30歳前半にサッカーチームに所属していた。むろんJリーグはまだ発足していない。写真が残っていて自弁でユニフォームを作ったことを思い出した。しかし30歳台で初めてやるスポ-ツにしては難しくてボールが足に馴染んでくれない。なにより走れない、息切れしてすぐ立ち止まる。サッカーの楽しさを感じることなく、チームも自然消滅した。その後ソフトボールに流れて、中年のスポーツを細々と続けた。試合後に飲むのも楽しみだったが、ユニフォームに身を包む緊張感もいいものだった。馬子にも衣装の喜びがあった。
60歳すぎて運動らしきものはサイクリングぐらいである。ゴルフは未経験だから、あとは温水プールとか山歩きぐらいか。自動車通勤を復活して半年の間に、ひやりとしてはっとすることが2回あった。
1回目は日差しの強い日に交差点で右折のとき、フロントガラスのフレームが死角となり、横断中の自転車と危うく接触しそうになる。突然目の前に現れた若い女性に睨まれた。視野が狭くなっている。これは、最近たまたま眼科で受けた右目の視野検査結果と見事に一致している。2回目は黄昏どき、直進中に老婆の顔が夢か幻のごとく右の窓ガラスすれすれに近づいてきた。横断歩道に気ずかなかったのである。とても穏やかな老婆のお顔であった。視力が減退している。
つい最近のことだ。夕闇に包まれてきたので、ブラインドを引こうと、照明のついてない部屋の窓辺に近づいたときである。いきなり顔面を強打した。何事が起きたのか一瞬理解することができない。前歯が3本折れたと思った。抜歯したときのような鈍痛が広がる。いつもそこにある蓋つきコタツに向こう脛をぶつけて転倒したのだった。鼻の横あたりに少し出血がある。食事中であったが中止して、焼酎お湯割り残り3分の2はただちに捨てる。心細いことに「ねったぼ」さんは一泊旅行中で留守である。幸い出血もとまり、痛みも引いて土曜の夜の病院の門を叩かずにすんだ。
自分が家の中で転倒するなんて考えもしなかった。なんの予感もなく、それは突然起きた。老いの自覚とは、わが身に起こりうるであろう事故を、常日頃からいろいろ想像してみることだ。想像したことが、その通り起きてしまえば、それはそれで受容するしかない。まだ食事のときに歯が痛む。折れてないことを願うばかりだ。
60歳すぎて運動らしきものはサイクリングぐらいである。ゴルフは未経験だから、あとは温水プールとか山歩きぐらいか。自動車通勤を復活して半年の間に、ひやりとしてはっとすることが2回あった。
1回目は日差しの強い日に交差点で右折のとき、フロントガラスのフレームが死角となり、横断中の自転車と危うく接触しそうになる。突然目の前に現れた若い女性に睨まれた。視野が狭くなっている。これは、最近たまたま眼科で受けた右目の視野検査結果と見事に一致している。2回目は黄昏どき、直進中に老婆の顔が夢か幻のごとく右の窓ガラスすれすれに近づいてきた。横断歩道に気ずかなかったのである。とても穏やかな老婆のお顔であった。視力が減退している。
つい最近のことだ。夕闇に包まれてきたので、ブラインドを引こうと、照明のついてない部屋の窓辺に近づいたときである。いきなり顔面を強打した。何事が起きたのか一瞬理解することができない。前歯が3本折れたと思った。抜歯したときのような鈍痛が広がる。いつもそこにある蓋つきコタツに向こう脛をぶつけて転倒したのだった。鼻の横あたりに少し出血がある。食事中であったが中止して、焼酎お湯割り残り3分の2はただちに捨てる。心細いことに「ねったぼ」さんは一泊旅行中で留守である。幸い出血もとまり、痛みも引いて土曜の夜の病院の門を叩かずにすんだ。
自分が家の中で転倒するなんて考えもしなかった。なんの予感もなく、それは突然起きた。老いの自覚とは、わが身に起こりうるであろう事故を、常日頃からいろいろ想像してみることだ。想像したことが、その通り起きてしまえば、それはそれで受容するしかない。まだ食事のときに歯が痛む。折れてないことを願うばかりだ。