玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*世界アマ囲碁選手権

2011年02月28日 | 捨て猫の独り言

 一昨日の食卓には蕗の薹の天婦羅が登場した。庭の蕗の薹を食べ終わると、つぎは近くの畑などに放置されたままの蕗の薹に目を光らせることになる。味噌汁に刻んで入れる蕗の薹の苦味は、天婦羅にすると薄らいでくる。最近、私はもっぱら日本酒をぬる燗でいただいている。ついさきほど玄関に「奄美のたんかん」が届いた。日本列島に住んで旬の味を楽しみ、かつ酒を飲むことができることに感謝せねばならない。昨日の暖かさで庭の梅の木がやっと花開いた。一転して今日は昨日よりも気温が10℃も下がり冷たいみぞれの一日となった。

 公民館における週に一度の囲碁会参加は私の生活に定着した。戦績は負け越して持ち点を減らしているが手ごたえは感じている。くじけずに頑張ろうと思う。テレビ中継が行われる囲碁三大タイトルの一つである棋聖戦が進行中である。挑戦者の井山祐太名人が2局続けて優勢な碁を落として敗退のピンチに追い込まれている。七番勝負で2勝3敗となりタイトル獲得には残り2局を全勝するしかない。これで4勝2敗で挑戦者がタイトル奪取という私の予想は外れた。「勝ちきる」ことの難しさに思いを致さざるを得ない。多くの囲碁愛好者は若き挑戦者は独特の感覚があり、思いがけない手を打つと評している。

 だいぶ昔のことだが、アマ碁界で有名な平田博則さんは高校から大学の数学教師に転進した。しばらくしてその高校に私が勤務することになった。平田さんとは全く面識はないが、平田さんの娘さんが数学の教師として私の同僚になった。娘さんは結婚してまもなく退職した。私の職場には囲碁クラブがあり、私も会員だった。プロのレドモンド九段を招いたりして盛会の時もあったが、後継者もなく今では消滅したものと思われる。かつての職場で囲碁に関連したことではつぎのようなこともあった。数学の非常勤講師で採用を予定していた方から、結婚式を挙げることになったので辞退したいと申し出があった。その相手とはプロの依田紀基九段だった。

 毎日新聞が主催してアマ本因坊戦が行われる。先週の夕刊には平田さんのアマ本因坊戦準決勝の棋譜が連載されていた。平田さんが健在で活躍中ということが私には驚きだった。6回分を切り抜いて碁盤に並べてみた。平田さんについてネットで調べると1926年(大正15年)生まれだから84歳になられる。中学3年で院生となりプロ初段を取得したが、太平洋戦争が始まりプロの道をあきらめ進学して教師となる。これまでアマ本因坊戦は4回、朝日新聞アマ十傑戦(いまは名人戦)は5回、日本棋院主催の世界アマ選手権戦では1回の優勝がある。昨年9月は平田さんにとっては13年ぶり8回目となる世界アマ戦の日本代表に輝いた。大正パワーの炸裂である。各国代表一人で60カ国以上の参加があり、大会はこの5月に松江市で開かれる。

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EPAってなんだっけ!

2011年02月25日 | ねったぼのつぶやき

 2月20日第100回看護師国家試験が実施された。その中にインドネシア、フイリッピンからの受験生が3ケタは居た筈である。平成8年からインドネシア、9年からフィリッピンと自国の国家資格をもった人達が日本の国家資格を得るべく受験したのだ。

P1060430  3年前TVで粗全員がネッカチーフを被ったインドネシア女性集団が入国する風景を見た。1年後にはフイリッピンからも加わりこの3年で455名(内34名は事情により帰国)に達したという。そもそもは小泉政権下EPAといって、貿易・投資の自由化・拡大を目的とした二国間協定(メガ条約と呼ばれ幅広い分野をカバーする)を結んだ事に始まっている。本来的には「経済」連携協定の名のごとく、バナナの関税の引き下げ等取り扱うのだが、そこへ常時人手不足の看護師・介護士を日本へ導入しようとの狙いが加わった。3~4年日本で働きながら学び、日本の国家資格を得させ不合格時には帰国すると決定された。

 この件に関しては多くの懸念が各当時国のNGO、労働組合、職能団体より上がっていた。日本語及び日常生活上の教育は来日当初全員を対象に行われたが、後は各施設に丸投げされた。病院側は看護助手として働いてもらう代わりに、国家試験対策を行う必要があってついには悲鳴が上る事態に。3年間で免許取得者は3名に過ぎない事がその困難さを示している。専門用語が難しいと、今年は易しい用語への切り替えられ、期間も1年間延長された。一方では「通らなくたって平気!滞在中本国とは破格の待遇で貯蓄に励める!個人で訪日するには大きな費用がかかるし、いっそ日本の生活を楽しもう~」の声もきかれる・・とか・・。税金の投入も大の筈だが!!。

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*二十四節気の雨水

2011年02月21日 | 玉川上水の四季

 先日包丁で負傷した左手親指の傷あとは圧迫すると米粒より少し大きめのしこりになっている。内側から盛り上がってそこだけのっぺらぼうになってつやつやと光っている。このように人体の機能には回復できることもあるがそうでないものもある。現在私が困っているは片方の眼の視野が大幅に失われたことによる眼精疲労だ。これは回復しそうにない。つまりうまく付き合うしかないと覚悟している。テレビなどを見ていて、ああこの方も片目が不自由なのだと気付くことがある。そんな時はその境遇にならないと人はその痛みを知ることができないものだと一人奇妙な感慨にふける。

 二十四節気の雨水(2月19日)の日に雛人形を飾った。男雛と女雛だけの飾である。これからは毎年飾ることにしよう。今では二人の女の子の母親となった娘の初節句にと、遠い昔に親から届いた雛人形である。屏風の前に男雛は束帯姿で、女雛は十二単(ひとえ)である。二人の前には行器(ほかい)という丸い筒形に外ぞりの脚がついた平安時代の食物入れが置かれている。ひな祭りの日まで飾ると、まもなく啓蟄(3月6日)を迎える。その雨水の日は花粉症でくしゃみの連発に苦しんだ。今年の花粉の量は半端でないとの予報だ。毎年のことだが私には試練の季節だ。

 庭のチンゲン菜をヒヨドリが番(つがい)で食べに来る。我家のチンゲン菜は人と鳥が半々に分けあった勘定になる。農家のブロッコリー畑にヒヨドリの群れが来ているのを目撃したのは最近のことだ。この時期には多く人家の野菜畑が小鳥たちの餌場らしい。昨日のオープンギャラリー「雨水」のミニ観察は府中街道と五日市街道の交わる二ッ塚交差点付近であった。かつて五日市街道の南側に沿って砂川用水が流れていた。その痕跡がはっきり残っているのを見ることができる。二ッ塚付近にはまだ農家の屋敷林が残り、ケヤキの大木に囲まれ南に広がる畑には紅白の梅、サンシュユにマンサクなど早春に咲く樹木が植えられていた。春の七草のハコベも見える。

 帰路は小平市の「ふれあい下水道館」に入る。主催者の最初の予定には無かったことだ。地下25メートルに埋められている下水道管の中に入り、実際に下水の色やにおいなどを体感できる全国でも初めての施設である。螺旋階段を地下5階まで下りながら関東平野におけるローム層そして、さらにその下へと続く地層の様子を観察できるようになっている。階段を降りながら見る柱状のこの展示に注目する人は意外と少ないようだ。外に出て農家の梅林を覗くと、咲き誇るいろいろな種類の梅の木にメジロの群れが飛び交うのを見た。いちどきにこれほどの数のメジロを見たのは初めてだった。鈴木さんの2冊目のオープンギャラリーの新型パンフレットは厚手の表紙が追加され、1冊目より記事も一つ増えた。鈴木さんは日々精進されているようだ。私の方は一人であっても玉川上水散策に出かけるべきなのだが、ついつい引きこもりがちな生活を送っている。

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介護職を選択する男性

2011年02月18日 | ねったぼのつぶやき

 事業の拡大予定もあって入職を想定される男性職員が入って来た。未だ数日ということもあって不慣れな様子は見てとれるしそれはやむを得ない。恐らく今まで自分に一番遠い存在であったろう年寄り達と、どう接したらいいのか戸惑いの方が大きいのだろう。

P1070772

 デイは一般的にマニュアル化の難しい個別対応が必要とされる集団だ。ルールより、より優しく・きめ細かく・寛容に(本人だけでなく家族を含めて)等が最優先される。私自身個人的には、医療的専門性に於いては少々の自信はあるが、忍耐に於いてヘルパーさんに遠く及ばない。

 当事業所は、NPOで地域に根差していることもあり、個人的な依頼等を受け、今迄もいろんなタイプのボランテアや実習生を受けて来た。初対面して「エッ! 本当にこの仕事をしたい人なの?」と発したくなるような方も事実あった。それらは関係者から勧められただけで、自発的な参加ではなかったのだろう。介護界は利用者様を含め職員も圧倒的に女性が多く男性は少ない。従前なら甘えられた筈の孫達に疎まれがちになった現代。孫と同年世代の若者の介護を手放しで喜ばれる利用者様から見ても、希少価値といった意味合いでも、介護職を自発的に選択する男性達は歓迎したいし育てていきたいものだ。かといって就職難を即介護界へとたやすく言う風潮には大きく異を唱えたい。

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*さんぽ暦(こよみ)

2011年02月14日 | 玉川上水の四季

 二十四節気という暦で一年を二十四に分けて暮らしていると、時の経つのが早く感じられる。ほぼ二週間毎に気持ちを新たに暮らす方法である。我家の近くには、その道しるべとなる「玉川上水オープンギャラリー」がある。このような私的な屋外のギャラリーは全国でも珍しいのではないか。徹底してこの玉川上水に近い地域、しかも今この時期の風景の写真だけを展示している。節気の最初の日曜日には毎回午前10時から「ミニ観察会」が行われる。主催者の鈴木さんが主導する2時間ほどの緑道散策のことである。立春を迎えてギャラリーは開設二周年となった。

 昨年は「ミニ観察会」にできる限り参加させてもらった。欠席したのは私が旅行中の時だったと記憶している。一年が経過して振り出しに戻ったわけだが、「ミニ観察会」への私の参加意欲は今のところ薄らぐことはない。気がかりと言えば私の視力の衰えで梢の小鳥たちの追跡がままならないことぐらいである。参加者の中の観察の経験を積んだ人が小鳥のさえずりを聞き分けてその姿をいち早く発見し、その小鳥の名を教えてくれる。ほらほらあそこと教えられても私は残念なことに見逃すことがある。鈴木さんは小鳥の写真を撮るには追っかけていてはだめで、巣や、えさ場で待つのが肝要だという。鈴木さんにとって巣の場所を探し当てることはたやすいことだ。

 三年目に突入するのを機会に、節気のパンフレット(200円)が新しくなった。これまではA4判一枚の両面刷りを二つ折りにして4ページだったものが、二枚で8ページになりホチキスで止めてある。初回は立春(2/4~18)であるが、内容はこれまでの何倍も濃くなったという印象がある。その中でも「さんぽ暦」が目を引いた。鈴木さんはこれまであちこち出かけたが、探し求めた青い鳥は身近に存在していることを発見した。自分が生まれ育ち、今も暮らしている玉川上水の自然が一番だと気付いたという。毎日のように玉川上水の散歩を続け、書き貯めたメモと撮り貯めた写真は膨大なものになる。そのデータを整理して平均的な出会いを節気毎にまとめたのが「さんぽ暦」である。

4日・立春 5日・梅にメジロの群れ 6日・福寿草咲きだす 7日・蕗の薹顔を出す 8日・オオイヌノフグリ咲きだす 9日・エナガのカップル 10日・ノビル 11日・モズの春 12日・満作の花 13日・冬鳥の動き(シロハラなど) 14日・ブロッコリーにヒヨドリの群れ 15日・漂鳥の動き(ルリビタキなど) 16日・コゲラの活動 17日・エナガの営巣準備 18日・シロフフユエダシャク  

 以上が立春の暦である。私達が玉川上水を散歩する時に鳥や花などとの出会いを楽しむための貴重な参考資料になる。

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黎明期活躍した薩摩人

2011年02月10日 | ねったぼのつぶやき

 「挿絵で読んだ坂の上の雲」は、4年余に亘って産経新聞に連載された「坂の上の雲」を更に後年再連載した際、小説に併せて記者とカメラマンが小説の舞台を訪ね、日曜朝刊に別刷りしたものだ。身内や関係者へのインタビュー、随所の写真、とりわけ挿絵は物語に奥行きや臨場感を持たせ興味を深めてくれた。

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 挿画家・下高原健二氏は鹿児島出身だった。どの絵(人々、風景、戦争)も時代背景を彷彿とさせた。私の父も海軍学校出身で、父の写真帳には東郷の勲章を一杯ぶら下げた写真を始め、沢山の軍隊生活のシーンがあって、まるで父がそこに居るように感じた。TVドラマのセット作りや演出もかなりこの本を参考にしたのではと思える程似ていた。

 東郷の項目で初陣は生麦事件に端を発した薩英戦争とあった。東郷家は「負くんな!」と気丈な母の激励を受けて15才の平八郎を含め父子4人が出陣した。互いに被害を被りながら、どちらが勝ったとも解らないまま錦江湾を去る英艦を見ながら「海から来る敵は海にて防ぐべし」と呟き、島国の海防の重要性がこの時胸に刻まれたのだろうとあった。年末私は原宿界隈を散策していてたまたま東郷記念館・神社に出くわした。故人は神格化されるのを固辞していたにも関わらず要望や寄付が相次ぎ、それは昭和15年海軍記念日に創建されたのだという。薩摩の「郷中教育」を知ったのもこの本で、日本の黎明期郷土の先人達が活躍したのも納得出来た。

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*天然ウナギの卵

2011年02月07日 | 捨て猫の独り言

 テレビ番組「日めくり万葉集」に「シリーズ万葉料理教室」がある。「石麻呂に 我物申す 夏瘦せに 良しといふものそ 鰻(うなぎ)捕りめせ」という歌は大友家持が親しい間柄の吉田石麻呂に呼びかけた歌という。鰻は蛋白質や脂肪が多いのでカロリーが高く、またビタミンAも多く眼にも良い。夏のスタミナ食である。番組では古代の鰻の食べ方が再現された。頭を落として、二寸幅にぶつ切りにする。削った竹に刺し炭火でこんがりと焼き、味噌をつけて食する。「うなぎの筒焼き」と呼ばれる調理法だ。炭は石器時代から使用されていた。

 このように鰻は古くから日本の食文化に深い関わりを持つ魚である。現在われわれが口にするのは、ほとんどが養殖の鰻だ。1月下旬から3月中旬に海から河川に遡上してくるシラスウナギ(体長約6センチ)を捕獲して、池の中で飼料を与えて育てる。資源であるシラスウナギ激減のニュースを私が聞いたのはそれほど遠い過去ではない。鰻は川や湖で成長した後、数千キロ移動して外洋で産卵するが、回遊ルートや厳密な産卵場所はこれまで不明だった。このたび謎の多かった鰻の生態解明の手掛かりが得られたという。

 東大大気海洋研と資産総合研究センターの研究チームが、天然のニホンウナギの卵を採集することに世界で初めて成功したのである。新月2日前の09年5月22日未明のこと。場所は、日本の南約2200キロのグアム島西側にある西マリアナ海嶺付近。今年の1月27日に東大キャンパスにおいて塚本勝己教授(62)による説明会見があった。また2月1日付英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(電子版)にも、このことは掲載された。卵の採集成功は、激減したウナギ資源の保全・管理につながると期待されている。

 産卵場調査が始まったのは73年で、91年にマリアナ諸島西方沖で10ミリ前後の仔魚の採集に成功した。しかし、その後14年間、成果のない苦しい時期が続いた。1回の航海は燃料代だけでも数千万円を要する。「科学でなくばくち打ち」との批判もささやかれた。「卵がふ化するまでの日数はわずか1日半。採集出来たのは幸運だった」オスとメスがどのように出合うのか。なぜ新月間近に産卵するのか。「つぎは産卵シーンを撮影したい」塚本教授は仲間とともに5月、再び研究航海に乗り出す。広大な自然界におけるウナギの生態が全面的に解明されることを期待しよう。

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スポーツ青年の爽やかさ

2011年02月03日 | ねったぼのつぶやき

 川島、長友、長谷部、本田、香川、内田、松井 に続く岡崎。ワールドカップ以来若者は次々と海外に出て行った。そしてたった数カ月の間にあのギリギリの瀬戸際でのネバリを身につけたとは。何とも驚きである。私達は長らくアーッ! アーア!とため息のつき通しだった。小さな体で「世界一のサイドバックになる」と豪語していた長友は、今や本気でそう目論んでいる。

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 転じて国内では、斉藤選手がカメラばかりかファンの視線に追っかけられている。いいかげんうっとおしかろうに、ニコヤカに爽やかに笑顔を見せている。こちらはこれからで早くシーズンに入ってしまいたかろう。私はゴルフは門外漢だが人気者の石川選手もすこぶる爽やかだ。いずれもインタビューに対して丁寧で、かのタレントとの相違は普段の鍛錬のせいだろうか?

 相撲界においてまたぞろ八百長問題が明らかになった気配だ。徒弟的なこの業界に爽やかさは感じにくい。若者にとって相撲は果して魅力的に映るのだろうか。起こるべくして起こった感も否めない。途上国で30年間も同一人物が大統領をやっているとああなるのと似ている。今日は節分。豪雪や噴きだした火山や広がりを見せる鳥インフルエンザ。途方にくれた人々の視線は痛ましい。くじけないでと祈るばかりだ。

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