玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*センダンと白檀

2018年05月28日 | 捨て猫の独り言

 ことわざの「せんだんはふたばよりかんばし」を長いこと明確には理解出来ていなかったことになる。ここでの「より」は作用の起点を表す格助詞なのに、比較を表すものと思い違いしており、そもそもセンダン自体を知らなかった。鎌倉時代の仏教説話集である「撰集抄」に「栴檀は二葉よりにほひ、梅花はつぼめるに香あり」とあるという。

 5月中旬の頃、片道1時間ウォークで北へ向かっていた。野火止用水と多摩湖自転車道が交差する地点に西武多摩湖線の八坂駅がある。駅は野火止用水を跨ぐ高架の真上にある。駅を覆う大木の新緑の梢に白い花がついている。以前は気付かなかった大木を花の時期ゆえに気付いた。

 

 最初はなんじゃもんじゃの木だと思ったが、近づいてみるとうす紫がかっている。辺りに、ほのかな香りが漂っている。同じ大木が近くに5本ほどあり、その一つには「センダン」のプレートが掛かっていた。ああこれがセンダンの木の花かとつくづく眺めたのだが、後で調べて混乱することになった。

 ことわざの「せんだん」は香木の白檀(ビャクダン)のことで、センダンとは別のものだ。栴檀(チャンタン)とは香木の白檀の異名で、栴檀と書いたものをセンダンと読み違えた。センダンという和名を持った植物とは何の関係もない。何ともややこしい。「白檀は双葉より芳し」となるが、対義の「大器晩成」に軍配を上げたいというのが人情だろう。

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*アニメに導かれて

2018年05月21日 | 捨て猫の独り言

 近隣の公民館で開かれるアニメ「親鸞聖人」の上映会に出かけて、最近の三カ月で全6巻を見終えた。別の日に開かれる講座を拝聴したりした。仏教についてこれまで無知であったせいで、驚くほど興味を示している自分がいた。

 とくに意識してそうなったわけではないが、最近は都立霊園巡りをする機会が多くなった。「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」という。地球上で仏の悟りを開いたのは釈迦だけということだ。阿弥陀如来はあらゆる仏の師匠だ。すなわち釈迦仏は阿弥陀仏の弟子と考えてよい。地球といえば大宇宙の中の塵に過ぎない。(上水沿いのユニーク家屋)

 

 夏目漱石は大正2年に、第一高等学校の生徒を前に「模倣と独立」と題する講演を行った。その中で「親鸞聖人に初めから非常の思想が有り、非常な力があり、非常な強い根底の有る思想を持たなければ、あれほどの大改革(肉食妻帯)は出来ない」と話している。ちなみに同時に取り上げていたのはノルウエーの劇作家イプセンだった。

 出席した講座の講師の方から返書が届いた。「西洋ではギリシャに始まり新しい哲学が次々と現れました。一方東洋では2600年前に釈迦が、人間とは何か、幸福とは何かについて究極の答えを発見してしまっているのです。そして後の時代の人々はいかに釈迦の経典を正しく理解するかに人生をかけたのです」とあった。

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*浅間山公園

2018年05月17日 | 捨て猫の独り言

 これまでMLBに関心のなかった人まで大谷翔平のテレビ中継に見入るようになった。悪臭ふんぷんたるアベ政権の現状に気分が滅入ることが長期間続いている。それが今年になって大谷の活躍で少しは救われている。なんと情けない政治状況だろう。

 府中市の浅間山(せんげんやま)は河川に削られて残った標高80mの小さい山だ。周囲は住宅地が広がる。その都立公園では「ムサシノキスゲ」が見頃を迎えていているとの記事があった。地元の保護団体による土曜日のフェスティバルに自転車で出かけた。山中のあずまやでは山野草や野鳥の写真が展示されていた。

 

 初めて「ツバメのねぐら入り」の写真を見た。河川敷のヨシ原で夜間に撮影したものだ。ここ浅間町には新小金井街道沿いに、三角屋根で緑色した建物の斎藤病院がある。斎藤茂吉、斎藤茂太が院長を務めていた。病院の南にある浅間山の東に接して多磨霊園がある。浅間山を分断する道路を上り下りして、霊園南通りから正門に行き霊園に入る。

 

 まずは霊園事務所で案内図を手に入れる。ロッカー式納骨堂「みたま堂」はかなり大きな新しい建物だ。時間の都合で著名人の墓所を訪ねるのは別の機会にした。大正12年に開設されて、都立の霊園では面積最大という。南北にバス通りがあり、園内に二か所の停留所がある。園内のバス通りを出るとそこは東八道路だ。 

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*立夏の頃

2018年05月14日 | 玉川上水の四季

 四月中旬に小型重機が入り、6基の展示パネルが撤去されて鈴木さんのオープンギャラリーは完全に消滅した。常なるもの無しだ。狭い跡地は掘り返されて放置されている。連休中にキュウリとゴーヤのための土作りをした。近いうちにシュンギクを処分して、そこにはトマトを植える。

 市役所の五月の企画で身近なものはつぎのとおり。10日に環境家計簿登録者に緑のカーテン用の苗と堆肥の無料配布、13日は中央公園で、野菜市、園芸市、舞台イベントなど盛りだくさんのグリーンフェスティバル、17日から20日までは、沼さらいのため全部の用水路の水が止まる。

  

 立夏のある日に、片道1時間ウォークで玉川上水の上流に向った。法面にはウツギの白い花が垂れ下がっている。ある木の下が小さな白い落花で埋めつくされた光景に出会う。そのエゴノキについて、鈴木さんはつぎのように解説していた。大暑の頃にゾウムシがエゴノキの実に産卵し、秋の彼岸を過ぎるとヤマガラが実を叩いて中の幼虫を食べる。また冬の非常食として実を運んで蓄えるという。

 

 ウォークの折り返し地点の金毘羅橋で、春分の頃に確認したヒトリシズカ群生地の辺りは夏草が生い茂っていた。何度か柵の中を覗いたが、埋もれるように咲くあれはどう見てもフタリシズカだ。この日の歩きではスイカズラの甘い香りに気付いた。夜になると香りは強くなるという。花は最初は白色だが、その後黄色になり、全体として白色と黄色が混在する。この頃のクチナシやミカンの白い花の香りもいい。

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*まち歩き

2018年05月07日 | 捨て猫の独り言

 例年通りアトランタから12歳と10歳の孫娘が来日する。6年生と5年生として学期途中から日本の学校に通う。これまでと異なり、年8回の土曜授業があり、教科へ格上げした道徳の授業が実施されると聞く。学校現場も大変だろう。

 今回は母親がアトランタに帰る前に、母親と一緒にどこか見物に出かけたい。しばらくしてから登校したいという。さてどこに案内しようかと思案中だ。それはさておき、いつも新緑の頃は出かけずにはいられない。ある一日を神宮外苑から新宿御苑へと歩いた。

 歩いたあとで、まちの歴史を知ることになるのはいつもの私の悪い癖だ。感慨は浅くなり、見落としが起きる。神宮外苑は明治天皇がしばしば閲兵式を行った青山練兵場の跡地だ。1943年に出陣学徒壮行会が行われた跡地では、新国立競技場の建設が進行中だった。

 

 新宿御苑のある現在の新宿内藤町は、その大部分が大名の内藤家の屋敷地と一致する。明治政府が買い取り農業教育の場となるが、その後宮内省管轄の植物御苑となる。苑内のラクウショウ(落羽松)、和名が沼杉の「気根」を見るのも目的の一つだった。

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*過分な恩恵

2018年05月03日 | 捨て猫の独り言

 他人に贈り物をすることを、喜びとしているとしか思えない人がいる。何等の見返りも期待しない。まるで草花が季節ごとに花開いて私たちを楽しませてくれるように、それはごく自然に行われる。これらの行為をどう呼んでいいのか困るのだが。

 たとえば94歳になる母親である。都市に住む、あちらこちらの子や孫のために季節ごとの故郷の特産品を宅配便で送り続ける。そのために、不自由な歩様ながらもデパートに出かけて品定めの大仕事をこなす。子や孫は素直に恩恵を受けるだけだ。

 それだけではない、当方には70歳台の複数の同級生からも食品の宅配便が届く。それに対するこちらの返礼は、比べものにならないほど少なくアンバランスな状態にある。これでいいのかと思いつつ、不思議な事態をこれまた甘んじて受け入れる。(写真は白日会展での桜島)

 

 先日、食品でなくファックスが送られてきた。母親のことが新聞に掲載されたという。「94歳の手習いで水彩画」の見出しだ。カルチャースクールの「受講生展」が開かれているという記事で、日本画の講師の先生と母親の二人が並んで写っていた。

コメント (2)
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