玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*大相撲雑感

2021年05月31日 | 捨て猫の独り言

 大相撲・名古屋場所は7月4日から始まる。応援している鹿児島出身の明生はこの5月場所は東前頭2枚目でかろうじて勝ち越した。関脇隆の勝と小結大栄勝が負け越して三役の空きが二つできた。7月場所は若隆景と明生がそれぞれ東西の小結と予想される。若隆景は当確だが、明生のところは遠藤という可能性もある。

 化粧まわし、土俵入り、呼び出し、行司、羽織、袴、大銀杏など大相撲は総合芸術といえる。出演者は稽古と食事で改造された肉体を獲得した力士たちだ。それに非情ともいえる番付制度で地位が変動する。最近では大学相撲部出身の力士たちが独自のトレーニングを取り入れたりしているという。(ハコネウツギとズッキーニ)

 

 ひところ「相撲道」が話題になったこともあったが、道の探求ということはなかなか困難な時代だと思う。門戸を開放してモンゴルをはじめ外国人力士が活躍するようになった。彼らの日本語獲得能力は誰もが驚く。これは相撲部屋制度における師弟関係の賜物だろう。

 相撲はスポーツか伝統文化かの議論がある。ある大学相撲部の監督が「アマチュア相撲はスポーツ、プロの大相撲は神事」と答えていた。期待していた大関朝乃山がまさかの失態を演じて協会からの処分を待つ身になった。復帰するにはよほどの精神力が必要だ。

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*内田樹の世界

2021年05月27日 | 捨て猫の独り言

 「どういうルールが行なわれているかわからないゲームに、気がついたらもうプレイヤーとして参加していたという状況」これは内田樹がよく使う喩です。なかなかよくできた喩だと思います。

 「言語活動こそまさに世界に遅れて到来するものの典型だと思う。僕が今、何を言おうとも他人が作った日本語なら日本語という言語体系の枠組の中でしか語ることができない。他者がすでに作ったシステムを経由してしか自己言及できない以上、原理的には『私は』と発語した時点で『私』はすでに他者に遅れていることになります」

 「ユダヤ人はアイデンティティの起点を『私はここにいる』という自明の事実に置くのではなく『自分はここにいていいのか?誰かが場所を譲ってくれたせいで、あるいは誰かを追い出したことで私はこの場所にいるのではないか?』という遅れの感覚から始める」

 「ルールというものはプレイしながら部分的に発見されるものだーでもその全貌は最後までわからないだろうー」というふうにユダヤ人は考える。たぶんそう考えるとプレイの仕方がぜんぜん違ってくるのです。

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*小満の頃

2021年05月24日 | 玉川上水の四季

 ようやく、電話とインターネットによるワクチン接種の予約受付が始まった。集団接種と個別接種がある。先ずは75歳以上を対象に受付は5月17日から、接種は24日からである。65歳~74歳の受け付けは6月3日から。予約枠は初日に瞬時で埋まったという。「早い者勝ち」というのも切ない。トイレットペーパー騒ぎを思い出す。

 この頃は決まってラジオ体操の時間になると、若いムクドリが庭の芝生に飛来する。歩き回って芝生のアリをついばんでさっさと立ち去る。鈴木忠司さんの「小満」の冊子を開くと、「ムクドリの巣立ちの時期」とあった。営巣場所は空き家などの戸袋とあるが、そんな場所も少なくなっている。ムクドリたちは今、どうしているのだろう。

 冊子にはハルジオン(春紫苑)とヒメジョオン(姫女苑)の解説があった。なぜか通称名が「貧乏草」で、道端に群生し雑草扱いされている。前者は4~6月(春)に後者は5~8月(夏)に咲く。だから小満の頃は同時に見ることができる。両者の見分け方は葉の付き方を見るのが一番わかりやすい。葉の根元を見て、前者は葉が茎を抱くように付く、後者は葉が茎にチョコンと付く。

 

 両者を観察しようと散歩に出た。ハルジオンは花びら(専門用語で舌状花冠というらしい)を散らし始めていた。たしかに葉が茎を抱くように付いている。残念ながらヒメジョオンは発見できなかった。両者は北アメリカ原産で明治から大正にかけて観賞用として導入されたという。ただの雑草ではない?

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*囲碁そして将棋

2021年05月20日 | 捨て猫の独り言

 ツツジの季節だ。梅雨入りも近い。東京で出された4月25日から5月11日までの3回目の非常事態宣言は12日から5月31日までと20日間延長された。宣言が出るたびに公民館の囲碁会は中断する。宣言のない期間は参加者は大幅に減少して活気を失う。これから先、予定通り宣言解除になるかどうかは楽観できない。

 まだまだ見知らぬ相手とのネット碁には踏み出せない。やはり目のまえに相手がいて、その身体を感じながら打つ方が落ち着く。近年人工知能(AI)の発達で囲碁ソフト、将棋ソフトの棋力が急上昇し、プロ棋士たちがそのAIを師匠とみなすかのような状況が生れている。

 

 囲碁の王銘琬九段の「主観で打つ楽しさ」と題する新聞コラムを読んだ。主観と客観を絡ませた内容だった。コラムに触発されて考えた。ざっくり主観を意識、客観を物とする。囲碁AIに主観はあるのだろうか。そして「主と客」という意識の起きる以前の意識の探求がテーマという「禅」に思いが至った。囲碁AIは禅である。

 池上彰さんが将棋の藤井聡太君をゲストに迎えて聞いていた。道を究めつつある若者は、どのようにしてこれほどの知性を獲得し、それを言語化することができるようになるのかと思った。「私の質問に一つ一つ長考しました。集中力と忍耐強さには驚嘆しました。まるで修行僧のようでした」「将棋を国際的に普及するため、英語で紹介するコンテンツなどを増やしていくことが大事なことだと考えています」

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*ナラ枯れの発生

2021年05月17日 | 玉川上水の四季

 若葉が繁る前の冬木立の頃に、近くの玉川上水の緑道で木の根元あたりに白い粉を噴き出しているコナラの木を2本ほど見たのが始まりだった。ナラ枯れ病発生の張り紙があったがそれほど気にも留めなかった。それから数か月後にこれまで見たこともない光景に出会うことになった。

 

 場所は津田塾大学のあたり、木の根元近くをテープで巻かれたコナラの木が9本もあった。「ナラ枯れ病拡散防止」のためトラップだという。見上げて見ると、テープの巻かれた木は無残にも真っ黒に立ち枯れている。なんとも不吉な光景である。

 緑道では他にも、死に絶えてテープを巻かれたコナラの木をぽつぽつ見かけるようになった。衝撃は原発事故、大震災、コロナ禍ほどではないが、しばらくは緑道を通るたびにこの光景を目撃せざるを得ない。ナラ枯れの原因は「カシナガ」という虫が木の中に運び込む通称「ナラ菌」が繁殖して、水の吸い上げを阻害することによるものであることが分かっているという。

 日本で代表的な樹木病害であるマツ枯れが戦前から記録が残り、原因究明が進められていたのに対し、ナラ枯れの歴史は浅く被害の顕在化と本格的な研究は1980年代に入ってからという。また近年、全国各地でナラ枯れが増えている原因は、炭焼き産業の消失などでコナラが高木になるまで放置され(ここでも高齢化?)てカシナガにとって繁殖しやすい森林が増えたためという説が有力という。身近な緑道で、コナラの大量伐採が起きないことを願っている。

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*興味津々

2021年05月13日 | 捨て猫の独り言

 図書館にある内田樹の本を読んでいる。ここのところ飽きることなく何冊かたて続けに読んでいる。内田樹名義の本は100冊以上もあるというから、残された時間内で全部に目を通すことはできない。10年前に神戸に自宅兼道場を建てた。二階に住んで階段を降りるとそこは道場である。そして寺小屋のような、道場のような、コミュニティの拠点になっているはずだ。(民家の軒先で)

 

 最初に手にしたのは養老孟子との対談本「逆立ち日本論」だった。つぎも対談本で宗教学者にして浄土真宗・如来寺の住職・釈徹宗との「現代霊性論」。そして「村上春樹にご用心」「子どもは判ってくれない」「聖地巡礼(釈徹宗との共著)」「14才の子を持つ親たちへ」「私家版・ユダヤ文化論」「日本辺境論」「いきなりはじめる浄土真宗(釈徹宗との共著)」「下流志向」「内田樹による内田樹」「他者と死者」「生きづらさについて考える」と続けて読んだ。

 養老孟子との対談の中で内田はつぎのようなことを述べている。25歳の頃に二人の人物を勝手に師匠と決める。リトアニア生まれで、ホロコースト・サバイバーでユダヤ教徒のフランスの哲学者レヴィナス、もう一人は合気道の師匠の二人だ。夕方6時までレヴィナスを読んで、6時から合気道の稽古に出かけるというような生活を大学院生、助手のころ15年くらい続けていた。それから後も生活のその基本パターンは変わらない。

 これまでレヴィナスが現代哲学の「他者論」の代表的人物であることなど全く知らなかった。村上春樹についてはデビュー作の「風の歌を聴け」だけで終わっていた。「村上春樹の小説のテーマって、何でしょう?」と学生に聞かれた内田教授は「気分の良いバーで飲む冷えたビールは美味い・・・。これはテーマと言えないか。それはね、ヨシオカくん《邪悪のものが存在する》と言うことだよ」と答えた。機会があれば村上春樹を読んでみる気になっている。

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*松の木の思い出

2021年05月10日 | 捨て猫の独り言

 4月も終わろうとしている頃、松の新芽(みどり)を摘んだ。一番勢いの良い中心の芽は15㎝ほどの長さで空に向かって伸びている。中心の芽のわきに小さな2本の芽が出ている。その長く伸びた中心の芽を摘む。私としては初めての作業だった。初冬には「もみあげ」という作業もあるらしい。

 

 最近は積極的に剪定作業に参加するようになった。ベニカナメ、サルスベリ、カキ、ウメなどは、枝ぶりなど気にせずやたら切り落とす。クロガネモチは見栄えがする枝ぶりにしたいのだが、思い通りにならない。松の枝ぶりにはほとんど変化がない。庭には「見越しの松」と玄関わきの「低い松」の二本ある。

 松脂に注意しながら新芽を摘んでいるとなんともすがしいいい香りが立ちこめる。とくに玄関わきの 低い松 は枝ぶりがいい。この松は46年前にはすでにこの敷地にあった。古い木造の二階建ての下宿屋を営んでいた一人暮らしの老婦人が、余生は旅して暮らしたいと売りに出し、そのあとに私たちが移り住んだ。

 敷地はツゲの生垣で囲まれていた。大きな岩で囲まれた池があり、その池をこの松が蔽い緑濃い風雅な庭だった。老婦人は近くに間借りして暮らしておられたがまもなく亡くなられた。そのあと池は取り壊されて新しい家が建つことになる。そのとき近くの庭師さんがこの松と、さらに見越しの松を持ち込んで庭づくりをした。その庭師さんも若くして亡くなられた。

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*福島からの便り

2021年05月06日 | 捨て猫の独り言

 私より6歳上の知人は何年か前から福島の山奥の「鮫川村」に住んでいた。だいぶ前の夏の日に、そこを一度だけ訪ねたことがある。その時は、水郡線(水戸ー郡山)の浅川駅まで車で迎えにきてもらった。昨年のことその彼から、住所が「西郷村真船」とだけあって郵便番号も番地も記されてないハガキが届いた。

 地図を見ると西郷村は東北本線の白河駅に近い。山奥の一軒家から街に下りたようだ。私が鮫川村を訪ねたときは事情があって一人で暮らしていた。私が黒をもち、二人で碁盤を囲んだ。囲炉裏と薪ストーブがあり、柴犬がいた。汲み取り式の便所だった。(初夏の庭)

 

 届くかどうか気になりながら、昨年の暮れに年賀状を出した。そんなことなどすっかり忘れていたこの4月の末にハガキが届いた。これは全くの推測にすぎないが、現在は奥方と二人暮らしで、おそらく不要になった車は手放しているだろう。東京の私立高校の英語教師で、演劇部担当だった。

 「さくらちってやッと人心地かな。那須の頂も雪消えて、あとはあやめなど待つばかり。ゆくを忘れてのしゃばふさぎ。街の書店茶店など散策しての日課。なかなかに人生「ムスイ」わ。あわてもんの友らそそくさと旅立ってしもうた。いそぐ旅でもあるまいに。やり残しは山ほど。たよりないのが佳い便り」

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*南北に走る幹線道路

2021年05月03日 | 捨て猫の独り言

 富士山に登る代わりに、富士山に模して造られた富士塚に登るようなものだ。私は高尾山に出かける代わりに、年に何回か狭山丘陵の一部の八国山緑地の雑木林を散策することにしている。自宅を出て自転車で東村山市街に入り麓まで30分かかる。

 

 尾根道の南側は雑木林で覆われて人家はないが、北側は所沢市で住宅が尾根道のすぐそこまで迫っている。丘の東端にある将軍塚まで尾根道を30分かけて往復するのが私のいつもの行程だ。将軍塚の案内板には新田義貞が、上野国(群馬県)から鎌倉に侵攻する途中に陣を構えた場所とあった。

 

 将軍塚からはるか南にある中央線の西国分寺駅の近くに「姿見の池」がある。義貞に思いを寄せる恋ヶ窪の遊女が義貞の死の誤報により身投げをしたという伝説のある池である。そしてその西国分寺駅の近くには古代の幹線道路「東山道武蔵路」の遺構があり、さらにその近くには古代の国分寺を復元した国分寺跡公園がある。

 ある時に、私の意識の中でバラバラに点在していた将軍塚、府中街道の九道の辻、姿見の池、東山道遺構、国分寺跡などが繋がって南北に走る一本の線になっていった。かつての東山道、さらに鎌倉街道、そして現在の府中街道は呼び名は変わってもほぼ同じ道と言ってもよさそうだ。また、この界隈に残る新田義貞の伝説の多さにも興味が湧いた。

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