玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*自在と自戒

2020年02月27日 | 捨て猫の独り言

 囲碁棋士の高尾紳路九段のブログがある。棋譜を張り付けた自戦解説があり、この手はこう打つべきだったという、棋士らしい記事がある。その一方で、バスケット千葉ジェッツ、野球の千葉ロッテの試合観戦、競馬場へ出かけた(一口馬主でもある)などの記事も多い。破天荒な棋士だった藤沢秀行の弟子だけのことはある。

 1月31日のブログは、噴煙を上げる桜島の写真に「また鹿児島に来てしまった。桜島は今日も綺麗です」だった。2月2日は「沖縄から石垣島へ移動。今回の旅行最大の目的、千葉ロッテのキャンプ見学!佐々木朗希投手を生で見てみたい!ホテルで競馬見てから、球場に来たら、練習は終わってましたが・・・(馬券も外した)」とあり、背番号17の佐々木投手をとらえた写真が添えられていた。

 久しぶりに池田晶子の本を手にした。本質洞察に特異なひらめきを見せて、しかも直截に物申すところが魅力だ。釈迦、ヘーゲル、一休などの古今東西の思索者の寸評がある。たとえば親鸞、「理知によって真っ直ぐにそういう境地に至ったのではないように感じられる。なんというかヌケが悪く、悩みぬいて苦しみぬいて自ら気付かないうちにいつのまにか至った境地なのでは」

  人生相談で「主張する自分の内容もないのに、誰も彼もが自分と自分の意見とを主張している。ブログというのは無内容な自己主張の極まるところでしょう。なんと空しい光景でしょう。そんなのまあ動物の叫びか鳥の囀りみたいなもんですね。人間は、自分を主張するから人間なのではなくて、その人間とは何かを考えるから人間なのです」と言い切る。

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*技術の進歩

2020年02月24日 | 捨て猫の独り言

 こんな小咄がある。「先生、私物忘れが激しくて困っています。それは大変ですね。いつからですか?   なんの話ですか・・・」

 かなり前には、ラジオの「真打ち競演」「上方演芸会」それと「ラジオ文芸館」をよく聞いていた。これらの番組の放送時間が変更されて、久しく聞くことがなく過ごしてきた。とりわけ週末の夜のNHKラジオは若者向きに模様替えしていて私には雑音でしかない。ふと思いついてその気になって上記の番組が、現在はいつ放送されているのか調べてみた。

 かつて寝床で聞いていた落語は土曜の朝10時5分、漫才は同じ土曜の夜7時20分に変更になっていた。またラジオ文芸館は、なんと月曜の朝1時の真夜中の放送だ。いつのまにやら聞かなくなったのも無理もない話だ。しかしまだ放送が続いているだけでも良かった。それに聞き逃した番組はパソコンで好きな時に聞けるサービスもあるという。

 昨年末のNHK紅白歌合戦にAIの美空ひばりが登場し、生前に歌われたこともない新曲を披露したことは最近になって知った。感動する人や技術の発展を喜ぶ人たちがいる一方で、死者への冒涜だ批判の声も多く出たという。しかし例えば古典の名著も、死者の言葉である。読む行為でいつでも甦らすことができる。人はなじんだ技術を科学技術だと感じず、時を経て「あたりまえ」に思ってしまう。

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*カラマーゾフを読む

2020年02月20日 | 捨て猫の独り言

 二つの夢が登場する。アリョーシャは、イエスが最初に行った奇跡「カナの婚礼」の場に現れたゾシマ長老に「自分の仕事を始めなさい」と告げられる夢を見る。●宇宙・大地・生命が三位一体となった感覚(土壌主義)を得て「腐臭」を克服する。

 傷だらけの男ドミートリーは、乳飲み子を抱いた母親が焼け跡にたたずむ「餓鬼(がきんこ)」の夢を見る。●餓鬼(子供)に代わって罪を受けたいという自己犠牲の精神に目覚めて世界を肯定する。虐待に苦しむ子供の不幸を神が黙過として世界を否定したのはイワンだった。

 スメルジャコフはイワンに対して間接的な罪を問いつつフョードル殺害を告白し、3000ルーブルを返したのちに自殺する。●返したのは、あなたと私の関係は終わったということ。自殺はイワンとの絆は一方的な幻想に過ぎなかったという絶望のためである。(アトランタのジミー・カーター博物館にて)

 

 解説者(亀山)はカラマーゾフの兄弟には書かれなかった続編があるのだという前提で読み解くと、いろいろなことが分かってくるという。そして第二の小説を推測してみせる。自ら社会主義者を名乗る優しさと残酷さをあわせもつ少年クラソートキン。アリョーシャは大きな犠牲となって人知れず死ぬ。その後に帝政ロシアと革命ロシアの融合和解へと進むというものだ。(完)

 

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*辺野古軟弱地盤

2020年02月17日 | 捨て猫の独り言

 「沖縄意見広告運動」というのがある。いかなる政党・政治団体にも属さない市民運動だ。第10期は昨年6月9日の毎日、東京新聞、琉球新報、沖縄タイムスの4紙に2頁・カラーの全面広告を掲載した。普天間基地の無条件返還、軟弱地盤に基地を作るのは不可能、日米安保条約を破棄して日米平和友好条約などを主張。

 第10期は過去最高の18,633件の個人・団体の賛同があったという。第11期は今年の5~6月に国内紙、米国紙(ウェブ版)に掲載予定。個人1口1000円、団体は5000円できれば2口以上。締め切りは5月15日(予定)加入者名は「意見広告」口座番号00920-3-281870 目標額は4000万円。掲載の時期、予定原稿はおよび掲載紙はホームページで。

 意見広告は2010年に始まったという。私のこの運動への振り込みは今回でたしか3度目だと思うが、いつもささやかに2000円である。キャンプ・シュワブのゲート前での座り込み行動が始まったのは2014年で、昨年12月27日には2000日を迎えている。沖縄の人たちの執念に何とか報いたいものだ。

 赤旗日曜版(2月9日)は「辺野古新基地建設で、軟弱地盤データを防衛省が隠ぺい」と報道した。2月14日の朝日新聞の「不都合な現実直視せよ」と題する社説はつぎの通り。明らかになったデータは防衛省が昨年3月に国会に提出した報告書の巻末資料の中に英文で掲載されていた。当時の岩屋防衛相らは、この地点で調査が行われていたこと自体を否定しており、数値は事実上伏せられたままだった。つい最近の2月10日の衆院予算委員会で河野防衛相は「あれは力学試験でも何でもない」「設計変更には反映されない」と繰り返した。

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*立春の頃

2020年02月13日 | 捨て猫の独り言

 蕗の薹を採りに線路わきの農地に出かけた。冬枯れの景色だがいつもと違って荒れた感じがする。24区画の住宅建設予定と書かれた看板が横倒しになって放置されている。どうやら農家が土地を手放したようだ。来年はこの場所で蕗の薹を採れなくなるだろう。これからは庭の少量の蕗の薹で我慢することになろう。首都圏集中の勢いは止まらない。政治の無策は度し難い。

 一羽のメジロがやって来て、部屋のすぐ近くのツバキの蜜を吸っている。逆さまになったりして何個か吸い終わると飛び去って行った。別な時に一羽のヒヨドリが来て蜜を吸っていた。声には出さないが乱暴に花をつつくのは止めろと、メジロに味方している自分がある。ツグミだったのだろうか、これはツバキには近寄らなかった。シジュウカラは二羽で飛来する。

 昨年の10月に種まきしたダイコンの収穫はまだである。根が肥大化して肩を見せてはいるが、細身で葉の伸びに勢いがあるとは言えない。もうしばらく様子を見ることにした。追肥は怠りなく施してある。地下にどれだけ伸びているか楽しみだ。初めてのダイコンづくりだから20センチもあれば上出来だろう。(福寿草と節分草)

 

 時々ランチに出かける食堂の座席から民家のクロガネモチの大木が見える。その木はプロが剪定していると思う。我が家にもある木なので注目するようになった。選定はどうすべきか知りたいからだ。その木の剪定が行なわれたのはおそらく1月中だと思うが、丸裸と言えるほどに刈り込まれていた。枝先にわずかな葉を残しているだけだ。近いうちに真似て剪定してみようと考えている。

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*コラムに触発されて

2020年02月10日 | 捨て猫の独り言

 朝日新聞で福岡伸一のコラムを読んだのが始まりだった。「数学そのものは理解できなくても数学に生涯をささげた天才たちの人となりを通して、我々素人でも数学の美しさに近づくことができる」という書き出しだった。そして独立研究者の森田真生(まさお)の著作である「数学する身体」が紹介されていた。

 森田とは何者か?興味が湧き図書館でその本を借りた。本の末尾を見る。1985年、東京都生まれ。在野で研究活動を続ける傍ら「数学の講演会」などライブ活動を行っている。2015年新潮社発行だ。最初は「人はみな、とうの昔に始まってしまった世界に、ある日突然生れ落ちる」で始まる。この本に数式は一切ない。

 前半は人類の数学の膨大な歴史が簡潔に把握される。後半は計算機科学の父と呼ばれるチューリングと岡潔の二人の思想が取り上げられる。両者はともに数学を通して「心」の解明へと向かうが、チューリングが心を作る(AI)ことによって心を理解しようとしたとすれば、岡の方は心になることによって心をわかろうとした。(写真中央は跳ぶ岡潔、右は囲碁名人・芝野虎丸20歳)

 

 森田は幼少期をシカゴで過ごす。桐朋中学・高等学校ではバスケット部に所属し、ナンバ走りを取り入れてインターハイに出場。2016年「数学する身体」の小林秀雄賞は31歳のときで現在は35歳である。私の息子よりひとまわり以上若い。人類以外の動物も子育てはするが、子が親を介護したり、孫が祖父母に何かを教えたりするのは人類だけ。各界で活躍する若き才能に75歳が乾杯!

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*続・カラマーゾフ

2020年02月06日 | 捨て猫の独り言

 ドストエフスキーには①18歳のときの父の死②28歳のとき反逆罪で死刑宣告を受け、直前に恩赦そして4年間のシベリア流刑という二つのトラウマがある。父の死は農奴による殺害説が濃厚で、その知らせを聞いて激しい癲癇の発作が起きる。●発作はショックでなく解放感からと解説者(亀山)は考えるという。皇帝権力の干渉は生涯続き、妥協しなければ作家活動は不可能だった。

 去勢派とはロシア正教会から独立した異端派の一つで、教会と性を否定し自らの性的器官を除去した。去勢派の過激さはロシア皇帝への批判的な視線に繋がる。カラマーゾフ家の料理人で影の主役スメルジャコフと去勢派との関わりが暗示されている。●カラマーゾフという言葉にこめられたのは「生命の全体性」で、スメルジャコフは「カラマーゾフ」的なものと対立する存在。

 イワンは幼児虐待の例を挙げながらキリスト教の矛盾を「大審問官」という物語詩にしてアリョーシャに語る。物語の中でイワンと大審問官は同一視されている。二つのキスの場面がある。●キリストから大審問官へのキスはキリストの敗北宣言で、アリョーシャからイワンへのキスは、イワンの中に残っている信仰のかけらを感じ取りイワンの可能性にかけてキスをしたと解釈すべき。(初詣)

 

 ゾシマ長老の一代記がある。①傲慢なゾシマの兄マルケールが病を得て穏やかな心を得た話②ゾシマが決闘を思いとどまる話がある。●ドストエフスキーには「傲慢の克服」というテーマがあった。社会の底辺にある二等大尉スネギリョフとその子の関係はカラマーゾフ家の父子の関係と全く逆である。●誇り高い人間が傷つくという姿の描写が素晴らしい。(続く)

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*社会保障費

2020年02月03日 | 捨て猫の独り言

 それは昨年の秋頃だった。左の上腕部が痛くて鉄棒のぶら下がりなどは不可能だった。それがいつの間にやら痛みを感じなくなっている。いつ回復したのか覚えがない。退職前に右目の緑内障に気付いた時は手遅れだった。退職後にいつのまにやら右耳は重度の難聴に見舞われていた。左目は今のところ健全で、残された左耳は補聴器を使用して生活している。

 右目は文字は判読できないがまだ視野は残されている。その右目の眼圧をコントロールするために三カ月に一度は目薬をもらいに行く。最近とみに噛む力が弱ってきた。歯科医院も同じだ。三カ月に一度はお世話になる。これでは高齢化社会になって医療費がかさむのは無理もないと思う。できるだけ医者にかかることがないように心がけるつもりだ。

 先日は久しぶりに「片道1時間歩き」に出かけた。この時ばかりはナンバ歩きを意識して試みる。負荷をかけるために、重い登山靴にリュックを背負う。歩いた後のかすかな筋肉痛が心地よい。夕方に公園の鉄棒にぶら下がってみた。なんともない。朝のラジオ体操だけは完全に習慣化された。これまでC型肝炎の経過観察で武蔵野赤十字病院には半年毎に通っていた。

  

 ところが昨年10月からは二週間に一度通うことになった。飲み薬だけで治療できるようになり、治療費の一部を東京都が補助するという。主治医の勧めでその制度を利用することにした。飲み始めたところ、最初の二週間でウイルスが消えた。新薬の効果に驚く。毎日一錠飲み続けて3か月で終了した。「地域の専門医からのメッセージ」と題して、この制度の利用を促すチラシが我が家にも配布された。この類の折り込み広告はめずらしく、なんと主治医の顔写真も載っていて驚いた。

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