玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ニューイングランド

2008年07月29日 | 捨て猫の独り言

 テレビのチャンネルを回していたら再放送に出会った。90歳近くになるターシャ・テューダが登場する特集番組である。2度目を最後まで見てしまった。以前我が家に 「ターシャ・テューダの世界(ニューイングランドの四季)」 という本があった。そこでニューイングランドとはアメリカ大西洋岸の北東部の地域であるということを調べた記憶がある。

 追悼の意味の再放送であることを知る。6月の朝日新聞につぎの死亡記事があった。ターシャ・テューダさん(米絵本作家)AP通信によると18日バーモント州で死去、92歳。20代から絵本を製作、「コーギビルの村まつり」 など100冊近くの作品があり日本語訳も多い。18~19世紀の米国の田園風景を再現した暮らしを実践、日本でもテレビや写真集、展覧会で紹介された。

 絵本の印税をはたいてボストンやニュヨークに近いバーモント州に東京ドーム20個に相当する土地を購入する。庭造りは第二の人生という。人生は短い、やりたいことをやって楽しめと孫達には言いたいわね。いい庭にするには最低12年はかかる。絶対やりとげるという強い意志だけは大切よね。体力が衰えてきたので庭を自然に返していこうと思うの、雑草で野生の花壇を作るのよ。

 バーモント州は北海道とほぼ同じ緯度に位置している。9月に初霜がおり、10月は紅葉し、雪に閉ざされる頃には自家製のローソク作りも欠かせない年中行事だ。女手一つで育てた子供達からは尊敬される母親である。そして自分自身は生まれ故郷のウェールズを終生忘れることはなかったようだ。

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カード紛失騒動その後

2008年07月26日 | ねったぼのつぶやき

  前回の顛末記に異国に住む私の知人から、「私の周りを見渡しても、根強い生活者は楽天的な女性達ばかり」と援護射撃を頂いた。いい年になるまで独身生活を謳歌していた娘なれど、生活者としての気概だけは確かだ。一日おいて安全ボックスから出された財布。「現金は少なくなっていたけど(?)カードは無事」とあった。届出か置忘れかの肝心な事の報告は抜けている。

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 さてその知人の最新のブログは「日本政府は誘拐幇助!」。北朝鮮の「拉致問題」に熱心な日本政府が、「誘拐」と訳されている問題へ対して矛盾は?と。カナダ人と離婚し父親の単独親権下にあった子供を、日本に連れ帰った夫人が裁判所に親権を申請し、暫定的に受け入られ父親の面会すら拒否している。1980年に74ケ国で批准された「国際的な子の略取の民事面に関するハーグ条約」はG7の内日本だけが批准していなかった。問題多発に重い腰をヤット上げたが国際法の準備もあり、締結は早くて2010年になるとあった。

 今まで読み過ごしていたであろうこんな問題もイキナリ私達の問題となった。婿殿もステップマザーを持っている。法律が出てくるようなシビアな問題には直面したくないものである。(奥のご夫人も終にトランポリン上に)

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SOSメールカード紛失

2008年07月23日 | ねったぼのつぶやき

 真夜中の午前3時枕元の携帯電話が鳴った。Emargencyと出ている。「カードを紛失した。至急そちらで止めて!そして返信して!」とある。「VISAカードと銀行のインターナショナルカードの2ケ所」と追信も入る。

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 ツイ2~3日前も、モールに止めていた車のフロントガラスが破られGPSが盗られた。GPSとガラスの修理いずれも各300ドル要し、警察や保険の世話になったが500ドル以上分しか保険でカバーされず自腹をきった。「自分達が無事であった幸運を喜ぶしかない。それがアメリカ。日々学習しています」と言って来たばかりだったので、母娘共慌てたのだった。(水遊び後の足跡)

 一つの手続きを終えたところで再度コールあり。前夜財布を確認したスタバに問い合わせたら財布はあったらしい。置忘れか、届けられたのか不明だが、一先ず手続きは次のメール迄待ってと。朝方のメールは「財布は安全ボックスにあり、カードの有無は不明」とあった。

 異国での生活に馴染むまで様々な困難があろう。あれほど医療保険完備の職場をと希望していたのだが、結局カバーされてるのは本人だけで家族は更に割り増しで付加せねばならず、それでも年間15万迄は自腹、それ以上になると保険適応という仕組みらしい。楽天家の娘なれど「貴方なら乗り切れる 頑張って」。

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*夏休みの宿題

2008年07月22日 | 捨て猫の独り言

 私には夏休みそして冬休みは今年限りになるだろう。そのうち縛りがない毎日になるとどんな生活になるか。そんな先のことなどわかるはずもない。去年の夏もこれほど暑かっただろうか。そんな昔のことさえもう忘れているのに。しかしこの夏は私に二つの宿題が出された。そのうちの一つは山崎豊子の長編小説「不毛地帯」を読むことである。同僚が私の机の上に文庫本4冊を黙って置いた。積みあげると10センチある。

 もう一つは自ら思い立ったものだ。短歌を毎日2首ずつ暗誦することである。篠弘編著の「現代の短歌(100人の名歌集)」からランダムに2首選び朝ノートに書き写す。寝る前に一字一句復唱できるようにする。詠む前には読まねばならないと思った。同居人は「数独」だが数字が苦手な私は5句31音の言葉遊びを選んだ。暗誦などとは久しく取り組んだことがないから中学高校生に戻った気分が新鮮だ。2つの宿題を誠実に取り組めば安上がりの暑気払いができるというわけだ。

 小説のあらすじはつぎの通りである。主人公は11年間にわたる過酷なシベリア抑留生活のあと総合商社に入社する。日本の繁栄を支えてきた国際商戦の世界もまた汚辱にまみれた世界であり荒涼たるシベリアと同じく不毛地帯であった。この作品の連載中にロッキード事件が起こる。小説が時代を先取りしていた。守屋政務次官の事件は記憶に新しい。私は四部のうちまだ一部の半分ほどを読み進んだばかりである。

 NHKハイビジョンで朝7時直前に日めくり万葉集という5分間番組がある。檀ふみさんが朗読している。残念ながら見逃すことが多い。さて毎日2首選びをしながら風変わりな歌詠みの香川ヒサ(昭和22年生)を知った。例えばこうである。「わたしには世界の果ての私がコーヒーカップをテーブルに置く」 「たとへもし世界が滅んでしまってもそれも世界の出来事である」 また別の女性歌人のものだが解釈に自信が持てず気になっている歌がある。「わたしはもう灰なのよとひとつまみの灰がありたり石段の隅」

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公民館学習で困った氏

2008年07月18日 | ねったぼのつぶやき

 長年の勤務から開放され先ずは3カ月余に及ぶ船旅をした。次いで定期的に体を動かす運動と幾つかの頭脳を刺激する公民館学習を始め、軌道に乗って久しい。今までスムーズに経過していたのだが、最近悩ましい状態が発生した。

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 会員減少に悩んでいた英語学習にさる老紳士が参入された。海外勤務もされたであろう紳士はなるほど流暢に話される。最初の1、2回は皆打ち揃って拝聴していた。聴くに値する内容でもあり、それはそれで良かった。しかし饒舌が目立つ様になった。

 90分の中で、生徒1人のスピーチとそれに対する質問やコメント、プリントによる簡単な日常の質問とそれに相応しい応答の仕方、宿題の成否、Textの進行だったのが、頻繁な会話が入りTextがストップしてしまった。いわゆるKYが出来ず、自分が見聞して来たことを披瀝してその愚に気付かない。”困ったチャン”に案の定苦情噴出で、本人には通じまいから講師が授業を支配する様上申する事になった。わが身を振り返るベシである。

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*2つの娯楽

2008年07月15日 | 捨て猫の独り言

 時間が出来て衛星放送のテレビを見る機会がこれまでよりも増えた。私は囲碁と大リーグの放送を好む。先日北京で行われた第20回テレビ囲碁アジア選手権を夕方2時間ずつ3日連続で見た。日本と中国と韓国から二人ずつとさらに前年度の優勝者が参加して7人の勝ち抜き戦が行われる。韓国同士の決勝となり前年度の優勝者が2連覇した。これで優勝回数は日中韓がそれぞれ9と4と7になった。

 3日とも解説は結城聡九段だった。懇切丁寧な解説でとても気に入っている。私などにもよく解るように手間を省かず大盤に実際に石を並べて見せてくれる。アマの弱点なども適切に指摘する。今回の決勝戦の対局は見ていて感じるものがあった。半目差のきわどい決着で名局といえた。対局者の思慮の深さを解説者は見事に我々伝えてくれた。

 午前中は連日のように大リーグのゲームをテレビ観戦できる。私の関心はアメリカンリーグの東部地区(5チーム)から始まった。ボストンレッドソックスに松坂、岡島、タンパベイレイズに岩村、ニューヨークヤンキースに松井秀がいるからだ。そして気付いたことがある。30球団で唯一米国以外に本拠地を置く球団があった。それはトロントブルージェイズである。そのロジャーセンターは開閉式のドーム球場だ。ホテルも備わっているそうだが宿泊客が野球観戦もできるのだろうか。ついでにあと一つのチームがボルチモアオリオールズである。

 つい先日そのブルージェイズのハラデー投手がヤンキースに完投完封勝ちをした2時間21分のロジャーセンターでのゲームを見た。彼のピッチングスタイルは伏線としてのボール球がなく基本はシンカーやツーシームで芯をはずして打ち取る配球でボールを振らせるのではなくあくまでもストライクで勝負している。それにくらべて四球の多い松坂は 「リリーフ陣を酷使する5回100球男、来期ローテに入っていること祈るよ」 などと掲示板に書かれていた。

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*運転免許証

2008年07月09日 | 捨て猫の独り言

 近くに長期間利用していたガソリンスタンドがあった。4月から店舗閉鎖の挨拶状が届いたのは3月のことだ。近隣の市に系列のスタンドがあるとの案内があった。そこは自宅からかなり遠い。4月と5月は娘に車を貸し出している状態であり給油もどこかですませていたようだ。これまでも稼動することの少ない車である。娘が居なくなって一月半になろうというのにガソリンは十分に残っている。7月になって給油の時しか使うことのない会員制のクレジットカードにはさみを入れた。我が家はこの先どこのスタンドで給油すべきか未定である。

 定年後は視力の関係もありほとんど車の運転をしていない。自転車通勤を始めてからおよそ7年である。戦後の貧しさを生きた人間はバスで行くべきところを歩いたりする習性が身についてしまっている。そんな親の元で育った私達の世代はいくぶんかその影響を受けていると思う時がある。タクシーは贅沢と思い込んでいる。私はこれまで長距離ドライブを楽しむ方ではなかった。広大なアメリカならいざ知らず現在日本のこの地域に住む限り公共の交通機関で十分間に合う。車を捨てて何かの時はタクシーを使おうと家族に提案したがその意見は通らなかった。タクシーは呼ぶ手間がかかるだけではないか。

 最近のガソリンの高値で自転車が見直されているのは喜ばしい。江戸時代の遺産である玉川上水沿いの私の通勤コースは快適である。どこまでも生い茂る木々に覆われ夏には木陰を走り抜ける。沿道の住民が手入れしている季節ごとの草花が目を楽しませてくれる。日本でも気分良く走れるコースさえあれば長距離自転車通勤者が増加することは間違いのないところだ。政策として自転車専用道路の開通にもっと力を入れてもいいのではないか。

 そんな私の運転免許証だが不要になったわけではない。銀行、郵便局、市役所、映画館などの窓口で本人確認または年齢確認などになくてはならないものになっている。健康保険証では場合によってはだめな時でも運転免許証ならばその心配は全くない。ある自治体では運転免許証を返納すると優遇措置があるらしい。引き換えに何らかの身分証明書が支給されるのであれば考えてみてもよい。

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あぁイヤだ・ややこしい

2008年07月06日 | ねったぼのつぶやき

 PCは便利だけれどややこしい。高機能すぎる。モット簡便に使いこなせるヤツはないのッ!出来ないのッ?これから高齢者人口が増大するというのに! 簡便にすればアレ用コレ用と必要になるから、これ程ややこしい思いをしてマスターしなければならない訳?

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 かって電話が貴重な時代があった。公衆電話から家庭電話へと普及し、今や個人用の携帯電話が当たり前となり、カメラは言うに及ばず、お財布替りをさせようという時代になっている。併せてPCが世界中を駆け巡り、電話普及のスピードを超えて快進撃ぶりだ。そのスピードに追いつけというのがそもムリな話。イヤその内PCも一人一台、もっとハンディタイプになる?!

 イヤでも何とかしなきゃならない! 朝と夜が真反対になるほど遠い所に子供や孫は行ってしまった。”PCを使いこなせないとどうにもならない”。メールは国内と同じでOKだ。目下のところ画像音声付の送受信が難儀。「入った。消えちゃった。聞こえた。聞こえなくなっちゃった。映像がクリアでないよ~」と昼夜逆転した状況下で悪戦苦闘している。あぁクタビレル~。

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母から娘へ・包丁物語

2008年07月04日 | ねったぼのつぶやき

 共働きしていた我が家に、ゴールデンウイークの時期になると決まって私の母が上京して来た。そんな筈はなかったのだが、ある時台所にたった彼女が「キレが悪いねこの包丁は」と言った。

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 中学生の息子を一人で帰郷させた際、急に思い立った母はキレのいい包丁を持たせようと思ったようだ。モウ忘れてしまったのだが、恐らく普段自分が使っている使い勝手のいいものを、新品の箱入りではなく新聞紙か何かに包んで・・。そのまま空港に持ち込んだ息子のリュックは、持ち込み検査の際引っかかった。係員が開けてみたら何と・・。そこで乗務員預かりとなり、降りる際に戻されたらしい。「恥かいたよ」と息子はぼやいた。25年前のモット緩やかな時代の話である。

 包丁を買い換えた際、同じ物を2本求め1本は娘に渡した。夫はPCに向かう度に「美味しい料理を作ってるか?」と問うているが??。今なら解る。母は少ない力で切りたかったのだ。次回娘宅に行く時は、砥石を持って行かなくちゃ。デモ出番あるカナ?(到着前夜は雷雨、翌朝隣の空き地にできた水溜りで遊ぶ。その後は晴天続きで暑かった)

 

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*良寛さん

2008年07月01日 | 捨て猫の独り言

 自転車通勤のコース沿いには市立図書館の分室が2つある。たまに立寄って覗くのが新着本コーナーである。そこですぐに立ち去る時の方が多い。つい先日の平凡社別冊太陽の良寛(聖にあらず、俗にもあらず)にはすぐに手が伸びた。その中で良寛という生き方と題して立松和平氏が年代順に解説している。その他には良寛の肖像画や遺墨などを眺めて楽しめるページが多い。

 曹洞宗の開祖道元の名を知らない人でも良寛さんなら知っている。つい最近まで私もそうだった。とてつもなく難解な正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を著わしたのが道元禅師であると私が知ったのはつい最近のことだ。そしてなぜか今ではその方面への私の関心は大きい。良寛は22歳から34歳まで岡山の玉島(倉敷市)円通寺で峻烈な修行している。そこで正法眼蔵にも初めて接し、深い感動を得たという。

 1828年柏崎市の北にある三条市で大地震が起こり死者1413名という大惨事があった。この時の友人への有名な見舞い状がある。「災難に逢時節には、災難に逢がよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 これと感応する正法眼蔵の言葉は 「自己に無量の法あるなかに、生あり、死あるなり」 ということになるらしい。正法眼蔵はあくまでも難解である。

 別な本で吉本隆明氏のきわめて直截な文章を見つけた。「良寛は十年間修行して曹洞宗の師家の印可をうけている人だったわけです。しかし曹洞禅の流れのなかに良寛をいれようとしてもはみ出してしまうものがあります。良寛は誰に会っても、子どもにも村の人にも礼拝するのです。そういう仕方のところで良寛は曹洞禅をはみ出してしまったわけです。当然師匠の死後、寺を継ぐべき資格がある人だったが、本山から住職が来て、じぶんは寺を出て、修行しながら郷里の越後にかえって、隠遁生活をすることになるわけです。そこで、はみ出したものは文学のかたちをとるわけです」 

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