玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*二人の先達

2022年02月28日 | 捨て猫の独り言

 これまで友人や隣人、書物などから数多く教え導かれて生きてきた。ここでは退職後に初めて出会い、私の退職後の長い時間を彩ってくれた二人の先達について記しておきたい。どちらも他者への思いやりや奉仕の姿が素敵だ。私といえば恩恵を受けるばかりで、他者(社会)に対しては負い目が募るばかり。(砂川町の金毘羅橋近くの神社境内にて)

  

 鈴木忠司さんは玉川上水のほとりで生まれ、武蔵野美術大学を出て小平市役所に勤務、「小平グリーン道路ぐるり21㎞」などに参画、けやき出版から「玉川上水四季さんぽ」を出版。09年に退職金をつぎ込んで緑道沿いに玉川上水の小鳥、蝶や野草などを紹介するオープンギャラリーを開設。二十四節気ごとに、展示に関連した観察会を開催。うどん打ちの講師など務める。

 岸本英雄さんは高知市の生まれ、神戸製鋼を退職する2年前に小平市に移住。退職の6年後に公民館「囲碁サークル」の立ち上げに参加(当時五段)し、現在もその中心となってって碁を打ち続ける。18年には「碁苦楽会15周年記念」をまとめ、約30名の会員に配布。同じ年に文芸社から「80歳のTwitter」を21年には「日本の居場所」を出版。

 私より3歳上の鈴木さんのオープンギャラリーは9年続いた後に閉鎖となった。毎年観察会のたびに配布されたパンフレットは今でも私の本棚にある。ときどき緑道で写生している鈴木さんに出会う。6歳上の岸本さんは、柔らかい関西弁で語る。対局中に私が悪手を打つと事後に指摘してくださる。その一方で公民館において初心者対象の囲碁教室を立ち上げて指導された。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*沖縄ファイル(3)

2022年02月24日 | 捨て猫の独り言

 【2016年】私はこの年の2月に沖縄に飛び、名護市の瀬嵩部落の民宿に7日間投宿してキャンプシュワブ前の座り込みに参加している。3月政府が翁長知事を訴えた訴訟で和解が成立し、政府は工事を中断。5月うるま市の女性会社員(20)が遺体で発見され、元米兵の男が死体遺棄容疑で逮捕される。6月19日那覇市で県民大会が開かれ、県議選が重なったこともあり自民や公明おおさか維新は参加せず。県議選で翁長知事を支える県政与党が過半数を維持。

 

 7月10日参院選で政府の基地政策を批判する候補が自民現職を大差で破る。しかし夜に勝負がつくと、あろうことか翌朝6時、政府は突如、長く中断していたヘリパッドの現場に資機材の搬入を始める。沖縄の示した民意が意趣返しのように踏みにじられた。12月13日午後9時半ごろ、米軍普天間飛行場所属のオスプレイが名護市の安部部落の近くの浅瀬に墜落大破。

 ニコルソン在沖縄米軍トップに直接抗議した安慶田副知事によると、ニコルソン氏は「パイロットは住宅や住民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ」などと述べ、抗議に不満を示したという。オスプレイの飛行中止と配備撤回を求める抗議文を手渡したのに対し、「政治問題ににするのか」と言い怒りが収まらない様子だったという。ニコルソン氏はその後に記者会見し県民へ「謝罪する」と述べた。

 太田昌秀元沖縄県知事へのインタビュー記事《安倍首相は徹底的な原因究明を求めると言いながら、事故6日後の飛行再開を事実上許した。知事在任中、私が渡米して米軍関係者と基地問題で議論すると「日本が本当に基地撤去を求めたら米国は耳を貸す。しかし引き留めているのは日本政府だ」と言われた》埋め立て承認取り消し処分を違法とした12月20日の最高裁判決を受け、翁長知事は26日に取り消し処分を撤回、すると12月27日に国が辺野古工事を再開。知事は権限で阻止の構え。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*退会届

2022年02月21日 | 捨て猫の独り言

 「ジパング俱楽部」への退会届を返送した。私の入会は65歳を過ぎた頃だが、正確な日時は分からない。ジパングのポスターやCMのイメージキャラクターで知られる吉永小百合に、共感を覚えて入会したような気もする。吉永小百合と私はほぼ同じ年の生まれで、本人は東京育ちだが父親は私と同じ鹿児島出身である。そして吉永小百合は日本酒にはめっぽう強いらしい。

 また吉永はプロ野球の読売から転向して西武ファンとなり、それは今も続いている。私の方も当時は西武を応援していたが囲碁の高尾九段の影響で今ではロッテに鞍替えした。退会の理由はこれまでジパングの3割引きを活用することなく会費だけを納め続けてきたことに尽きる。

 毎月「ジパング俱楽部」と「大人の休日倶楽部」の会員誌が2冊送られてくる。それぞれ内容も充実した会員誌である。遅すぎた決断になったのはこの会員誌のせいかもしれない。いまさら知ってどうなるものでもないが、二つの俱楽部の関係とか、年会費(夫婦会員)はいくらとか知らずに過ごしてきた。年度更新の会員手帳には有効期限は7月末となっている。(2冊の会員誌)

 

 最後の記念にと、俄然この手帳を有効利用する気がモクモクと起きてきた。片道201㎞という縛りがある。まずはコロナの状況次第でセンバツがどんな開催方式になるか気が揉めるが、3月には甲子園を目指すことにする。4月には日帰りの佐原・銚子の旅を考えた。佐原では伊能忠敬の旧宅を訪れる。銚子電鉄で犬吠まで行く。佐原も犬吠も約2時間滞在できる。7月末はまだその先だ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*リサイクル

2022年02月17日 | 捨て猫の独り言

 電化製品などの無料回収が月に一度の割合で新聞の折り込みで予告がある。無料が成り立つ仕組みをなかなか理解できないがとにかくありがたいことだ。長年愛用した自転車と体重計を、年明けに指定された日に門の前に出すと軽トラックが来て持ち去ってくれた。

 その愛車はチェーンが摩耗してスピードが出ずに、しかもガリガリと金属音をたてた。それでも筋トレのつもりで乗り続けていた。乗っているとどんどん追い越される。こちらは摩耗車だが敵は電動車だと思っていたが、追い越されることは、つぎの新車になっても変わらなかった。(冬の日の小金井公園にて)

 

 何を思ったか自分の体重を追跡しようとして、計器が故障で使い物にならないことが分かった。電池式で多機能すぎて使いこなせなかった代物だ。つぎはアナログでもいいシンプルなものが欲しいと思った。そこで最近開店したばかりの二つの大型リサイクルショップをのぞいてみた。

 中古品買い入れとか、リサイクルショップなどが目立つのは、これからの日本はつつましい暮らしを志向すべきということなのかと考えたりした。これらの店にはアナログの体重計があったが色が黒で気に入らない。結局、電気量販店で電池式で体重のみ測定のシンプルなものを買った。色は白だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*加藤典洋を読む②

2022年02月14日 | 捨て猫の独り言

 加藤典洋の憲法改正案は「米国との同盟から、国連との同盟」への転換を訴えるものだ。国連中心主義が米国と敵対関係に入ることなしに米国から独立し、互いに平等な友好関係に移行する唯一無二の方法という。9条が発案された当時は巨大な世界戦争の直後で、つかの間、理想主義が生きていて安全保障のイメージは国連との連携だった。

 だが冷戦が始まったことで、米国は日本を手放せなくなり米国との連携に切り替えた。国連中心への転換は、9条を初期設定に戻す行為にすぎないと著者はいう。国連中心主義を安全保障の基本に据え、米軍基地の撤廃を目指す。フィリピンは米軍基地の撤去を実現している。いいお手本があるのだ。(小金井桜復活事業)

 

 「なぜ日本は自分のかつて行った過ちについてアジアの隣国にしっかり謝罪できないのでしょうか。このことは、なぜ日本政府は原爆投下という誰が目から見ても非人道的な行為について、米国に対し抗議できず、謝罪要求を行えないで来たかという問いと一対です。 

 米国が抗議と謝罪要求に応えない場合でも日本はいわば、一方的に贈与を申し出て自らの報復的権利を放棄し、今後日本は未来永劫どの国に対しても徹底した非核の態度を貫くと宣言するのです。私案の④項の非核条項にはこうした意味も含まれます。謝罪要求と、それへの対応。こうした深いやりとりを交わしてようやく日本は東アジア諸国とも米国とも堅固な友好関係、信頼関係を作り上げることができるのだと思うのです」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*加藤典洋を読む①

2022年02月10日 | 捨て猫の独り言

 なぜ今まで放置していたのだろう。2015年に出版された加藤典洋の「戦後入門」(筑摩新書)を読んだ。慎重に頁をめくらないと、本がばらばらになるのではないか心配になるぐらい製本限度ぎりぎりの分厚い(635頁)本だ。戦後の歴史を克明に振り返り、憲法第九条について著者の改憲案が提示されている。2015年と言えば安保法制が成立した年である。加藤典洋は2019年に71歳で死去した。

 現行の「日本国憲法」第九条①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(写真はどちらもキンモクセイです)

 

 加藤の改憲案①は現行通り。②以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残り全戦力はこれを国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第四七条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には発動しない。また国連憲章第七章のめざす体制の完成後、国の交戦権はこれを認めない。③前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入する者に対する防衛の用にあてる。ただし、この国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救援にあたるものとする。④今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。  以上が加藤が提示した案だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*沖縄ファイル(2)

2022年02月07日 | 捨て猫の独り言

 【2014年】 翁長知事誕生の翌日の毎日新聞の社説「安全保障は国の専管事項だが、それは地元の意向を勘案しなくていいという意味ではない。地元をはじめ国民全体の理解がなければ安全保障政策など成り立たない。翁長氏の勝利を後押ししたのは、安倍政権の普天間問題の進め方に対する沖縄の人々の激しい怒りだった。振興策というカネさえ積めば沖縄を懐柔できると考えているかのような政府のやり方に、沖縄の人々は誇りを傷つけられた」

 【2015年】この年に安倍内閣によって歴代内閣が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使を容認するなどの、安保法制が憲法改正の手続きを経ずに閣議決定され法律化される。●10月13日翁長知事が辺野古承認を取り消す。中谷防衛相は「移設作業は中断するが、一刻も早く再開するための対応をとる」と述べる。●10月29日国が埋め立て本体工事に着手。新聞の社会面に「ゲート前100人座り込み、届かぬ怒り嘆く沖縄」

 

 ●承認を取り消したのは違法だとして、取り消しの撤回を求めて国が翁長知事を訴えた代執行訴訟の第1回の口頭弁論が10月2日福岡高裁那覇支部で開かれた。翁長知事は出廷して「沖縄、日本の未来を切りひらく判断をお願いします」と述べた。太田元知事は取材に「勝ち負けではない。法廷で政府とぶつかり、沖縄の立場と歴史を訴えることには大きな意義がある」と話した。

 ●翌10月3日の朝日新聞社説<日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうかー知事が法廷から問いかけた言葉を重く受け止めたい。自らの地域のことは自ら地方の判断で考える。地域の自己決定権をできる限り尊重する。その理念に沿って1999年地方自治法は大幅改正された。国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」へと大きく転換したのである>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*再び松元ヒロ

2022年02月03日 | 捨て猫の独り言

 松元ヒロは46歳でテレビを離れる。テレビ局から「ちょっとそれは控えて」と忖度が見えてきたと言う。テレビがリスクヘッジやコンプライアンス、ガバナンスなどの屁理屈をつけて彼を敬遠したのだ。このたび故郷の鹿児島テレビが制作した番組をもとに、内容を膨らませて「テレビで会えない芸人」として映画化したという。テレビ側が制作したというのは皮肉な現象だ。

 製作スタッフが鹿児島から東京に来て、3、4日はりついて帰ってゆくのくり返し、カミさんは最初は「私を撮んないでね」と言っていたがそのうち油断していろんなことをしゃべるようになった。それがおもしろいんです。僕だけだったらつまんなかったろうなと松元ヒロは話す。内容が膨らんだのはカミさんのおかげのようだ。

 鹿児島では1月14日から先行上映されている。東京の初日の1月29日は上映のあと本人、製作スタッフの舞台挨拶があるというのを知って、のこのこ出かけたがチケット完売ですごすご引き返すはめになった。「ポレポレ東中野」はドキュメンタリー映画の聖地と呼ばれているらしい。ポレポレとは「ゆっくりゆっくり」という意味のスワヒリ語だという。映画でカミさんのお顔を拝見出来なかったことが何よりも悔やまれた。

 

 松元ヒロが20年以上演じる「憲法くん」は日本国憲法を人間に見立て、その精神を語る演目だ。井上ひさしが絶賛し、永六輔は「9条を頼む」と言い残した。立川談志に「昔の芸人は、ほかの人が言えないことを代わりに言ってやるやつが芸人だったんだ。お前をきょうから芸人と呼ぶ」と言われた。また新宿・紀伊國屋ホールでソロライブ「ひとり立ち」を年二回開催している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする