玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*着生(ちゃくせい)

2009年11月30日 | 捨て猫の独り言

 不思議な夫婦のことです。私とは30年以上前からの家族ぐるみの付き合いです。 一つ年長でつい最近まで机を並べていた同僚です。奥方は私と同い年です。若い頃は彼も参加した宴会の後に酔った男たち大勢で彼の自宅押しかけて、私はそのままだらしなく泊まり込んだこともありました。彼のところは教え子が気軽に訪ねて来て、お酒を飲み交わすこともあるそうです。天性の子供好きです。2人の男の子はともに親父と同じ職業を選び、家を出て独立しており最近では待望の孫もできました。 

 我が家の壁には以前から、ある有名企業の新聞の全面広告一枚がピンアップされたままになっています。それは共生という題の苔むした屋久杉の写真です。屋久杉の幹や枝に、さらにヤマグルマや、サザンカ、サクラツツジなど幾種類もの木々が生い茂っている写真です。樹上に違う植物が育つ 「着生」 というめずらしい生態系です。植物どうしが共存しあって生きる姿という説明がその写真の下に添えられています。

 先の彼が4、5年前からある幼い女の子の写真を見せびらかすようになりました。まるで実の孫の写真であるかのようです。ところがその子はある寿司屋さんの初孫でした。私もその寿司屋には2度ほど訪れています。最初はまだ見ぬ自分の孫を待望することの代償行為だろうと思っていました。それも少しはあったのでしょうが彼は寿司屋さん家族に深く関わるようになっていました。その女の子の父親である寿司屋の婿殿がだいぶ前から全く店に出られなくなったといいます。詳細は分かりませんが、その引きこもり状態はこれからも続く可能性が大といいます。

 寿司屋は老夫婦とその娘、つまり女の子の母親の3人で商いせざるを得ない状態でした。それを見かねたわが友の奥さんは車での出前をひき受け始めました。閉店時間になると女の子とその母親を自宅まで送り届けるのが日課の一つになりました。この店の車を運転するのはわが友とその奥さんだけです。2階の座敷に予約が入った日はわが友の出番だそうです。料理を2階に運びます。ある時私は、なぜ家族でもないのにそこまでしなくちゃいけないのかと問い詰めました。わが友は低い声で 「寿司屋も今の70歳過ぎの親父の代で終わりかもしれない。そうするとその後どうなる。あれはさみしい家族なんだ」 とつぶやき私に背を向けました。私に涙目を見せたくなかったようです。人間界の家族に 「着生」 ということが起きていたのです。

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舞台から手の届く歌声

2009年11月27日 | ねったぼのつぶやき

 晩秋の昼下がり、身近なコンサートホールに出かけた。休憩時間にブレイクタイムを設ける小ホール200の客席は、中年女性でほぼ満たされるが近年男性も増えている。夜にかけての外出が億劫になりつつある私にとって、週半ばの午後という時間帯、しかも自転車で行ける距離での催しは何にもまして嬉しい。

001

 今回は「心に響くラテン音楽の世界」と題され、ハープに似た民族楽器アルパとギターの弾き語りで、すべてラテン語?だったが馴染みの楽曲も多数あった。今年77才になるというメキシコ人チューチョ・デ・メヒコの歌声は未だ音域・伸び・艶いずれも衰えを知らず、アルパ演奏は言うに及ばず、ホワイトハウスの歴代(ケネディ・ジョンソン)大統領の前で何度も歌い、世界的に活躍した経歴そのままだった。’64年以来毎年来日公演もこなし’87年トリオ解散後は日本を中心にソロ活動をしていると言う。下北沢のメキシコ料理店ではライブもやっている由にて一度は訪ねてみたい。(写真はネリネ)

 その前夜には近くの喫茶店でミニコンサートがあり初参加した。20席もあろうかと思える小さなカフェ。こちらも70才は越したろう歌手が、シャンソン、カンツォーネ風の歌曲を鍛えられた声帯で朗々と謳い上げ、老いてなお失われない声量はやはりプロの物。変わり映えのしない日々を過ごす御身、時にはプロ達のエキスを注入せにゃ。次回は来月22日とあった。

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*22日は夫婦の日

2009年11月24日 | 捨て猫の独り言

 先月まで新聞は毎日で今月からは朝日に代わりました。半年後には読売になります。三紙を半年毎に順送りで購読することを宣言し、それが定着して当方に対する勧誘合戦は沈静化しました。新聞業界では購読料と広告料のどちらの収入が多いのでしょうか。

 22日付けの朝刊に、新聞広告局の企画作成による見開き2頁の全面広告がありました。11月22日をいい夫婦の日といつ誰が言い始めたのでしょうか。音無美紀子と村井国夫俳優夫婦の対話を中心とした記事を、4つの企業の広告が囲んでいます。目に付いたのがポプラ社出版の歌手の秋元順子著 「夫婦の距離」 の広告です。副題には~理想の関係を保つ60のヒント~とありました。

 前日の夕刊には、第10回夫から妻へ妻から夫へ60歳のラブレター大募集という半面の広告がありました。2009年度も11月22日から大募集!50歳以上の方ならどなたでも応募できますとあり、「60歳のラブレター」 が本にあるいはDVDになりましたとちゃっかり書き添えてありました。

 少し前になりますが 「夫に敬語を」 という興味深い投書に出会いました。14日付毎日の 「女の気持」 に投稿したのは埼玉の宮森幸子さん無職49歳です。文面は 「最近は友達のように夫に話しかける妻が一般的だと思う。だが一時代前の映画や小説の中で、妻が夫に敬語で話しかける様が、とてもすがすがしいと思うようになった。(中略)縁があって私に夫という男性ができたら、敬語を使ってみたい。時代に逆行するようだけれど世の中を明るくするヒントであるような気がする」 というものでした。当方のことはさておき、この人はどんな思いが働いて投稿したのか想像してみました。とても謎めいていて結論が出ません。

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*大学の学園祭

2009年11月16日 | 捨て猫の独り言

 今年は郵便受けに第50回津田塾祭のチラシが入りました。玉川上水沿いに家から歩いて15分のところにある津田塾大学の学園祭です。作家で翻訳家の松本侑子氏の 「赤毛のアンの秘密~西洋文化の基礎を知ろう!~」 と題する記念講演が予告されていました。顔写真があったので、昨年のNHK教育テレビの 「赤毛のアンへの旅」 という番組の講師の方だとすぐに分かりました。その番組で女優の松坂慶子さんと二人並んだテレビ画面を私はよく覗き見していたものでした。

 学園祭の3日前に立ち寄った図書館の新刊本コーナーで見たのが 「恋の蛍~山崎富栄と太宰治~」 でした。つい最近の10月25日発売本です。著者名には松本侑子とあり一瞬目を疑いましたが、奥付けの著者紹介に赤毛のアンの文字があり間違いなくあの方です。太宰との取り合わせに驚きましたが太宰生誕百年ということで持ち込まれた仕事なのでしょう。あとがきに人間愛と誠意をもって富栄の名誉回復に努めてきた太宰文学研究会からも、多くを教わったとあります。また本書は富栄の小説であるが、本当の主人公は父の山崎晴弘だったかもしれないと感じていると書いています。

 うかつにも開始時間を30分勘違いしていたので講演に少し遅れてしまいました。会場の机の上には資料としてチラシが置かれてありました。思ったより空席が目立ちます。赤毛のアン翻訳書、解説書など全9冊の本を紹介したもの、旅行社発行の松本侑子と行くプリンスエドワード島ツアー申込書、新刊本 「恋の蛍」 の紹介および12月20日三鷹での松本侑子による 「ヴィヨンの妻と山崎富栄」 と題する講演会の案内の3枚のチラシです。赤毛のアンの翻訳本は英米文学からの引用を解き明かした訳注つき全文訳というのがうたい文句です。不幸にも私は赤毛のアンを読んだことがありません。登場人物が孤児と老いた独身兄妹だということを知りました。マシューは12使徒のマタイ、マリラは聖母マリア、アンはマリアの母アンナからきているようです。聖家族ということでしょうか。

 モンゴメリによるシェクスピア作品等からの引用について松本氏はその出典探しに没頭したようです。それは引用技法と呼ばれ、この世には引用句辞典も存在していると寛大です。自分の翻訳本の会話部分を少女の声色で朗読しました。スコットランド民謡をバックに旅の写真のスライドショーもありました。終了後質疑応答はなく、書籍販売が始まりましたが私は何も買わずに出ました。チラシによると松本氏と行くツアーは来年6月3日出発で5泊7日で費用は40万とありました。講演会の翌日パソコンでいろいろ調べてみました。松本氏は1963年出雲市生まれ。85年テレビ朝日ニュースステーションの初代天気予報担当キャスター、88年作家活動に専念とあります。当然のことですがパソコン情報の読み方は本人に会う前と後では行間の読みが変わります。 

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国民年金代理納入手続

2009年11月12日 | ねったぼのつぶやき

 「チャント国民年金を掛けておくのよ!付加年金の方も忘れないようにね!」 仕事を一時休み子育てに専念していた私は内心 ”それどころじゃないよ” と思っていたが、煩く言い募る母に根負けして子供をおんぶして市役所へ出かけた。あれからウン十年。年金受給年齢になって試算してもらった際、よくぞ付加年金を掛けときましたねと褒められた。

Photo

 巡りめぐって・・今、外国にいる娘の年金定期便が我家に届く。20才以来加入が義務づけられ大学、会社員時代と約15年継続していたが移住以来空白になったままだ。記録を見ると納付累計額323万円。受給額は月当たり4万円と試算してあった。20年後の4万円相当額は?

 米国の年金制度の確認を促しても、「教える人によって様々よ」と言うばかり。今が大変な彼女にとって将来のことは遠~い先の話のようだ。熟慮の末、日本国籍を持つ娘に代わり親が国民年金(任意)を代理納入することにした。17ケ月の空白は生じたが気がかりの一つがヤット解消された。今後手続きが必要なケースは?の問いに「本人の姓が変わった際、日本に永住する際(任意から強制に変更)」だった。双方共大いに有り得る事態だ。

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*小春日和

2009年11月09日 | 捨て猫の独り言

 7日の立冬はそれほど寒くはありませんでした。そして今日は朝から陽射しが贅沢に降り注ぎ私は一人静かに窓辺でガラス越しにしばし日向ぼっこをしています。勤務がない日のありがたさを、しみじみ感じるのもあと5カ月という思いがよぎります。小春日和の庭にはネリネのピンクの花が咲き始めました。気品があります。ヒガンバナ科ですが彼岸花より長い期間咲き続けて楽しませてくれます。それより先に庭で咲いたのは黄色のツワブキの花でした。これは近づくと強い香りを漂わせています。

 昨日の2回目の庭木の整枝、剪定作業のせいで心地よい筋肉痛です。クロガネモチとハナミズキに取りかかりました。前回は樫の並木と柿の木でした。木を出来るだけ低く仕立てるということが今年のテーマでした。二人による共同作業ですが私はこれらの作業ではもっぱら補助的役割を担います。すなわち後始末のゴミ出し作業に励むのです。主役の方はその他にも松の木の前年の葉と今年の葉の一部を摘み取る作業などを行います。

 チェンソーなるものを初めて使うことになりました。価格は思ったより安く8千円です。ソーチェンのスピードを上げた後、ガイドバーの付け根近くを静かに当てて切断します。その間自動的にオイルが補給されます。素人作業は高所での足場の確保が不十分で、あちこち庭木にためらい傷をつけてしまいます。しかしその切断の威力には驚きました。

 人為的に道路沿いの庭木の葉が落とされて陽射しを遮るものが少なくなりました。景色は見違えるようです。それらを松や柘植や紅かなめの緑がいくらか救ってくれています。野球シーズンも終りを告げて私の中のざわめきが一つ消えることになりました。新聞一面に載った松井秀喜のマンハッタン優勝パレードの写真を切り抜きました。そこには普段着姿の方がユニホーム姿より素敵だと思われるほどの松井秀喜が写っていました。

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*秩父ミューズパーク

2009年11月04日 | 捨て猫の独り言

012  荒川は埼玉県中央部を貫流して東京湾に流れ込んでいます。その源は奥秩父にあり秩父盆地を縦断し、途中奇勝長瀞を作り出しています。西武秩父駅を降りて先ず目につくのが武甲山です。その武甲山の向かい側に荒川を挟んで小鹿野町側には長尾根丘陵があります。秩父ミューズパークは荒川の河岸段丘である長尾根丘陵の上に造られています。荒川は谷が深くミューズパークの丘陵側からは、ほとんど水面を見ることができません。

 平地でも冷え込みが厳しいと予報があった11月3日に秩父ミューズパークに出かけました。今回の秩父行きは、パークにはよく車で出かけて散歩すると言っていた秩父在住の知人には連絡しませんでした。秩父駅前からミューズパーク循環バスぐるりん号が左回り始発8:30、右回り始発9:25と交互にほぼ1時間おきに出ています。10:32の左回りのバスは先ず荒川にかかる秩父公園橋を渡ります。この橋はケーブル240本に支えられる斜張橋で巨大なハープのように見えます。橋を渡るとバスはうなりをあげて急坂をかなりのスピードで蛇行し登り続けました。この大胆な運転ぶりは秩父のもののふの末裔ではなかろうかと思わせるものでした。

009  札所23番音楽寺のつぎのバス停から、続く6つのバス停のどこで降りてもそこはパークです。ほぼバス停毎にパークを訪れる人たちのために無料駐車場が併設されているようです。スポーツの森、文化の森、音楽の森のエリアからなる広大なパークは出入り自由で無料です。パーク沿いにバスからその全貌を眺めつつ一方の端の 「パーク南口」 まで行くことにしました。スカイロードは約3㎞のイチョウ並木の遊歩道です。尾根にあるので街並みを見下ろし、四方に山並みを見渡しながら歩きます。ところでイチョウの木はどれも若木で、落ちている実も小粒でした。中には見頃を過ぎてほとんど落葉した木もありました。しかし陽射しが出て気温も上がり約500本の黄葉のトンネルの散策は快適でした。

 途中スカイロードから離れて展望台に立ち寄ってみました。そこからは中央に武甲山がひかえ、左から右へ横瀬から三峰方面までの山並みが一望でき、秩父市街が眼下に広がります。知人の家は先ほど渡ったハープ橋のたもとの市街地側にありますす。そのあたりを見下ろしながら、知人に駅の近くで食事するならどの店がお薦めか聞いておけばよかったと悔やみました。明治17年(1884年)10月31日~11月9日生糸価格の大暴落という背景の中で秩父の農民の武装蜂起事件がありました。この丘陵にある音楽寺は大宮郷(今の市街地)への出撃拠点でした。115年まえちょうどこの季節この場所での出来事です。(上の写真は中央に武甲山) 

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遂にチェンソーの出番

2009年11月03日 | ねったぼのつぶやき

 早朝新聞取りに庭に降りて先ず瞬く星空をいつも仰ぐ。星座や星占いには全く無縁だけれど、”今こうしてあることの幸せ” を感謝する。住宅街の家並に囲まれた一角。もっと見渡せる空を広げたかったし、敷地内の庭木の剪定もそろそろ身に応えていたので、彼の地の高く広い空を仰いだばかりの私は早速枝降ろし、丈詰めの作業に取り掛かった。

009_4

 15年以上前に植えた木々は幹も太くノコギリでは間尺に合わない。チェンソーの出番が必須となって主婦が一人でマーケットに出向く。我が家の同居人はこの手の作業はいつも腰が重い。一人で段取りする主婦を見かねて助太刀を出す方だ。対応した店員はチェンソーを要求しているのに高枝降ろしのハサミ等紹介した。チェンソーと共に切れ難くなった剪定ばさみと刃研器を購入した。

 「またにしよう」と言っていた同居人も、チェンソーが届いて知らぬ顔は出来ない。その音といい切れ味の良い事といったら! 面白いように切れる。9本の白樫、柿の枝や幹詰め。降ろした枝木のまとめも捗る。あと残すはくろがねもち、ハナミズキ、梅、赤芽垣。この週末を含めあと数日のうちに庭は生まれ変わるだろう。そのあと野菜の種を播いて一段落する。

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