玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*回顧川柳は健在

2017年05月08日 | 無断転載

 思いがけなく4月26日にBさんから年賀ハガキが舞い込んだ。裏面に「遅まきながら恒例・拙作回顧川柳をお届け申し上げます。【孫に】胃瘻見せ臍二つあるゾと自慢する」とあり、2016年の1月から12月までを回顧して、一枚のはがきにびっしり作品40が並んでいる。作品はハガキの表面の下段にも印刷され、その余白には手書きで「川柳作ってあったのでプリントアウトしました。私はまあボチボチ、リハビリに励んでいます。おハガキありがとう」とあった。月は省略して、作品をいくつか紹介したい。(ヤマブキ、シロヤマブキ、ヤマブキソウ)

 

  【北の核実験】キノコ雲食い物に見える北の民 【閣僚劣化】自由化で大臣の資格も緩和され 【福島で】アベさんの「寄り添う」などとはキモイだけ 【コクボーコクボー】亡国に聞こえる国防リフレイン 【国会答弁】出任せは読み違えせずペラペラと 【哀しや】墓参り防護服の僧先導し 【廃炉】有難や「もんじゅ」おシャカになり給う 【退位問題】玉体を過労死させそなお国柄 【他山の石】お隣りも国政謝るオトモダチ 【真珠湾で】アベさんの「未来」は過去を消す呪文 【正解?】キンでなく今年の漢字はカネと読む (イカリソウ、サクラソウ、フデリンドウ)

 

 

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*Bさんからのハガキ

2017年05月01日 | 無断転載

 養老孟司の「ほとんどの人は、心とは個人に限るものだと思っている。しかし個人に限られた心なんて、ほとんど意味がない。感情も理屈も、他人に理解されてはじめて意味を持つ。近代人は心は個人のものだと思い込んだ。だから他人を理解しなくて平気である。世の中で生きているかぎり必要なことは他人の心を理解することである」という言葉に触発されて、つぎの私信を公開することにした。毎年楽しみにしているBさんからの「回顧・世相川柳」の年賀状が今年は来なかった。そして4月になって、つぎのハガキが届いた。

 

 ●春は名のみの風の寒さや・・・という早春賦の歌詞の通り、当地では一足遅れます。4月1日(今日)朝から一面、雪景色。雑木林の枝々に雪の花が咲きました。●その後、長らくごぶさた申し上げて居りますがお変わりございませんか。下って私こと、昨年末に ふとした肺炎をこじらせ、多臓器不全を引き起こし、〇〇病院のICU(集中治療室)に入院。人工透析、胃ロウの経管栄養、酸素吸入、等々の手厚い医療の恩恵に与って、3月初め、どうやら無事、一般病棟へ転院、目下△△病院で入院加療中です。寝たきりですが、ベッドの上に胡坐して、このハガキを書いています。回復に向かっていますので他事乍らご安心ください・・・という次第で、年末以来ごぶさたして了いました。年賀状も欠礼。どうかお許しください。

 ●ICUに2ヶ月入院中、ケイタイも使えず、面会も謝絶で、外界から「隔離」されていたので、森友問題も閣議決定もアベ政治の動き全体のことも、当地の上空をオスプレイが飛んでいたことも知らずに過ごしました。一般病棟に移って1ヶ月、TVや新聞で色んな事を知り面食らっている次第です。

 ●いつ退院できるか分かりませんが、夏ごろまでに退院できたら、又、おめにかかれるのが楽しみです。但し、チューブを通じて胃の穴(胃ロウ)に栄養を注入する「食事」を摂っているので、ごいっしょにご馳走を囲めないのが残念です。では、お元気で!!なつかしい思い出をこめて。お詫び、ご挨拶まで。早々不一。

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*孫娘からの手紙

2016年10月13日 | 無断転載

 ババはアトランタから成田への直行便で9月2日に35日ぶりに自宅に戻った。10才のすみれと8才のりりからジジへ日本語の手紙が届いた。すでに一月以上も前の二人の手紙を原文のまま掲載。

 たのしかったね。げん気ですか?いっぱい食べています?さびしい?ババもうすぐかえってくるからもうすこしまっててね。ババがかえったらうちたちはさびしくなちゃうけどジジはバンザイをしてるのかな?ババがれいとうこをまんぱんにしたから、うちたちはLucky!ババがかえったらジジはもうおりょうりしなくて、おそうじだけですむからラクチンになりますね。おそうじとさらあらいはよろしくねとババがゆっていました。ラジオ体そうとおちゃをどうぞをしているのかな?ジジは私たちがかえる時バンザイをしてたけど行くからその時もバンザイをしてね!【すみれより】(注:簡易の仏壇に毎朝お茶を供えていた)

  

 りりはじじにあってよかったです。うちたちがいったらばんざいをしたかな?じじはひとりでだいじょうぶ?うちたちがかえってさみしくない?りりはさみしいよ、りりはりりちゃんをそつぎょうしてりりになりました。いっぱい日記をかいていっぱいかんじのれんしゅうをしました。もうすぐばばがかえるからおいしいりょうりがたべれるね。いっぱいおそうじして、きれいなおうちにすんでね。またらいねんね。【りりより】(注:りりは自分のことりりちゃんと呼んでいた)

 

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*琉球新報より

2015年12月30日 | 無断転載

 本土紙が扱わない、つぎの琉球新報の記事を一人でも多くの方にお読みいただきたいと思いました。

辺野古最善は「侮辱」 米識者70人、

    ケネディ氏発言に抗議声明        

 2015年12月24日 05:04 【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】 映画監督オリバー・ストーン氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏ら米国の文化人や識者ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が17日の日本記者クラブでの記者会見で米軍普天間飛行場移設に関して、名護市辺野古への移設が最善だとの考えを示したことに抗議する緊急声明を発表した。

<ケネディ駐日米大使発言への抗議声明全文>
 12月17日、東京の日本記者クラブでの記者会見で、キャロライン・ケネディ駐日米大使は辺野古が米海兵隊の新基地の場所として最善であるとのオバマ政権の主張を忠実に繰り返した。
 米国は「良き隣人」であろうと努力しており、また沖縄本島の約20%を占める何十もの米軍基地を抱える地域社会への影響については「気を配る」という丁寧なコメントをした後、ケネディ大使は沖縄の人々が容赦ない実力行使と威嚇にもかかわらず何百日も抗議活動をしている基地に対しての支持を表明した。
 (記者会見で)「基地建設に対する沖縄の人々の反対についてどう思うか。また米国は代替案を検討するのか」との質問に対し、ケネディ大使は「この計画(現在人口の密集する宜野湾に位置する米海兵隊基地を閉鎖し移設する)は人々が大変懸命に努力し、多くの選択肢を検討し、練り上げてきたものだ。だから私は今まで検討された計画でこれが最善のものと思っている」と答えた。
 米国が普天間飛行場を閉鎖し、辺野古に基地建設を一刻も早くすることを求めているというケネディ大使の発言は、この計画に激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦であり、同時に法律、環境、選挙結果を恥ずかしげもなく軽視する行為である。
 普天間飛行場は閉鎖されなければならないが、辺野古に移設することは解決策とはならない。この計画はより人目につかない場所に問題を移すだけであり、島の別の場所に新たな環境・安全の脅威を導入し、沖縄の米軍拠点としての役割を強化するものだ。
 ケネディ大使は日本記者クラブのゲストブックに、ジョン・F・ケネディ大統領による報道の自由についての発言を引用しながら署名した。しかし大使が引用するべきはむしろ、ケネディ大統領が世界平和について力強く、説得力のある主張を行った1963年のアメリカン大学卒業式での演説だったのではないか。
 ケネディ大統領は言った。
 「戦争に絶望し、平和をもたらすことを望む思慮深い市民は誰でも、まず内面を見ることから始めるべきだ―平和の可能性への自らの態度を調べることを…」
 ケネディ大使は沖縄の人々の懸念に対し、誠実に尊厳を持って取り組む勇気も度胸も持たないような米国の選挙で選ばれた公職者、政策立案者、軍の指導者たちの代弁者としての役割を果たしている。大使は父親が「アメリカの軍事力によって世界に強制的にもたらされるパックス・アメリカーナ(米国による平和)」を拒絶した演説をもう一度読むべきだ。
 もし再読したならば、ケネディ大使は父親が「平和とはつまり基本的に、荒廃の恐怖を感じることなく生活できる権利、自然の空気をそのまま呼吸する権利、将来の世代まで健全に存続する権利といった人権に関する問題ではないか」と問うたことを思い起こすことになるだろう。
 これらの言葉はわれわれにとってまだ意味があるために、われわれは米国市民として、米政府が自己決定権、健全で安全な環境で暮らす権利を含む沖縄の市民の基本的人権を否定することを止めるよう強く要求する。

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*非戦の誓いを破る日

2015年05月01日 | 無断転載

 つぎは毎日新聞付録小冊子の月刊「毎日夫人」2015年5月号の巻頭エッセイです。筆者は諏訪哲史氏(1969年生まれ)で、その前半部分を転載します。私はその中の「幼稚で愚かなプライド」という表現にことさら共感しました。

 ●非戦を誓った史上最高の平和憲法、憎悪の連鎖である戦争(テロ)から長く僕らを守ってきた日本国憲法第九条が、かつての空爆の地獄を忘れた、または頭でしか知らない世代の多数決によって今まさに葬られようとしている。他国の戦争に加担し、同盟と見做され、憎悪の連鎖に陥った反撃者に街を火の海にされる。

 ●戦争を知らぬ子孫を再び戦争に行かせず、敵国を作らないためには、今の時代に一票を持った僕らが非戦の誓いを守り抜かなければいけない。沖縄を見よ。戦争体験者が次々に没し、戦争を直に知らない世代が来て、国から金を積まれても、戦争・戦場・基地を放棄する非戦・平和への強い意志に貫かれている。

 ●幼稚で愚かなプライドのために、憲法を改変し非戦の誓いを破棄せんと企む者たちがいる。好戦的な政治家とその政党の支持者たちだ。しかし支持者の多くは改憲に無自覚で、日銀の作為的な金融緩和に演出された偽の好景気に満悦させられて、非戦の誓いを破る政策までを一緒くたに支持してしまっている。

  

 上のエッセイとは別に、琉球新報によると4月9日に設立された「辺野古基金」は24日現在で8978万円の寄付が集まったという。大半が個人の寄付で1件当たりの寄付額は2万3千円余。28日にはすでに9千万円余が集まっており、この日地元沖縄の金秀グループの寄付で1億1千万円近くになったという。私も27日に平均額を少し上回る額を郵便局で振り込んだ。(写真は26日の観察会にて、イヌザクラとキンラン)

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*母と娘

2014年06月16日 | 無断転載

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 庭のキュウリの収穫がぼちぼち始まっている。トマトの実はまだまだ小さくて青い。我家の小さな留学生には、地域の子供たちとたくさん遊ぶ時間をもって欲しいと願っている。ところが姉妹は二人になると英語でまくしたてて喧嘩もする。昨年は姉が一人での来日だったので姉は日本語しか話せない厳しい状況だった。ところで学校のない日の過ごし方は思案のしどころだ。帰国後のことも考えて、土日は向こうのカリキュラムに触れたり、私が英語を教わろうという気持ちでつきあうことにしている。

 土曜日に伯母の葬儀に出た。伯母には二か月前にお会いしたばかりだった。お会いしておいてほんとうによかったと思う。「お世話になった皆様へ心より感謝申し上げます」と題する「ご会葬御礼」が印象深かったので、ここに掲載しておきたい。喪主は残された御主人である。喪主の簡潔な挨拶の前に書かれている 「~娘より」 の部分はつぎのとおりだ。亡くなった伯母には二人の子供がいた。その二人娘の合作と想像される。

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 「穏やかでとにかく優しい性格。それでも胸には決して揺らぐことのない強さを兼ね備え、母は家族をしっかりと支えてくれました。家事や子育てをこなしながら大好きな音楽に親しみ、私たち子が手を離れると、声楽や合唱サークルに入って、自身の趣味を謳歌するようになりました。家でも気付けば歌を口ずさみ、皆の心をほっと和ませてくれた在りし日。年をかさねるとともに父と旅行に出かける機会も増え、母は本当に賑やかで温かな毎日を紡いでいたものです。晩年体調を崩してからは、ままならない身体に辛い思いを抱いていたはずですが、父や皆様の支えのもと、最後まで頑張りぬいた母。面影を偲ぶほどに別れが惜しまれますが、今は去りゆく母の背に溢れる感謝の思いを捧げ、彼の地での平穏を願います」(6月16日の新堀用水のアジサイ)

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*物語性

2014年02月24日 | 無断転載

 近くの路地にはいまだに雪が残っている。先の大雪の重みでビニールハウスが押しつぶされ、関東甲信地方では農家に甚大な被害が出た。もはや農業を続けられないかもしれないという深刻な話もある。農家の方々の無念さを想像しながら身勝手ながら続けて欲しいと祈る気持ちになる。しばらくは私たち消費者に届く大地の恵みの量が少ない状態が続きそうだ。

 今日の毎日新聞の短歌月評は歌人の大辻隆弘氏の<「物語」の影>と題する記事だった。長い引用を恐縮しつつ以下に記録しておきたい。

 《佐村河内守氏の作品が代作であったことが発覚して、話題となっている。被爆二世という出自。全聾という障害。困難な背景を背負いながら広島に捧げる作品を作曲する、という彼の「物語」は人々を感動させた。それが代作であったことに、人々は今、困惑している。音楽作品は、本来、そのもの自体において評価されるべきものである。が、聴衆は、作品の背後にある「物語」に感動し、そこから作品を評価してしまう。作品と「物語」を峻別することはきわめて困難だ。今回の事象は、そのことを改めて教えてくれた。短歌も同様である。短詩形である短歌は作者の情報とともに読まれがちだ。難病・障害・被爆・被災といった「物語」が、作品の評価を決める場合は多い》

 このあと、これは「物語」を拒絶したものであるとして一つの作品集が紹介される。しかし現実には「解説」と「あとがき」で作者の職業と、阪神大震災によって心の傷を負ったことが明らかにされているとある。潔癖なこの歌集にさえ、「物語」の影は張り付いていると結んでいる。私もNHKが放映した佐村河内守氏の番組をDVDに録画したが、しばらくは破棄しないでおくことにする。

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*教え子・安倍君へ

2013年01月05日 | 無断転載

 

毎日新聞(2012年12月31日)より転載 

 首相として戦後2人目の再登板となった安倍晋三氏(58)は高校時代、日米安全保障条約に反対する先生に質問をぶつけ、「うろたえ」させたエピソードを著書の中で披露している。その先生は、安倍氏に倫理社会を教えていた青柳知義さん(73)=埼玉県狭山市。「彼が疑問をぶつけてくれたことには拍手を送りたい」と振り返りつつ、教え子にこんな言葉を贈る。「異質の思想や立場の違う人を大事にしてほしい」

 安倍氏は06年の著書「美しい国へ」で、成蹊高(東京都武蔵野市)時代、授業中に安保条約破棄の立場から話をした先生に「条約には日米間の経済協力がうたわれているがどう思うか」と質問したところ、その先生は「顔色がサッと変わり、不愉快な顔をして話題を変えた」とつづっている。詳細な理由には触れていないが、「先生のうろたえぶり」は「革新とか反権力を叫ぶ人たちのうさんくささ」を確信する決定的な出来事だったと記載している。

 70年安保の年に、安倍氏の入学と同時に同校に赴任した青柳さんは、1年生の安倍氏に週2回、倫理社会を教えていた。「特定の価値観を押しつけることは避けてきました。何かのきっかけで安保に触れ、彼がかみついたのだと思います。論破しては彼を傷つけることにもなるから、いなして済ませたのではないでしょうか」

 安倍氏が60年の新安保条約に調印した岸信介元首相の孫だとは当時知らなかった。「メンツをつぶされた気持ちはありません。彼が疑問をぶつけてくれたことには拍手を送りたい」と振り返る。安倍氏は放課後も青柳さんの研究室まで質問に来るまじめな生徒で、礼儀正しかったという。

 ただ、青柳さんは、安倍氏が「戦後レジーム(体制)の脱却」を主張し、憲法改正や自衛隊の「国防軍」化を目指す姿勢を心配する。憲法99条が国務大臣の憲法尊重義務を定めていることに触れ「成蹊を出た学生なら、首相が憲法に基づいて職責を果たさなければならないことを常識として知っているはず。日本の近代史を謙虚に学ぶべきです。沖縄の南部戦跡を訪ね、戦争の悲惨さに思いをいたして」と訴えた。そして、こう続けた。「国家が教育を管理したり、人の内面を問題視したりしてはならない。安倍君には健康に留意し、東北の全面復興に取り組んでほしい」

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*年賀状

2013年01月04日 | 無断転載

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 暮に年賀状10枚を投函したあと南へ青春18きっぷの旅に出た。10日間の年末年始の旅の最終日は1月3日になった。故郷の鹿児島からの帰りは当日シルバー割引券ねらいだ。空席状況を調べると3日の一番早い便に空席がわずかに残っているという。それ以降は6日までどの便も満席となっている。夜が明け初めた頃に空港に着いて、幸運にもその3日の一番早い便のチケットを購入することができた。帰宅すると届いた年賀状の中に珍しくも貴重なメッセージ性の強い一通があったので、それを記録しておきたいと考えた。賀状の主は昨年沖縄旅行をした4人のうちの一人である。

 『あけましておめでとうございます  昨年暮れ、突然解散・総選挙があって、この国の権力はまたぞろ自民党に戻りました。なによりも問題なのは政治権力の正統性です。衆院で不信任案が否決されたにも係らず解散がなされ、最高裁が選挙権の不平等は違憲状態だと判決しているのに選挙が行われ、自民党新政権は生まれました。この選挙で自民党は惨敗した前回に比べ、比例区で219万票、小選挙区で166万票も減らしたにも係らず、得票率40%台で約80%の294議席を得ました。自民党に投票した人は有権者の、選挙区では24%、比例区で15%でした。議席が民意を反映せず、基本要件に欠け、議会制民主主義の前提が崩れています。この政権は民意であるフクシマの徹底的検証ではなく、原発維持に戻り、東アジアの「反日」気運を梃として、戦争の出来る仕組みとそれを補完する教育体制を作ろうとしています。また、この民意をゆがめて反映する国会で、国民のものであって議員のものでもない憲法をいじろうとしているのはとんでもないことです。そもそも、日本国憲法99条に照らして、国会は「この憲法を尊重し擁護する義務」を肝に銘ずべきです。しかし、議会制民主主義が機能しなければ、主権者である私たち一人ひとりが、自ら直接意志を表明し正していくしかない。  皆様のご活躍とご多幸を心より願っております。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます』 

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 急に書き込まれたらしく最後の行につぎのことが印刷されていた。

 『2012年大晦日 毎日新聞 社会面は元成蹊高校青柳知義先生へのインタビュー 「教え子 安倍君へ」を掲載しています。ぜひ一読を』

 青柳氏も昨年の沖縄旅行の4人のうちの一人である。

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*地名論

2011年11月28日 | 無断転載

 30歳台の頃に日本の現代詩人たちに興味を持ち愛読した時期があった。たとえば黒田三郎、石垣りん、谷川俊太郎、茨木のり子、清岡卓行などである。いつのまにやらそれらの詩人たちの本を手にすることはほとんどなくなっている。いまでは私の関心はむしろ短歌の方に移ったようだ。つい最近のこと、知人からメールで「難解駅名」というリストが届いた。読めるかどうかお楽しみくださいとのことである。

 一部だがそのリストのJRの駅を列島の北から南に見ていくことにする。五能線の風合瀬(かそせ)艫作(へなし)、山形県にある左沢線の左沢(あてらざわ)、奥羽本線の及位(のぞき)、飯田線の為栗(してぐり)大嵐(おおぞれ)、北陸本線の石動(いするぎ)動橋(いぶりはし)、片町線の放出(はなてん)、山陰本線の温泉津(ゆのつ)特牛(こっとい)、肥薩線の大畑(おこば)というぐあいである。

 これらの駅名はよほどの鉄道ファンか、またはその土地を訪れたことのある者にしか読めないものばかりだと思う。この地名の羅列をながめながら、ある詩の一部を思い起こした。ところが詩の作者が誰であったかを思い出せない。そこで手当たりしだいに本棚を探すと、まもなくその懐かしい詩に再会することができた。その「地名論」という詩の作者は大岡信だった。その詩の中で「名前は土地に 波動をあたえる 土地の名前はたぶん 光でできている」というフレーズに魅せられた記憶がある。めずらしく余裕もユーモアもある馴染みやすい詩だと思う。私たちは各駅停車の旅において、車窓につぎからつぎに見えてくる駅名には感興を覚えるだろう。それに通底している詩ではないだろうか。

 「水道管はうたえよ お茶の水は流れて 鵠沼に溜まり 荻窪に落ち 奥入瀬で輝け サッポロ バルパライソ トンブクトゥーは 耳の中で 雨垂れのように延びつづけよ 奇体にも懐かしい名前をもった すべての土地の精霊よ 時間の列柱となって おれを包んでくれ おお見知らぬ土地を限りなく 数えあげることは どうして人をこのように 音楽の房でいっぱいにするのか 燃えあがるカーテンの上で 煙が風に 形をあたえるように 名前は土地に 波動をあたえる 土地の名前はたぶん 光でできている 外国なまりがベニスといえば しらみの混じったベットの下で 暗い水が囁くだけだが おおヴェネーツィア 故郷を離れた赤毛の娘が 叫べばみよ 広場の石に光が溢れ 風は鳩を受胎する おお それみよ 瀬田の唐橋 雪駄のからかさ 東京は いつも 曇り」

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