玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*江古田駅界隈

2016年10月31日 | 捨て猫の独り言

 10月の土曜日に練馬区にある武蔵大のキャンパス見学に出かけた。我家から西武池袋線の江古田駅までの乗車時間は50分程度だ。地図で調べると駅周辺には南口の武蔵大の他に、北口には武蔵野音大と日大芸術学部がある。そもそも江古田駅は武蔵の設立に合わせて武蔵に通う生徒用の駅として開業したという。武蔵の創立者である根津嘉一郎はこの鉄道の株主だった。

 まず北口の武蔵野音大を訪ねると何だか様子がおかしい。建設業者が出入りしているだけで学生の姿はない。尋ねると5年がかりで建設中の江古田新キャンパスはまもなく完成する。来年の入学式はここで行われるが、現在は埼玉の入間キャンパスに移転しているのだという。駅周辺の商店街に戻り、吉田類の酒場放浪記でも取り上げられたという「お志ど里」で定食の量の多さに悪戦苦闘する。

  

 千川通りに面した武蔵大の正門を初めて訪れた。まず緑に囲まれた外壁に沿って反時計回りに一周することにした。大学と男子校の武蔵中高は同じ敷地にある。かなり歩いて今度は中高の正門から入り大学の建物の方に向った。中高と大学の境界に「すすぎ川」という小川が流れていた。小川はイロハモミジなどの木々に覆われている。川沿いにはベンチも置かれている。小川をどんどん遡ると水がこんこんと湧き出る場所に出た。

 

 武蔵大の正門近くにある武蔵野稲荷神社に気付いて立ち寄ることにした。大黒様が臼造りをしているという意匠の手水鉢など民間信仰の歴史を感じさせて存在感のある神社だった。都心から武蔵へ通う学生が利用する都営大江戸線の新江古田駅まで往復して、再び江古田駅に戻り北口にある日大芸術学部を訪ねた。2010年に建て替えが完了したという校舎はすべてが新しい。そこに「日芸賞」の第1回の受賞者の三谷幸喜と佐藤隆太、第7回のよしもとばななと森田公一など全10回の受賞者の顔写真が並んでいた。

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*武蔵美・芸術祭

2016年10月29日 | 捨て猫の独り言

 武蔵野美術大学(Musashino Art University)略称MAUの芸術祭(学園祭)は10月29日、30日、31日の開催である。私は30日に囲碁会の一泊旅行があるため初日の29日に行き、見学の合間には学食で410円のMAUランチをいただいた。いきなり「まうかくし」の五文字の洗礼を受けてなんのことやらさっぱり分らない。分厚いパンフに何の説明もない。帰宅してパソコンを開いてようやく分った。今年のテーマは「妖怪」だそうだ。ストーリーに「もしや、自らの意志でこの地に来たと仰るか。貴方が今ここに居るのは我らの導き。神隠しならぬまうかくし。やんややんや高らかにすべてを忘れて騒ごうぞ」とある。まうかくしとはMAUと神隠しを合わせたものだそうです。写真をご覧ください。

 

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*反原発の民意

2016年10月27日 | 台湾のこと

 7月の参院選挙の日に鹿児島県に三反園訓知事が、この10月には新潟県に米山隆一知事が誕生した。それぞれ川内原発、柏崎刈羽原発が選挙の争点の一つだった。三反園氏は指宿市出身でニュースステーションの政治担当のキャスターなどを務めたジャーナリスト、米山氏は魚沼市出身で東大卒の医師で弁護士でもある。二人は自分に出来ることは何かを考え続けているに違いない。異色の二人の今後を見守りたい。

 日本では7月31日には小池都知事が誕生した。米国ではすったもんだの末に11月8日にはヒラリー・クリントン大統領誕生が確実視される。2016年1月16日には台湾の蔡英文総統が誕生し5月に就任した。続々と女性リーダーの登場である。2005年から首相を務める「ドイツのお母さん」メルケル首相は十分な実績を積んで、後続の女性リーダーたちが意識せざるを得ない存在だろうと思われる。(鉄塔の建て替え作業)

 

 10月23日の新聞を開いて次の記事に目を奪われた。台湾「2025年に原発ゼロ」という見出しの記事のことだ。東日本大震災後の反原発の台湾の民意のを受けたもので、原発ゼロは蔡英文氏の公約だったという。ついにアジアで初めて台湾が「原発ゼロ」にかじを切った。これまで幾度か起きた日本、台湾における地震災害のテレビ映像が脳裏に浮かんだ。日本も台湾も大陸にもぐり込むプレートの影響を受ける地震国である。(栃木にある仏塔)

  

 台湾の8基の原発のうち稼働中の3基は25年までに40年の稼働期間満了となる。台湾の発電事業者は「消費者の省エネの取り組み、企業の意欲、当局の優遇策があって初めて実現可能性が出てくる」と話す。台湾の経済相は「原発ゼロを目指すに当たっての問いは再生エネで原発に置き換えることが出来るかどうかということではない。放射性廃棄物の問題を子孫に残さないために、どのような政策が必要なのかということこそを考えるべきなのだ」と話している。 

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*鈴木教室

2016年10月24日 | 玉川上水の四季

 どんぐりの中にいて白くて小さな芋虫のようなものはゾウムシの幼虫だ。台風の後でもないのにクヌギの小枝が散乱している時期がある。「ハイイロチョッキリ」がクヌギの実に産卵して枝を切り落としているのだ。どんぐりの中身を食べながら幼虫になり、どんぐりから出て土の中で蛹になる。これをオープンギャラリーの鈴木さんに学んだ。私はオープンギャラリーの場を勝手に「鈴木教室」と呼んでいる。ちなみに解剖学者の養老孟司は虫マニアであり、専門にしているのはゾウムシだという。(写真は小平市民まつり)

 

 鈴木さんが節気ごとに発行している観察パンフの中に「ルリタテハ」についての記述がある。それによると、ルリタテハは年に3回世代交代をしている。単純化すれば成虫は6月、8月、10月に発生(羽化)している。10月の成虫は越冬して4月に食草が新芽を出すと産卵を始める。11月になっても暖かい日であれば正午頃に玉川上水のクヌギの樹液に姿を見せる。(写真はルリタテハ)

  

 オープンギャラリーの小さな花壇にはルリタテハの幼虫の食草であるホトトギスとサルトリイバラが繁っている。実物展示をという鈴木さんの思惑通りにギャラリーでルリタテハが産卵した。寒露の時期に葉の裏の幼虫を見せてもらった。情けないことだが私はこうして指し示してもらわないと、それと知ることができない。蛹(さなぎ)になるとほとんど動かず休眠しているように見える。蛹から脱皮して成虫が現れる羽化の瞬間を目撃できる人は幸せだ。

 京都のお祖父ちゃんからルリタテハの蛹が送られてきて、学校に行っている間に羽化し、それを窓から放したという経験をしたばかりの小学一年生がいる。この昆虫少年にギャラリーにルリタテハの幼虫と蛹がいることを伝えた。彼は自らギャラリーで幼虫や蛹を見つけ出し、登下校の途中に観察を続けていた。鈴木さんが作成したルリタテハの幼虫、蛹になる体勢の幼虫、蛹、成虫の4コマ写真入りのハガキをプレゼントしたら大喜びだった。

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*龍勢まつり

2016年10月17日 | 捨て猫の独り言

 先週は御嶽に今週は秩父の「龍勢まつり」に出かけた。その二度とも似た状況に直面することになる。まず御嶽行きのJRの「ホリデー快速あきがわ・おくたま号」は、新宿から拝島までは10両連結で前4両が五日市行き、後6両が奥多摩行きで拝島で切り離される。乗り継ぎの拝島で前の4両に乗り込んで引き返す破目になった。そして秩父行きの西武鉄道の「快速急行長瀞・三峰口」は、前4両は西武秩父経由三峰口行き、後4両は御花畑経由長瀞行きである。西武秩父の一つ手前の横瀬で切り離される。偶然にも前4両に乗り込んでいて事なきを得た。

 「龍勢まつり」は毎年10月の第2日曜日に秩父市下吉田にある椋神社の例大祭として行われる。埼玉県の無形民俗文化財に指定されている。この日は午前中は雨の予報で、中止ではないかと気にかけながら出かけた。片道1時間45分かけて西武秩父駅へ着くと小雨がパラついている。しかし駅構内には祭りのプログラムが山と積まれて、中止はあり得ないという熱気にあふれていた。駅前から満員のシャトルバスで35分かけて会場へと向う。

 

 龍勢は「農民ロケット」とも言われている。祭りでは15分おきに30本の龍勢が轟音とともに「発射櫓」から後方の山中へ向けて打ち上げられる。10時過ぎには低く垂れこめていた雲も消え空高く舞い上がる龍勢を見ることができた。現在は火薬製造の資格を得た27の流派が伝統を受け継ぐという。「東西東西」に始まり「五穀豊穣を祈念し椋神社にご奉納~」という口上が終わる瞬間に龍勢は打ち上げられる。流派の桟敷席では宴が続き、一般の有料観覧桟敷席はたちまち予約完了になるという。境内には無数の露天商出店が並ぶ。

  

 打ち上げのつど流派が交代で「口上櫓」に登り代表が口上を述べる。複数の龍勢で地元の吉田中学の3年女子生徒が口上を担当していた。会場にあるテントでは龍勢の実物が展示され、龍勢に関して詳しく知ることができる。祭りは戦時中と昭和37年からの9年間の中断を乗り越えて続いているという。龍勢祭実行委員長が秩父市長というのもいいし、「龍勢保存会」の存在も頼もしい。秩父夜祭をはじめとして秩父は多くの祭りが存在する。山国秩父の人々の情熱には心打たれる。明治17年に秩父事件が勃発し困民党が終結したのが椋神社である。

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*孫娘からの手紙

2016年10月13日 | 無断転載

 ババはアトランタから成田への直行便で9月2日に35日ぶりに自宅に戻った。10才のすみれと8才のりりからジジへ日本語の手紙が届いた。すでに一月以上も前の二人の手紙を原文のまま掲載。

 たのしかったね。げん気ですか?いっぱい食べています?さびしい?ババもうすぐかえってくるからもうすこしまっててね。ババがかえったらうちたちはさびしくなちゃうけどジジはバンザイをしてるのかな?ババがれいとうこをまんぱんにしたから、うちたちはLucky!ババがかえったらジジはもうおりょうりしなくて、おそうじだけですむからラクチンになりますね。おそうじとさらあらいはよろしくねとババがゆっていました。ラジオ体そうとおちゃをどうぞをしているのかな?ジジは私たちがかえる時バンザイをしてたけど行くからその時もバンザイをしてね!【すみれより】(注:簡易の仏壇に毎朝お茶を供えていた)

  

 りりはじじにあってよかったです。うちたちがいったらばんざいをしたかな?じじはひとりでだいじょうぶ?うちたちがかえってさみしくない?りりはさみしいよ、りりはりりちゃんをそつぎょうしてりりになりました。いっぱい日記をかいていっぱいかんじのれんしゅうをしました。もうすぐばばがかえるからおいしいりょうりがたべれるね。いっぱいおそうじして、きれいなおうちにすんでね。またらいねんね。【りりより】(注:りりは自分のことりりちゃんと呼んでいた)

 

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*武蔵御嶽(みたけ)

2016年10月10日 | 捨て猫の独り言

 NHK番組のブラタモリ「高尾山」を見た。高尾山は落葉と常緑の広葉樹林の分布の境界に位置している。さらに周りは人工林だが高尾山は保護された歴史をもつ自然林で植物の種類が豊富でその数1600種近くもある。なかなか有益な番組に触発されて山に登りたくなった。599mの高尾山はこれまで何回か登ったことがある。今回は初めての御嶽(みたけ)山に登ることにした。

 まず大型書店で2万5千分の1の地図「武蔵御嶽」を手に入れた。地形を自分で読み解く訓練のつもりだ。かつて山登りの先達にその折り方まで教えてもらったことがある。その一方で図書館からは親しみやすい絵地図も借りた。両方とも当日ほとんど目を通すことはなかった。御嶽神社は929mの御嶽山頂にある。古くから山岳信仰の霊場として発展し武蔵・相模に渡る信仰圏を獲得した。

  

 10月2日の日曜日に、土日運行のホリデー快速で青梅線の御嶽駅に行く。そこからケーブルの滝本駅までバスが出ているが、歩くことにした。車道から多摩川渓谷に下りて上流に向う。すぐ近くの急な流れの中でカヤックを楽しんでいる人たちが見える。気温が上昇し疲労のため予定変更してケーブルに乗ることにした。わずか6分で御岳山駅に到着する。近くにあるビジターセンターでロックガーデンについて尋ねる。

 

 そこから神社までは徒歩25分の上り参道で、途中に宿坊や御師集落の門前町がある。石段に埋め込まれた天の邪鬼を踏むことで邪気を祓うという仕掛けがあった。参道には奉納されたおびただしい数の「講」の石碑が並んでいる。帰りはすべて歩くことにしてロックガーデン周遊を諦めた。江戸時代の初期に整備されたという杉の巨木の並ぶ参道を下る。この下りで私の大腿四頭筋が受けたダメージは大きく、痛みはいつまでも残った。

 

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*若き投手の事故死

2016年10月03日 | 捨て猫の独り言

 だいぶ前に中国旅行で桂林を訪れたのは8月下旬だった。秋分を過ぎる頃からキンモクセイの甘い香りが漂い始めると、なぜか桂林の漓江下りを思い出す。そして目撃した桂林の人たちの生活の様子が身近に感じられるようになる。8月に訪れた桂林で実際に私がキンモクセイの香りをかぐことができたのか判然としない。私の連想は旅行案内書で得た知識のせいかもしれない。

 

 8月の初旬にイチローの3000本安打達成が秒読み段階に入った。NHKはイチローが所属するナ・リーグのマイアミ・マーリンズの試合を連日のように中継した。それを見ながら自然と多くのマーリンズの選手を覚えることになった。その中の一人にホセ・フェルナンデス投手がいた。その彼が9月25日未明にマイアミビーチで発生したボート事故で死去した。24歳だった。

 

 私の興味を引くのはエースとしてのマウンド上の彼ではない。登板がなくベンチで応援している時のフェルナンデスは、ひとときもじっとしておれないらしくコーチであれ監督であれ、試合中にだれかれとなく話しかける。天真爛漫ということで皆に愛される。これまであまり見たことのないタイプの選手だった。他にはボストン・レッドソックスのベッツ外野手あたりが似たタイプだと思う。

 フェルナンデスは08年に母親、妹と共にボートでキューバから4度目の逃亡を試みた。しかし途中、荒波に母親がさらわれて海に落ち、当時15歳のフェルナンデスは海に飛び込み母親を救出した。その後、メキシコを経由してアメリカに亡命を果たし、昨年は市民権を獲得した。このような経歴から私は思う、彼はたびたび狂おしいほど海にあくがれていたに違いない。

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