玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*いつまた会える?

2015年07月27日 | 捨て猫の独り言

 久しぶりに続柄の呼称について調べた。「ジジのママ」は「曾祖母」と言い「ひいおばあさん」と呼ぶ場合もある。英語では「great-grand mother」である。私には鹿児島市で2年ほど前から施設に入っている91歳の母がいる。アトランタからの短期留学の2人の孫娘に再会させるため、私は孫娘を連れて二泊三日の帰省をした。2カ月半前に航空券を予約してあった。その前々日は東京体育館のボリショイサーカスを祖母と見学した。学校を休まなかったご褒美である。

 空港で弟夫婦の出迎えがあり、錦江湾沿いに桜島を眺めながら鹿児島市内の母のいる施設に案内される。孫はボルケーノという単語を発した後に桜島は発音しにくいようでサクランボとくりかえしていた。到着した施設の部屋で6人ほどの親戚と短時間の再会を果たし、こんどは妹が一人付き添ってあわただしくフェリーで桜島に渡った。宿泊したのは国民宿舎レインボー桜島である。

  

 足元のおぼつかない母を送り届けた妹は姿を消し、2人は和室で曾祖母が用意したお絵かきセットなどで過ごす。熱帯性の夕立に見舞われ、あきらめかけた8時からの水中花火が15分遅れで始まると歓声を上げて窓のカーテンを引いた。翌朝は早起きして3人で人影のない宿舎前の岸壁を散歩する。驚くほど近い距離の海面に二人は初めてというイルカのジャンプをいくども目撃した。

 9時出発のフェリーを4人が降りると、先日の妹の子である姪が車で出迎えた。孫たちとは顔馴染だ。薩摩半島の南端にある坊津の港から、小舟で無人島に渡りそこの浜辺で海水浴という趣向だった。外海に出ると波しぶきを浴びる。帰りは荒々しくしゅう曲した断崖を見学しながら船は港に帰る。岸壁で小アジを釣っている二人の若者がいて二人に釣竿を持たせてくれた。おもしろいようにつぎからつぎに釣れる。この日5人は国民宿舎吹上砂丘荘に泊り、翌日は城山の展望台に登り空港へ向かった。曾祖母は空港で別れるまでの三日間を私たちと行動を共にした。 

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*昆虫の世界

2015年07月20日 | 捨て猫の独り言

 柿の木の周囲に小さな柿の実が青いままで落ちている。その数がいつもの年より多い。もとより柿の実の収穫に大きな期待をしているわけではないが、今年は極端に少なくなりそうだ。また公園のイチョウの実もこれまた青いままで落ちている。窓の外のゴーヤは葉の繁りも勢いがなく、実もつけずに一部は黄色に変色している。ふと生産者の努力にかかわらず大地の恵みの供給が激減するすることもあり得ると考えたりした。

 どちらも子供たちと一緒に見ていたのだが、昆虫の驚きの行動を知った二つの場面があった。一つはNHKテレビの「ダーウインが来た!」で、国蝶のオオムラサキが天敵であるはずの鳥を追いまわす場面である。蝶ながら飛翔能力が高く、力強く羽ばたいてあるいは滑空しながら、どこまでも鳥を追跡する。動くものはすべて獲物であると感じて本能的に追いまわすという解説だった。

  

 もう一つは7月11日に封切られた映画「アリのままでいたい」で、小さなオスのカマキリが、大きなメスに食べられながらなお交尾を続けるショキングな姿が映し出される場面である。子孫を残さねばという本能と、動くものはすべて獲物であるとみなす本能とが交錯している場面と考えるべきなのだろう。はたして人は昆虫よりも理性的だろうかと自分自身を振り返ってみた。

 孫の二人は休むことなく38日間を通い続けて17日に終業式を迎えた。通知表の担任所見を記録しておきたい。「話をしっかりと聞き、学ぼうとする意欲を強く感じました。社会の学習の時には、地図記号をたくさん覚えていることに驚かされました。掃除や給食当番の仕事も友だちと協力しながら、しっかりとできていました。たてわり班活動の時には、たくさんの違う学年の友だちとハンカチ落しをして楽しそうに遊んでいました」「学校生活にも慣れて笑顔がたくさん見られるようになりました。頑張り屋さんでできないことにも挑戦しています。特に漢字はよく練習して、正しい形で書けるようになってきました。文章も毎日の日記が功を奏しています。休み時間もたくさんの友だちと楽しそうに竹馬等で遊んでいます」

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*九九の歌

2015年07月13日 | 捨て猫の独り言

 今年は雨が降り続き陽射しのない日が何日も続く本格的な梅雨となった。茎が細く一個の花をつけた遅咲きのヤマユリは、雨に打たれて重みを支え切れずに、草むらの中にうつ伏せに花を咲かせている。明るさの残る夕刻に、小雨降る緑道で先を歩く女子高校生に追いついた。見ると傘を肩にあずけて両手にひろげた本の活字を追っている。ふと目があうと彼女がほほえんだ。

 「えらいね」と声をかけて、なぜか私は足を速めて先を歩いた。「え、ははは」と彼女は素直に答えた。随分前のことを思い出した。ある晴れた日の夜遅く同じ緑道でスマホを覗き込みながら向こうから歩いてくる若い女性とすれ違った。私が目撃したのは一瞬のできごとにすぎない。闇の中で彼女の顔だけが発光体に照らし出されて浮かび上がっている。いかにも無防備だと感じた。もちろん声をかけることはなかった。(7月7日撮影・中央は可哀想な名の花)

 

 この時期に日本の小学3年生の算数は「あまりのある割り算」である。割り算ができるためには「九九」を覚えておかねばならない。6月に私は広用紙に縦横に1から9が順に並んだ「九九表」を作った。9×9=81個のマス目がある大きな表である。マス目は空欄のままにしておく。数え方を工夫したりしながら全部で81個のマス目を数え上げた。これは覚えるしかないと覚悟してもらうためである。

 日本の子供たちには「九九の歌」というCDなども出回っているようだ。「に~いちがに、ににんがし、にさんがろく、・・・」と口と耳を使って語呂よく覚えられるようになっている。これがアメリカでは「Two times three is six」となるから覚えるのは容易ではない。しかし先ほどの九九表のマス目に答え(積)を書きこんだ「Times Table」で覚えているようだ。さぞかし電卓を欲しがる子が多いことだろう。

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*ラジオ体操

2015年07月06日 | 捨て猫の独り言

 四人が一部屋で寝起きして、6時にセットされたその部屋のシャッターが開く前後には全員が起き出す。たまに姉妹の起きがけの喧嘩が始まり、泣いた妹が拗ねて長椅子に顔を埋めていたりする。順調なすべりだしの朝は三人が縦一列に並んで6時半からのラジオ体操を行う。「ラジオ体操の歌」は覚えてしまったようだ。

 姉妹二人だけでラジオに合わせて体操をすることが一回だけあったが、二人の動きが止まることはなかった。体操をした後に食べるパンとヨーグルトはおいしいと私が宣伝したことがある。ある朝体操をせずに朝食をした姉が「体操しなくてもおいしい」とやりかえしてきた。二人だけでテーブルをはさんで英語で話していることがある。自己主張の国の子だからだろうか、そのときの二人のしぐさは日本の子供たちにくらべて大人びて見える。(写真は玉川上水オープンギャラリー近辺で7月4日撮影)

 

 以前から我家には矩形のお盆に、写真立てと灰の入ったガラスコップと線香箱とお茶を入れる小さな器が置かれた簡易の祭壇がある。あり合わせのものの寄せ集めでできている。一つの写真立ての中に亡き三人のスナップ写真が重なるように入っている。体操が終わると私たち三人はその前に座り、手を合わせることが日課の一つとなった。写真がじじばばのパパとママであることを二人は理解している。

 この日課のことを「お茶をどうぞ」するという。私が点火した線香の炎を誰が吹き消すかで喧嘩がはじまることがある。「おはようございます。お茶をどうぞ。今日は・・・・・」で始まりその日の予定を報告したり、お天気のことを話したり、姉妹のけなしあいがあったりして短時間で終わる。時おり私が般若心経を読みあげると大いに興味を示す。そして最初の部分を上手に口真似して面白がっている。

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