大相撲春場所で22歳の貴景勝が大関昇進を遂げた。ひそかに期待する23歳の明生は勝ち越しの9勝をあげた。13日目に元大関の琴奨菊を上手出し投げで破ったのは殊勲だが、千秋楽で対戦した28歳の遠藤には全く歯が立たなかった。明生にはこの遠藤のような力士になって欲しい。ちなみに遠藤の最高位は小結だ。明生には同一場所中に白星と黒星が目立って連続する(ツラズモウ)の傾向がある。
安達太良山の下に位置する岳温泉のホテルで、春分の日を最終日として3日間過ごした。東北新幹線の大宮駅から郡山駅に行く。迎えのバスは北上を続け前方には雪の安達太良山がいつまでも見えていた。岳温泉は全国的にもめずらしい酸性泉で、連峰を形成する鉄山のくろがね小屋付近から約8㌔の距離を40分かかって温泉街まで流れてくるという。2泊したことで温泉を満喫した。
安達太良山といえば、高村光太郎の智恵子抄に「あれが 阿多多羅山。あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生まれたふるさと、あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫」とある。長沼智恵子は二本松市の郊外の酒造屋の長女として生まれ、女子大学を出てから太平洋画会の研究所で絵を描いていた。3歳上の光太郎と29歳のときに結婚する。49歳のときに精神分裂の兆候を示し、50歳で自殺未遂を起こし、53歳で没した。
この温泉旅行の後で本棚の吉本隆明の「高村光太郎」を読んだ。吉本はつぎのように述べている。『留学中の高村は父である光雲の「身体を大切に、規律を守りて勉強せられよ」といういじらしい手紙に排反意識を持つ。智恵子との結婚はデカダンスからの浄化であった。夫婦が階上と階下に閉じこもって、絵と彫刻をやる、食事もろくにとらない、生活の煩瑣がない。智恵子抄では、夫人の方は無機物のように表情をもたずに、つっ立っているだけで、操作はもっぱら高村の内的な世界でおこなわれている。ここに愛情と呼べるものがあるとすれば、高村の独り角力としてあるだけである』