ作りになっていた。リィビングは驚く程には広くはなかったが、豪華さは丸でホテル仕様。結局娘の住む通りは新しい街で地図にはなく、近くのマーケット名を告げたら送って下さり、5~6分で到着した。「迷子記念に」と申し出て写真も撮らして貰う。小トラブル以来、私と子供達に優しくなっていた娘に話すと「あそこは難しい所なの。車でもGPSを出さないと私も良く迷ったわ!」と言って怒らなかった。明日は日本に帰り着く。

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土曜補習学校の運動会

2009年10月14日 | ねったぼのつぶやき

 訪米後3回目の土曜日、日本語による土曜日補習学校で運動会があって参加した。トヨタ系列の会社を事業縮小のため解雇された娘が、半年振りにこの9月から得た勤務先だったのだ。現地校に通う子供達(幼~高校13クラス。258名。152世帯)が、土曜日の午前中主要科目(国、算)を学ぶため、遠くは2時間半(車)かけて学ぶのだという。文科省や企業や親達(とても熱心で協力的)が資金を出し合い運営しているらしい。

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 アメリカに赴任してるせいぜい40代迄の父母参加者も総出で、祖父母に相当する年代は見かけなかった。運営は特別プロジェクト(生徒が主)に委ねられ、教師、親は手伝っていた。競技は日本同様で年齢に合わせて玉入れ、大玉ころがし、パン食い、障害物、借り物、徒競走、騎馬戦、綱引きと網羅されていた。私は未就学児のパン食い競争に孫のツレとして出場した。

 学校は週末校のため現地校の借り上げで、借用施設としての制限や、複数の運営者や、日本人としてのマナーや習慣など色々あって、娘のオリエンテーション用のマニュアルは分厚かった。教師は土曜日のみの出勤で、必ずしも資格が必要ではないようだ。むしろ裏方に当る事務職2名と校長が多忙で、娘はサラリーの点で事務職を喜んだ。運営委員の父母に長男と同業の方が2名いらして、たまたま隣席し娘が顔つなぎをしてくれた。こちらに来て8年経ち、夫人は帰国を望んでいるが姉妹はもはや家庭内でも英語でヤリトリしてる。赴任の際は推薦状なしにやってきたのだと。その位の意気込みがなければ事は成せまい。外国人は国際結婚者や日本滞在経験者などかなりいらした。希望者は多いが、日本語読解力がないと通訳や英語プリント作成のなど、事務量増大は必須で制限してるという。広範な地域から集まり、学校運営への協力、交通や防犯上の問題等、学校を巡る問題は国を超えて大きい。

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*椋神社例大祭

2009年10月13日 | 捨て猫の独り言

 秩父に住む知人とは久しく会えずにいました。職責の重い仕事でしたから毎日大変だろうと、こちらから連絡するのを控えていました。その彼もこの3月で定年退職のはずでした。思い立って先日電話をかけると元気な声が返ってきて安心しました。すると思いがけなく11日の日曜日に椋神社の龍勢まつりに出かけてこないかという誘いです。再会と祭り見学という願ってもない機会が訪れました。

 龍勢とは別名農民ロケットと呼ばれています。関ヶ原の戦いの頃から椋神社の神事として400年以上も伝承されてきたのです。秩父市吉田の椋神社の裏手にある芦田山の裾に組まれた櫓(やぐら)から打ち上げられます。午前9時から午後5時まで15分間隔で30本の手造りロケットが打ち上げられるのです。導火線に火が入ると白煙が龍勢を包んだかとおもうと轟音とともに火を噴き、一瞬にして300~500mも舞い上がり、昇りつめた瞬間落下傘が開き、龍勢のバランスを取っていた長い竹(矢柄)がふわりと吊り下げられます。

 当日はこれ以上望めないほどの秋晴れでした。私の駅から西武秩父駅までは1時間45分かかります。10時頃に御夫婦の出迎えを受け、奥さんの運転で会場に直行です。昨夜民放テレビで龍勢まつりが放映されその影響で例年より多い人出だとあちこちで噂しています。私たち3人は奉納者席という桟敷の後ろで立ち見でした。午前の部の後半の5つの龍勢を見守りました。その5回のうち4回は打ち上げ成功でした。成功率5割と聞かされていましたから意外な結果に大いに満足でした。

 見ものは打ち上げ前の太鼓櫓の上での口上です。「東西、東西~、ここに掛け置く龍の次第は~・・・・・・、五穀豊穣、皆々様のご健勝~・・・・・・、椋神社の御前に御奉納~」 と奉納者の声自慢により独特の節回しで口上が述べられます。龍勢の仕掛けや奉納者等が紹介されます。地域の小学生が寄せ書きしたパラシュートを装着した龍勢もいくつかありました。この龍勢まつりは毎年10月の第2日曜日です。秩父ではこのあと、12月3日の秩父夜祭(日本三大曳山祭りの一つ)、12月の第2日曜日は鉄砲まつりと続きます。秩父の人たちの祭りに注ぐ持続する情熱に感動します。秩父の風土はこれからも私を魅了し続けることでしょう。

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BLOG交換の一方では

2009年10月12日 | ねったぼのつぶやき

 時に物事は意外な展開をみせる。もし留守中電話に出ていなければこんな展開はなかった。日に何度か鳴る電話はCMが多く呼名がなければ切った。しかしそのハローは違い「アイムマム」と出て「アラッ お母さん!」と応答があった。それからSKYPEからBLOG交換と続いた。あちらは父ぎみ母ぎみ愛育日誌と3本組みのブログ仕様になっていた。母親はゼミを始め大学生活は多忙を極め、父親はスポーツマンでドライブ、サーフィン、グルメ、近隣との交友や愛育日誌など見事なまでに順応し、満喫され活写されていた。

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 可愛い可愛いとわが子にはイャという程頬づりをしている我が愛娘。以前よりブログ発信を伝えてあるが一向に伝わらぬ。というかその気はない。放っとけばいいものをお節介ゆえに私自身がPCのお気に入りに入れ込んだ。果たして覗くかどうか解りもしないのに。

 片や我が愛息子。全く私自身の手落ちであるが、自宅のPCが不調を極めるさなかアドレスが消えた。必要時往来をすれば間に合ってそのままになっていて、携帯にはそれ用のアドレスしか残ってなかった。娘も承知だろうと其の侭やって来たのだった。私自身や妹の様子を娘に探し出してもらった宛先にメールした。配信に不安があって返信を要求したが未だ届かぬ。メール先が確かだったのか、それ共先方が開かないのかサッパリだ。この顛末を仮に夫君に報告したらタチドコロニ言うだろう。それでいいのだとか、そうでなくちゃいけないのだと。今までがそうだった様に、私は更に悲哀を避ける為に黙すことになる。帰国も3日を残すところとなった。

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日曜礼拝について行く

2009年10月10日 | ねったぼのつぶやき

 今日は日曜日。泣いて起き出した子供の後で大人が起きるのは日本の若夫婦と同じ。朝食風景も常と変わらない。日本でも昨今、個食という表現が広く聞かれるようになって来たがコレに近いだろうか。決定的な相違は日曜礼拝に行くことだろう。娘の推奨に従って私もついて行った。

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 高速道路バリに車を15分も飛ばすと、角々に人々が立ち、ゾロゾロ結集する車を順次手際よく誘導している。車中からでも教会はすぐソレと解のだがここはフラットな大講堂。車中、娘はえらく牧師さんを誉める。「カッコイインダ。説教が上手くて、説得力があってどんな世代の人にも大人気なの。私と同年とは思えないよ。兎に角カッコいいんだから」入り口近くにはベビーシットルームがあり、登録時作られ子供名のシールを背中に貼り付けた後、年齢や遊具に見合った広さの指定された部屋に連れて行く。子供(多分小学生以下)から開放された数百人の大人達は、リラックスして2時間近く過ごせる。勿論牧師以外は全部ボランテアだ。

 賛美歌だろうか?もっとモダンに聞こえたが飲み物を受けて中に入る。ここにはキリスト像も教会らしい装飾も一切ない。米国の選挙前よく見たミーテング式だ。舞台上は演奏グループを中心に、左右の階段席に合唱団各 100人前後を配し、タクトに合わせて見事にハーモっている。会場の中程には、左右2台のカメラが設置され大スクリーンに映す。歌い手達や会場のソコココから、合唱中に自然に手が上がり一体感が醸し出されて行く。継いで説教が始まった。ワイシャツ、ジーンズ姿の牧師が話す。時に笑いや爆笑をさそいながら、やさしく力強くエネルギーに満ちてシーンとした会場に響いて来る。私は単語を拾い聞く。次に参加者のグループ毎に丸くなる。手をつなぎあって呟いている。懺悔?誓いの言葉?結構長い。娘が見て見てと私を突いて笑っている。手をつないだ夫君がブツブツ目を閉じ呟いている。会場を出て言う「いつもこうやって反省はしているの。でもす~ぐ忘れてしまうのよねぇ~」私に「ねっカッコ良かったでしょう?」一方夫君は私が「Verry  Impressive」と伝えると満足の笑みを浮かべた。

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納得するべし台所事情

2009年10月07日 | ねったぼのつぶやき

 朝のシャワーだけは欠かさない娘夫婦宅だが、一斉の朝食という習慣が無いのに私は面食らう。先に出る娘は出勤の身支度を整えながら(普段着だが)コーヒーを飲み、見かねた私が果物を刻むと啄ばむ。子供には彼らの欲するままにシリアルやバナナを与えている。意見するのも空しい私は早朝たっぷりのお茶は欠かせず、お茶漬けを啜り、覗き込む2人の口に半分を与えると2人は競って催促する。‘お茶漬けが好きでよく食べるわよ‘と言って見ても‘そうね‘の返事はあるが、前回持ち込んだお茶漬けの元の減りは少ない。

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 来る度にセロリ、きゅうり、にんじん、きゃべつをステック状に切り、ピクルスを作る。塩でシンナリさせ、甘酢に漬け込むだけ。夫君に似て、野菜を好まないという子供たちもコレにはよく手を伸ばし、オヤツ代わりに与えてもよく食べる。魚はシャケやエビ以外は入手は難しく、韓国の食材が多く置いてあるマーケットに行っても、私が入手したい様な魚は先ず見えない。したがって肉料理にならざるを得ないが、ピクルスやほうれん草のお浸し以外は、野菜と見ただけで残しがちな彼女らのメニューについて相談すると、嫌いなものは除けるから気にせず作ってとイイとあっさり言う。

 訪問時冷蔵庫には野菜が揃えてあったのは、私向け(包丁研ぎ迄)だったようでどうも普段はそうではないらしい。‘程々にはやってるわよ‘と言いながら此方はそれで済むのという。私は多様な野菜のミジンギリを混ぜたハンバーグやミートソースを作りおき、目先を変えては出している。食べさせる工夫をするのが母親でしょうと言ってみるが、‘わぁ~おいしい‘と屈託なく娘はぱくつくだけ。スーパーには丸ごとの野菜も出ているけれど、刻み野菜やカット済みの果物パックも多く、暖めるだけで済む冷凍食品や冷凍野菜庫は格段に大きい。確かに間に合い便利な事は確かだ。ヤキモキしても詮無く、無用でもある。不況風の吹く中、ナンダカンダいいながらもこんな風だからキットやっていけるのだろう。どこ吹く風の彼女はめげまい。

 

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