玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*バナナ

2019年01月28日 | 捨て猫の独り言

 介護などの必要がなく、日常生活を支障なく過ごせる期間を示すのが健康寿命だ。2016年の推計値によると男性は72.18歳、女性は74.79歳だ。この年の平均寿命は男性80.98歳、女性は87.14才だから、不健康期間?は男性は8.84年、女性は12.35年ということになる。私は本日で74.11歳?だから、統計上この身に何が起きてもおかしくない時期を迎えている。(野外写真展から)

 

 それはさておき、ある週刊誌の「バナナを通して世界を見る」という特集記事を読んだ。現在日本のバナナ輸入量の約80%はフィリピン産である。国内シェアの約3分の1を占める企業がスミフル(もと住商フルーツ)である。そのスミフルがプランテーションを展開しているミンダナオ島の生産地では、労働者の労働条件改善の要求が叶えられないばかりか、組合を狙った銃撃・放火事件が発生という。

 農園の規模が大きいため農薬散布は飛行機による空中散布が行なわれ、これが周辺住民の健康被害を引き起こす原因となっている。さてさて、自分たちが消費している商品が、どんなところからどのように来ているかについて、人権・労働・環境面で問題がないかをチェックして、消費者の商品選択の基準にすべきというのをエシカル(倫理的)運動という。またしてもカタカナ語だが「エシカルバナナ」ということだ。これから少しは関心が向くことになりそうだ。

 私も朝食には安くておいしいバナナは欠かせない。信頼している「園地指定コープのフィリピン」を買う。シュガースポットと呼ばれる斑点が出てきたタイミングが食べ頃らしいが いつもその前に食べてしまう。ところで松尾芭蕉は江戸深川で門人から芭蕉の株を贈られ、これが大いに繁ったことにちなみ、俳号を桃青から芭蕉に改めたという。東京の温室でバナナが実ったのを見たことはあるが、はたして江戸深川で芭蕉がバナナを食したかどうか知りたいところだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*ナンバ歩き

2019年01月24日 | 捨て猫の独り言

 偉人たちの健康診断という番組がある。伊能忠敬を取り上げた回を録画して見た。17年かけて伊能隊が測量のために歩いた全距離は約4万3千㌔で、地球一周以上を歩いたことになるという。1日平均40㌔を歩き、夜に宿泊地に着くと天体観測をした。お伊勢参りなどで当時の日本人が1日に歩く距離の目安が40㌔だった。驚くべき健脚だが、昔と今では日本人の歩き方が違っていたという。(たかの台商店街)

 

 右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して前に進む歩き方を「ナンバ歩き」という。上半身と下半身のひねりが少なく腰への負担は少ない。踵でなく足の裏全体で着地するので膝への衝撃がやわらぐ。これが昔の日本人に健脚をもたらしていた。また、ひねりが少ないので和服がはだけることもない。この和服から洋服への服装の変化が、ナンバ歩きが消えた原因の一つと考えられるという。

 

 それを聞いて、さっそくナンバ歩きを試みてみた。集中しないとすぐ元に戻る。手を膝に当てたままで歩くと良さそうだ。手をふるなら、右なら右と片方の手と足だけに集中する。または足裏全体での着地に集中してもよい。これからも懲りずに続けてみよう。竹馬での歩行、相撲の鉄砲、阿波踊りなどはナンバ歩きだ。力士の歩き方に、あるいは甲子園の入場行進にナンバ歩きがないかチェックしてみよう。

  さて伊能隊が観測していのは北極星である。北極星は地軸の北極方向を伸ばした「天の北極」のそばにあり、星座の中でほとんど動かない星だ。南北の目盛である緯度は、北極は緯度90度、赤道は緯度0度である。北極星までの角度を測れば、その角度はその場所の緯度になる。少なくとも2地点の観測で緯度1度分の距離がでる。それの360倍が地球一周の長さというわけだ。北辰とは北極星の別称で、「北辰斜めにさすところ」という映画は、北極星を斜めに見上げる南国の地という意味だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*届いた年賀状

2019年01月21日 | 捨て猫の独り言

 返信するための年賀状を暮れに20枚購入した。届いた年賀状には、かなりの字数で埋め尽くされたものもある。意見表明などでその人の姿勢が明確に伝わるものもある。家族の様子を伝えるものもある。それらにくらべて私の返信はどうも見劣りするなと自覚しつつ年が明けてから出す。いつものことながら風趣不足の手書きである。(たかの台の野外写真展から)

 

 「日本の経済が回復しつつあるとされていますが、実感はおありでしょうか。格差社会が指摘され、子供やお年寄りなど弱者にしわ寄せがなされる悲しい事件や今までの常識では理解できない犯罪も後を絶ちません。平成につぐ新しい時代は、これからの日本がどのような国となっていくのかが根底から問われることとなるように思われます。以下略」これは千代田区にある法律事務所から、6人の弁護士連名で。

 「新しい年の世界は、好き勝手するトランプ政権の米国第一主義によって予測不能の時代に突入したようです。安倍首相はそのトランプ政権にむしろ率先して追随しつつ、動き始めた東アジア情勢に対して冷戦の発想から抜けず、自ら平和構築に踏み出す気配もありません。中略。私はこの間、成蹊の卒業生安倍氏の、無用の多弁と不誠実な言葉遣いは、およそ桃季不言不自成蹊の真逆にあると思ってきた。以下略」これは元社会科教諭の同僚先輩から。

 「回顧拙句でご機嫌伺い申し上げます。軟茶亭」から今年も届いた。月ごとの句がぎっしり印刷された欄外に自筆で「正月2年ぶり退院自宅で寝て暮らしています。トホホ・・・の病状ですが。悪政続く限り死んでも死にきれず、しぶとく生きています(笑)」とある。【マフィア擬き】カジノにはあのボルサリーノよく似合う【冒涜】広島へ安倍氏コピペを読みに行く 【翁長氏逝く】八月ぬ さとうきび畑に涙そうそう【IR万博】人類の進歩と調和だ!いざカジノ その好奇心旺盛ぶりに敬意を抱く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*江戸時代

2019年01月14日 | 捨て猫の独り言

 散歩の途中でクロガネモチの並木を見つけた。場所は隣町の東大和南公園である。暮れに庭のクロガネモチの剪定をした。庭の木の姿とまるで異なり、鈴なりの赤い実が輝いている。これから庭木の剪定を続けて理想の姿に近づけることができるのか不安である。散歩のついでにネズミモチの並木のある、わが町の小川緑地公園に立ち寄ってみた。黒い実が鈴なりであったが、それに気付く人は少ないようだ。

 

 「江戸時代まで、改元は必ずしも天皇の代替わりで行われるものではなく、天変地異や不吉な年回りを避ける目的でなされた。それゆえ頻繁に改元があった。つまりは言葉を用いた呪術の一種だったのである。近代において改元が天皇とぴったり一体化したということは、天皇制の呪術的な意味が浮上したということである。政治制度としては戦後に大きく変わったのだが、今年は意味も変わりそうだ。

 改元が3年も留保されるとなると、改元の持つ呪術的な意味はもはや無い。年号は今まで以上に形式的でお役所的なものとなり、コストがかかるわりに面倒で意味が見いだせないものとなる」ここまで田中優子の「江戸から見ると」から引いた。「古川柳おちぼひろい」や「伊能忠敬」を読み関心が江戸に向かっている。大まかだが江戸の前期、中期、後期をそれぞれ1600、1700、1800年代とみなす。中期には宝永4富士山、安永8桜島、天明3浅間山の大噴火が発生。江戸大火は全期で起きている。

 前期の1689(元禄2)に松尾芭蕉が奥の細道へ出立した。そのあとに江戸中期に流行したのは「前句付け」という文学的遊戯だった。たとえば選者が「ひくいことかなひくいことかな」の題を出すと、一般人が「よしなあの低いは少し出来かかり」と応募するという形をとり、入選句をすりものにして発表した。その前句付けの秀句を編集したのが柄井川柳である。後期では伊能忠敬没後3年目の1821(文政4)に伊能地図が幕府に献上されている。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*伊能忠敬

2019年01月10日 | 捨て猫の独り言

 小平市の図書館には「本の福袋」というイベントがある。職員がテーマを決めて選んだ本を、中身が分からないように貸し出す。普段手に取らないような本との新しい出会いを演出する狙いという。正月休みの読書にと年末に行われ、今年で3回目だ。英字新聞に包まれて「中学年向け」で「地図を見ながら日本を旅しよう」という袋を借りることにした。

 包みの中の3冊はどれも絵や写真がふんだんに使われている大判の本である。その中の一つ岩崎書店の「伊能忠敬」は掘り出し物だった。発行は2016年と新しく、著者は児童文学作家の国松俊英とある。忠敬という人物について詳しく解説したこの本を見て読んで、言い知れぬ感銘を受けた。最たるものは49歳で隠居が認められた忠敬が、天文学や暦学を思い切りやりたいと家督を長男にゆずり50歳で江戸に出たことである。

 忠敬は1745年千葉県九十九里町で生まれた。幼名を三治郎という。寺小屋にも通い算術が好きで、夜になるとよく星を眺めていた。17歳のときに香取市の古い大きな商家の伊能家の婿養子となり名前を忠敬に改める。伊能家の商売に力をそそぎ、36歳で名主(村長)となった。38歳のとき浅間山が大噴火し、天候不順で大凶作となる。たくわえた米やお金を困っている人に分け与えた。

 

 下総の国から江戸の深川黒江町(門前仲町)に移り住んで入門したい先生をさがした。50歳の忠敬は幕府の暦局(れききょく)に勤める19歳年下の高橋至時(よしとき)に弟子にして欲しいと頼み、その熱意が認められて天文学を学べることになる。55歳の1800年に幕府から蝦夷地測量の許可をもらう。奥州街道と蝦夷地東南岸の測量を皮切りに、伊能隊は17年かけて測量の旅を続けた。72歳のときに間宮林蔵から蝦夷地の測量記録を受け取る。73歳で死去、浅草源空寺の高橋至時の墓の隣に葬られる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*新井薬師

2019年01月07日 | 捨て猫の独り言

 長男の双子の姉妹は大学生となりそれぞれの社交もあり、長男自身も今年から仕事の関係で正月といえどものんびりできなくなった。今年はみなで顔をそろえる機会を年度替わりの三月にという申し入れがあった。それもまた気楽なもので、特別なこともない正月を過ごした。初詣は地元の寺社が定番だったが、少し遠出してみようということになった。

 元日の行き先は新井薬師に決めた。以前この界隈を紹介するテレビ番組があり、寺の他にも訪ねてみたい場所が私の中にいくつかあった。東の浅草、西の新井薬師と言われることもあるというが、賑わいにおいて現在はくらぶべきもない。しかし真言宗豊山派新井山梅照院薬王寺は江戸の人々の生活ぶりを想像させてくれる雰囲気が残り静かな佇まいでそこに存在していた。

 

 子育薬師、治眼薬師がおわしまして、特に眼の治癒を願う人がお参りするということで名高い。願を掛けたところでどうなるものでもないと思うのだが、それはそれ気もちの整理、確認の時間だろう。ふりかえると昨年は身内に病院のお世話になる事が起きた。大したこともなく済んだが、新井薬師の初詣とはなんともいいタイミングだ。ついでに私の緑内障の現状維持もお願いすることにした。

 

 中野区上高田3‐26の民家の広大な敷地の半分が生垣でかこまれている。ここは「たきびの歌」発祥地である。毎年12月には垣根の中で焼き芋の会が開かれるという。駅に戻り線路を越えて北に向かうと妙正寺川沿いに中野区立の哲学堂公園がある。東洋大学の創設者井上円了が、ソクラテス、プラトン、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したのが始まりという。たとえば理性(島)に達する道程には概念(橋)が存在するとして概念橋という橋が置かれていた。井上円了ワールドが楽しめる。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする