玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

ザブトンが宙を舞った

2011年09月28日 | ねったぼのつぶやき

 ザブトンは日本文化を代表する一つの道具だろう。お座敷の席には必ずあり、今でも寄席や宴席にはツキモノだし、「ザブトン一枚」「ザブトンを投げる」は称賛の表意でもある。子供の頃、フスマをはずした広間に親戚・縁者が集った祝事や法事の際、ザブトンを並べるのは私達の役目で、遊びにも似てウキウキした気分を思い出す。そのザブトンが乱舞する場面(稀勢里が白鵬を投げ)に立ち会ったのだ。

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 いつかはと念願しつつ果たせなかった相撲見物。輝かしい若・貴の時代や、見飽きない高見盛のいる内に・・・・。ヤットさる会社の後援を受けた「相撲見学ととチャンコ料理を食べるツアー」に参加した。日本全土が覆われた台風の翌日で、高速の事故もあって会場に着いたのは中入り直前。高見盛のパフォーマンスには間に合わず、審判席の貴ノ花は退席する姿が見れただけだった。TVが写し出す通り、枡席の後半はガラ空きで、客足と高見盛の十両転落が大きく影響してか賞金の少なさが目立った。

 不祥事多発・外国人力士台頭・日本人力士の弱小・低位とあって、私のTVでの相撲観戦も遠のいていて2~3日前から事前学習をした。国技・神事とも称されている日本文化初体験の当日。取組、土俵の作り、審番関、放送関係やフラシュカメラの位置、呼び出しから始まる一連の流れ、力士の動き(出入り、待ち、勝名乗り、そんきょ、勝水)、懸賞金垂れ幕、華麗な装束の観察と興味は尽きない。会場を移したチャンコ宴席には土俵が設えられ、相撲甚句の唱い手の帯に挟まれる御捻りも一興であった。より骨格の大きい外国人力士に解放された相撲人気の復活は再度得るだろうか?

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*秋彼岸

2011年09月26日 | 玉川上水の四季

 彼岸入りの翌日の21日に浜松あたりに上陸し、本州を縦断した強い台風15号は各地で大きな被害をもたらした。これまでさしたる災害に見舞われていない我が地域にも影響は及んだ。猛る風雨で玉川上水緑道の風景は一変した。これまでにない強風のため木々の葉は細かく粉々に砕け散った。木っ端微塵とはこのことか。ところどころでコナラの大きな幹が折れて白いとげとげの断面がむき出しになっている。その落下の衝撃で緑道のコンクリート製の柵がへし折られている。数多くの大小の枝が落下して通学路を塞いだ。とりあえずそれらは柵に沿って緑道の両脇に積み上げられた。 

 幸いにも今回の台風による我家への影響はほとんどなかった。心配していたゴーヤの垂直ネットも大きく揺さぶられ続けたが倒壊することはなかった。庭木の枝折れもほとんどない。しかし玉川上水から流出した大量のクヌギの枝葉で家の前の道路はことごとく埋め尽くされた。多くの玉川上水の横道という横道がこの有様だったろう。台風一過の朝のことである。誰が呼びかけるともなく各家庭総出の落ち葉集めが始まった。このようにして一般道路は早期にもとの姿を取り戻した。しかし緑道内の落下物の撤去には時間がかかりそうである。

 長い間なんとなくあいまいなままに受け止めていた言葉を、ある時はっきりと受け止めることができたと気付くことがある。ひそかに、な~んだ~そういうことだったのかである。ここでは「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざのことだ。このことわざを年に二回人は口にするということに私は気付いた。寒さは春彼岸までである。暑さは秋彼岸までである。これまで彼岸には春と秋の二つがあるということを私は明確には認識していなかった。寒さから抜け出し暖かさを待つのが春彼岸であり、猛暑から解放され実りの恵みを楽しむのが秋彼岸である。

 鈴木さんの節気ごとのパンフレット(秋分)を読んで上のことに気付いた。春分と秋分は昼と夜の長さが同じである。そして春分、夏至、秋分、冬至というサイクルになる。俳句では彼岸といえば春彼岸のことだそうだ。彼岸の七日間に行われる仏事の彼岸会は平安初期に始まるという。秋分のミニ観察会は台風の傷あとが残る緑道を上流に向かって歩いた。ヤマボウシの赤い実を食してみた。ざらざらした食感である。メジロの好物だという。ユリ科の山野草である可憐なヤマジノホトトギスに出会う。広い畑の中の高い木のてっぺんにモズの姿を追い求めた。待ち続けた後、ある人の声に振り返ると高い木とは反対側の遠くの電線に一羽のモズの姿があった。しかし姿だけで高鳴きは聞こえてこない。

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エッやばっ!歯槽膿漏?

2011年09月22日 | ねったぼのつぶやき

 過日ニュースの一端で、「熱っ」「寒っ」「まずっ」「やばっ」など「つ止め」の汎用を報じていた。言われてみれば、日々TVを賑わしているお笑い芸人を通して耳慣れていて、文字として接していないせいでか左程の違和感も感じていなかった。そして当の私も思わずそう発してしまった。いくつかの忌み嫌っている単語の一つである「歯槽膿漏」という用語と共に。

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 私の受診する歯科は、さる施設に特設された歯科で、医師は大学からくる若い医師だが、長年勤務している衛生士3人は、患者の歯を熟知し説明やケアが丁寧で信頼がおけるのだ。市の定検歯科医院の対象外だから予約を要する。毎年ケアしてもらっているが、昨年は抜け落ちていたようで一年半ぶりの受診となった。歯磨きチエックも兼ねて染めだしを塗ってもらい歯磨きした。磨き残しがあると色が残り盲点が判明する。毎日の習慣は時にチェックし修正し直す必要もあるだろう。

 次いで歯槽チエック。ポケットの2ケ所は6mmと深いのだが、それは例年の事でそれ以上の悪化はなく虫歯もなかった。衛生士がチックしたカルテと私の口内を見回して若いDrが発した言葉は「歯槽膿漏ですね」だった。「歯磨きは難しく私達プロでも完璧とは言えない」と付けた足したが、歯槽膿漏とは・・。膿漏という言葉はヨロシクナイ。時に奥歯周辺が疼いたり、歯ブラシに血液が混ざる程度なのに。床づれじゃあるまいに膿が出るようになったら一大事だろうが・・・。あるいはこの忌まわしい言葉は、対象者に大きなダメージを与え悲惨な状況を回避させる為周到に用意された用語なのか?。

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*歌の心

2011年09月19日 | 捨て猫の独り言

 「日本の歌は多数人が歌を作っているところに、日本の歌が存在するのだから、多数国民が作らないなら、西洋の詩と同じになり、歌そのものはよくなっても、国民的教養としての和歌がなくなるんだ」これは長谷川如是閑の発言である。現在NHK教育テレビには毎日曜の早朝に短歌と俳句のそれぞれ25分の番組がある。「題」が設定され一人の選者による入選作品が紹介される。また全国各地で発行されるどの新聞にも歌壇・俳壇の欄があり、毎週複数の選者により選ばれたかなりの数の投稿作品が紹介される。

 日本には和歌や俳句を純粋に愛するしろうとというものがある。生活の一部として楽しんでおる人が無数にある。これは驚くべきことではなかろうか。あらためてそう思う。なにごとにも飽きっぽい私はひと頃の「前登志夫の鑑賞」も途絶え、ときたま思い出したように歌に興味を寄せるぐらいしかできない。今回歌に目が向いたのは「河野裕子さんの歌で幸せ育児」という37歳の主婦の新聞への投稿記事だった。『家事・育児で心に余裕がなくなり感情的になったりすることはよくある。そんな時、私はある歌を声に出す。「朝に見て昼に呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの」という故河野裕子さんの短歌だ』というものである。

 投稿者の声に出すという行為がまた素適だ。柳田国男は「歌は唱和するものであり、口によって詠み、耳で味わうのが本来である」と考えていた。いい歌というものは声に出してみると心地よいというのは間違いないところだろう。ところで9月5日の朝日新聞の歌壇・俳壇の作品の中から私がそれぞれ一つ取り上げてみる。「寝たきりになってしまったきみだけど母さんと呼んでる呼べる呼ばせて(長野市・関龍夫)」選者は妻の河野裕子を亡くした夫君の永田和宏だ。「たとえ寝たきりになっても、妻はこれまでと同じ、やはり母さんと呼びかける存在だ。そう呼べる幸せを思い、呼べなくなるかもしれぬ不安を思う。切ない」と選評にはあった。

 「打水をして生涯を終わらんと(胎内市・今村克治)」の選者は長谷川櫂だ。「死は間髪を入れず。身辺を片付ける間もない。美しい夢としてこの句を掲げておく」と簡潔な選評である。おびただしい日本人が歌をよむという行為の中にはどんな切実な心情があるのか。歌は天才の事業であるか、はたまた凡人の常のわざであるか。小林秀雄はいう。「芭蕉という人は俳句と生活とが全く一致していた人です。むしろ俳句は生活の断片的結果だったでしょう。これはそれ以来大変重要な日本文学の伝統的精神となりました」 いまの私は、これに倣って「囲碁は私の生活の一部でなく全部だ」と言えるぐらいになりたいと夢想している。

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パリのおばあさんの物語

2011年09月15日 | ねったぼのつぶやき

 その人は、裾に花柄を巡らしたダーク系のフレア・ワンピースの上に、オークル系のゆったりした丈長のカーデイガンを羽織り、ハイヒールを履いて颯爽と舞台に現れた。その人とは正に颯爽という形容がピッタリする往年の女優岸恵子さんだ。近年は女優業の他にエッセイスト・リポーター・作家としても益々活躍中の女性だ。

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 TVで映画「おとうと」を見て以来、数冊の著書など図書館から取り寄せて読んでいた。私も会員である文化ホールの会報に、「仲道郁代氏のピアノ伴による岸恵子の朗読会」とあった。ワザワザ聴きに行く積りもなかったが、彼女の翻訳による上記の本を読んで「イッテみようか?もうこんな機会はアルマイ。颯爽ぶりもミタイし」と遅まきの予約を入れた。私の場合、颯爽とはモハヤ程遠く、” 万事無難に ”の思想が日常を支配しているが、一回り先輩格である彼女はといったら、マダマダ夢や冒険を夢見ており老境という言葉には嫌悪感さえ示している。

 物語は子供から大人まで読めるわずか37頁の絵本である。暗黒の時代(ナチス下)を生き抜いたおばあさんは、人間の邪悪な残忍性や差別に怯えながらも、その毒牙から知恵と我慢で家族を守った。厳しさを乗り越えた後に訪れた平穏な日々を楽しんだ後、遂には万人が平等に背負う定めの「老い」を迎える。「全部出来ないなら、できることだけやっていこう。今日上手くいかなくても明日はキット上手くいくわ・・」とグチはこぼさない。かつての様に前を向き、安楽椅子の中で時に思い出と差し向かう。離れて暮らしている息子からの電話にも「何も変わりはないわ!」と心身の不自由を見せないばかりか、再び突然の不運に襲われないよう祈るのだった。

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*中秋の名月(白露)

2011年09月12日 | 玉川上水の四季

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 秋刀魚や梨が出回り始めた。旬のものをいただく時には天地に対する感謝の気持ちが自然に湧いてくる。先ほど柿の木の茂みの中でメジロが4~5羽うごめいているのに気付いた。体を接して枝にとまり、お互いに羽づくろいしているのだろうか。双眼鏡で覗いてみる。昆虫やクモを捕えているのだろうか。その下の畑には夏野菜はすでになく、白いニラの花が畑の縁に一列に並んでいる。小さな花の集合体のニラの花には小さな蝶や蛾などが集まってきている。ニラの花の可憐な存在に気付く。(写真はニラ)

 隣家では紀伊半島に甚大な被害をもたらした台風12号の直前にニガウリのネットを取り外し整理した。ところが我家のそれは繁るがままに放置してある。小ぶりな実が多くなったが、まだ収穫できる実をつけ続けている。収穫できたニガウリを消費するため今年はニガウリの佃煮という新たな料理が食卓に出るようになった。いつ緑のカーテンを処理するかまだ決めていない。さて庭のハギとサルスベリの花期は7月から9月とほぼ同じである。どちらも今月いっぱいは楽しめそうだ。

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 旧暦とは、ほぼ30日で繰り返される月の満ち欠けを基準としたカレンダーである。旧暦では7、8、9月が秋である。旧暦8月15日を中秋と呼ぶ。毎年ほぼ12回の満月があるのになぜか旧暦8月15日の満月は特別扱いだ。秋は収穫の時期である。その澄んだ秋空に昇るまるい月に収穫物を供えたくなる気持ちはよく理解できる。ところで今夜は運よく中秋の名月=満月を見ることができそうだ。今年の中秋の名月は本日9月12日である。昨年の中秋の名月は9月22日だったという。旧暦と太陽暦との関係については混乱させられる。(写真はカラムシ)

 二十四節気の白露は立春から数えて15番目の節気である。すなわち鈴木忠司さんが発行する8ページからなる節気のパンフレットが15冊になったということだ。玉川上水散策の貴重な手引書である。ところで昨日の白露の玉川上水ミニ観察会は私には馴染みの薄い植物ばかりだった。古代の織物の原料になった野草たちである。ちょうど花期を迎えたカラムシ(皮を?ぎ繊維に)、クズ(蔓から繊維)、アカネ(根が染料)などをこの手で触れてみた。またヌルデというウルシ科の落葉高木の花盛りや、大きな実をつけたマテバシイを見上げたりした。残暑厳しくとも上水は涼しく別天地である。

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冷汗かいて夏を乗切る

2011年09月08日 | ねったぼのつぶやき

 久しぶりに5才児向けに手紙を書いた。しかも慣れない英語で。娘から「Grandparents Day があるから入学したての学校宛に英語でお手紙を送って」とメールがあったのだ。5才児に解るような内容を英語でと近年にない注文である。そして3日目。去年一緒に遊んだ近所の子供達と写真をとり、過日コレ又何年かぶりの外国郵便を投函した。5才(プレスクール)から通う小学校の担任が皆の前で読むらしい。難しい英文は困難だが5才児向けなら何とかなるだろうと、祖父である夫が下書きし、私が英文にした。たまに朝のTVで英語学習をしている身なれば、ここぞ挑戦してみるベシと。

004Dear Sumire and  Lily

You had staied 2.5 months in our house last summer.Do  you  remember  at  that time?.It passed just one year.When You staied with us,We used to play together with neighbor,fireworking,rideon a tricycle, go to the restaurant ,Shunsuke & Yoto & Junn. On that days, Junn was baby. But he was growjng up day by day. And now he is walking ,running after Yuto & Shunsuke although  sometime he fall down.  I’ll send you a few photos. Do you remember each of member’s name? There are some kind of ants , incents , birds in our garden ,too. We used to dig the ground with shovel . Another  photo is your Mum’s elder brother’s family.  We are so happy to meet you on Skype every  weekend. We love to see your dance ,to hear your songs on it .Especialy Your Japanese dances and songs make you so cute. We would like to keeping on to hug lovely you in our arms all day long .But We have to wait to get there next summer.Not so far days I’ll visit your new house. And I’ll take you to Japan again among your summer vacation.Our another granddoughters (in photo)are waiting to see you in Japan ,too.    Good luck  !     with our love !!

To teacher.we are so happy to get your envitation to your grandparents day class.

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*ラジオ体操

2011年09月05日 | 捨て猫の独り言

 つぎのことを「かんぽ生命」の公式サイトで知った。おなじみのラジオ体操は約80年の歴史を持つ体操である。「かんぽ生命」の起源である逓信省簡易保険局がアメリカ視察でヒントを得て1928年に「国民保険体操」としてNHKのラジオ放送で広く普及させた。当初実際の振り付けは郵便局員が全国に周知させたという。終戦時には軍事的側面を助長するとして禁止されたこともあった。現在の体操は3代目で1951年に再編成されたものである。

 「ラジオ体操の歌」は作詞が藤浦洸、作曲が藤山一郎である。「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空仰げ ラジオの声に 健やかな胸を その香る風に開けよ それ1、2、3」これは毎朝6時半にNHKラジオ第1で聞くことができる歌詞である。これらの歌詞をネットで確認するまで、私はなぜか歌詞の「大空」仰げを「青空」仰げ、「ラジオ」の声にを「太陽」の声にと誤って聞いていた。さらにラジオ体操の歌は二番もあるということも知った。藤山一郎が朗らかに歌いあげている。

 最近私は6時半のラジオ体操が習慣化してきている。第一に続いて第二ラジオ体操を10分間すると体が温まる。血流が良くなるせいだ。NHKラジオ第2では8:40、12:00、15:00と日に3回ものラジオ体操の放送が流れているという。テレビのラジオ体操もある。今回 YOU TUBE のラジオ体操をパソコンのお気に入りに登録した。これまで寝過ごした時は何もしないでいたがこれからはいつでも好きな時間に自ら実施できる。しかも映像つきである。知りたい利用したい情報が簡単に手に入る便利な時代となったことに私はまたしても驚いている。

 テレビが普及し始めた時はこれでラジオが消えるのではと思った時もあったが、そんなことにはならなかった。ラジオには捨てがたいラジオの良さがあるということだ。夏季巡回あるいは特別巡回体操というのがある。この時は「ラジオ体操第一」の8科目め「腕を上下にのばす運動」のところでは会場の参加者の「1、2、・・・・、7、8」という声を会場全体に響き渡らせるのが通例となっている。この響きを聴いて本日の参加者の人数を当てるのを楽しみの一つとしていると、あるリスナーからの便りがあった。ささやかな事例であるが、ラジオを聞くには感覚を研き想像力を働かせねばならないようだ。

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お近付になっておきたい

2011年09月01日 | ねったぼのつぶやき

 私は時々米国発のブログを読む。退職を機に、渡米される一人娘さん家族との同居を選択し共に移住なさった一家のブログだ。子供達が広~い芝生の庭でスプリンクラーを浴び、じゃれあってる写真が数枚添付されていた。ヨクヨク見ると私の2人の孫もいて、娘が今春購入した中古住宅の庭での風景であるらしかった。タイトルを検めたら「〇〇ちゃんちに遊びに行く」とあった。

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 引っ越しの後Skypeを通して室内は見ていたのだが、建物の全景や庭周りなど見たのは初めてだった。近隣は遊び相手も多く学区としても恵まれた環境と聞いていたが、庭ごしに垣間見える界隈も静かな郊外を思わせ安堵する。私は厳しい生活の中で一大決心をする娘を案じ、少々の応援を申し出たのだが「親の援助を受け慣れていない米国生まれの夫を甘やかしてはイケナイ。借金は背負わせるベシ。私のヘソクリにするわ!」と流石に”姉さん女房”である娘のセリフだった。

 ブログには両親がお盆に一時帰国したとも書かれていた。母親は大学在学中で、アウトドア派の父親は、遠距離ドライブを物ともせずウインドーサーフインを満喫されている。昨年帰国した私の孫達の日本語はメキメキ上達し、帰米後日本人経営の保育園を得て、母親との会話は見事日本語に切り替わった。沢山の日本語に囲まれながら、理解は出来ても返事は英語で返していたアチラのお子達も、州を越えて引っ越され同じ保育園に通い始めたと聞いていた。今では日本語で遊べているだろう。ご両親の帰国中に我が家にもご招待し、私が訪米しても「お近づきに」なれる様更に親交を深めておきたい。

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