玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ぶらぶら横浜

2015年10月26日 | 捨て猫の独り言

 武蔵野美術大学の学園祭が24日(土)から3日間開催された。武蔵美の学園祭がなぜこれほどまでに人気があるのか、不思議なぐらいの人出だ。その初日に昨年に続き今年も出かけた。我家から徒歩10分だ。まずは12号館地下の学生食堂で腹ごしらえをする。必見は同じ地下にある大ホールの「五美術大学交流展」と、12号館の隣りにある大学美術館が企画する「著名な日本人・4人のポスター展」である。

 横浜の戸部警察署の会計課の窓口に用事ができて、23日の金曜日に出かけることにした。一瞬に終わる用事だったので、この機会に半日かけて横浜散策しようと考えた。たいした下調べもせず地図も持たず、できるならば外国人墓地ぐらいは訪ねてみたいなという気分だった。関内駅で降りて歩き始める。開港場に設置された居留地は掘割で仕切られていて入口にある橋のたもとには関所があったので関内居留地と呼ばれていたという。市内のいたるところに案内板が整備されていて地図は不要だった。(写真はキング、氷川丸、港の見える丘公園、赤レンガ、クイーン、ジャック)

 

 

 横浜スタジアムの横を通り日本大通りを行くと、神奈川県庁(キングの塔)に出る。外国人居留地と日本人街を区分する街路が日本大通りだ。山下公園は開放的な空間だ。ベンチがふんだんに並び、暖かい陽射しのもとで人々は海を眺めながらくつろいでいる。トイレやゴミ入れが多く、しかも絶えず巡回して清潔に保たれている様子だ。花壇の手入れに立ち働く人の姿が見える。「赤い靴はいてた女の子の像」の前では記念撮影をする人たちもいる。歩道橋を渡り、港の見える丘公園にたどり着くと、バラ園では写生会が行われていた。横浜にはあちこちによく手入れされたバラ園がある。バラは晩春から初夏に勢いよく咲く。

 外国人墓地は立ち入ることができなかった。丘の北側に向って落ち込んだ斜面に墓地はあった。柵沿いに一回りして繁茂した木立とクモの巣越しに中の様子を窺う。墓地の近くのアメリカ山公園のベンチで軽食を取る。ここから見下ろせる横浜人形館の手前の、横浜合同庁舎の辺りにはヘボン式ローマ字の生みの親ヘボン博士の屋敷があったという。海の見える丘公園に引き返すとフランス山で「愛の母子像」に出会った。1977年に横浜米軍機が墜落し3才と1才の兄弟が死亡、皮膚移植手術をくりかえした母親は4年後に死亡したあの事件がよみがえった。そのあと山下臨港線プロムナードを横浜税関(クイーンの塔)を眺めながら赤レンガ公園まで歩き、横浜開港記念会館(ジャックの塔)のある馬車道通りを関内駅に戻った。

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*ポストシーズン

2015年10月22日 | 捨て猫の独り言

 庭のカキ、ハナミズキ、サルスベリの木々が葉を落とし始めた。ハギの花はとっくに散ってしまったが、青々と密集した葉が風に揺れている。いつの間にやらフキの葉が集団となって再び地表を覆っている。黄色のツワブキの花がところどころで咲き始めた。短く刈りこんだ芝生は緑が消え一面褐色の姿に変わっている。春菊とチンゲンサイの発芽した苗は日に日に大きくなっている。

 メジャーリーグベースボール(MLB)の中継を連日のように茶の間で楽しめる時代だ。野茂の活躍は主に紙面で知ったと思う。私がレギュラーシーズンとかポストシーズンという用語を初めて聞いたのは長島茂雄氏の発言だったと記憶する。あの甲高い声で情熱的に語るのだがその時はそれらが何を意味するのか理解していなかった。私にとってMLBはまだ身近でなかった。(写真は18日の小平市民まつり)

 

 

 その後イチローや松井などの日本人選手の所属するチームの試合が連日NHK・BSで放送されるようになった。退職した身分だから平日の午前中はその気になればいつでも観戦できる。最初に好きになった球団はボストンレッドソックスで、ボストン美術館と岡倉天心のことなどを知り訪れたことのないボストンの街になんとなく親しみがあった。松坂投手が在籍してボストンの試合をテレビで見る機会が多かった。見たことのない球団を好きになることはできない。

 15日の2勝2敗で迎えたトロントとテキサスのア・リーグ地区シリーズ最終戦の珍プレーを記録しておきたい。2対2で迎えた7回表のテキサスの2死3塁にトロントの捕手の投手への返球がバッターボックスの打者の手にあたり三塁方向へ転がる。インプレーの為ランナーが還り3対2となる。その裏テキサスに遊撃手の失策、次打者の一塁ゴロを二塁悪送球で一塁手の失策、三塁前のバントを三塁への悪送球で三塁手の失策が出て無死満塁。すべてのプレーに絡んだ遊撃手の心は乱れたにちがいない。内野ゴロの間に3対3の同点となる。2死から3点ホームランが飛び出しトロントが地区シリーズを突破した。

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*記憶

2015年10月19日 | 捨て猫の独り言

 ときどき夢を見る。楽しい夢は見たことがない。苦しい夢ばかりだ。大学を何年も卒業できずにいる夢。仕事の準備が終わらずに追い込まれる夢。記憶に強く残る私の夢はおおよそ、この二つでそれが数年間隔でくり返して現れる。そして夢は日常が始まると、すぐに忘れ去られてしまう。わけもなく息苦しくなって目覚めるようなことは無くなった。

 睡眠中の人体の記憶装置の底から古い記憶が脈絡もなく強く表出されて目覚めた時の記憶の表層に現れたものを夢と呼ぶのだろうか。睡眠中に静かに記憶装置の中でうごめいている断片も夢と言えるならば人は夜毎に自身でも気づくことのない夢を見ていると言えなくもない。さてあなたはどんな夢を持っていますかと聞くことはあっても、どんな夢を見ますかとは聞きにくいものだ。(写真は昭和記念公園内の日本庭園にて・楓、五葉松、サンシュユ)

 

 戦争を体験した私たちの親世代の人々はどのような夢を見ることがあったのだろうか。その人の年齢や立場や場所や状況などの違いによってさまざまな体験があり得るわけだ。実際の体験談を聞くことも貴重だが、終戦後にそれぞれの人たちがどんな夢を見たのか、現実の体験とは別に夢の体験というのも興味深いことのように思える。若年期に軍人として各地を転戦した自分の亡き父に夢のことを聞いておかなかったことが悔やまれる。戦争と同じで、予想以上に大きな自然災害も人々の心に大きな傷を残し夢に現れることがあるだろう。

 人は何がしかの消し去りたい記憶を抱えて生きるのではないか。私の場合は、子供の頃にお手伝さんがわが家に短期間だけいたことがある。その若いお手伝いさんに陰湿な付け文をして嫌がらせをした。、少年の頃に読書感想文の宿題が間に合わなくなった。そこで掲載されていた優秀作品を書き写して提出した。どちらも加害的行為である。ところで先の遠野物語の講演で講師の方が、これらは「事実譚」だと強調しているのがとても不思議だった。しかしカッパの話なども、あまりにも過酷な現実の毒を散らすために性被害者が加害者をカッパに置きかえて語り継いだのかもしれない。遠野物語を事実譚という視点を手放さず読むことも一つの面白い読み方だと思う。

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*台湾と沖縄のこと

2015年10月13日 | 台湾のこと

 台湾では総統選投票まで3カ月となる中で台湾与党・国民党は7日、中央常務委員会を開き、公認候補を交代させるという異例の方針を固めたという。月内に臨時党大会を開き候補に決めていた洪秀柱氏(67)の公認を取り消し、新たな候補者を選出する見通しだ。党執行部は9月下旬から複数回にわたり洪氏に出馬辞退を促したが、洪氏に拒否されたという。

 洪氏は中国との統一志向が強いと指摘されたこともあって支持率は低迷。台湾メディアによると洪氏の支持率は13%と野党・民進党候補の蔡英文主席(59)の45%に大きく引き離されている。洪氏の支持率低迷が総統選と同時に実施される立法委員(国会議員)選にも大きく響くとの危機感が党内に高まり今回の騒動となったようだ。(写真は10日・昭和記念公園にて)

 

 「辺野古移設は仕方ないのか?」と題して毎日新聞9日の夕刊の特集ワイドはヤマトンチュー(本土の人)の「常識」を検証している。その「常識」とはつぎの四つだ。(1)日本の抑止力維持のために必要だ(2)基地があるから国に優遇されている(3)独立論は空論。新基地を押し付けても沖縄は政府に逆らわない(4)中国と日米は対立している。日米同盟の堅持に移設は不可欠。

 これまでの沖縄の独立論は居酒屋談義だったが、今は違う。道筋は3段階。①独立を求める沖縄世論を形成し、国際社会に基地問題の深刻さをアピールする②県議会が、植民地独立を支援する国連・脱植民地化特別委員会のリストに沖縄を登録するよう求める議決をした上で、同委や国連加盟国各国に登録を働きかける③登録後に国連監視下で独立を問う住民投票を実施するーという流れだ。

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*岩淵真奈選手のこと

2015年10月05日 | 捨て猫の独り言

 図書館の9月13日の講演会「遠野物語から会津物語へ」を聞いた。講師は民俗学と日本思想史が専門で「東北学」を提唱してきた学習院大学教授の赤坂憲雄氏だ。会津学研究会の女性スタッフが聞き書きをして、朝日新聞福島版に3年ほど連載したものが、この8月に「会津物語」として出版された。赤坂氏は国分寺在住で福島県立博物館長である。そして私は「遠野物語」とは何なのかと初めて考えている。

 それはさておき、岩淵真奈は2010年になでしこジャパンに初召集された。小平西高の玉川上水緑道に面した学校のフェンスには「岩淵真奈は本校の卒業生」という大きな横断幕がしばらくの間掲げられていた。私はそれを見て岩淵選手に注目するようになる。経歴を調べてみると私立の武蔵野東小学校から市立武蔵野六中そして都立小平西高とあった。(写真は9月14日に国会周辺にて)

  

  武蔵野東小学校は健常児のほか自閉症の生徒児童を積極的に受け入れる特色ある私立校である。私の勤務先の近くだったのでいくらかなじみがある。また武蔵野六中と小平西高はどちらも玉川上水の木立に面して校舎が建てられている。武蔵野六中の10キロほど上流に小平西高がある。サッカーに夢中な彼女には玉川上水が意識されることはほとんどなかったにちがいない。

 岩淵選手は今年のワールドカップ・カナダ大会の準々決勝のオーストラリア戦で0-0で迎えた後半42分にW杯初ゴールを決めた。これが決勝点となり、なでしこは1-0で勝利した。試合のあと佐々木監督は「ゴールをまだ(真奈)カナ、まだカナと待っていた」と親爺ギャグを飛している。突破力があり身長155センチと小柄なことからマナドーナの愛称がある。まずは来年のリオ五輪での活躍を期待しよう。

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