玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*気だるい午後

2008年05月27日 | 捨て猫の独り言

 自らの口から出た言葉に自ら身の痩せる思いをすることがある。卑小さに対する後悔であったりする。自分だけの責任なのかと問う未練がいけない。ある日気温は午後からぐんぐん上昇して気だるさは増すばかりだ。濃い緑に覆われて人影の少ない広大な公園のベンチで孫のことを考えた。

 2歳の孫は物の所有に固執する。じじとばばのそれぞれの箸の取り違えは許せない。眼鏡をはずしてはならない。じじとばばは0歳の妹を抱き上げてはならない。自分に向けられるじじばばの役割は決まっていてその変更は許されない。

 シャボン玉を飛ばせるようになった。うまくシャボン玉が出なくなった瞬間に左手の容器を逆さにしてしまうことがある。液体は地面に落ちて吸収される。注意するとますますぎこちなくなり再び液体は無駄になる。そしてしばしの沈黙の後に歯をくいしばって両手のものを投げ捨てる。自分に腹を立てているのだ。

 このようなぎこちなさが愛くるしい。そのうち他者との関係で悩むことも出てくる。そんな時期が来る時まであなたの両親が仲良く暮していてもらいたいものだ。特に子供と過ごす時間の多い母親の心根の影響は大きい。娘よ賢明な母親を目指せ。いい気なもので気だるい午後は母性への注文で終った。

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ナ・なんとグランプリ!

2008年05月23日 | ねったぼのつぶやき

 五月晴れの中「渋谷でおはら祭り」は挙行された。踊り手は上京組12連を含む53連。およそ2300人が道玄坂、文化村通りを塞ぎ、あまたの観衆で渋谷は膨れた。横断幕に続き大河ドラマ「篤姫」に因んだ大名行列や、大人と子供の2つの鼓笛隊、2~3名による騎乗隊は観衆の耳目を集めた。上京組は地元のPRに熱が入り被り物で牛を演じた4人組は暑かったろう。年毎に各連は踊り、衣裳に工夫を凝らしているらしい。

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 離日近い孫娘が見に来たが、余りの人出に見つかるまいと諦めていたら、と彼らを認めた友の指先に・・。2才になったばかりの彼女には全てが珍しくハッと気づいた表情をみせ、放たれて列に駆け寄ってきたが皆同じ装束でウロウロ。瞬時抱き上げて踊りの列に。

 踊り疲れボンヤリと音声しか届かない閉会式に参加。6賞の発表に喜んでいたら、最後まで残り何とグランプリではないか!。踊り手は沸き立った。来年はマスマス張り切らなきゃ。孫娘にも強いインパクトを与え、「コウナン・コウナンしよう~」と、クラスメートが「動画プログ」にした画像を出すようせがまれ、ニコヤカニ両手を振りかざしながらババもジジもママも続けと指示している。

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*乳母車で外出

2008年05月20日 | 捨て猫の独り言

 赤ん坊を乳母車に乗せて渋谷に出かけた。それは車椅子生活者と同じ立場になることでもあった。人はその立場になって初めて何かに気付くものだ。最寄の鷹の台駅では改札口は一つでホームは二つである。それが改札口に近い一つのホームで上下線とも乗り降りできるようになった。これならば地下道を通って向こう側のホームに出なくてもよい。ただし通勤時間帯にはそれが許されないから不便は残る。このとりあえずの改善策が始まったのはつい昨年のことである。今回の外出は幸いにも通勤時間帯にかからずにすんだ。

 つぎのJR国分寺駅にはエレベーターがない。改札口で申し出ることにより赤ん坊は母親が抱きかかえ、駅員が乳母車を持って階段を降りることになる。帰りの時は自力で改札口に辿りつかねばならない。赤ん坊を乗せたまま慎重に乳母車をエスカレーターで運ぶしかない。

 さすがに新宿駅や渋谷駅にはエレベーターはある。ただしエレベーターを求めて遠回りせねばならない。エレベーターのスペースが狭いのも仕方のないことだ。大型の乳母車だと同時に2台は無理である。これまで私がそうであったが圧倒的多数の人たちにとっては駅のエレベータ案内表示はまず無縁のものである。

 渋谷からの帰りの電車で優先席に一人の若い女性が目を見開いて座っていた。眠りこける2歳児を抱いてその前に立つ私は席を譲られることはなかった。その向こう側の優先席の幼児連れの外国人の母親が目で合図してくれたがこれを辞退して私は立ち続けた。乳母車の横で立つ娘は苦笑いしながらこの光景を眺めていた。その車両を降りた後に娘はつい最近自分が体験したことを話した。妊娠後期の時に席を譲ってもらえることは皆無だった。皆さんは優先席で狸寝入りだったそうだ。

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赤い鼻緒の”ジョジョ”

2008年05月17日 | ねったぼのつぶやき

 それは「履き慣れておいて下さい」と、おはら祭りの一週間前に揃いの浴衣と共に宅急便で届けられた。ソウダ!スッカリ忘れていた”履初めの鼻緒のきつさ”。イヤハヤ何ともきつい。ウンウン目一杯引っ張ってもビクともせず履くと痛い。”コリャやるっきゃない”と仕事場と自宅で履くことにした。

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 赤い鼻緒のジョジョは”なぜ?”と職場で聞かれ、おはら祭り参加の経緯と、誰にも覚えのある”鼻緒のきつさ談義”となった。自宅では”スリッパ履かせ(博士)の好奇の対象”に。自分の靴を逆履きしても気にならない幼子に、手でとんがり帽子を作り教えているところだが、ジョジョではとんがりは作れない。鼻緒が通らないと靴下を脱がせにかかり彼女も奮闘している。

 4日目少しマシ?デモ未だかなり不安。無理して傷を作ったらヤッカイな事だし、無理しないと緩まないし。ところでこの”ジョジョ”とは幼児語?手近の電子辞書の広辞苑、百科事典にはない。”歩き始めたみーちゃんが~”だからキットそう。後は予想通りの晴れを祈るのみ。

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「私は長生きしすぎた」

2008年05月15日 | ねったぼのつぶやき

 手伝っている職場でタマに出会うセリフである。何歳位から人はそういった思いを抱くようになるのだろう。一人の方はいつもおっしゃっているからミミダコ状態でいたが、初参加の方が同じ発言をなさりギクリとした。

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 その方は90才過ぎで腰痛があり、歩行は多少の手伝いを要するが色白で上品な印象を醸し出されている。笑顔ではあったけれど「私がいなければ息子達はどんなにか楽でしょうに・・」とも述懐された。別の方は私の耳を引き寄せ、「80過ぎたら本当に体力がなくなるわ。自分でも驚く位よ」とおっしゃった。

 これら利用者さんの話や、彼等の今は私に多くのことを教えてくれる。自立度が高ければソウは思うまい。切実さの相違はあっても、食生活が面倒になるとソウ思うようになるのだろうか?排泄の自立が困難になるとソウ思うようになるのだろうか?訪ねる人のない寂しさから?いやキット世話をかけている無念の思いが言わせるのだろう。確かであることも悲しい。(鎌倉の大仏様)

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*壁も扉もない教室

2008年05月13日 | 捨て猫の独り言

 子供の日の夜にTBSテレビで放送されるという間接の連絡が入った。番組表を見るとNEWS23の後半に 「壁も扉もない教室が変える教育」 という表題がある。いつもは寝ている時間だが眠さこらえて0時半までテレビと向き合っていた。30分だがこの春に竣工した富山市立芝園小中学校の新校舎が紹介されていた。

 その設計の中心者は工藤和美である。1960年生まれ、設計事務所シーラカンスの取締役であり東洋大学教授でもある。学校をつくろう!ー子供の心がはずむ空間(TOTO出版)などの著書がある。95年の千葉市立打瀬小学校は日本建築学界賞、大型プロジェクトとなった01年の福岡市立博多小学校は文部科学大臣奨励賞を受賞した。ここは今でも見学者が多いと聞く。それに続くのが今回の富山市である。

 番組では新しいタイプの校舎に踏み切るまで教職員や地域住民の不安や提案なども紹介された。おおぜいの児童生徒の工作物が建築の一部にくみこまれたりした。デザインの力が学校を変えると工藤は静かに主張する。これまで学校設計に予算をかけなかったため全国どこでも同じような校舎になった。住宅では当たり前のことが学校では切り捨てられているというのが一児の母親でもある工藤の視点だ。

 例えば福岡市の場合の学校建設の進め方を見る。建築専門家や地元代表を交えた、博多小学校設計者選考委員会が発足し、委員らの推薦により競技参加者5人が決定された。その各競技者からの提案書を公開発表して設計者は工藤に決定された。それにしてもまずはクライアントである自治体の勇気ある決断がすべての始まりである。それと出会えた設計者は幸いである。私の家のすぐ近くに私立の白梅学園清修中学校が昨年発足した。その新校舎の設計も工藤である。そこの教頭が熱烈に工藤を指名したと聞いた。

 

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錆びた鎌とゴミ受小鉢

2008年05月10日 | ねったぼのつぶやき

 娘が「咳をしているから今日は外に出さないで」と言いおき、チビさん2人を置いてサッサと出勤した。高層階に住んでいるなら兎も角、無理なハナシ!庭続きの外に出すなナンテ。”サァ~サッ お庭へ”。

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 帽子、ゴム手、チリ取りと用意するバァバに習って、いつものように「私の錆びた鎌とゴミ受小鉢」を持ってチビも準備完了。錆びた鎌を振うと虫と出くわし、急いでバァバにしがみつく。それでも最近は慣れジット動きを追う。アリは忙しそう。ダンゴ虫、ミミズは土中に潜り込んだら出てこない。そこで”虫を出して”と私の手を引く。

 と止むなく、私の庭作業は中断され節をつけて物語の始ま~り。”虫さん虫さん出ておいで~ アリさんアリさんどこいくの~ お仕事いくの~もういくの? あっちのアリさんお仕事だ~ 引っ張っているのは何・ミミズ? こっちのアリさん手伝ってる。ガンバレ・ガンバレ~!” 庭作業中にのみならず、風呂の中、団欒中にも催促され、その種のお話が苦手なジィジよりバァバの出番が多いせいで、家事の滞りは今しばらく続く。

 

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*丸抱え

2008年05月07日 | 捨て猫の独り言

 緑と黄の間の色を萌黄(もえぎ)という。今年も芽吹いて柿の木の葉が今まさに萌黄である。赤ん坊の肌のようなこの世の柔らかさを感じさせてくれる色だ。そんな庭の柿の木を眺めながら今年の5月は幼子の世話に追われて過ごした。春の天皇賞の馬券を買う余裕もなかったよ。

 思い通りに行かないとうつ伏せになって泣きわめく。時には了解不可能な泣きわめきに出会う。注意を別に向けさえすれば直前のことはけろりと忘れてくれる時はまだいい。しかし大人の睡眠が破られる夜泣きはこたえる。子育てノイローゼの原因の最たるものだろう。何ものかに怯える様に泣く。ひたすらやり過ごすしかない。これらのことすべてふくめて幼子との時間は神さまの贈り物なんだよ。

 咀嚼せずに飲み込むから、その食事のスピードに世話が追いつかない。スプーンを上手に使うこともあるがいつのまにやら手づかみで食い散らしている。それがすむと食卓の暴君はテーブルの別の場所でジグゾーパズルにとりかかる。そこでやっと大人の食事が始まる。2ヶ月という期間限定だから丸抱えで面倒みさせてもらうよ。

 アメリカは景気後退といわれ就職活動は困難が予想される。娘よ、先発帰国しているあなたの夫に寛大であれ。長期の展望のもとでいろいろのことを選択していこう。人生をトータルで考えるのさ。目先のことで一喜一憂するのはつまらんことだ。さてさて成田出発まであと23日だよ。

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命ある者のエネルギー

2008年05月02日 | ねったぼのつぶやき

 新芽がフツフツと芽生え始めたと思う間もなく、アレョアレョと見る間に萌え出だし、洗面所の窓を覆いうっとおしくなった。成長が早いのを期待して目隠しを兼ね、「アカメ」を植えたはせいでこの上なく手間がかかる。いずれ剪定せねばならぬものを1日延しにのばし昨日ヤット手を入れた。

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 何時ものことで、やり始めたが最後体力の続く限り頑張ってしまうのは悪いクセ。アッチ、コッチとついでの手が伸び夕刻ヤット蹴りをつけた。ヒモで結わえた枝葉6束。また又ゴミ屋さんに拝んで頼まなくっちゃ。苦労の甲斐があって窓はウソのように明るくなった!

 春が来る度に次々と木々は繁茂し、枝卸しを待っている。この時期、これら命ある物の息吹、生命力、満ち溢れるエネルギーに何時もたじろぐ。この春、育ち行く幼子2人と共にいてその想いはイヤ増している。彼らはバタンキューとなる迄疲れを知らず私達を休ませない。片や何時までこうして木々に付き合い続けられるか・・と。

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