インカ帝国は南米アンデス地帯に15~16世紀(鎌倉室町時代)にかけて存在した。太陽を信仰し、トウモロコシなどの農耕が主体の豊かな社会。文字はもたなかったが、土器、青銅器、織物の製作技術は高く、多くの巨大石造建築を残す。私はまだ訪れたことはないがマチュピチュは日本人に一番人気のある世界遺産だそうだ。
さて小林秀雄は講演テープの中で話している。本居宣長についての仕事は10年かかった。ここで宣長についてわかりやすく喋れなんてことはお断りだし、そんなことはできっこない。手っ取り早く苦労しないで解りたいということは現代の病気だ。解るということは苦労するということだ。宣長は 「人間は自分自身を知ることが出来るだろうか」 を問うたソクラテスと同じことを言っている。ソクラテスは文字を残さずに死んだ。
文字なき世には文字なき世の心があったと宣長は言う。文字がなかったからそれだけ物覚えが良かった。記憶力は心の中にある。自分の力で過去を呼び覚ますのが生きる力である。現代の我々は新聞、本、テレビ、ラジオに託している。しかし物はよく知っていても自分の知恵はちっとも働かさない。対話の最も純粋な形は自問自答である。自ら問うことが大事なのに先生が隠している答えを探して、当ててみろという教育をやっている。これは自問自答ではない。
このひと月自宅では坐禅をしていない。私の坐禅参加は流行追っかけのレベルであるようだ。しかし6月に続き7月も20日に参禅会に出かけた。私が現れるかどうか、若き住職は少しは気にしてくれたのかどうか。つぎの8月はお休みである。私は球形の座布団である坐蒲を自宅用に欲した。そして首尾よく手に入れることができた。実費は仏具屋さんに聞いてから支払うということになった。自宅の板の間でこれに座って講演テープを聴く。これで文字通り文字なき世界である。