玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*佐原の大祭(2)

2022年07月28日 | 捨て猫の独り言

 佐原の山車の上には歴史上の人物の大人形や、藁で制作した鯉などの大きな飾り物が特徴的だ。戦後修復された「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」通称「おかめさん」は飾り物では最古のもので、文化元年(1804年)の作で「人形師鼠屋」の銘が内部に確認されたという。愛嬌があるので大人気のようだ。

  

 「鯉」は古文書の記述により文政年間(1818~1830)に制作されている。飾り物の鯉は麦わらを使い、町内全員の協力で5年ごとに制作しているという。今の鯉は令和元年の作という。今年3年ぶりの夏祭りは感染症対策のため全町内での総踊りや、巡行などは取り止めになったという。

 伊能忠敬旧宅は無料で見学できる。しかも見事に保存されていた。敷地内を用水路が流れているのが目をひく。すぐ傍には忠敬の書院がある。この用水路の水を東岸から西岸に送るため木製の大きな樋を作り小野川に掛けられたものが後に人が渡れるようになり「樋橋」となった。時間になると橋から水がじゃーじゃーと流れていた。

  

 今回の佐原行きで私の中で解決したことがある。それは総武線についてだ。今の千葉県にあたる上総国(かずさ)や下総(しもうさ)と、武蔵国を結ぶので総武鉄道だ。これはうすうす気づいていた。すっきりしたのは①「総武本線(千葉⇔銚子)」②「横須賀・総武快速線(久里浜⇔東京⇔千葉)」③「中央・総武線」あるいは単に「総武線」(三鷹⇔千葉)

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*二つの死

2022年07月25日 | 捨て猫の独り言

 調べてみるとあれは昨年の12月15日のことだった。森友学園への国有地売却を巡り、財務省の決裁文書改竄を苦に自殺した近畿財務局職員赤木俊夫さん(当時54歳)の妻が、国と佐川宣寿元理財局長に損害賠償を求めた訴訟で、国は突然請求を全面的に認める「認諾」の手続きを取った。

 政治家の保身による「真相封じ」であることは誰の目にも明らかだった。生前赤木さんは、国民全体の奉仕者として公正に働いているか、自己点検項目が記された国家公務員倫理カードを手帳に挟んで常に携帯していたという。一般に政治家=国会議員は国家公務員法の適用されない「特別職」の国家公務員だという。

  

 赤木さんの妻が、当時の安部首相に「せめて線香をあげに来て欲しい」と間接的に語っても、もとより実現するはずもなかった。そして必死の訴訟に対してネットでは「なんてしつっこいんだ」などという言葉もあったと聞く。突然の「安部元首相を国葬に」というニュースを聞いて真っ先に脳裏に浮かんだのは自死した赤木さんのことだった。

 今回の「国葬問題」は政権党である自民党内の政治力学の産物である。政治家の保身によるものであって、そこには何らかの道徳性も存在しない。近畿財務局は組織として赤木敏夫さんを悼むべきだった。7月12日の「朝日川柳」に「赤木さんも安倍さんも同じ一人」というのがあった。同じ思いの人は多いのではないか。 

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*佐原の大祭(1)

2022年07月21日 | 捨て猫の独り言

 各地で3年ぶりに祭りが復活している。前々から青春18きっぷで「佐原(さわら)・銚子の旅」を考えたことがあった。「佐原の大祭」が3日間開催されていることを知り、3月17日の最終日に意を決して出かけることにした。実を言うとケチ根性の発動にすぎない。「3割引き」をほとんど利用せずに長年会費だけを払い続けていた「大人の休日倶楽部」の有効期限がこの7月なのだ。

 今年は3月に甲子園球場に行くのに利用した。そして今度の佐原行きが2度目である。佐原には伊能忠敬旧宅が当時のままの姿で残り、市内を流れる幅10mの「小野川」をはさんで向かい側には1997年に建替えられた「伊能忠敬記念館」がある。それに伝統の祭りまで見学できるという贅沢な一日となった。ただし、ときおり小雨に見舞われて、山車の人形を透明なビニールで覆うなどの処置がとられていた。

  

 「石岡のお祭り」(茨城県石岡市)、「佐原の大祭」、「川越祭」を「関東の三大祭り」と呼ぶ。川越祭は自宅近くなので見学したことがある。ついでに調べてみると「京都の祇園祭」、「飛騨の高山祭」、「秩父夜祭」は「日本ひき山三大祭り」だそうだ。このようなお祭りは地域社会の人々の連帯なくしては実現できない。そんな地域に属した経験のない私はただ驚き感心してその存続を願う。

  

 佐原の大祭は、なんと夏祭り(7月)と秋祭り(10月)の年2回行われる。夏は小野川を挟んで東側の本宿・八坂神社、秋は西側の新宿・諏訪神社の祭礼として行われるという。なるほど東側の八坂神社の境内や通りは屋台で埋め尽くされていが、西側を歩くと閑散としていた。忠敬さんの銅像を、佐原駅前、佐原公園、旧宅の3か所で見かけた。おみやげは駅売店の「ただたか饅頭」にした。 

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*カタカナ語3題

2022年07月18日 | 捨て猫の独り言

 本棚に、ほぼ30年前に発行されたカタカナ語辞典が残されていた。そのむかし、長男が小平市主催の成人式で贈呈されたもののようだ。その辞典にはCDはあったがDVDの項目はなかった。ましてやSNSなんてあるはずもない。近ごろ新聞を読んでいると、気になるカタカナ語に出会うことが多くなった。

 

 「アダルトチルドレン」という言葉を私は誤解していたようだ。そもそもがアメリカでアルコール依存症の関わりの中で生まれた言葉だという。adult children of alcoholics (ACOA) 親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人の意味だ。そこから派生して、親の虐待などの機能不全家族で育ち、ひろく「生きずらさ」を抱えた人も指すようになっていった。of dysfunctional family (ACOD)。

 つぎは「シンギュラリティ」。数学では反比例のy=1/xの式でX=o のとき式は無限大、ブラックホールの中心部を表そうとすると密度が無限大というように数値が不連続に変わる点。そして近年ではアメリカの人工知能の研究者であるレイ・カーツワイルが提唱した人工知能が人類の知能を越える転換点としての「技術的特異点」が注目されていて、それは2045年頃に到来するとの説が有力という。

 「キャンセルカルチャー」は全くの初耳だ。米国が発端で、本来、公民権運動における抗議の申し立ては、「あなたの言動は、背景が違う人には不愉快に感じられる」と言った注意し合うことが主眼だった。その後に現在のネット社会で、有名人の現在や過去のスキャンダルを探してさらす「つるし上げ運動」が起き、「キャンセルカルチャー」と呼ばれる現象が出てきた。その行きすぎを批判する言葉だ。

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*人工知能

2022年07月14日 | 捨て猫の独り言

 70歳になる囲碁棋士の小林光一名誉名人は、人間の棋力を上回る囲碁AIの出現で碁の勉強が様変わりしたと言う。「これまでとは違う碁を見せられている気がするんですよね。こっちの価値観が通用しない。でもよくよく見ると、相当な手なんですよ。そういう世界を見せられて、おもしろいですよ。棋士なら見たいから。勉強することが一気に増えた」(玉川上水の柵いろいろ)

 日曜放送のNHK杯囲碁トーナメントでは「一手ごと変化する勝率と、3通りの着点」をAIが予想するようになった。勝率は%で、着点は「白13の五」のように碁盤の座標で表示される。その影響で座標にも関心をもつようになった。しかしAIは膨大な量のパターンを覚えているだけで、意味は理解していない。だからなぜ最善手なのかその理由を教えてくれることはない。

 

 AIは囲碁や将棋だけでなく、俳句、短歌はもとより散文や詩などの創作の分野でも研究が進んでいるようだ。日経が主催する「星新一賞」は、AIを創作に用いて応募することを認めている。北大教授、川村秀憲さんの開発チームが「AI一茶くん」を生み出したのは2017年。小林一茶や正岡子規の句や、現代俳句を合わせた約10万句を学習し一秒間に約40句を生成するという。

 俳人は「AIがつくった俳句から、勝手に人格が立ち上がるときもある。読み手が自身の属性、経験から勝手に言葉を理解してしまう。人が読むことによってAI の俳句に意味が生れていくということはあると思います」歌人は「一番言いたい部分は読者に引き出してもらうのが歌の読みだと思っている。AIがつくった作品だと知らずに感激した後、作者がAIだとわかったら、僕は失望すると思う。だけど最初の感激はうそだったのかと言われると、うそじゃない」

 

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*IT弱者

2022年07月11日 | 捨て猫の独り言

 2日の土曜の朝、KDDIに音声通話やデータ通信が利用しずらくなっているというニュースが流れた。しばらくしてルーターのランプがすべて消えていることに気づいた。我が家はOCNのひかり回線でTVとネットを利用している。そのどちらも利用できない状態になっていた。

 ルーターのランプは前日の金曜までは正常だった。土曜のKDDIの不具合と、どんぴしゃりのタイミングで発生したので、ルーターの故障が、KDDI の影響ではないかと疑った。そのうちそれが大きな勘違いであることに気づいた。それからあわててNTTに電話すると、あいにく手元の2台のスマホはauである。

 

 このauスマホこそが今騒がれている、そのことだった。ただでさえ通じにくい「お客様サービス窓口」への電話である。不調のスマホにストレスは増すばかりだった。そこに近隣の若い世代の救世主が現れる。auでないスマホの手助けでなんとか連絡がついた。訪問の前には連絡するからそれまで待てとのこと。それがいつのことやら分からないままだ。

 予約していた3日の日曜のNHK杯は録画できず、大河ドラマは見ることができなかった。やっと5日の火曜に業者が来てくれて、新しいルーターを設置していった。世の流れに遅れて私がスマホを手にして、固定電話を解約したのは昨年5月である。電話回線廃止によってルーターのサイズは半分になっていた。

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*小説・車輪の下で

2022年07月07日 | 捨て猫の独り言

 課題図書を読まずに感想文を書いたことがある。正確に言うと、他人の感想文を書き写したことがある。体育館のない学校でバスケットの練習に明け暮れていた中学時代のことだ。夏休みに国語の宿題があり、ヘッセの「車輪の下」を選んで提出した。出版されていた優秀作品を換骨奪胎して提出したのだ。呼び出されて注意を受けることもなく経過して、数多くの私の悪業の一つとして今でもこの身に残り続けている。(ナラ枯れの木を撤去)

 

 「車輪の下」を読むのは罪滅ぼしの意味があり、大げさに言うならば私の人生の宿題でもあった。これまでに多くの翻訳本が出ているが、たまたま松永美穂訳の「車輪の下で」を読んだ。訳者あとがきには「いまだにこの本が共感を呼んでいるのは教育の在り方が普遍的に問われているからだろう」と書かれている。私の主な読後感は、人は幼年期から少年期にかけて自然環境からどれだけ大きな恩恵を受けるかということだった。

 自伝的小説といわれている「車輪の下で」が出たのはヘッセ25歳のときだ。第2章ではドイツ南西部にあるシュバーベン地方の風景が生き生きと描かれる。ヘッセは少年期の故郷を思い浮かべ、懐かしみながら書いたのだろう。各地から選抜され期待されて進学した神学校での寄宿舎生活が始まる。主人公のハンスは学業不振で退学し、機械工として人生をやり直そうという矢先に川に流されて死ぬ。

 幼くして詩人であり洗練された知性の持ち主である友人のハイルナーは脱走騒ぎで退学処分となる。この情熱的な少年はやがて英雄とは言わないまでも率直で立派な男のなったと簡単に記されているだけだ。私はハンスとハイルナーはそれぞれヘッセの分身のように思えた。ヘッセのハンスとハイルナーの二人の少年の細やかな心理描写は秀逸である。ハイルナーの死は「少年のまま生きたい」というせつないヘッセの願望だったのではないだろうか。

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*大久保利通像

2022年07月04日 | 捨て猫の独り言

 6月に郷里の新聞のサイトを覗いていたとき、『「大久保利通像の謎」一緒に殺された「車夫と馬」はどこに?』という記事を目にした。像は没後100年にあたり甲突川河畔に建てられたもので、鹿児島市の彫刻家中村晋也氏(95)の53歳のときの作品である。観光案内のサイトで紹介されているが見つからないという声が寄せられ、記者が出向くと小さな像が見えにくい場所にたしかに置かれていた。

 製作者はその理由をつぎのように語った。「制作前に大久保の墓のある東京都の青山霊園を訪れたとき、ひときわ大きな墓の隣に中村太郎と馬の墓を見つけた。どうしても太郎と馬を弔ってあげたかった大久保家の心意気に感銘を受けた。製作依頼は大久保像のみだったが、足元に高さ20センチほどの像を加えた」私はたびたび青山霊園に訪れたことがあるが、うかつにも太郎と馬の墓に気づかなかった。つぎの機会に確かめようと思う。

 

 中村晋也氏は今でも日展に出品されているほどお元気で鹿児島彫刻界の大御所である。私は日展を見学することで中村氏の存在を知った。56歳で鹿児島中央駅広場の「若き薩摩の群像」62歳で伊集院駅広場の「島津義弘公像」制作などのことは今回しかと認識した。実は私が青山霊園を訪れるのはいつも日展見学とセットである。国立近代美術館と青山霊園は目と鼻の先だ。いろいろなことが私の中でおもしろいように繋がってきた感がある。

 つぎの帰郷のおりには、鹿児島中央駅に近くにある、甲突川河畔の大久保像を訪ねることにした。像の台座は高く、かじりつくように背伸びしないと太郎と馬の像に触れることができないかもしれない。鹿児島市民でもその存在を知る人は少ないだろう。だいぶ前に仲間うちで大久保像の話題がでたのは、この小さな像のことだったのかと今にして思う。その時は彫刻家中村晋也の名も知らず、紀尾井坂の暗殺事件のことも詳しいことは知らなかった。

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