玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*花オクラ

2007年08月23日 | 捨て猫の独り言

 地球上には私の知らない動物や植物がいくらでも存在する。テレビの映像によってそのことを思い知ることが多い。私の残りの時間でその全てを目撃することは不可能である。宇宙船地球号に乗り合わせている全ての生命体の存在を考えることで敬虔な気持ちになる。

 書家の榊莫山が解釈した良寛の漢詩がある。なんと凄みを帯びた詩ではないかと紹介している。「七十年は長かったのう・人の心にあきあきしたよ・雪ふる夜は人影もなく・線香一本わしゃ座禅くむ」 書家はどこに凄みを感じたのだろうか。この詩のことを聞いてなぜかテレビで未知の動植物に出会うことがどれほどの意味があるのかと考えて多少うろたえた。すべては人の心ではないかと良寛が言っているように思えたからである。

 サルスベリの花は連日の猛暑のせいか朱色が際立っている。今年の八月は庭の片隅に黄色の大輪の花が咲いた。初めて見る花だ。聞けば花オクラという。花オクラはトロロアオイとも呼ばれ原産地は中国でハイビスカスと同じアオイ科である。高さは1mぐらい、花の直経は20cmぐらいである。午前中花を咲かせ、夕方にはしぼんでしまう。スーパーで売っているオクラのような実はならない。カリフラワー、ブロッコリー、茗荷、菜の花、食用菊などのように花を食べる野菜ということだ。

 ところが花オクラはその形態から商品として店頭に並ぶことは難しいだろう。この夏は二株から収穫した花オクラを味わうことができるのは有難い。それにしてもネットの威力をあらためて感じている。先日も中央線の連続高架化事業についてネット情報で事業の全容を知ることが出来た。しかも官庁などより個人のサイトの方が批判的な視点も含まれて実態に近い情報を数多く知ることができた。花オクラについては盛りだくさんのレシピまでも簡単に手に入れることができるのである。

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フランスのアニメをみる

2007年08月20日 | ねったぼのつぶやき

 以前ほど街へ出てウインドウショッピングすることを楽しまなくなった。楽しまないというより楽しめないと言った方が正確だろうか。何を買うでもなくともウインドウを眺め回るだけでも楽しかった筈なのに。

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 そんな訳で用事を済ませた後、映画を見ることが多くなった。数年前1冊目が刊行された本は面白く読んでいたので、他に見たい映画もなく最新版の「ハリーポッター」の映画を見た。やたらに魔術が掛けられ騒々しいバカリ。後味が悪くミュージカル「魔笛」を見直しスッキリ気分で帰宅した。

 夏休み泊りがけでやってくる小学生との映画鑑賞は恒例の行事となっている。下調べの末、フランスのアニメ「アズールとアスマール」をみた。ギニア出身のフランス・アニメ界の巨匠ミッシェル・オズロ監督、高畠勲監修、三鷹の森ジブリ美術館配給だった。ムスリム文化を背景に、子供の成長と自立と融和を主題としたストーリーが、静かで美しい映像や言語で物語られ、子供から大人迄楽しめた。この秋には配給元であるジブリ美術館を是非訪ねてみたい。

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*駅舎が変わる

2007年08月18日 | 捨て猫の独り言

 中央線の三鷹駅と立川駅の間は約13kmある。その間の道路と線路を立体化する工事が進行中である。99年から工事が開始されて08年には高架化が終了する予定という。面白いことに国分寺駅の線路と直角に交差する東側の道路は線路の下であり、駅ビルをはさんですぐの西側の道路は線路の上である。このように三鷹と立川間のうち国分寺と西国分寺間約4kmは自然の地形を生かした掘割構造で昔から立体化がなされていた。

 この工事によって武蔵境、東小金井、武蔵小金井、国立の各駅が高架駅として新装される。その他の三鷹、国分寺、西国分寺、立川の駅舎は現状通りである。工事費用の負担は東京都および沿線6市が9割でJRが1割である。私が通う武蔵野赤十字病院のある武蔵境駅も大きく変わりつつある。ここは私鉄の西武多摩川線武蔵境駅があり、高架工事が同時進行中である。この7月1日に三鷹と国分寺間で下り線のみが高架に切り替わった。出来たばかりの高架を走る下りの電車に乗り、すれ違う上り電車を興味深く見下ろしていた。こんな風景を目撃するのも工事が終わるまでのあとわずかな期間である。ところで工事の手順などはどうなっているのか考えれば考えるほど思考の迷路をさまようことになった。そのために夜も眠れないほどだ。

 今回の工事の特徴は都の用地買収が順調なために上下線共に仮設線路に移して元の線路があった位置に一度に上下線の高架を建設するというものだ。これだと工期が短縮できるので割安になる。これが後々問題を発生させることになる。工事中の踏み切りで横断距離および遮断時間が増えて開かずの踏み切り状態になったのである。この事に対する関係者の対応の拙さが批判されたことがある。いろいろあったが高架に切り替わり側道工事や踏み切り撤去後に沿線の景色がどう変わるのか楽しみだ。

 わけても赤い三角屋根の旧国立駅舎は保存や復元の方法をめぐり市と議会が対立し一時紛糾した経緯がある。JRは新国立駅舎デザインなどは都と市を交えた3者ですでに合意済みであり合意案は構造上大きな変更は出来ないとしてあくまでも10年度の完成を目指す構えである。それに対して市は近く協議会を開催し今年度中に基本計画を策定すると後手に回っている。「赤い三角屋根の会」などの市民運動もあるがどうやらJR案に押し切られる公算が大きい。駅舎機能が全て高架内に取り込まれることで南北駅舎跡地の面積はかなりのものになるという。それがどのように生かされるか注目したい。国立駅前の大学通りは桜の名所である。

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「まこち、ぬっかもんじゃ

2007年08月13日 | ねったぼのつぶやき

 けだれてしもそう」と続く。お解りだろうか?この方言。「誠に暑いものです。病を得てしまいそう」といった意味です。

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 苗を求め樹木に這わせたニガウリの葉もツルばかり延び葉はダランと垂れていた。この暑さでムリ?と思っていたらイキナリ5本もぶら下っていた。マメに観察しないと、気付かない内に年に何本かは赤い種がこぼれてしまう。2本の苗のニガウリながらなり出したら「にがごい料理」が忙しくなる。ゴーヤシャンプルー、塩もみのお浸し、焼きにがうり、湯がいて苦味をうすめてサラダ等など。

 日当たりが今一の畑では、茄子は上手も下手も無いと聞いている割には例年成りがすくない。トマト、きゅうりの収穫は上々だ。近日中「お泊り」に来る孫娘にもがしてやろう。暑い!と贅沢を言っている人間様にも野菜達はセッセと成長して果実を提供してくれる。感謝!落陽を待ち水遣りするのがセイゼイなのですが・・。

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*夏の帰省

2007年08月11日 | 捨て猫の独り言

 この3月に続き今回は5泊6日で単独の帰省をした。お盆の帰省ラッシュの前である。年老いて二人で過ごしている両親は相変わらず元気であった。日が落ちて三人で外出した時に気付いたがさすがに歩行速度はゆっくりになっていた。帰宅してみると東京はうだるような暑さが続き、その後なかなか日常にもどれなくてぼんやりと過ごしている。

 今回の帰省ではこちらから連絡して懐かしい叔父と会った。大学入学の頃の私に繁華街での楽しみ方を手ほどきしてくれた人だ。その強烈な記憶は今でも強く残っている。叔父は子供に恵まれなかった。人の気持ちをそらさない話術は相変わらずであった。私より7つ年上だ。それほど若くもない私達はあの頃の二人に戻ってその日いつまでも帰宅しようとしなかった。

 その後遺症を引きずりながら一日置いて鹿児島市武(たけ)の長島美術館を訪ねた。長島企業グループの創始者は大正9年に大島郡喜界町に生まれた。若くして関西に出で、戦後鹿児島で遊技店を創業した。私の父の話によると戦後のドサクサに黒砂糖で資金を得たという。そして平成元年に桜島を見下ろす武岡台に美術館が建設された。年中無休で付属の施設で結婚式が行われることもある。高くそびえるヤシの並木はいいが、広場の中央に配置された一本の欅の木は何か場違いである。上に伸びず横に広がっていた。

 高校野球のおらが郷土代表の戦いぶりは気にかかる。毎日ぼんやり過ごしているとなおさらテレビの実況にのめりこむ。鹿児島代表の神村学園の主戦投手は奄美の出身と紹介されていた。対する金光大阪の主戦投手は清潔感溢れる笑顔が印象的だった。奄美の子はあの大きな舞台ではなぜか笑うことはないのだよね。私にはよく解る。

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鳴物入りで始まったが

2007年08月08日 | ねったぼのつぶやき

 利用者は日に10人程度の小デイサービス。週3出勤で考えさせられる事も多い。介護保険開始以来この手のサービス機関は増えた。制度は鳴物入りの割に見切り発車的に始まった。

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 それまでは行政側が担っていた福祉政策の一環である介護が、介護保険導入といった形で官から民へと一気に移管された。時の厚生大臣は小泉さんでサービスの申請者と実施者を結ぶ「介護支援専門員」という新たな職種も産んだ。

 多くの困難は想定内だった。私も専門員の資格を得るべく研修や少なくとも6ヶ月は自己学習を経て第一回目の試験を受けた。テキストはカタカナ用語が多く、肝腎の老人には解り難いという小泉さんの命令一下、多くが日本語表記に変換された。「ケアーマネージャー」から「介護支援専門員」は一例だ。

 が、一番の問題は介護を妥当に評価してない事だ。単価が低く有用な人材を繋ぎ留める事はできない。大方問題意識の疎い男性官僚が立案したのだろう。当初は「掘り起こせ」といい、今では「縮小せよ」という。社会保険庁のデタラメぶりを見ると役所のテキトウぶりも納得される。ヤリスギとはいえコムスンに一抹の同情も禁じえない。

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ハーモニカ練習で汗

2007年08月04日 | ねったぼのつぶやき

 一昨年、長い船旅の途上2泊3日の旅程でペルーを訪問した。日本人が関与した学校、診療所、新聞社、日系人墓地などの訪問し日系移民と交流した。

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 最終のプログラムでは、老いた2世や彼らを支える3世とディケァーで半日を過ごした。一緒に太極拳をし手作りの歌集で唱歌など歌った。訪問者のメンバーの1人がハーモニカを持ち出し吹き出した。ハーモニカの音色は日系人の郷愁を一段と誘った。船旅後何か始めたいと念願していた私は”そうだ!持ち運びが手軽なハーモニカを習おう”とその時決心したのだった。

 それ以来市報などで「ハーモニカ入門コース」はないかと目を凝らしていて、7月になってヤット実現した。「3ヶ月間9回の無料講座でハーモニカが習得でき、3オクターブの音域で曲が吹けるようになります」とあった。

 ハーモニカは小学校以来初である。中音部はほぼ音階どおりの配列だが、低、高音部の配列は不規則だ。配列を覚えるのは練習しかない。朝に夕に汗をかいてどうにか楽しくなって来たバカリのところだ。(-線部分はクリックで前回記述・参照可能)

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