玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*小雪

2014年11月27日 | 玉川上水の四季

 二日も冷たい雨が続いたあと、今日は気温が急上昇し小春日和となった。庭の萩の黄葉に目を奪われる。緑道の落葉が昨日までの雨のためさらにその量を増し厚く堆積している。午前中その清々しい緑道を抜けて近くにある「ふれあい下水道館」に出かけた。「清流廃止の時期を振り返る」という写真展が開催中だった。清流廃止の時期とは昭和40年(1965)から21年間のことである。 

 

 写真を提供しているのは「玉川上水を守る会」である。送水が止まって空堀状態になり、荒廃した玉川上水の様子を克明に写真で記録していた。私がここに引っ越してきたのが昭和50年だから、その当時の私は守る会の活動にほとんど無関心でいたことになる。清流復活の記念式典の写真もある。地下5階では防水扉を開けて内径が4.5mの本物の下水道(地下の川)の中に入れる。

 

 5面のうちの2面だけというオープンギャラリーの展示が更新されている。部分復活だが鈴木さんは節気ごとに展示を更新することに決めたようだ。「生きもの暦・11月22日は二十四節気の小雪で冬が少しずつ進んでいます。玉川上水の黄葉も彩りが日々変化してその景観に目が奪われます。玉川上水で定着して越冬する漂鳥や冬鳥が姿を揃え散策する人たちに冬の野鳥観察の楽しみを与えてくれます。反面夏から冬にかけてしていたジョロウグモは卵のうを残してその生を終わらせます。また春から活動してきた蝶たちの活動期間は小雪でほぼ一つの区切りとなります」

 

 「小雪に出会う漂鳥と冬鳥・冬鳥で一番早く到着するのはジョウビタキで、一番遠方のシベリアからツグミが到着すると小雪に出会う冬のスターが揃うのです。漂鳥では①モズ②キセキレイ③アオジ④ウグイス冬鳥では①ジョウビタキ②シロハラ③マガモ④ツグミ以上の8種類は春まで一定の場所で生活しています」ギャラリーの掲示板に11月1日から署名運動を始めましたとある。始めたのは「みどりのつながり市民会議」で共同代表に庄司徳治さんさんの名がある。荘司さんは守る会の中心メンバーでもある。「道路建設による史跡玉川上水の現状変更を認めないよう求めます。~玉川上水を3・2・8号府中所沢線建設のため壊さないでください」として宛先は「文化庁長官、東京都教育委員会、小平市教育委員会」だ。

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*11・16

2014年11月25日 | 捨て猫の独り言

 国分寺駅の近くに27000本の樹木に覆われた日立中央研究所がある。東京ドームの約4.4倍もある庭園は春と秋の年に2回しか一般に公開されない。秋の公開が11月16日であることをその日の朝になって知り、自転車で出かけた。近くに住んでいながらまだ一度も見学したことがなかった。私の予想を越えたイベントだった。多くの売店が並んだ小高い丘の広場では家族連れがシートをひろげて飲食している。

 「野川」は国分寺崖線(通称ハケ)の湧水を集めて流れ、世田谷で多摩川に合流する総延長20㎞の一級河川である。南岸が平坦なのに北岸が急斜面になっていて両岸の高さが違う。北の崖が国分寺崖線である。庭園の丘の広場を下ると「野川」の源流となる湧水があり、昭和33年に造成された周囲800mの大池がある。一羽の白鳥が水面をすべるように移動していた。その大池から「野川」へと水は流れ出ている。

 

 この日の沖縄知事選挙を私は祈るような気持ちで注目していた。翁長氏が仲井真氏に10万票の差をつけて当選した。保革共闘態勢で臨んだ当選は沖縄の新しい歴史の1ページだと翁長氏は言う。保守も革新もない「オール沖縄」の選挙の始まりは4年前の名護市長選挙からと言われている。今年の1月の名護市長選挙では辺野古移設反対の稲嶺氏が再選された。そして今回は知事選でも「オール沖縄」が実を結んだ。

 今回の選挙は辺野古に米軍基地を「移設」しようとしている日米両政府と「オール沖縄」との対決だった。同盟関係にあっても地元の反対があれば基地を撤去するのは当然だ。琉球新報は1年前の社説で、辺野古に新基地をつくるとしたら、住民の血の上を越えてゆくしかないだろうが、そういう基地を米軍が使えるのかと問題提起している。アメリカもそれは望まないだろう。

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*それがどうしたの?

2014年11月20日 | 捨て猫の独り言

 テレビのスポーツ中継の画面を見る時、勝負の行方とは無関係な別の楽しみ方がある。勝負を観戦している観客を観察する楽しみである。観察の楽しみの対象となる観客とはどんな観客だろうか。それは中継画面にくり返し映り、多くの人たちがその存在に好奇心を抱き、その正体を知りたいと思わせる特定の人物のことである。誰にとっても最初の気付きの時は謎だが、ネットで調べるとたちどころにその正体が判明するようだ。

 甲子園の高校野球でバックネット裏の最前列に陣取る人たちがいる。高校野球は自由席なので翌日も最前列に座るためにバックネット裏に通じる8号門前に並んで野宿する。いつしか「8号門クラブ」を結成、メンバーは約100人にも達する。ネットでは個人情報を公開している「ラガーさん」が有名のようだ。イエローキャップにラガーシャツ姿で最前列左から3つ目の席で全試合観戦する。いつも黒シャツか黒ジャンパーで以前から私が注視していた、2列目左端の席の「ブラックさん」は個人情報を公開していないようだ。(写真は「2014日展」にて、クリックで拡大)

  昨年の大相撲九州場所のことだった。力士が西の花道を通る時、枡席に座る和服の女性がテレビ中継に映る。場所中休むことなくいつもの枡席で観戦している天海祐希に似た美人は誰なのか。このことはスポーツ紙でも取り上げられた。その女性は中州2丁目のスナック「田じま」のママ田島恵美子さんと判明する。今年はどうか注目していたところ、あるブログの記事が目に止まった。「今年は二日目までは向こう正面の砂かぶりにいましたね。今日は姿が見えないと思ってDVD録画を確認したら西の花道でない方の通路際にいました」とあった。

 NHK・BSの中継の画面に大リーグ球団のマイアミ・マーリンズのやけに目立つオレンジ色のユニホームを身につけて値の張る高級席に映る人物がいる。私も今年のワールドシリーズでその姿を確認した。また今年の米国プロバスケットボール優勝決定戦をコート近くの高級席で観戦していたという。青木選手のロイヤルズがオリオールズに勝ってワールドシリーズ進出を決めた試合にもバックネット裏の一番前のド真ん中の席にいた。50代の弁護士で法律事務所のオーナーという。マーリンズの大ファンとしてだけではなく、スポーツ大好きな人物として有名ということだ。

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*小平アートサイト

2014年11月17日 | 捨て猫の独り言

 武蔵美の学園祭から20日もしないうちに15日(土)から「小平アートサイト」が始まった。地域との交流をめざし、武蔵美の学生の作品が中央公園をメイン会場に10日間展示される。1988年から落ち葉の舞うこの季節に毎年開かれている。そもそも彫刻学科の学生の作品が中心だったが、最近は他の大学からの作品も目立つようになった。また武蔵美の近くのカフェや地域センターには油絵学科の学生の屋内展示も始まった。

 毎年いろいろなアイディアが出されて新しい企画が試みられている。今年は小平市長のレリーフが出展されるなどサービス精神も旺盛だ。パンフレットによれば主催は実行委員会、後援は小平市と武蔵野美術大学、協力に学生生活課と彫刻学科研究室とある。また初日と最終日には公園の噴水広場で大道芸オムニバスショーとある。私は初日にピエロが手繰る人形と握手し、メイクしてスタチュー(彫像)になりきる大道芸に驚かされた。

 

 今月の6日(木)の昼少し前に私をふくむ男三人は津田塾の公開講座を受講するため鷹の台駅で落ち合った。古希を迎えた三人は高校の同期である。こんな機会はめったにあるものではない。正門の受付をすませて授業終了のチャイムの前に学生食堂に飛び込む。これは予定の行動だ。窓側の4人掛けのテーブルで食事をしていると、みるみるうちに食堂の席は埋まり、順番待ちの長い列ができた。

  食事のあとキャンパスの角地にある津田梅子の墓所に参る。若い人たちが行き交う中で、一人がすこし浮かれて「今宵会う人みな美しき」と白昼につぶやき、あとの一人は「これから世の中に出て行くんだなあ」と感想をもらした。講座の題目は「イスラーム国が投げかける中東の危機」で講師は千葉大教授の酒井啓子氏だった。誰言うともなく、会場ではそれぞれバラバラに散って座る。三人は講演後の酒の席がより一層待ち遠しかった。

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*第1回・日展

2014年11月13日 | 捨て猫の独り言

 10月末に上水の緑道で、巣を張る蜘蛛にカメラを向けている鈴木さんに久しぶりに出会った。相変わらず追求するテーマは豊富だ。ギャラリーの展示休止から、ほぼ二か月もお会いできずにいた。お知らせに体調不良とあったので入院でもされているのかと思っていたと話すと、自分の体調は良好で、実は家庭の事情だと打ち明けた。年を越して春には展示を再開するつもりだという。

 立冬の頃に我家の庭ではヒガンバナ科のネリネがあでやかに咲いている。私の知らないうちにギャラリーに変化が起きていた。5面あるパネルのうち2面に鈴木さんの展示が再開されていたのだ。残りの3面はひき続き若い母親たちが主体の「どんぐりの会」に開放したままである。むろん以前のような節気毎の本格的な展示ではない。入院なんかしていませんとお知らせしているかのようだ。

 昨日は朝から六本木の国立新美術館に出かけた。「入場無料特別入場券」を受け取り、写真撮影許可申込書に住所氏名を記入して腕にテープを巻いて入場する。昨年の半券をみると「第45回日展」となっている。今年は「改組新第1回あらたな一歩ニッポンの美をひらく」とある。昨年その閉鎖的不正体質が問題視され改革が迫られていた。若者は日展への出品を避けるのが常識となりつつあるという。

 会場の一角で改革された審査方法や5科それぞれの作品を紹介するビデオが流れていた。「書」の応募が一番多く9200で入選943のうち新入選は29%であることが強調されていた。陳列されていたのは「日本画」では205の入選作品と142の会員作品、「洋画」では640と128、「彫刻」では104と163、「工芸」では396と136、「書」は943と1083だった。このあと京都、名古屋、大阪、福岡、富山の各地を巡回する。

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*歌舞伎座

2014年11月10日 | 捨て猫の独り言

 めずらしいことに11月1日は銀座に出かけた。しかも歌舞伎の見物である。この日は吉例顔見世大歌舞伎の初日だった。25日が千穐楽だという。昼の部は午前11時開演で『寿式三番叟』のあと弁当タイムがあり、中村吉衛門の『井伊大老』そして松本幸四郎の『熊谷陣屋』と続いた。私は3階のA席だったが、ここでは健常者でもセリフが聞こえにくいようであった。

 この見物は偶然の誘いに便乗したものだ。演目について下調べをしておいたのはせめてもの救いだった。私は役者の演技に集中することよりも、双眼鏡で劇場全体を見渡すことに専念した。囃子方(はやしかた)や黒衣(くろこ)や役者の足取りに合わせて板を打ち付けている「付け拍子木」などに双眼鏡の焦点を合わせる。タイミングのよい掛け声の主の所在は最後まで分らなかった。

 

 毎度のことだが「大向こう」いついてあとで調べた。3階の奥に仕切られた一幕見の席だ。この席は常連の芝居通が通う席として知られている。「大向こうグループ」と呼ばれる掛け声をかける役目の団体が活躍している。歌舞伎座の「一幕見席」は4階にあり当日券かつ自由席で約150名が入場できる。繰り返し見たい客や、初めて歌舞伎を観る客のほか外国人観光客も多いという。 

 歌舞伎座タワーは地下4階地上29階建だ。地下鉄東銀座駅と直結している地下広場「木挽町広場」には切符売り場や弁当売り場やシンボルの巨大提灯がある。タワーは5階のみ一般に公開され、ギャラリー(有料)や石燈籠の展示されている屋上庭園(無料)がある。劇場外のこれらには今回は立ち寄らなかった。11月の顔見世の象徴として劇場正面の破風の上に青い布で囲まれた櫓(やぐら)が上がっていた。

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*武蔵美芸術祭

2014年11月03日 | 捨て猫の独り言

 市報の10・20号で「武蔵野美術大学芸術祭2014」が10・25で「第55回津田塾際」が11・14であることを知り、それぞれの日程を茶の間のカレンダーに書き込んだ。二つの学園祭が気になり始めたのは昨年からで、昨年は武蔵美を見逃し津田塾は見学している。26日の朝から武蔵美に出かけた。祭の3日間は駅を降りて会場に向う人で玉川上水の緑道は混雑する。

 会場入り口で受け取ったB5サイズのパンフレットは分厚くて120頁もある。私の楽しみは学生の作品を見学することだ。まず目についたのが、ゲストが講評したり、来場者の投票で選ぶ「展示大賞」という企画の展示だ。つぎは関東の5つの美大の学生団体による「五美術大学交流展」だ。この展覧会は武蔵美祭の期間中に毎年ここで開かれるという。

 学生の企画とは独立に、美術館・図書館では「コレクションハイライト・スウェーデンポスター」および「ポーランドのポスター・フェイスあるいはマスク」の二つの展覧会を無料で見学できた。これらの展覧会は9・8に始まり学園祭の最終日で終わる。ポーランド人による今村昌平監督の「ナラヤマ・バラード」邦題「楢山節考」など日本映画のポスターなども数枚あった。

 半円形の屋根をもち、キャンパス内でも一番高く聳えている建物が12号館といい、その地下に学生食堂があった。食堂は老若男女で混雑していた。硝子に向き合って外を眺める背の高い椅子の席でカツカレーをいただく。パンフの最後には作品展示者さくいんが「あいうえお順」に小さい文字でぎっしりと記されている。それらの作品をすべて見学するのは不可能である。

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