玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*晩秋雑感

2012年10月30日 | 捨て猫の独り言

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 今年から初めて庭の松の松葉の剪定にプロの手が入った。さすがに手際がよく一日で2本の松を仕上げて、おまけに最後はハナミズキ1本の枝を整えた。あっという間にハナミズキが美形になった。その瞬間のワザを見逃したのが惜しまれた。1日仕事で2万円が相場という。そのあとハナミズキとサルスベリが急テンポで落葉している。柿の実が色付き、葉は変色し一部は落ち始めた。シジュウカラが来て柿の実をつついている。そぼくなツワブキの花が咲きはじめた。

 今年の秋は国立昭和記念公園で思いがけなくギンナンを収穫した。広大な園内を自転車で一周すべく進んでいるとき、イチョウの木の下にギンナンの皮の小さな山ができていて例の香りが漂っていた。誰かが収穫した跡である。レジ袋を手袋代わりに拾い始めた。見上げるともう一方の木には大粒の実がついている。私は太く短い木の枝を大粒の実をめがけて投げ上げて、より大粒の実を手に入れることができるようになった。

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 そのときそこにある家族連れが通りかかって、突然その中の年輩のご主人が軽やかな身のこなしでイチョウの木に登った。私にはとても登れそうもない。すると大きな枝に足をかけて全身でゆすり始めた。大粒の実がおもしろいように落下する。私たち家族はこれまでここでギンナンを採り、あまりに採りすぎて、カビを生えさたものだと奥方が言う。ご主人は本当は公園内の木に登ることは禁止されているんだけどねと言って立ち去って行った。このご家族は今日は収穫しないのか少し不思議な気がした。どこよりも大粒な実をつけるこの木を忘れることはないだろう。

 沖縄旅行の計画の一部を参加者の意見に基づき変更した。3日目は本島北端の辺戸岬まで行かずに、途中の国頭村でUターンして南部の知念半島の民宿「海野」に泊まる。その方が翌日の南部戦跡めぐりが充実できそうだ。知念半島には琉球最大の聖地である斎場御嶽がある。そして独断で2日目の伊江島の民宿を変更した。パソコンでサンシンのまわりでにぎやかな宴会の画面が出ていた民宿「さんご荘」にした。予約の電話のときにサンシンの主はお祖父さんだと聞かされてこの変更は正しいと思った。準備はほぼ整いあとは出発を待つばかりだ。そして11月7日は二十四節気の立冬である。(写真は昭和記念公園にて)

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イクメンは料理も上手?

2012年10月27日 | ねったぼのつぶやき

 熱い夏がヤット終わり待ちに待った秋になった。と思いきや、あい布団を出す間もなく冬布団が必要な気温になった。しばらく夏布団2枚を重ねて使っていたのだが、私が2泊3日の小旅行から帰ってみたら、ツレアイは冬布団に替えてくれていた。気を利かせてやったのだろう。しかし何かが違う。お陽さまの匂いがしないのだ。翌朝確かめてみるとやはりそうだった。「仕舞う時干しておいたのだから、そのまま出した」と言う。太陽に当てる一手間が抜けていた。夫の在宅時間の方が長くなって、諸場面でこんな事が多々出現し、小言が出たり、必要性を一々説明していると、面倒臭いのだろうか小さな諍いを引き起こすことも再々だ。

052 洗濯物を洗う、干す、畳む。 布団を干す、仕舞う。鉢植えや庭先の野菜の水遣り。枯れた花は摘む等々。今やツレアイの仕事と化した、ゴミ出しと洗い物以外の手順の説明は、屋内外の家事作業全般に及んでいる。それでも、文句は言っても聞き入れるから未だマシな方?。見渡してみるに、ご近所や職場の男性諸氏は、大なり小なり同様である・・・ような。(夕食時阿波踊りを見る・徳島で)

 今や世界一と言ってもいい長寿国日本。定年後の人生はかってに比し格段に長い。人生の後半位、家事に男性が参画するのは当然の事。家事に疲れた妻に変わって夫が出番をする。退職直前に色んな説明会をやる会社も少なくない。そこに料理教室が加えられたらどれだけ妻達は喜ぶだろうか。人様に作ってもらった食事はそれだけで充分に美味しく有難い。昨今イクメンという言葉も通常語となった。彼等にはモハヤ料理教室等必要あるまいケレド。

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*旅行計画試案

2012年10月23日 | 沖縄のこと

 今回の沖縄旅行の参加者は4人になった。旅程は出発が11月中旬となり5泊6日に拡大した。試案を3人にメール配信して検討してもらうことにした。ネット社会の便利さを改めて感じる。ここにブログにも公開し、思わぬアドバイスが得られれば幸いと考えた。

 ①羽田空港第1ビル7:00集合 ●JAL 8:00→10:50 空席待ちで11:00→13:50の可能性もある ●那覇空港でレンタカーを借り受ける ●国道58号を北上し、普天間、嘉手納基地を横目に見て座喜味城跡(沖縄戦の高射砲陣地)へ ■宿は「残波岬ロイヤルホテル」

 ②国道58号を北上し、途中で東海岸の辺野古の海に立ち寄る ●伊江島に渡る フェリー 本部港15:00→15:30 車を乗せる時は要予約 ■宿は「民宿・上間」

 ③13:00のフェリーで伊江島を出発 ●国道58号を北上し、本島北端の辺戸岬まで、本島の北部は山岳地帯(パイン地帯) ●国道58号を折り返し国頭村へ ■宿は「民宿・やんばるくいな荘」

 ④国道58号を恩納村まで南下し、沖縄自動車道で一気に南部戦跡へ(始点の許田ICから終点の南風原北ICまで)、本島の中南部は平野地帯(サトウキビ地帯) ●糸数壕と平和記念公園(摩文仁の丘)とひめゆりの塔 を見学して一般道を那覇市内へ ■宿は「東横イン」・・・ モノレールの旭橋、美栄橋、おもろまち駅そばにある3つの東横インのうちのどれか ▼沖縄酒場のお店を物色中

 ⑤基地傍で佇む日 ●普天間基地横の佐喜眞美術館の屋上から基地を俯瞰できる  ●嘉手納基地の安保の見える丘(小さな土盛りの足場) ●レンタカーをかえす ■宿は昨日と同じ東横イン ▼今夜はどこの沖縄酒場のお店にするか

 ⑥終日モノレールで移動(1日券600円) ●首里城は9:00から、首里駅から県立芸大前を徒歩15分 ●牧志公設市場の2階で昼食(ソーメンチャンプルー、テビチ汁など) ●宿に戻り荷物を受け取り空港へ ●JAL 16:50→19:00

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*一日に一回上映中

2012年10月22日 | 捨て猫の独り言

 これまで私は熱心な映画ファンではなかった。今後のことはともかく、迷ってばかりいた若い時のあり余る時間の中でもっと映画館に通っておけばよかったと後悔することがある。「後悔先に立たず」である。この時の「先」は過去のことで、「先が見える」の「先」は未来のことである。日本語は難しい。つまり「先」とは「自分から遠いところ」である。過去にも未来にも使える。話をもとへ戻そう。

 監督が降旗康男で主演が高倉健の映画「あなたへ」を観てきた。立川駅まで自転車で片道30分である。8月25日に公開されて2ヶ月が経ち立川駅での上映が終了するかもしれない。現在は一日に午前中一回の上映になっていて、平日のこの日の観客数は20名余りだった。9月15日に公開された滝田洋二郎監督の「天地明察」をすでに観ている。

 私は遠い昔に健さんが鶴田浩二と共演した任侠映画を見たぐらいだ。実直で謙虚で耐える男のイメージがある。主役の健さんは「高倉健」であることが仕事であるような映画だ。なんというか健さんのための映画と言えばよいだろうか。モントリオール映画祭では特別賞に終った。それは無理からぬことで、とくに外国人にはストーリーをよく理解できない場面がこの映画には多々あるように思う。映画祭でのスタンディングオベーションは健さんが81歳だなんて信じられませんという思いのものだったのではないか。

 回想シーンの中で童謡歌手であった亡き妻が歌う場面が何回かある。その歌は強烈な印象を残す。その歌とは宮沢賢治が作詞・作曲した「星めぐりの歌」である。「あかいめだまのさそり ひろげた鷲のつばさ あおいめだまの小いぬ ひかりのへびのとぐろ・・・」トントトントトントトントというリズムである。ライアー(竪琴)を使い弾き語りをする歌手で作曲家の木村弓さんの歌が持つ透明感に近いものを賢治の歌にも感じた。今日の夕刊によると周防正行監督による映画「終(つい)の信託」が27日から公開になるという。また映画館に出かけるとしよう。

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*沖縄への旅

2012年10月09日 | 沖縄のこと

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 沖縄旅行の計画が持ち上がり元職場の同僚の70歳前後の男3人が一昨日の夜久しぶりに居酒屋で顔を合わせた。そこで11月の初旬の出発が決まった。私をのぞく2人は沖縄の土地を訪れるのは初めてである。4泊5日のおおよその計画を私がまかされることになった。「観光コースでない沖縄」がリクエストだが、4泊ぐらいの旅でこれを実現することは難しい。一番若い私は車の運転を放棄しているが、レンタカーの運転なら残りの2人が引き受けるという。できればあと一人巻き込もうではないかということになった。

 伊江島は沖縄本島の西海岸にある本部(もとぶ)半島の西に浮かぶ面積が約20平方キロメートルの島である。平坦な島に標高172mの山が一つポツンとそびえていて本島側から望む島全体の姿はとても特徴的である。1953年米軍は土地収用令を発布して射爆撃場建設のため伊江島の土地を強制的に取り上げていった。村民による伊江島の闘いは土地を強制接収された沖縄のほかの地域の闘いと合流し「しまぐるみ闘争」にまで発展した。伊江島は反基地闘争の原点と呼ばれている。依然として米軍基地は島の約32%を占める。私もまだこの島に足を踏み入れたことはない。

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 沖縄本島南部には「ガマ」と呼ばれる自然洞窟が無数にあり戦跡となっている。中でも糸数壕(アブチラガマ)は修学旅行生を中心に年間15万人が訪れる鍾乳洞だ。1945年3月23日から艦砲射撃が開始され、翌24日から糸数の住人約200人がこのガマに避難した。4月下旬陸軍病院分室に設定され5月1日に約600名の患者が搬送されてきた。病院の撤退後は重症患者は置き去りにされ非惨を極めた。全長270mの壕は現在でも非常用以外の照明が無く、沖縄戦追体験として「漆黒の闇」を体験できる。入場者それぞれが足元を照らす懐中電灯を用意する。私はこのガマは経験済みである。

 沖縄の酒といえば、古く15世紀にタイのシャム王国から伝わった泡盛である。原料は米。ただし日本の米は使わず、タイ米を使う。泡盛には20度から43度まで各種の度数があるようだ。蒸留酒は腐敗しない。貯えるほどまろやかになって風味がでるという。3年以上たつと古酒(クース)と呼んでよいようだ。「泡盛で語る琉球賛歌」の作者である上間信久氏によると泡盛と共になければならない食品が「豆腐よう」だ。各家庭で作る時には、豆腐の選択、乾燥のさせ方、麹の育て方、付け汁に使う泡盛などがポイントだという。

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5枚の年賀状が届いた話

2012年10月07日 | ねったぼのつぶやき

 その日もいつものように利用者様達と高くなった天を仰ぎながら公園を散策していた。ペアを組んだ利用者様に合わせて、ユックリと草花を愛でたり世間話をしながら歩く。・・と、アラと呼びとめられたのは元・薬剤師さんだった。公園は駅の真裏にあり格好の通路として利用者も多い。彼女とは同じ駅を利用するのだが、住まいが駅を挟んで反対方向のため滅多に会わず久しぶりだった。

003 彼女はクリスチャンで人望も厚く誰にも等しく優しい人だ。夫君の学問のため2度にわたり滞独されたのだが、毎度同じ職場に復職なさった。いいわねと羨む私に「子供がいないから学校の方から派遣の対象にされるのよ」と謙遜して言った。数年後、その大学教授になった夫君を脳発作で一夜の内に失ったのだが、義兄の計らいで千葉のホームに入所なさった義母に心を砕き通っているらしい。心優しい彼女を慕う人は多く、「昨年だけでも親戚・縁者を含めて5人送ったわ。元気な者の役目よ」と肩をすくめて言った。

 彼女の人となりを知っている共通の知人夫妻の話になった。仕事を止めてボケ気味になるという良く聞く話である。困惑した奥様から電話が入ったそうだ。「近日中にお会いすることになっているそうですがどこででしょうか?」と。電話で話す機会があって「お会いしたいですねという挨拶が、会うことになった」に変質していたらしい。「年末になると、2~300枚の年賀状書きが大変だと嘆いてましたよね」と言った私に、「そう、今年私5枚も戴いたの!」と彼女は言い、その一言で私はことの事情を全て理解したのだった。

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*暦

2012年10月02日 | 捨て猫の独り言

 「ぎふ清流国体」の開会式が秋晴れのもと挙行された翌日である。台風17号は沖縄奄美を襲い9月30日午後7時ごろ強い勢力を保ち愛知県東部に上陸した。その後加速して東海地方や首都圏など広い範囲を暴風域に巻き込みながら列島を縦断してやや勢力を弱めながら1日朝にかけて日本の東海上に抜けた。午後9時少し前ぐらいに窓の外ではゴーヤのネットの支柱である竹竿が折れる音がした。闇を透かして見ると2本の竹竿のうちの1本が折れて繁りに繁った緑のカーテンがベニカナメの植え込みに覆いかぶさっている。

 いつものように日曜夜の韓国ドラマを見終わって10時過ぎにふと外の嵐を伺うと、何やら様子が変だ。風はまだ強めだが雨はぴたりと止んで、見上げると天の高みに満月が煌々と光り輝いている。台風来襲の最中に予想もできなかった光景が目の前に存在していた。9月30日は旧暦の8月15日で十五夜である。台風のためにあきらめていた「中秋の名月」を愛でることができたことで気分は高揚していた。外に出て月明かりの中でゴーヤネットの状態を確認してその夜は寝た。

 暦は大きく分けて太陽暦、太陰太陽暦、太陰暦の3つに分けられる。太陰とは月のことだ。私達が旧暦と呼んでいるものは太陰太陽暦に分類される。二十四節気は太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された手法の一つである。暦について理解することはなかなか難しい。今回は中秋の名月について調べながらつぎのことを知った。旧暦では新月となる日がその月の1日となり月が太っていき満月となるのが15日である。旧暦には現在においても不思議な人気を得ている先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六曜がある。

 旧暦ではある月の1日の曜日は月毎に決まっている。旧暦の8月1日は「友引」と決められているから中秋の名月となる旧暦8月15日は必ず「仏滅」となる。今年のカレンダーを見てみた。10月14日は旧暦の8月29日で曜日は赤口だが、翌日の10月15日の旧暦の9月1日の曜日は規則正しく循環していたものが突然途切れて先負となる。つぎの旧暦の10月1日の曜日は曜日の順番に仏滅となる。そのつぎの旧暦11月1日の曜日は大安である。月の満ち欠けの周期は29.53日なので旧暦では一カ月は29日または30日となる。

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