玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

エッ そんな馬鹿な・・

2011年06月30日 | ねったぼのつぶやき

 出かけねば足りない用事があって有楽町に出た。マイレージをICクーポン券に切り替えていたので(空港かプラザでしか使えず)、眼前の有効期限内にケリをつける筈だった。(切り替えすらも不慣れでヤットコサ)。所がカードを機械に通して即「このカードではなく別のカードだ」と言われる。エッ!JALカードはこれしかない。刻印された期限を確認したら今春切り替えており、旧カードは鋏を入れて廃棄したのを思い出した。説明してもそのカードでないとダメだという。。

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 諦めてランチをしながらつくづく考えた。「新カードが来たら誰しもそうする。ここで了解してはいけない。責任者に交渉すべし」。窓口に再度申し出るとやや待って責任者の女性が出てきた。新カードを郵送した際注意書きしてあった筈と繰り返す。達人なら理解可能でも期限切れを繰り返していた私。「無理もないので今回限り」と念を押され、又回復の手続きの書類を郵送する!となった。ッタクモウ!!  通常ならこの段階で「もう結構です」なのだが、往復1500円の交通費と既に使ったテマヒマを考慮してグッと我慢した。こうやって、一見サービスしてるかに見せかけ、その実使い勝手を悪くし使わせたくない本音が透けて見える。

 折角のこと暑いさなか銀ブラをする。年を追うごとにそこら界隈には観光バス数台が停まり、アジア系の人々の往来や言語が聞かれていたが、今年は1~2台しか見かけなかった。昨年はセールのはためくバッグ屋で、競って滑車のついた旅行かばんを求める彼等からはじき出されるようにして私は外に出た。あの元気で声高な旅行者達の喧騒が帰ってきて欲しいと商店主達は待ち兼ねているだろう。

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*卒業20周年

2011年06月27日 | 捨て猫の独り言

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 「限りある生を享くれども、限りなき力を後にとどむ。限られし地に身を置けど、限られぬ光を長(とは)に放つ。たれかこの力を与えし、力の泉はわれに在り。たれかこの光を与えし、求むればわが心の光、あゝ天は高く、地は厚し、われに心の霊なるあり。三つのもの永く相照らす、うるはしきかな、偉(おほい)なる哉(かな)」これは成蹊学園の創立者中村春二が、精神修養のための記述を願って友人の小林一郎に請うて大正2年にできた「こころの力」である。

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 八章からなる漢文調の美文で心の働きの霊妙偉大なことを歌っている。上に引用したのは最終章の最後の部分である。執筆者は当時法華経その他の仏典の研究に専念していた学究だった。現在は入学と卒業の式典で第一章の朗詠テープが流れ、参列者は目を閉じて聞く。私が全部の章に目を通したのは退職してからのことだ。学園は来年の5月12日に東京国際フォーラムで創立100周年記念式典を行う。そこで今年の5月12日の新聞各紙にその式典を予告する全面広告を出した。広告には創立者が旧制中学校の卒業生に贈った言葉が掲載されていた。

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 この学園では高校を卒業して20年後には学年全体で再会するという慣わしがある。今年は旧担任として私に招待状が届いた。クラス幹事から直接電話をもらうと断れない。都心に出かけるのも久しぶりだ。この折だからと早めに家を出た。同窓会の開始は16時半である。目黒駅の近くには庭園美術館があるのを知りそこに立ち寄ることにした。65歳以上は入場料金半額という。証明するものを持ち合わせてないと申告すると生まれた年を答えることで半額になった。外出の際は免許証か健康保険証を常時携帯すべきである。

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 参加者は卒業生全体の半数ぐらいだろうか。懐かしい顔との再会だが、それぞれあのときとあまり変わらないという印象が強い。ひと足ひと足着実にときを刻んできた結果だろう。しあわせとはごく平凡な暮らしが続くことだ。ここに参加できなかった人もあのときとあまり変わっていないだろう。会場で写真撮影する業者に気付いた。撮影された写真は後日パソコンで見ることもできるし、プリントアウトもできるという。そのためにURLと、IDナンバー、パスワードが印刷されたものが配られていた。掲載期間は2ヶ月という。ひとの心性はあまり変わらないようだが暮らしかたはめざましく変わる。(写真は庭園美術館にて)

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*梅雨の晴れ間に

2011年06月20日 | 捨て猫の独り言

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 満月の光だけで撮影する「月光写真家」の個展が調布の市民文化会館で開催中だという。気にかかりながらいよいよ最終日を迎えやっと腰をあげた。自転車で武蔵境通りを南に駈け下り70分で会場にたどり着く。月に一度である満月の想像以上の明るさを私たちの世代は知っている。写真家石川賢治さんも66歳である。マヤ遺跡や赤いマグマが流れ出すハワイ島などの写真が展示されていた。満月の光が照らす神秘的なブルーの世界である。会場の片隅では屋久島での夜間撮影の様子などを紹介するDVDが上映されていた。

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 武蔵境通りは中央線の武蔵境駅から南の多摩川へ向かってゆるやかに下る道路である。我が国にしてはめずらしくこの通りは途切れることなくサイクリング道が整備されている。帰りはこの通りを少し登ることになるが、登り切った辺りに深大寺がある。湧水が豊富な地形であることが合点できる。深大寺前は蕎麦屋が立ち並び日曜日とあって大勢いの人出でにぎわっていた。一軒だけ花屋があり、この時期ならではの各種のアジサイの鉢が並べられている。ダンスパーティと名付けられた見慣れないアジサイもある。盛りを過ぎた梅花ウツギの小鉢は3割引きである。深大寺の隣には都立では最大の神代植物園がある。

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 つぎは新聞のコラムからの引用である。「日本は四季の国ではない。梅雨という雨期のある五季の国であると、俳人の宇多喜代子さんがかつて小紙に寄せていた。たしかに、入梅から明けるまで東京の平均は43日にわたる。嫌われがちな季節だけに存在感がある」 「お天気博士の倉嶋厚さんが、人間は大気の海の底に住む海底動物だと書いていた。なるほどと思う。大気の織りなす営みが、ときに五風十雨となり、ときに暴風雨などの禍となって、底に暮らす人の頭上に下りてくる」

 つぎは河野裕子さんの「NHK短歌うたの歳時記」からの引用である。「梅雨の初め頃に吹く風を黒南風(くろはえ)、中頃に吹く風を荒南風(あらはえ)、梅雨あけのころに吹く風を白南風(しらはえ)という」 <白南風の光葉(てりは)の野薔薇過ぎにけりかはづのこゑも田にしめりつつ>北原白秋 「上の句の 『の』 でつないでゆくリズムがとてもいい。白南風の光葉の野薔薇 ときれいな名詞を並べて色彩感や光を感じさせながら景を見せてゆく手際もなかなかのものである」 「梅雨のころに咲く花はなぜか白い花が多い。くちなし、どくだみ、泰山木、卯の花、野ばら、白つめ草など。けれども梅雨といえば紫陽花につきるだろう」 <白あぢさゐ雨にほのかに明るみて時間(とき)の流れの小さき淵見ゆ>栗木京子 「白あじさいは私の家の庭にもあるのでこの歌の趣はよくわかる。白あじさいだからこそ ほのかに明るみて が生きる」

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ネットに絡み伸びる苦瓜

2011年06月17日 | ねったぼのつぶやき

 梅雨半ば。我家の温度計は室外は24度・室外は19度を指しており半袖では小寒い。昨夏の暑さは厳しかったが、温暖化の時代にあって今夏も厳しいだろう。折からの節電の要請もあってニガウリの苗等が配布された街もあったようだ。我家は野菜を兼ねたツル科の植物(食物)を立木に適当に這わせて収穫しているが、今年は本格的に朝陽除けとして東窓にネットを設えた。

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 ネットしかみえなかった腰高の窓からツルが見えるようになった。ソレはみるみる間に触手を伸ばし、網にクルクルと巻き付いて上へ上へと見事に伸びていく。伸びゆく姿を食卓に腰掛けながらに眺めるのは心楽しく穏やかな気分にもなる。およそ一間の窓に4本のウガウリ。葉っぱはどの程度繁茂するだろうか。未だ中心軸を中心に上へ伸びるのみだが、そのうち横にも伸びてほど良い朝陽除けになってくれるだろう。

 TVではあの大震災から100日たち、連日 ”娘の痕跡を残す遺品を” と土を掘り返していた若い母親が「そろそろケジメをつけないと前に進めない」と語っていた。震災以来2つのブログ(Dr桑山の「地球ステージ」と武田邦彦教授の「特設の2」)を追っているが、放射能対策については遅きに失したものの、武田氏の主張を後追いするような対策が採られ始めている。伸びゆくツルをぼんやり眺めながら、ニガウリの成長のように、元気の出るスピーディな対策があったらなぁと夢のまた夢を見ている。

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かっては縁側で”茶飲ん話”

2011年06月16日 | ねったぼのつぶやき

 この梅雨空の時期出かけるのも人様にお出で頂くのも気がもめる。というのは駅への至近距離にあたる上水路が未舗装だからだ。通学路も兼ねているのだし、いっそ舗装してしまえばいいものを敢えてそうしないのには自然を守り抜きたいからだろう。

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 旧友から貰い受けた沖縄産「雲南百薬」がヤット根付いた。中学時代の同期生で健康志向の強い旧友に「苗が欲しい?」と声を掛けた所、「欲しいから行く!」と言い、両手にお土産を一杯ぶら下げて千葉の柏市から2時間余かけてやって来た。お決まりの” 女のお喋り” に花を咲かせた後ランチに出かけた。自転車で水溜りを除けながら緑のトンネルを抜ける。私にとっては生活道路だが彼女らには緑道は新鮮だったようで「寿命が延びそう」と大げさに喜んでくれた。

 偶々当朝TVのBSプレミアムで、故郷を紹介する番組があると前夜に知らされていた。録画し置いた「武家屋敷の息づく家並みとそれを今に受け継ぐ入来の人々の暮らし」を彼女らと一緒に見た。河原から大きめの玉石が集められ、丹念に積み上げられ、年月を経て苔むした組石垣は、見事に手入れされて家から家に連なっていた。縁側では隣人同士が ” 茶飲ん話 ”に興じていて、かって私達が通い慣れ、見慣れていた”当時そのままの風景”がソコにあった。道路拡幅時に入来城下の麓の武家屋敷は迂回されたと聞いている。一方現代の果てない”茶飲ん話”も日没前にやっとお開きになった。

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*勝ち敗けを超えて

2011年06月13日 | 捨て猫の独り言

 植物は本当に律儀だ。毎年決まってその時期になるとつぎからつぎに順序良く花や実をつける。梅雨の今はアジサイ、ホタルブクロ、ムラサキシキブが目立つ。昨年から私の視野に入ってきたのはネジバナ、オカトラノオなどだ。さらに今年は桑の木の枝に手を伸ばして桑の実を食べることを覚えた。黒く熟れた桑の実を口に含むと昔に戻れたような幸せな気分になる。

 5月27日の朝日新聞の「ひと」欄に紹介されたのは、史上最高年齢で世界アマ囲碁選手権戦に臨む84歳の平田博則さんだった。食事は三度きちっととり、毎日のように庭に出て雑草をむしる。あとは囲碁の本をちらっと見るくらいという生活で、驚異的な選手生命を維持している。囲碁は感覚的なものが重要で芸術に近い。底が知れない面白さが魅力と語っている。

 選手権戦は5月29日に松江市で開かれた。1日に2局を戦い4日連続で8局打たねばならない。2日め平田さんは3局目のノルウェー戦に思わぬ敗戦を喫する。ほとんど勝っていた碁にうっかりミスが出てその瞬間の敗北である。相手のノルウェーの選手はまず平田さんのミスに驚いたという。そして平田さんには申し訳ないと思っていますと語っている。しかしその後は崩れることなく4連勝し、8局目で優勝した中国の選手に敗れ、6勝2敗の5位という成績だった。

 8戦全勝で優勝した中国の選手はプロを目指しているという18歳だ。一番印象に残った対戦相手は平田さんです。84歳という高齢なのに碁の内容が素晴らしくて若々しいからですと、はにかみながら答えていた。平田さんは大会を振り返って健康面では悪くなかったが碁の内容はイマイチだったと答えている。プロの世界では久々の朗報があった。井山祐太名人が5月18日に中国の重慶で開催された日本、中国、韓国の一流棋士3人による大会で優勝を飾ったのである。囲碁世界3強国間における日本の巻き返しを期待したい。

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*小満から芒種へ

2011年06月06日 | 玉川上水の四季

 ニガウリの緑のカーテンを作ることにした。5月初めに植えたニガウリの苗四本は順調に育っている。その中の一本はすでに黄色い花をつけた。昨年までは南側の椿の木にニガウリをからませるというきわめていい加減な育て方をして収穫も少なかった。今年は朝陽の当たる窓側に一階までの高さのネットを立ち上げることにした。ところが東側壁面にはネットを吊り下げるとっかかりがない。そこで2本の竹竿を垂直に立てたいのだが、これがなかなか難しい。試行錯誤の末になんとか竹竿を固定してネットを張った。カーテンの重みや強風に耐えられるかどうか見ものである。

 この時期は庭の椿や梅の木に虫がつく。特に今年の梅の木はひどく虫にやられた。梅の木の下にあるドウダンツツジや砂利がまるで重油をぶちまけられたようにどす黒く染まっている。よく分からないがこの害虫は日本に700種もあるというアブラムシの一つなのか。これまで梅の花は楽しませてもらったが、梅の実の収穫はあまりなかった。この害虫による惨状を機会に、2階のベランダまで繁る梅の木を処分することにした。素人の仕事では一気に処分することはできない。昨日その第一段階として幹だけ残してほとんどの大枝をチェーンソウで切り落とした。哀れにも梅の木は葉の一枚もない姿になって残っている。

 鈴木さんの「玉川上水さんぽ暦」の「小満」には、ウツギ、コヒルガオ、スイカズラ、ドクダミ、桜の実、桑の実、カルガモ、ムクドリの子育て、カワセミ、カヂイチゴ、栗の花、ナツグミ、ヒメジョオン、ヤブジラミ、ネズミモチの順に記されている。5月22日は私の方の自主企画による玉川上水散策と、鈴木さんの「小満のミニ観察会」とが重なって、ミニ観察会の方は欠席した。去年の小満のミニ観察会ではムクドリの営巣場所に案内してもらったことを思い出す。ムクドリの巣は空き家の2階の窓の戸袋だった。スイカズラの甘い香りを知ったのも昨年のことである。

 さんぽ暦の「芒種」には、アジサイ、ムクドリの親子、ホタルブクロ、ツバメの子育て、ツユクサ、ツミの子育て、ムラサキシキブ、オナガの子育て、オカトラノオ、イチヤクソウ、チダケサシ、ネジバナ、オオマツヨイグサ、クヌギの樹液、コマツヨイグサの順に記されている。芒種という節気は稲などの芒のある穀物を植えるという意味だ。ところで鈴木さんによると、畑作中心の小平では、田植えなどの光景に出合うことはなく、むしろ麦刈りの印象が強く残っているという。いわゆる麦秋の候である。梅雨の期間は例年だと6月11日頃から7月中旬までだが、今年の梅雨入りは早かった。はたして梅雨明けはどうか。

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長友「10年分位経験した」

2011年06月02日 | ねったぼのつぶやき

 どちらかといえばスポーツ選手は寡黙な人が多い。そんな彼らが「今自分たちに出来ることは何か」と躊躇いつつ被災地を訪れ、子供達とサッカーをやり触れ合っている。今野や小笠原選など当地出身者を手始めに国内選手や、帰国組の長谷部・内田など次々訪ね、いづれ本田・長友選手らも訪ねるだろう。被災地の余りの姿に彼らは呆然とし、長らく支援したいと表明している。

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 日本人の中でもとりわけ小さな体の長友の、イタリアでの活躍は目覚ましい。3・11後、インテルで試合に勝った際 「You'll never walk alone 離れていても心は一つ」 と手書きした日章旗を掲げた姿に胸打たれたのは私一人ではあるまい。ワールドカップ直後からイタリアのチェゼーナに移籍し、程なく世界の憧れの的インテルに移籍した後も右サイドバックとしてフル出場した。しかも29日には優勝したばかりだ。日本でもデフェンスながらゴ~ルしていたが、ゴール後お辞儀のパーフォマンスをして日本をアッピールもした。

 タイトルは優勝後のインタビュー時だが「WCはずっと前の事のようだ」とも語った。並はずれた運動量で攻守を支え、イタリアの強豪チームでも信頼を勝ち得ている。「どんな舞台に立っても、どんな選手と闘ってもブレなくなった。日本人としての誇りを持って戦うことが僕の強み」と言い切っている。帰国翌日いきなりのキリンカップでも持前の運動量を発揮し大歓声を浴びていた。

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